このべき乗則が示唆しているのは,すでにお馴染みの通りだ。アメリカでもどこでも,都市には「典型的な」大きさというものはなく,また巨大都市の発生の裏には,特別な歴史的,地理的条件などない。都市の成長は,ここまで我々が見てきたものと同様に臨界的な過程であり,それは激しい不安定性の瀬戸際に留まっているのである。ある都市が作られるときに,その位置や産業などの理由から,その都市の発展が運命づけられているという場合もあるだろう。しかしべき乗則によれば,その都市がどれほど大きくなるかを,初めから言うことはできない。ニューヨークやメキシコシティーや東京の発展に関しては,必然的で特別なことはおそらく何もなかったのである。もし,歴史のフィルムを巻き戻してもう一度再生できたとしたら,間違いなく大都市はいくつもできるだろうが,それらは別の場所に別の名前でできるはずだ。それでも,都市におけるべき乗則の傾向は変わらないままであろう。
マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.262-263
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