「分類」とか「分類学」と言われれば,生物の分類をすぐさま連想することが多いのがふつうだ。人間の目から見てさまざまな姿形をもつ生きものたちは,われわれが本来もっている「分けたい」という衝動を激しくかきたてる。しかし,分類はもともとその対象物を選びはしない。図書館でおなじみの本の分類(たとえば十進分類システム)やメンデレーエフによる化学元素の分類(周期律表)はいうまでもなく,分類学や分離の理論について何一つ学んだことのないはずの一般人や幼児でさえ,日常のさまざまな状況で「分類」を実行しながら生活している。折り詰め弁当に入っている「醤油鯛」であれ,街角の工事現場に立っている「おじぎびと」であれ,あるいは,いまや世界的キャラクターとなった「ポケモン」であれ,分類の対象はその裾野を無限に広げる。対象を生物に限定しない(その意味で「普遍的」な)分類は実際にある。とすると,そのような普遍的分類を論じる「普遍的分類学」もまた可能であろう。
三中信宏 (2009). 分類思考の世界—なぜヒトは万物を「種」に分けるのか— 講談社 pp.149-150
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