興味深い極端なケースは,全知の神の概念である。神学のなかで述べられているこの概念は,神が世界についてあらゆる角度からあらゆる情報を得ることができると仮定している。しかし,バレットとカイルが示したように,人々が実際にもっている概念は神学的理解から逸脱していることが多い。したがって実際に,文字通り全知の存在として神を表象しているかどうかが問題になる。もしそのように表象しているなら,人々は,世界のあらゆる側面についてのあらゆる情報が,神によって等しく表象されている,と仮定していることになる。だとすると,次のように言うのはごく自然だろう。
神は,世界中のどの冷蔵庫の中身も知っている。
神は,動いているどの機械の状態も知っている。
神は,世界中の昆虫の1匹1匹がなにをしようとしているかを知っている。
とはいえ,これらは,以下の3つと比べると,多少奇異に感じられる。
神は,あなたが昨日だれと会ったかを知っている。
神は,あなたが嘘をついているのを知っている。
神は,私が悪いことをしたのを知っている。
これがまったく文脈の問題だということに注意してほしい。もしあなたが,最初の3つが実際になんらかの戦略的情報を示す文脈のなかにいるのなら,これらをとくに奇異とは感じないだろう。神が実際に,あなたの冷蔵庫の中身(あなたが隣人から盗んだものが入っているなら),ある機械の状態(あなたがそれを使って人を傷つけようとしているなら),昆虫の行動(大量発生して敵を襲うようにと,あなたが望んでいるなら)を表象していると考えることができるからだ。これらの場合には,情報は戦略的である。こういった状況を表象する人々は直観的に,神が彼らにとって戦略的であるような情報を表象していると直接仮定している。
パスカル・ボイヤー 鈴木光太郎・中村潔(訳) (2008). 神はなぜいるのか? NTT出版 pp.205-206
(Boyer, P. (2002). Religion Explained: The Human Instincts that Fashion Gods, Spirits and Ancestors. London: Vintage.)
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