だが,セイラーとジーグラーが指摘しているように,これは,私たちが通常知っているような宗教にはあまり似ていない。エイリアンが実在し,政府がその事実を驚くほど巧みに隠蔽していると,多くの人々が受け入れているように見えるけれども,エイリアンに向けられた特別な儀式はないし,その信念がほとんどの人では深い情動反応や行き方の変化を引き起こすこともなく,自分たちだけがエイリアンを信じているからよりよく生きられるのだといった偏狭な考えを生じさせることもない。さらに,ここで私がつけ加えたいのは,,一般的なエイリアンのイメージからすると,彼らは(私の定義した)戦略的知識をもつ者としては記述されていないということである。すなわち,エイリアンは高度な物理学や科学技術の知識をもつ知的存在とされてはいるが,それは,「彼らは妹が私に嘘をついたことを知っている」や「彼らは私が正直に確定申告をしたことを知っている」といった推論を引き出すようには見えない。信者がエイリアンの訪問の「証拠」を得て表象するやり方は,個々の人間の行動とはなんの関係もないように見える。
これとは対照的に,少数ながら,エイリアンを神や霊と同じように表象している人たちがいる。あるカルトでは,エイリアンがなにを知っていて,なにを欲しているかは,その人の生活に大きな影響をおよぼしている。人になにができるか,どのようにそれをするか,その人の生き方や考え方はみな,エイリアンについての考え方によって特徴づけられる。これが起こるのはふつう,ある印象的な人物が信者たちを,彼(女性であることはまれだ)が宇宙からのこれらの訪問者と直接会ったと信じさせ,それらの訪問者が戦略的情報を知りうるという推論を生み出せるからである。したがって,信者の推論システムにとって重要なこと——どう行動すればよいか,どれを選べばよいかなど——は,これらの行動や選択についてのエイリアンの見方に影響される。
パスカル・ボイヤー 鈴木光太郎・中村潔(訳) (2008). 神はなぜいるのか? NTT出版 pp.216-217
(Boyer, P. (2002). Religion Explained: The Human Instincts that Fashion Gods, Spirits and Ancestors. London: Vintage.)
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