人類学者のジャック・グディによれば,読み書き能力は異なる認知スタイルを生じさせる。読み書きをするということは,文字化されたテクストが外部記憶として用いられるという点で,認知的操作を変化させる。たとえば,読み書きによって,計算の途中結果を覚えておく必要のある複雑な数学的演算も可能になる。特定の要点を証明する要素をたくさん書き記すこともできるので,緻密な議論が可能となる。さまざまな概念構造を目に見える形で考えることもできる。このようなにどの点から見ても,読み書きの「メモ帳」の側面は,その長期的「保持」の機能と同じぐらいに重要である。
文字化された宗教の特徴のいくつかから,この解釈は支持される。たとえば,ユダヤ教の613の戒律(ミツヴァー)や,シュメールやエジプトのテクストに記録された何千もの前兆を列挙するには,明らかに読み書き能力が必要である。複雑な神学,何千もの異なる状況についての儀礼的規定,さまざまな賢人の言行録,神託や道徳的規則の編纂物など,これらはみな,データを貯蔵し引き出すために文字を用いたことの副産物である。
パスカル・ボイヤー 鈴木光太郎・中村潔(訳) (2008). 神はなぜいるのか? NTT出版 p.363
(Boyer, P. (2002). Religion Explained: The Human Instincts that Fashion Gods, Spirits and Ancestors. London: Vintage.)
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