宗教的信念をもつには,それほどの努力は必要でない。驚くほど強力な超自然的行為者が自分たちを見ていると思うキリスト教徒も,妖術師がバナナの葉に乗って空を飛んでいると言い張るファンの人々も,ふつうは,そのことを確信するために,懸命に努力する必要はない。これが,なぜ懐疑論者が信念を一種の心的怠慢として見ることがあるのかという理由である。なぜ人々が超自然的存在を信じるかと言えば,それは,彼らが迷信深く,感情に迷わされやすく,心がバランスを欠いていて,純朴で,確率というものがわからず,科学的な素養がなく,文化に洗脳されていて,受けとった知識を疑うだけの能力をもっていないからである。この見方では,人々が信じるのは,彼らが不適格な,あるいは正当性に欠ける考えを却下できない(あるいはそうするのを失念している,そうする時間がない,したくない,あるいはたんにできない)からである。もし人々が次に挙げるような心の管理の常識的原則を一貫して用いるなら,信仰は消え去るはずである。
・明確で正確な思考だけを相手にせよ。
・首尾一貫した思考だけをせよ。
・主張を受け入れる前に,それを支持する証拠を検討せよ。
・反証可能な主張だけを相手にせよ。
パスカル・ボイヤー 鈴木光太郎・中村潔(訳) (2008). 神はなぜいるのか? NTT出版 pp.388-389
(Boyer, P. (2002). Religion Explained: The Human Instincts that Fashion Gods, Spirits and Ancestors. London: Vintage.)
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