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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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メリトクラシー社会化

1960年代から1970年代初め,カリフォルニア大学バークレー校の心理学教授,アーサー・ジェンセンが,知能テストにはマイノリティが不利になるバイアスはなく,マイノリティの成績向上を狙った学校プログラムは失敗に終わるだろうと主張する論文を書き始めた。ハーバード大学心理学教授のリチャード・ヘアンスタインは1971年,アトランティック・マンスリー誌に論文を発表し,米国は急速にマイケル・ヤング型のメリトクラシー社会になりつつあると述べた。すなわち,知能は今や,社会の中でまさにカギを握る資質になっている。知能は遺伝によってかなりの部分が受け継がれる。それゆえ,最も知能の高い人々を全員1ヵ所に集めれば,彼ら同士が結婚するようになり,共通テストと選抜に基づく大学教育がいずれ,高IQの人々で構成される明確な半世襲的上流社会を生み出すと論じた。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.248
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アジア系米国人

アジア系米国人という概念は,大胆で斬新だった。完全に人工的な概念でもあったが,白人がそれを知る必要はなかった。白人たちはアジア系に,統率され,軍隊のように歩き,目のつり上がった絶対的な力のイメージを持ちたがる様子だった。ならそれを生かそうじゃないか。当時,イェール大学のアジア系米国人は,中国系と日系の2グループを中心に混ざり合っていた。話す言語は違うし,家に帰れば異なる民族街で暮らす。戦争体験世代の親からは,それぞれ互いに敵と思うよう,しつけを受けていた。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.216

人種問題へ

米国では,個人の機会に責任を負うとみられる機関は,それが何であれ政治的混乱を生み出す。機会は米国社会において,大きな突進力を持つ。機会は,すべての個人が基本的権利として持つはずで,それを否定するのは道徳的に受け入れられない。19世紀の大半は,機会が,小農場,商店,企業を立ち上げる資本の入手を意味する時代だった。また,その時代,銀行業,通貨,与信は怒りを誘う政治問題だった。20世紀末になると,機会は教育を意味し,同じことが学校で起こった。
 これが一般的な状況である。具体的には,米国版メリトクラシーの政治学は,創設者が予想しなかった問題へと向かった。人種問題である。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.191

入試改革

この結果,アイビーリーグの他大学では見られなかったような表立った争いが起きた。他大学はメリトクラシー的な入試制度に段階的に移行した。イェールも他大学と変わらないコースを選んだが,勇敢で,栄光に輝く改革志向の個性的な若者を軸にメリトクラシー導入を組織したところが,とにかく非常にイェール的だった。卒業生のあいだでは,クラーク憎しの熱気が急激に盛り上がった。入学はゼロサムゲームで,新しい人が入学すれば,だれかが閉めだされる。卒業生には,それがだれだかわかっていた。卒業生の子息が占める比率は,ハウの最後の学年の20%から,クラークの最初の学年の12%へと低下した。イェール大学への進学者数が第1位だったアンドーバーからの,入学者数はほぼ半減した。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.184

エリート主義と平等主義

偉大な大学は必然的にエリート主義——能力に基づくエリート——になるが,運営は平等主義の考え方に徹した環境で行われる。ならばどうやってエリートの貢献が平等主義に資すると明らかにできるのか,どうやって知性のアリストクラシーが全人口におのれを正当化できるのか。

 それは良い質問だ。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.171

IQテストの扱われ方

40年後の今,同書の中で目に留まるのは,ヤングが気軽に,また機械的に,IQの点数と知能を同じものと仮定したことだ。たしかに,統一IQテストを実施し,それから教育において分別することが,機会均等な社会を組織する唯一の方法だ。ヤングは「知能テストは……まさしく社会正義を行う道具だ」と書いた。ヤングは,努力も重要と述べているが,総じて,人間の将来の経済的生産性を測る正確な尺度としてIQを扱っている。それゆえ『メリトクラシー』では,英国は11歳試験(引用者注:イレブン・プラス試験)の登場により,世界最大の経済大国に突き進むことになっている。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.145

メリトクラシー

ヤングは怒りを買ったショックから立ち直ると,出版しようという人が出てくるような形に仕上がるまで,考えを深めることにした。彼が書くことにしたのは,『動物農場』と『すばらしい新世界』の精神に沿った,新社会秩序の関する暗黒郷をテーマにした作り話。2030年に書かれた社会学のニセ博士論文の形式にするつもりだった。すぐに出てきた問題は,ヤングの言うところの「人間によるというよりむしろ,最も頭の切れる人間たちによる支配」制度に,どういう名前を与えるかだった。アリストクラシーだろうか。ギリシャ語では,最良の人々による支配を意味したが,1950年代の西側世界全域では,逆の意味,すなわち富の相続人による支配と理解されていた。そこでヤングは代案を考えた。「メリトクラシー」である。
 実際は,最初の音節をギリシャ語からラテン語に変えただけで,同じ単語である。ヤングは,友人の哲学者,プルーデンス・スミスに,「メリトクラシー」という言葉を使ってみた。彼女はぞっとして,ラテン語とギリシャ語の語根を1つの単語の中に組み合わせるのは,品の良さを醸し出す言葉のルールにすべからく反する蛮行だ,と言った。彼女が徹頭徹尾反対したので,ヤングは何十年たっても,そのときの様子を克明に覚えていた。2人はロンドンのゴールダーズグリーン墓地の火葬場の外で,「メリトクラシー」の造語が許しがたい掟破りかどうかをめぐって,議論を戦わせた。
 ヤングはこれ以上ふさわしい単語を思いつかなかったので,「メリトクラシー」にこだわった。プルーデンス・スミス以外,だれも不満を言わなかった。「メリトクラシー」は英語に加わった。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.144

イギリスのイレブン・プラス

そこで英国は,IQが生涯にわたって安定すると考えられた年齢で受けさせる,11歳試験(引用者注:イレブン・プラス試験)という全国試験を導入した。私学教育を受けさせる資力が親にない11歳の子供はこの試験結果により,社会の中でどのような人生を送るのかが決まってしまう。学費無料の公立学校が二種類創設された。グラマースクールでは,11歳試験の高得点者が,ホワイトカラーの仕事に就き中流の暮らしを送るための教育を受ける。セカンダリーモダンでは,高得点を取れなかった大多数が職業技術訓練を受ける。これは英国における機会の制限ではなく,機会の拡大を意味した。なぜなら,以前は庶民が出世する方法はほとんどなかったからだ。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.142

MBTIの隆盛

マイヤーズ・ブリッグズの離脱を放置したのは,ETSにとって最悪の経営判断だった。マイヤーズ・ブリッグズは今日,ニューエイジの半ば公式の共通テストになっている。コンサルティング・サイコロジスツ・プレス社が発行し,独立開業している心理学専門家や心理学に知識があると自負する経営者に用いられている。年間の被験者数はSATを上回る。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.115

両端にピーク?

計量心理学の第一原則は,全体に分布が中央で膨らむ,おなじみの釣鐘型曲線になること。マイヤーズ・ブリッグズのテスト派,各軸の分布が両端で膨らむと仮定されていた。大半の人々は内向的か外向的かのいずれかで,その中間ではないことになる。これが1つの問題だった。また大半の人格検査と同様,信頼性が高くなかったのも問題。同じ人が2回テストを受けると,違う結果が出てくるのだ。さらに,一見したところ,結果の妥当性を測るのに使える,1年目の成績というような明白な数字がなかった。しかも,思考/感情の軸(他の軸も可能性がある)は,ETSの人たちには,人格のタイプより男女の違いに対応しているように思えた。あるETSの計量心理学者は「ほとんど占星術のようだ。われわれはばかにした」と語った。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.113

MBTI

もしフランケンシュタイン博士が1950年代にいて,ETS研究部門が軽蔑して見下す可能性が最も高い生き物を作り出せと命じられて,実験室に送られたとしても,イザベル・マイヤーズを超えるものは造れなかっただろう。マイヤーズは売れない小説家で,心理学の教育は受けたことがない。男ばかりの世界に飛び込んだ女性で,大御所から何年も批判を浴びせられたが,まったくひるまず強情で粘り強かった。マイヤーズは心理タイプに関するユングの書作を読み,テスト考案のインスピレーションを得た。マイヤーズはユングの考えをもとに人格を示す4つの軸,外向/内向,感覚/直観,思考/感情,判断/知覚を考案した。マイヤーズ・ブリッグズでは,被験者が自分の好みについて一連の多肢選択の質問に答えると,各軸のどちらか一方に振り分けられる。ヘンリー・チョーンシーはマイヤーズ・ブリッグズを自ら受け,家族にも受けさせた。チョーンシーは外向ー直観ー感情ー知覚だった。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.113

マレーのTAT

20世紀半ばの心理学は,プロの領域となりつつあったが,傑出したアマチュアも食い込む余地があった。その時代の優れた人物の1人が,ヘンリー・A・マレーである。ニューヨークの名家の子息で,巨額の不動産の相続人だ。グロトン校とハーバード大学を卒業し(両校を通じてデブルー・ジョセフスと同級生),医者になった。1920年代に大西洋を横断するあいだ,『白鯨』を読んで衝撃を受ける。そして即座に医者を廃業し,心理学者になると決断。マレーは博士号を取らないまま,ハーバード大学の教授に就任した。長身で礼儀正しく,こざっぱりした身なりの紳士だが,外見と違って,強迫観念,強迫衝動,抑制できない欲望といった暗い奥底の世界に完全に没頭していた。それはマレーがハーマン・メルビルの作品に強く引き寄せられていたからである。彼は長年かかって,26種に及ぶ根本的な人間の要求(need)の図式を開発。その多くは暗く恐ろしい中世欧州の感覚だ。n支配,n顕示,n屈従などである。
 マレーは長年,妻と離婚しないまま,助手の1人と苦痛に満ちた濃厚な恋愛関係にあった。相手はクリスティアナ・モルガン。カール・ユングのもとで学んだスイス女性である。マレーとモルガンは共同で,主題統覚検査(TAT)を開発した。被験者は硬いカードに描かれた白黒の絵を見て,思いつくストーリーを語る。大半の絵は,わざと動揺させるような場面が描かれている。マレーとモルガンは,被験者が表現するストーリーは無意識の深い部分から出てくると考えた。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.109-110

ロールシャッハ

チョーンシーが初めてロールシャッハ・テストのことを耳にしたときは,詳しい教授がハーバード大学にいるのを突き止めた。ロールシャッハ・テストは,インクのしみのついた10枚の白いカードを見せて被験者の想像力をかきたて,何に見えるかと聞くものである。チョーンシーは教官クラブの昼食に教授を誘い,さらに詳しい情報を得ようとしたが,ロールシャッハを入試に使うのは無理だと止められた。専門家が長時間かけて,1人1人に実施しなければならないからだ。やはりハーバード大学にいたころ,学界から軽蔑されていた有名な心理学者,ジョンソン・オコナーの業績にも興味を抱いた。オコナーは創造性に関するテストを開発した。被験者に「海水面が6フィート上昇したらどうなるか」とか「樹木がすべて,2フィートより高く育たなければどうなるか」といった質問をする。オコナーは回答の単語数を数え,最も語数の多い被験者が,創造性において最も高い点をとるようにした。テスト界における初期の多くの人たちと同様,オコナーは,実験による裏付けを集めて研究結果を確立する気がなかったため,この創造性テストをハーバード大学で使うのは不可能だった。しかしチョーンシーはいつも,オコナーは何かに気付いたと感じていた。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.108

SATの予測的妥当性

テストの初期のころは,極端に高い妥当性の報告が散見された。そういう報告は,ベン・ウッドやウィリアム・ラーニドなどテストの普及者から,しばしば出てきた。だが,数字は低下してきた。ETSの大半のテストは,0から1までのスケールで見て,0.4近辺の妥当性を示した。予測的妥当性は通常少し高めで,成績とテスト得点を組み合わせると(チョーンシーがハーバード大学の副学部長時代に考え出した方法),いずれか片方だけを見た場合より高い,0.5付近の予測的妥当性になる。確かにテストは十分有用ということになるが,それでもSATの点数自体は,大学1年目の成績の変動の約15%を説明するにすぎない。これはかなり乏しい成果で,チョーンシーがテストに対して思い描いた壮大な役割にはまったく及ぼなかった。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.107

割当制度

1951年の春と夏を通して,チョーンシーはたえず表舞台に立ち,講演し,会議に出席し,発言を引用された。チョーンシーは冷静に,忍耐強く,安心させるように,テストは徴兵延期のためで徴兵免除ではないと説明した。70点をとることは,その人のIQが70という意味ではない。詰め込み教育で点数が上がることもない。大学の学年で上位半分の位置にいれば,テストの点数に関係なく徴兵延期を受けられる。米国は,科学的な才能のパイプラインが流れ続けることを強く必要としている。チョーンシーは,吹き出てくる議論を巧みにさばいただけでなく,潜在的な議論が新たに出てくるのを防ぐのも上手だった。
 全米共通テストの1つの難点は,受験者全員の連続ランキングの作成に伴い,異なるタイプの人々の点数に幅広い開きのある実情が明るみに出ることだった。低得点者は生まれつき劣等だと非難されたように感じて,激しく怒る可能性がある。1951年,ETSはある低得点グループを強く懸念した。南部人である。徴兵延期テストでボーダーの70点に達するのはわずか42%と,ニューイングランド出身者の73%を大きく下回った。低得点の学生を徴兵し,大学を離れて入隊させれば,南部の大学が壊滅し,南部の政治家がテストに宣戦布告することが予想された。そこでETS内部では,地域別の割当制度のアイデアが広がった。割当制度は,北部人より点数の低い南部人にも徴兵延期を与えられるようにする。しかしチョーンシーは割当案に抵抗し,地域間の点差を隠し続けるように押し通した。幸運にも,この件は外部に漏れなかった。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.95

理性と科学に基づいた

話は戻って1922年,ウォルター・リップマンは,知能テストが本格的に広がれば,テストの監督者は「神権政治の崩壊以来,知識人が手に入れられなかった強大な権力を持つ地位につく」と予測した。チョーンシーは実際,ETSのトップとして,擬似大臣の役割を果たすのを希望した。それはチョーンシー家の先祖たちが米国の国づくりを助けるため手がけてきた作業を一歩進めたものであり,近代化でもあろう。チョーンシーは日記で,自分の考えを言葉にまとめるのに苦労しつつも,ウィリアム・ジェイムズの有名な一節をひねって表現している。「私が打ち立てたいと望んでいるもの」は,「感情と伝統ではなく,理性と科学に基づいた,宗教の道徳的等価物である」。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.87

世界最大のIQテスト利用国

争いの真の勝者はIQテスト派だ。テスト期間の統合が具体化し,SATが米国の大学志願者のテストとして祭り上げられ,米国は世界最大のIQテスト利用国となった。
 しかし勝利には隠れた危険が伴う。コナントは知らぬ間に,根本的な矛盾の下地を作った。高いIQの持ち主だけでなく,全員に対して公的に絶対の機会均等を保障する。これこそ米国社会の中心的な前提であるという考えが神聖視されるのに,コナントは手を貸したのだ。他方では,共通知能テストの点数が表す内面的な価値と思われるものに従って,人間をランク付けするシステムを創りだした。人びとの社会的地位——富と名誉——は共通知能テストの点数をもとに配分された。ここに根本的矛盾がある。すなわち,機会の拡大が約束されながら,大半の人々は人生の初期のある時点で機会が制限されるという現実があるのだ。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.82

学校は成功への障害

米国の小説や物語に出てくる独力で成功した男も,わずかな教育しか受けず,学校は成功への明らかな障害になると思っているケースが多かった。ホレイショ・アルジャー作の人気小説も,貧乏だが野心を持った少年という同じテーマだった。熱血漢の若い主人公と独力で成功した実力者の熟年男性が偶然出会い,よくある形で話が展開する。セオドア・ドライサーの『資本家』では,将来資本家になるフランク・カウパーウッドが,「子供でいたくない。働きたい」という理由で,13歳のとき学校に行かなくなった。若きジェイ・ギャツビーは,フランクリンが自伝で勧めたような自分磨きのチェックリストを持ち歩いていたが,著者のフィッツジェラルドは,ギャツビーがそれとわかる教育を受けたかどうかは語っていない。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.64-65

機会を得る

米国では,機会は国民の特別な関心事だった。人々は従来,非公式な組織だっていない形で,学校や大学の外で機会を手にしていた。大学は,実業界の出世に関心のない特権的な連中や,評価は高いが収入は高くない職業——法曹,医師,聖職,外交官,軍人——のために教育を授ける場所と受け止められていた。逆に実社会で成功するには,教育関係の証明書は必要ないと思われていた。トクヴィルは「米国では,おびただしい群衆がもとの社会状況から抜けだそうと大変な努力をしている場面に最初に出会う」,「すべてのアメリカ人は上昇願望で頭がいっぱい」と書いた。願望実現の方法は?きめ細かな正規の教育でないのは確かだ。「勉強の味が分かりそうな年齢に達するころには時間がない。時間が取れるころには勉強の味を忘れている」と彼は言う。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.63-64

平等からの出発

コナントが望んだ,新たな,階級なき米国社会では,だれもが平等な立場から出発しなければならない。有能な卒業生は,厳密にそれにふさわしいからこそ,高い地位に就く。しかしこれらの有能な者たちが,特別優遇を子供に譲れるようにしてはならない。コナントは,米国が「政府権力を活用し,各世代の“持てる者と持たざる者”を再編して,社会秩序に流動性を与えることができる」と書いた。そのような社会をどう実現し,管理するのだろうか。公教育を通じてである。「能力は評価され,才能は開発され,野望は指導を受けなければならない」,「それがわれわれの公立学校の課題」だと彼は言う。そして彼はこう続けたかもしれない。ヘンリー・チョーンシーとSATの課題でもある,と。

ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.62

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