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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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1960年代の暴力

1950年代にロックミュージックが突如として登場したとき,政治家や聖職者はそれが道徳を腐敗させ不法行為を助長するものだとして非難を浴びせた(オハイオ州クリーブランドにあるロックンロール・ミュージアムに行くと,頭の古い人びとが声高にロックを非難している笑えるビデオが見られる)。では私たちは,そうした人びとが正しかったと(ウグッ)認めるべきなのだろうか。1960年代の大衆文化の価値観を,その時代の暴力犯罪の増加と結びつけることはできるのか?もちろん,直接の結びつきはない。相関関係は因果関係ではなく,おそらくは第3の要因——文明化のプロセスの価値観に対する反発——が,大衆文化における変化と暴力行為の増加の両方を引き起こしたと考えられる。さらに,ベビーブーマーの圧倒的多数は暴力をふるうことなどいっさいなかった。それでも,人びとの考え方と大衆文化は互いに強化しあうことは確かであり,影響を受けやすい個人やサブカルチャーがなんらかの形でその影響力にさらされる可能性の高い辺縁部では,非文明化的な思考が実際の暴力の促進を引き起こすという因果の矢が生まれるのは,ありうることなのだ。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.218
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男性の文明化

若い男性が,女性や結婚によって文明化されるなどというのは陳腐きわまりないと思われるかもしれないが,近代犯罪学ではごくあたりまえのことになっている。ボストンの低所得層出身の非行少年1000人を45年にわたって追跡調査した有名な研究によれば,その後の人生で犯罪を犯すかどうかを左右する要因が2つ見つかった。1つは安定した職に就くこと,もう1つは愛する女性と結婚して家族を養うことだった。結婚による影響はかなりのものだ。独身者の4分の3は成人後,さらに犯罪を犯すようになるが,結婚した者では3分の1にすぎなかった。この違いだけでは,結婚によって犯罪から遠ざかったのか,犯罪の常習者は結婚することが少ないのか,どちらかはわからない。だがこの研究で,社会学者のロバート・サンプソン,ジョン・ローブ,クリストファー・ワイマーの3人は,結婚が実際に男性たちを平和化する要因になったと見られることを示している。男性を結婚に向かわせる典型的な要因をすべて一定に保ったとき,結婚した男性はその直後から犯罪を犯す可能性が低くなることが明らかになったのだ。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.204-205

自力救済

自力救済による正義は,その人間の武勇と決意の信頼度にかかっており,今日にいたるまでアメリカの南部には信頼できる抑止力——名誉の文化とも呼ばれる——に対する執着が色濃く残っている。名誉の文化の本質は,略奪目的の暴力や道具的攻撃[目的達成の手段としての攻撃]を認めず,侮辱などのひどい扱いに対する報復のみを認めるという点にある。心理学者のリチャード・ニスベットとダヴ・コーエンは,こうした考え方が,いまなお南部の法律や政治,そして人びとの考え方に浸透していることを明らかにした。強盗にともなう殺人の件数は南部と北部で違いはなく,南部のほうが多いのは口論がエスカレートした結果の殺人だけであることを,2人は突きとめたのだ。南部の人びとは抽象的な意味の暴力は是認せず,自分の家庭や家族を守るという目的でのみ認めている。南部諸州の法律も,この倫理性を是認している。自分自身や財産を守るための殺人には寛容で,銃の購入に対する規制は緩やかで,学校での体罰(「パドリング」)を許容する。殺人罪には死刑を指定し,司法制度は死刑執行に積極的である。南部では他の地域と比べて,兵役を務め,陸軍士官学校で学び,外交に関してタカ派的な考え方を取る人が多い。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.193

合法的な武力

南部の暴力の歴史がこれほど長いのはなぜなのか?最も包括的な答えは,アメリカ南部では政府の文明化機能がヨーロッパはいうまでもなく,アメリカ北東部のように深く浸透しなかったということだ。歴史学者のピーター・スピーレンバーグは,アメリカへの「民主主義の到来は早すぎた」と挑発的にも述べている。ヨーロッパでは,まず国家が人民に武器を捨てさせて暴力を独占し,その後人民が国家の装置を引き継いだが,アメリカでは人民が,国家に武器を捨てさせられる前に政府を引き継いだ。人民は武器を保持し携帯する権利をもつという,有名な合衆国憲法修正第二条の条文は,まさにこのことを示している。言いかえればアメリカ人,とりわけ南部と西部のアメリカ人は,合法的な武力行使を政府に独占させる社会契約にきちんと署名したことは一度もないのだ。アメリカの歴史の大半を通じて,合法的な武力は民警団や自警団,リンチを行う群衆,私設警察,探偵社,私立探偵によって行使され,そして何より個人の特権として守られてきたのである。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.192

殺人の濃淡

濃淡の色分けを見ると,合衆国の一部はヨーロッパとさほど大きな差はないことがわかる。その一部とは,ニューイングランド(適切な名称だ)諸州,中央から太平洋岸にいたる北部の州(ミネソタ,アイオワ,ノースダコタ,サウスダコタ,モンタナ,ワシントン,オレゴン)そしてユタ州である。ベルト状に並んだこれらの州は,同じ気候帯には属しておらず(オレゴン州とバーモント州の気候はまったく違う),多くは東から西へと向かう,歴史的な移民のルートに相当する。人口10万人あたりの年間殺人件数が3件未満のこの平和なベルト地帯の南方では,南に下りていくにしたがって殺人件数は増加する。最も南に位置するアリゾナ州(7.4)やアラバマ州(8.9)では,ウルグアイ(5.3)やヨルダン(6.9),グレナダ(4.9)と比べても殺人件数が高く,ルイジアナ州(14.2)にいたっては,パプアニューギニア(15.2)にも匹敵するほどの高さである。
 2つ目の対比は,地図上ではそれほど明確ではない。ルイジアナ州の殺人件数は他の南部諸州より高いが,ワシントンD.C.の殺人件数は30.8件と,桁外れに高く,中南米の最も危険な国々と同じレベルにある。これらの地帯が効率であるおもな理由はアフリカ系アメリカ人の住人の比率が高いことだ。現在のアメリカ合衆国内では黒人と白人の殺人件数に顕著な違いがある。1976年から2005年までの平均殺人件数は,白人のアメリカ人では10万人あたり年間4.8件であるのに対し,黒人のアメリカ人では実に36.9件にのぼる。これはただ単に,黒人のほうが逮捕され有罪になる確率が高いからではない——もしそうなら,人種間の差はレイシャルプロファイリング[人種偏見にもとづく捜査]の結果かもしれないということになる。ところが被害者に加害者の人種を尋ねる匿名による調査や,黒人・白人両方を対象にした過去の暴力犯罪歴についての調査でも,これと同じ差が見て取れる。なお,南部の州では北部の州より住民に占めるアフリカ系アメリカ人の割合が高いとはいえ,1つ目の南北の違いは人種の比率では説明できない。白人だけ見ても南部のほうが北部より暴力的であり,黒人の間でも南部のほうが北部より暴力的である。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.184-186

ナイフが用意されない

アジアにも殺人件数が低い国がいくつかあり,とくに日本,シンガポール,香港といった西洋のモデルを採用した国ではその傾向が顕著に見られる。中国でも殺人件数は人口10万人あたり2.2件とかなり低い。この秘密主義の国のデータを額面通り受け取るとしても,時系列的なデータが存在しないため,それが何千年も続いた中央集権的な統治のせいなのか,現政権の独裁主義的な性格によるものなのかを見極めることはできない。イスラム国家の多くを含む独裁主義国家では,国民に対する監視が行われ,法に違反する者は確実にかつ厳しく処罰される。これらの「警察国家」では,暴力的犯罪の発生率が低い傾向にあるのは驚くに当たらない。しかしここで,中国もまた長期間にわたる文明化のプロセスを経てきたことを示す,きわめて興味深いエピソードがあるので紹介しておこう。エリアスによれば,ヨーロッパにおける暴力の減少と密接に関連するナイフのタブーは,中国ではさらに一歩進んだ形で見られたという。中国では何世紀にもわたって,包丁はもっぱら料理人が使うものとされてきた。食べ物は調理場で一口大にカットしてから供されるため,食卓にナイフが用意されることはいっさいない。「ヨーロッパ人は野蛮人だ。彼らは剣を使って食事をする」という中国人の言葉を,エリアスは引用している。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.176

ナイフの使い方

新しい礼儀作法が定着するにつれて,それは暴力的な装具——とくに短剣——にも適用されるようになった。中世にはほとんどの者が短剣を携帯しており,夕食の際に直火で焼いた動物の死骸から肉を切り取り,突き刺して口に運ぶのに使っていた。けれども大勢が集まる席に凶器を持ち込むことや,短剣を顔に向けることが呼び起こすおぞましいイメージが,しだいに忌避されるようになった。エリアスは短剣の使い方に関する礼儀作法を多数引用している。

 短剣で歯の掃除をしないこと・短剣を持ったまま食事するのはやめ,使うときだけ手に取ること・食べ物を短剣の先に刺して口に運ばないこと・パンは切らずに手でちぎること・人に短剣を渡すときは先端を手で持ち,柄の部分を相手に差し出すこと・短剣を持つときは杖のように手全体で握るのではなく,指で持つようにすること・短剣で人を指ささないこと

 食卓でのフォークの使用が一般的になったのはまさにこの移行期であり,人びとは短剣で食べ物を突き刺して口に入れる必要はなくなった。短剣を鞘から抜かなくてもいいようにテーブルには特別のナイフが用意され,そのデザインも先端が尖ったものではなく丸いものとなった。ナイフで切ってはいけないとされる食べ物もあった——魚,丸いもの,パンなどだ。break bread together(一緒にパンをちぎる→食事をともにする)という言い回しはここから生まれた。
 中世の短剣にまつわるタブーのいくつかは,今日も残っている。ナイフを人に贈るときにはコインを一緒に渡し,贈られた側はそのコインを贈り主に返すという習わしもその1つだ。これによってナイフは,かたちのうえでは売ったことになる。ナイフが「友情を断ち切る」ことのないように,というのが表向きの理由だが,実際には相手が要求していないナイフを相手の方に向けることになる不吉さを,回避するためだと考えたほうがよさそうだ。これと似た習わしに,ナイフを直接相手に手渡すのは縁起が悪いというものがある。渡すときはいったんテーブルの上に置き,相手がそれを取るのがいいとされる。テーブルにセットされるナイフは先端が丸いものとなり,その切れ味も必要以上であってはならない。硬い肉を切るためにはステーキナイフがセットされ,魚料理には普通より切れ味の悪いナイフがセットされる。さらに,ナイフはどうしても必要なとき以外は使ってはならない。ナイフでケーキを食べたり,食べ物を口に運んだり,料理の材料をかき混ぜたりするのは御法度だ(「ナイフでものを混ぜると,いざこざが起きる」という迷信の由来もここにある)——そして,フォークに食べ物を載せるときにも使ってはならない。
 なるほど,そうだったのか!

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.148-149

問題解決と別の問題

こう見てくると,暴力に関していえば,初期のリヴァイアサンは1つの問題を解決できたものの,別の問題をつくり出してしまった。人びとにとって,殺人や戦争の犠牲者になる確率は小さくなった反面,今度は暴君や聖職者や泥棒政治家たちに抑えつけられ,言いなりにさせられたのである。これにより,「平和化」という言葉には不吉な意味が付与される。平和がもたらされるだけでなく,強圧的な政府による絶対的支配が押しつけられることになるからだ。この2番目の問題を解決するまでには,さらに数千年の歳月を要することになる。しかも世界の大部分は,今日もなおこの問題を解決できずにいるのである。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.125

絶対数か相対数か

絶対数でいえば,文明社会の破壊行為は原始社会とは比べものにならないのは当然だ。しかし比較のためには絶対数を使うのがいいのか,それとも相対数,つまり人口に対する比率を用いるべきなのだろうか?
 これは,100人の人口の半分が殺されるのと,10億人の人口の1パーセントが殺されるのと,どちらが悪いかという道徳的善悪の測りがたい問題を私たちに突きつける。1つの考え方はこうだ。1人の人間が拷問されたり殺されたりしたとき,その苦しみの度合いは,ほかに何人の人間が同じ運命に遭おうと変わらない。したがって私たちが同情を寄せ,分析の対象にすべきなのはこうした苦しみの合計だという考え方である。だが別の考え方もある。生きるということは取引であり,人は暴力や事故,病気などの理由で早死にしたり,苦しみながら死ぬ危険を冒しつつ生きている。したがってある特定の時代と場所で十分な生を謳歌する人の数は道徳的な善として教え,これに対して暴力の犠牲になって死ぬ人の数は道徳的な悪として数えなければならない。別の表現を使えば,「もし自分が,ある特定の時代に生きていた人の1人だったとしたら,自分が暴力の犠牲になる確率はどのくらいあったか?」ということだ。この2番目の論理にしたがえば,異なる社会間の暴力の有害性を比較する際には,暴力的行為の数ではなく,その発生比率に注目すべきだという帰結になる。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.108-109

チンパンジーと同じ原理

だがもっとも大きい問題は,二種類の暴力——戦闘と襲撃——の区別をしないことにある。これはチンパンジーの研究で,きわめて重要であることが明らかになった。大量の死者を出すのは騒々しい交戦ではなく,卑劣な襲撃のほうなのだ。男たちの一団が夜明け前,敵対する集落に忍び込み,排尿のために最初に小屋から外に出てきた男に向けて矢を放つ。物音を聞いて出てきた他の男たちにも次々と矢が放たれる。さらに彼らは槍で小屋の壁を突き刺したり,入口や煙突めがけて矢を放ったり,小屋に火をつけたりする。村人がまだ目覚めたばかりで防御態勢をとれないうちに多くの人びとが殺され,男たちはあっという間に森の中に姿を消してしまう。
 こうした奇襲攻撃では,村の住民が1人残らず殺されてしまうこともあれば,殺されるのは男だけで,女は連れ去られることもある。敵を大量に殺すもう1つの有効な方法に,待ち伏せ攻撃がある。森の中の狩猟ルート沿いに身を隠し,敵の男たちが通りかかるとすばやく襲って殺すというやり方だ。さらにもう1つ,裏切りという戦略もある。敵と和解したふりをして宴会に招き,あらかじめ決めておいた合図で,無防備になった客を襲うのだ。うっかり単独で縄張りに入ってきた者に対しては,見つけたらその場で殺す,というチンパンジーと同じ原理が適用される。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.102

人間に近いのは

人類が平和を愛するボノボのような祖先から進化したという考えには,2つの問題がある。1つは,ヒッピー・チンパンジーの物語に心を奪われて本質を見失う危険があることだ。ボノボは絶滅危惧種であり,コンゴ民主共和国の危険な地域の人の近づけない熱帯雨林に生息しているため,これまで知られていることの大部分は,捕獲され餌を十分に与えられた若いボノボの小集団を観察した結果にすぎない。もっと年長で数の多い,餌も不足しがちで行動の自由のある集団を系統的に調査すれば,得られる結果はもっと陰惨なものになるのではと考える霊長類学者は少なくない。野生のボノボは狩りをし,敵意をもって対決したり,ケンカして互いを傷つける(おそらく場合によっては相手を死にいたらせる)こともあることがわかっている。したがって,ボノボがナミチンパンジーより攻撃性が低いことは間違いないものの——相手を襲撃することはないし,群れ同士が平和裡に交流することもある——,だからといって,どんな場合も例外なく平和だというわけではない。
 2つ目はより重要な問題だ。ナミチンパンジー,ボノボそして人類の共通の祖先はボノボに似ていた可能性より,ナミチンパンジーに似ていた可能性のほうがはるかに高い。ボノボは行動だけでなく,身体構造も非常に変わった霊長類である。頭は子どものように小さく,体重も軽いためにオスとメスの性差が小さい。それ以外にも子どもっぽい特徴があり,そのためにナミチンパンジーだけでなく,ほかの大型類人猿(ゴリラやオランウータン)とも異なり,ヒトの祖先であるアウストラロピテクスとも違う。その独特の身体構造は,大型類人猿の系統樹に置いてみると,ボノボが幼形成熟(ネオテニー)によって一般的な類人猿の進化の経路から離れたことが示唆される。ネオテニーとは,ある生物の成長プログラムが,成熟した個体に幼体の特徴(ボノボの場合には頭蓋と脳の特徴)が残るように修正されるプロセスのことだ。ネオテニーは種の家畜化(たとえばイヌがオオカミから分岐するなど)にともなって見られることが多く,自然選択が動物の攻撃性を減少させる際の経路となる。ランガムは,ボノボの進化における主要な原動力は,オスの攻撃性の減少が選択されたことだと主張する。ボノボは大きな集団で食べ物を採り,単独で行動する狙われやすい個体はいないため,ボノボはかなりの変わり者であり,われわれ人間はナミチンパンジーのほうに近い動物から進化した可能性が高いと考えられる。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.94-95

チンパンジーの殺し合い

チンパンジーが殺しあうことをグドールが最初に報告したとき,専門家の反応は懐疑的だった。きわめて珍しい現象で,病理的な兆候ではないか,あるいは観察しやすくするために霊長類学者が餌を与えたことの影響ではないか,と考えられたのだ。30年後の現在,殺しをともなう攻撃はチンパンジーの正常な行動レパートリーの1つであることに,もはや疑いの余地はない。霊長類学者の観察により,群れ同士の交戦で殺されたことが確認または推測された個体はおよそ50頭,群れの内部の争いでは25頭以上にのぼる。殺しが報告された群れは少なくとも9つあり,そのなかには餌付けされたことのない群れも含まれている。なかにはオスの3分の1以上が死んだ群れもあった。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.92

立派な人格から粗暴さへ

私たちが経験したもう1つの大きな変化は,日常生活における力の誇示に対する許容度が低くなったことだ。数十年前までは,自分を侮辱した相手に拳を振り上げることは,その人間が立派な人格を持つことのあかしだった。ところが今日,それは粗暴であることのあらわれ,衝動制御障害の兆候であって,その人物は怒りのコントロール・セラピーへの参加資格ありとみなされてしまう。
 象徴的なのは1950年に起きたある出来事だ。当時のアメリカ大統領ハリー・トールマンの娘マーガレットは歌手の卵だったが,ワシントン・ポスト紙に彼女のデビュー公演をこきおろす批評が載った。トルーマンはその批評子宛に,ホワイトハウスの便箋にこうしたためた手紙を送りつけた。「いつか貴殿と面会したいものです。その際には,新しい鼻と,目に当てる肉の牛肉[目の周りのあざには生の肉を当てて治すという民間療法がある]をたっぷり,それに下半身用のサポーターをご用意ください」。作家であれば誰しも同様の衝動を抱いた覚えはあるだろう。だが今日では,批評家に暴行を加えると公然と脅すなどというのは無教養で粗野なことであり,もし権力の座にある者がそんなことをすれば不正で悪質な行為だと決めつけられる。だが当時,トルーマンはその父性的な騎士道精神の持ち主として尊敬されていたのだ。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.69-70

7つの大罪に対する罰

初期のキリスト教徒たちはまた,拷問を当然の報いだとして称賛した。ほとんどの人は,西暦590年にローマ教皇グレゴリウス1世が定めた7つの大罪というのを聞いたことがあるだろう。だがそれらの罪を犯した者に地獄で下される罰について知る人は,そう多くはない。

 高慢 車裂きの刑
 嫉妬 凍りつく水の中に入れる
 大食 ネズミ,カエル,ヘビを無理やり食べさせる
 色欲 地獄の責め苦を味わわせる
 憤怒 生きたまま身体を切断
 強欲 煮えたぎる油の入った大釜に入れる
 怠惰 ヘビ穴に投げ込む

 これらの刑罰はもちろん無限に続けられる。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.51-52

磔の刑

ローマにおける死の手段としてもっとも有名なのは磔(crucifixion)だ。この語は,耐えがたい苦しみを表す形容詞excruciatingの語源にもなっている。教会の祭壇の上方を見たことがある人は誰でも,十字架に釘で打ちつけられることの言語に絶する苦痛に,たとえ一瞬であっても思いを馳せたにちがいない。胃袋の強い人なら,1986年に「ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション」誌に掲載された,イエス・キリストの死についての考古学的・歴史的資料にもとづく法医学的研究論文を読めば,さらに想像を膨らませることができる。
 ローマの磔刑は,まず裸にした受刑者を鞭打つところから始まる。使われたのは先の尖った石を編み込んだ短い革の鞭で,ローマ兵がそれで男の背中や尻,足を打つ。この論文によれば,「裂傷は骨格筋にまで達し,血を流して痙攣する細い筋肉の束が剥き出しになる」。次に,両腕が重さ45キロほどもある十字架にくくりつけられ,男はそれを背負って支柱が立てられた場所に運んで行かなければならない。そこで彼は背中をずたずたに裂かれた体を起こされ,手首に釘を打ち込まれて十字架に磔にされる(手のひらに釘を打ち込むという説明がよくされるが,手のひらの肉では体重を支えることはできない)。次に十字架が支柱にかけられ,両足は支柱に——通常は支えのブロックなしに——釘付けにされる。両腕に全体重がかかり,肋骨はその重みで広げられるため,腕に力を入れるか,釘を打たれた両足を踏ん張るかしないかぎり呼吸はむずかしくなる。3,4時間から長ければ3,4日間苦しみ抜いた末に,男は窒息か失血のために死亡する。処刑人は男を椅子に座らせることで拷問の時間を引き延ばすこともできるし,こん棒で両脚を叩きつぶし,死を早めることもできる。
 私は自分が非人道的なものにはなじみがないと思いたい人間だが,それでもこのすさまじいまでのサディズムを考案した古代人の心の中をのぞいてみたい気持ちを抑えることはできない。仮に私がヒトラーの身柄を管理していて,どんな厳罰でも与えられる立場にあったとしても,とうていこのような拷問を課そうとは思わないだろう。まずは同情心からたじろいでしまうし,こんな残虐行為に嬉々としてふけるような人間にもなりたくもない。そして,これまで世界に蓄積されてきた苦難を,これ以上——それに見あう恩恵なしに——増やすことになんの意味も見出だせない(独裁者の出現を阻止するという実際的な目的でさえ,それを達成するには,独裁者は正義のもとに裁かれるという見込みを最大化するほうが,刑罰の残虐性を最大化するより有効だと私は考える)。それにもかかわらず過去という名の異国では,磔は一般的な刑罰だった。磔刑はペルシャで考案され,それをアレクサンドロス大王がヨーロッパに持ち帰り,地中海沿岸の王国に広まったのだ。イエスは扇動の罪に問われ,2人の盗賊とともに十字架にかけられる。この物語が喚起するよう意図されていた怒り,それは軽犯罪であっても磔刑に処されるということではなく,イエスが軽犯罪者のように扱われたことに対しての怒りだった。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.47-48

聖書の残虐さ

現代人の目から見ると,聖書に書かれた世界の残虐さは驚くばかりだ。奴隷,レイプ,近親間の殺人など日常茶飯事。武将は市民を無差別に殺しまくり,子どもでも容赦しない。女性は人身売買され,セックストイのように略奪される。神ヤハウェはささいな不服従を理由に,またはなんの理由もなしに何十万もの人々を拷問したり虐殺したりする。こうした残虐行為は,決してまれなものでも目立たないものでもない。旧約聖書の主要な登場人物すべて——日曜学校で子どもたちがクレヨンで描く人物たち——が,こうした行為に関わっており,アダムとエヴァに始まってノア,アブラハムやイサクらの族長たち,モーセ,ヨシュア,士師たち,サウル,ダビデ,ソロモンやその先の人物にいたるまで,何千年もにわたって延々と続く物語の筋書に納まっているのだ。聖書学者のレイムンド・シュワガーによれば,ヘブライ語聖書には「国家や王,あるいは個人が他の人びとを攻撃したり殺したりしたことを明示的に記している箇所が600以上ある。……ヤハウェ自身が暴力的な罰の直接の執行人として登場する箇所がおよそ千,主が罪を犯した者をそれを罰する者の元に送る場面も数多くあるが,それ以外にヤハウェが人を殺すように明確に命令する箇所は百以上に及ぶ」。残虐行為研究家を名乗るマシュー・ホワイトは歴史上の主要な戦争や大虐殺,ジェノサイドの推定死者数をデータベース化しているが,彼によれば聖書に数を明示してある大量虐殺によって殺害された人はおよそ120万人に達するという(ここには歴代誌下13章に描かれているユダとイスラエルの戦いの死者50万人は含まれない。歴史的にありえない数字だからという)。ここにノアの大洪水の犠牲者を足せば,さらに約2000万人が上乗せされることになる。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.42-43

天気のように

21世紀にも,戦時下で女性がレイプされることはたしかにあったが,それが凶暴な戦争犯罪と見なされるようになって久しい。ほとんどの軍はレイプを未然に防ごうとするし,仮に起きれば否定したり隠したりしようとする。けれども『イリアス』に登場する英雄たちにとって,女性の肉体は正当な戦利品だった。彼らにとって女性は意のままに楽しみ,独占し,捨てられるものだったのだ。メラネウスががトロイア戦争を始めたのは,妻のヘレネが誘拐されたからであり,アガメムノンは女奴隷をその父親に返すことを拒んだためにギリシアに災いをもたらす。やがて娘を返すことを承諾した彼は,代わりにアキレウスの愛妾を横取りしてしまう。だがその後,埋めあわせのために28人もの奴隷を渡す。「わたしは幾度も眠られぬ夜を暮らし,昼は血なまぐさい戦いに明け暮れた——それも奴らの抱く女を得るために敵と戦って」。オデュッセウスは20年の不在ののちに妻のもとに戻り,誰もが自分が死んだと思っていたあいだに妻に求婚した男たちを皆殺しにしてしまう。さらにその男たちが,彼の家の妾たちと通じていたことがわかると,オデュッセウスは息子に命じて妾たちも殺させてしまう。
 こうした大量殺人とレイプの物語は,現代の戦争ドキュメンタリーの基準からみても物騒きわまりない。ホメロスや彼の描いた人物たちは,たしかに戦争が浪費であることを嘆き悲しみはしつつも,ちょうど天気のように,それを避けられない人生の現実として受け入れている——誰もが話題にはするが,どうにかすることはできないものとして。

スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.34

有意義

一方日本の大学では,建前上すべての教員の能力は同等だということになっている。また理工系大学では,研究が教育や社会貢献の上位に置かれる傾向があるため,教員は論文生産競争に血道を上げる。
 研究至上主義の教員は,ともすると管理業務を進んで引受ける教員を見下す傾向がある。しかしジャンク論文を量産するより,学生に良質な教育を施し,学科の運営に力を割くほうがはるかに有意義である。

今野 浩 (2013). ヒラノ教授の論文必勝法:教科書が教えてくれない裏事情 中央公論新社 pp.194

運に支配される

もう1つ重要なことは,研究という営みは運に支配される部分が多いということである。運が悪いと(30代の)ヒラノ青年のように,何年も空振り続きのことがある。成果が出ない時も,それに耐えて努力する強靭な意志がない人は,研究者にはならないほうがハッピーな人生を送ることができると思うからである。
 ヒラノ教授は博士課程に学生を受け入れる時は,慎重を期した。教授は博士課程の学生と,一生付き合うことになる。定職がない研究者と長く付き合うのは辛い。だからいかに優秀な学生であっても,自分の側から勧誘することは控えたのである。
 一方,博士課程に進もうと考える学生は,学部生のうちに,指導を受けるべき教員に関して十分な情報を手に入れておくことが大事である。
 指導教員に選ぶべきは,
 “新しくて面白そうなテーマを研究している教員,学内外で評判がいい(人柄がいい)教員,学生の面倒見がいい教員,学生に過度に干渉しない教員”である。

今野 浩 (2013). ヒラノ教授の論文必勝法:教科書が教えてくれない裏事情 中央公論新社 pp.119

拙速を重んじる

論文を量産するための秘訣は,“拙速”を重んじることである。100パーセント完璧な論文を仕上げようとすると,まるまる2週間掛かるが,98%であれば2日で終わる場合,2〜3日で書きあげて(できれば,信頼できる同僚にチェックしてもらった後)すみやかに投稿するのである。
 ヒラノ教授は留学時代に,A級教授の論文作成スタイルに驚いたことがある。この教授は,夏休みを利用してよその大学からやってきた研究仲間と協力して,2週間で2編の論文を書きあげたのである。“どうすれば,あんなに速く論文を書くことができるのか?”

今野 浩 (2013). ヒラノ教授の論文必勝法:教科書が教えてくれない裏事情 中央公論新社 pp.105

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