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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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タコを研究対象とすること

ぼくが強く感じたもう1つは,本来はタコを食さない英国人であるヤングらがタコを対象としたという事実である。食さないどころか,英国ではタコはデビルフィッシュとして忌み嫌われている。確かに,よくよくみればタコは腕が8本もあり,そこに吸盤がつき,かつそれがにゅるにゅると動く。なんともグロテスクである。ぼくも含めて日本人はタコをたこ焼きとか寿司のネタという食べ物として見たり,漫画のコミカルなキャラクターとして見たりはしても,グロテスクとは見ないであろう。むしろある種の親近感さえ抱くのではないだろうか(実際に生きているタコに触るのはイヤだという人も多いだろうが)。
 そのように考えると,英国人がどんな研究内容であれタコをその対象とするのは異質なことであり,異例中の異例ということではなかったかと思う。とくに,ヤングらが実際に研究をしていたのは,今から半世紀も前のことである。今でこそイギリスにもSushi Barがあるが,その当時は魚介類を生で食べることさえイギリスではまれであったろう。そういう時代にタコはデビルフィッシュそのものだったと思う。それをあえて研究対象とするのは,勇気さえ必要だったのではないかと想像する。

池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.191-192
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実験しやすさ

ヤング学派による一連の仕事を見るとき,ぼくは2つのことを強く感じる。1つは実験動物としてのタコが有するアドバンテージである。ある動物の行動について詳しく知ろうとしたとき,とくにその行動がどのようなメカニズムにより発現するのかという機能面を明らかにしようとするときには,動物にさまざまな操作をすることが一般的である。たとえば,学習と記憶が脳内のどこで制御されているのかを探るには,それと思しき脳内の部位を人為的に破壊して,その後も記憶が衰えないのか,あるいは記憶障害が現れるのかといったことを観察するのが常套手段となる。この場合,対象とする動物(つまり実験個体)が,そのような操作を施したあとも元気に生きていることが前提となる。操作により死んでしまってはもとも子もない。
 しかし,実験的操作にはしばしば身体に大きな影響を与え,ときに死に直結してしまう恐れのあるものもある。そこまでいかずとも,相当にストレスを与えるのではないかと危惧されるものも多い。とくに,行動制御のセンターである脳になんらかの操作を加えるというのは,心理学的な実験が多く行われている霊長類や齧歯類でも簡単なものではないであろう。ここにきて,タコは意外にこのような操作に強いということがヤング学派に大きな前進をもたらした。

池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.189-190

学習と記憶

一般に,ある動物が賢いとか知性的であるとかいうときの1つの基準となっているのが学習と記憶に関する能力である。ある課題を学び,それを一定の時間覚えておくことができる能力,それが学習と記憶であり,これが発達していればいるほど知的と見られる。動物を対象とした学習と記憶の実験は,ヒト以外の動物では,霊長類のチンパンジーやニホンザル,あるいは齧歯類のラットやマウス,そしてハトなどの鳥類で行われてきた。これらはみな背骨のある脊椎動物の仲間であるが,学習と記憶の実験は古くから無脊椎動物のタコについても行われてきた。とくに,ぼくたちにも馴染み深いマダコという種が主な実験対象であった。たこ焼きに中に入っているタコである。

池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.187-188

研究の不安

ぼくはときおり,自分の研究が本当に的を射たものとなっているのか不安に思うことがある。これはどのような研究分野に携わる人でも,多かれ少なけれ抱く感覚ではないかと思う。そもそも,サイエンスはまだ解明されていない自然現象を対象としているわけで,その時点での正解は誰も知らない。自分がその謎解きの最前線に立っているわけで,見た事柄についての判断,あるいはそもそもそれ以前に何を見るべきかという立案,そういった事柄はすべて自分で決めねばならない。「イカに心などあるのか?」「イカは本当にボディパターンで意思疎通などしているのか?」,「そもそもイカは社会的な動物なのか?」などなど,改めて思いをめぐらせると即答に窮する問いばかりを自分が設定していることに気づく。
 しかし,そういうときに,イカを実に魅力的なコミュニケーターとして語るモイニハンという人のことを思うと,ぼくの研究の方向性は間違っていないだろうと少し安堵する。つまり,ぼくにとって,モイニハンという人はある意味で自分の研究のよりどころとなっている存在なのだ。他者依存といわれるかもしれないが,サイエンスには客観性が求められるゆえに,自分以外の誰かが自分と同じ,あるいは似た考えをもっているとひとまず安心するのである。モイニハンという,正真正銘のエソロジストがイカは面白い存在であると声高に主張しているのを見ると,自身の研究への確信のようなものをぼくは都合良く感じるのだ。

池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.128-129

マキャベリ的知性仮説

ぼくたちは日常の中で他人といろいろなやりとりをする。この場合の他人とは,親や兄弟,親しい友人,見知らぬ人など,およそ自分が日常の中でかかわる人をすべて指している。ここでのやりとりはコミュニケーションといってもよいだろう。ぼくたちは周囲にいる不特定多数の人といろいろなやりとりをすることで,必要な情報を得たり,物を買ったり,食べ物を食べたり,ときには嫌な思いをしたりする。それがどのようなやりとりであっても,「上手に」行うことができれば,「よい結果」が得られるはずだ。
 他者とのやりとりという社会的な場面において,うまく振る舞うことができた個体は自分に有利な結果を得ることができ,それは,生き残る上で有利に働き,最終的に自分の子孫を残すことにもつながるだろう。ここで,他者とうまいやりとりができるのは,脳が働いて,適切な行動をとることができるようにその人の行動を制御しているからだと考えることができる。
 ということは,脳の働きがほかの個体より少しでも優れていれば,ここでいう適切な行動をとるような制御を当の脳がしてくれる,ということになる。「脳が優れている」というのは少し曖昧な表現だが,単純に考えれば脳のサイズが大きければそれだけたくさんの神経細胞から脳は構成されているだろうし,そのぶん,神経細胞のより複雑で精緻なネットワークがつくられ,結果として複雑な情報処理も可能になると思われるからだ。
 つまるところ,「他者とのやりとり」という社会的場面が進化上の1つの選択圧となり,脳が大きくなっていったというのが人の脳が大きくなったことの1つの説明である。これはマキャベリ的知性仮説と呼ばれている考え方だ。マキャベリというネーミングは,15世紀のイタリアの政治思想家ニコロ・マキャベリに由来する。

池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.96

群れで生活

スルメイカとヤリイカに見られたように,一口にイカの群れといってもその規模や中身は大きく異なっている。そして,それは彼らの系統的な位置に対応しているように思われる。別のいい方をすれば,「イカにおける社会性はその系統に現れている」といえるのではないだろうか。複雑な環境に暮らすヤリイカは社会性が高く,それは彼らの示す統制のとれた群れ行動に現れている。一方のスルメイカは,群れという点ではヤリイカよりも構成員の数が多い大規模なものをつくる。しかし,それは外洋を回遊する上で機能する集合体で,必ずしも統制がとれている必要はなく,同じ目的地に向かうもの同士が集まってさえいればよい。
 もちろん,大勢の同種が集まっていることで,外敵に襲われた際に自身が犠牲になる確率が低くなるといった群れのもつメリットは享受することができるであろう。しかし,スルメイカの群れは,群れを構成するメンバー個々が互いを認識し合い,それゆrにある種の役割を分担し合えるような,先にアメリカアオリイカで見たようなより発達した機能をもつ群れではないのかもしれない。ひたすら水が広がっているだけの外洋環境では,そのような“小まわりのきく”群れは必要ないと思われるからだ。いうなれば,同じ外洋を回遊するマグロなどの魚群と同じような意味合いの群れをスルメイカはつくっているのかもしれない(もっとも,マグロに見る魚群がはたしてどのような機能をもつものなのか,その詳細は必ずしも解き明かされてはいないので,結論は将来の研究結果を待つべきだが)。

池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.92-93

バスケットボールくらい

さて,イカの眼はどうかというと立派なレンズ眼である。しかも,ぼくたちヒトと構造がきわめてよく似ている。彼らは,無脊椎動物に所属しつつもその仲間とは異なり,脊椎動物と同じレンズ眼を所有しているのだ。同門の貝の仲間が複眼はおろか眼点という名のきわめて原始的な構造の眼しか持っていないことと比べても,これはかなり特異なことだ。しかも,イカの眼は体のわりにはそのサイズが大きい。イカの体をヒトに置き換えてみれば,イカはバスケットボール大の眼をもっていることになる。

池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.60

飼育が難しい

そもそも「イカが泳いでいるところを見たことがありますか?」という質問をされて,「あるよ,何度も」と答えられるのは,経験を積んだダイバーかイカ学者だけである。世界的に見ても,生きたイカを水槽に,しかも長期にわたりキープし続けることができる場所は,ごくごく限られている。水族館でさえも,生きたイカを常時展示しているところは数えるほどだ。むろん,イカの養殖もまだ行われていない。漁業大国日本においても,である。
 海でたくさん獲れるイカを飼ってみようという試みは,当然のようにして過去に行われている。それは「飼うぞ!」といった肩肘張ったチャレンジではなく,海水を張った水槽にポンと放り込みさえすれば,魚や蟹のようにイカも当然,飼えるだろうという,およそ無意識的な発想にもとづく試行であったかもしれない。しかし,意に反して,イカを水槽に入れると半日もしないうちにポロリと死んでしまう。何度繰り返しても結果は同じである。海に踊るイカは,思いのほかに弱い存在だったのである。

池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.35-36

寿命約1年

実は,スルメイカに限らず,ほかの多くのイカも寿命は1年程度であり,ゆえに単年性と呼ばれる。熱帯海域に暮らすミミイカといった小型のイカなどでは,寿命は半年,あるいはもっと短いという説もある。タコもおおかたにおいて1年程度の寿命だ。寿命の見積りに多少の幅はあり,1年半とか,種類によっては2年程度というものもあるが,何年間も生き続けるというイカやタコはいない。こういう話をすると,「マッコウクジラとの格闘シーンがよく描かれる,体の大きさが10メートルを超えるあのダイオウイカもたった1年しか生きないのか?」と必ず聞かれるが,この点ははっきりしない。さすがに彼らはもう少し長く生きているのかもしれないが,体の大きさからしてもダイオウイカはひとまず例外といえるだろう。
 スルメイカは生まれたときには体のサイズ(外套膜という,ぼくらの胴に相当する部位の長さで測る)がわずかに1ミリメートルほどであるが,それがたった1年(実際にはもっと短い期間)で30センチメートルになるわけだ。イカは非常に成長の速い動物ということができる。

池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.32-33

味覚・嗅覚

脳による明確なコントロールに加えて,タコの腕は味覚もすぐれている。人類はぽつんとエアポケットに入って進化したので,海水のようなはるかに電気を通しやすい媒体にすっぽり包み込まれた生活がどういうものなのか,なかなか想像しがたい。人間にも嗅覚はあるが,タコのような濃厚な世界の住人は,文字どおり化学的シグナルの海で泳いでいる(そのおかげで,ひとりぼっちのタコは恋の相手を見つけられるのかもしれないが)。
 だが,タコは海水に乗って匂いや味が漂ってくるのをおとなしく待っているだけではない。吸盤には匂いや味を感知するセンサーがあるので,タコにはいま手にしているものの味がわかる。脳のかなりの部分がこの情報の解析に専念しているようだ。タコなら手にした瞬間に——というか,吸盤で触ったとたんに——味わえるだろう。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.223-224

吸盤の器用さ

タコは苦もなく吸盤を使えるばかりか,自由に脱着もできる。引っ張ったり,引きはがしたり,毒づいたりは無用だ。それに,イカの吸盤よりはるかにすぐれた機能を持つ。イカの場合はふつう,物をつかむための道具に過ぎないし,それも満足にできない。タコは吸盤をひとつひとつ別々に動かしたり,回したりすることが可能で,折りたたんで物をつまむこともできる。「ものすごく複雑だということよ」と,ジェニファー・マザーは言う。この精妙なバレエの指揮をとるため,タコは吸盤のふちを動かす神経節をまったく別個に持っている。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.188-189

扱いにくい相手

知能検査が手間どるのは,科学的に妥当な方法で行うのに心底苦労するからだが,タコ自身のせいでもある。タコは気まぐれなのだ。「ちゃんと課題に取り組んでくれる日もあれば,やる気がない日もある」と,ボールは言う。「今日はお腹が空いていないとか……」。彼女は気を静めるかのように,ちょっと口をつぐんだ。「とにかく,タコを研究して十分なデータを集めるには,根気が必要なんです」。堅苦しい研究文献でも,思わずいらだちが表に出てしまうこともある。ボールは研究仲間と分担執筆した迷路に関する論文で——きちんとした学者らしい文体で——こう結論付けている。“タコの学習能力の調査における主な障害は,被験者として相対的に扱いにくいことにある”

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.169

行動シンドローム

一方,ハンロンは性格礼賛の風潮には与していない。同じことを説明するなら,“行動シンドローム”という用語を使う。シンの実験結果が個々のタコにみられる典型的な行動のちがいを現していることに反論しているわけではない。「いきなり“性格”を持ちだして,哺乳類や霊長類と比べはじめるのが気に入らないんだ」と,彼は言う。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.159

タコの性格

無脊椎動物の性格はどうやってたしかめればいいのか?頭足類用のタイプ別性格診断テストはないので,初期の性格テストでは,野生のマダコ属の一種(オクトプス・ルベシェンス)の行動を19タイプに分けて調べた。アンダーソンとマザーは,警戒させたり(水槽のふたを開ける),餌をやったり(水槽のなかに餌を落とす),脅したり(ブラシで触る)して,タコの様子を観察した。その結果,タコの様子を観察した。その結果,タコによって反応がまちまちであることがわかった。たとえば,ブラシで脅された場合,墨を吐きかけてジェット噴射で逃げる神経質なタイプもいれば,逆襲する豪胆なタイプもいた。実験の結果,タコの性格には大胆,内気,受身という3つの側面があることが立証された。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.158

引用者注:元論文は,Mather & Anderson (1993). Personalities of octopuses (Octopus rebescens). Journal of Comparative Psychology, 107, 336-340. 「19タイプ」は,行動を19次元で測定したという意味である。

タコ用の知能検査?

標準検査にも物足りなさがある。人間の知能指数(IQ)をめぐる論争から察するに,知能の定義や測定はいまだに物議をかもす問題で,賛否が分かれている。「IQテストは,人間の能力や実際の知能を測るのに向いていない。弊害があることで有名だ」とアンダーソンも警鐘を鳴らす。人間の知能の尺度も満足にないのに,動物の知能など測定できるわけがない——ましてや,無脊椎動物なんて。「もちろん,タコ用のIQテストなどない」と,アンダーソンは言う。被験者と心を通わすことができない——というか,どういう世界観を持っているのかさっぱりわからないのに,評価の尺度を決めてしまうと,大雑把で矛盾した評価法になりかねない。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.141-142

脳化指数

そもそも,動物の知能測定はやっかいだ。しかも,外見だけに頼ると,簡単にだまされる恐れがある。タコは全身頭のように見えるが,腕から上のふくらんだ部分はほとんどが胴体だ。メインの脳を包み込むように食道があり,さらにややこしいことに,脳の大半は腕にある。ともかく,脳の大きさが知能を表わしていると考えるのは問題がありそうだ。脊椎動物では,脳のサイズは体が大きくなるのに比例して増大するように見えるので,体重に占める脳の重量の割合に基づいて脳化指数(EQ)という指標が考案された。想定される知能を簡略に表わす方法だ。人間はいちばん高くて,約7.4になる。イルカは5.3あたりでほとんど動かず,猫は1.0,ネズミは0.4だ。そこから,脳が体重に比べて小さくなるにつれて,指数はどんどん下がってゼロに近づく。EQで査定すると,タコはあまり上位に来ない。マダコが何とか0.026ぐらいのEQでとどまっている。ミズダコは腕を広げた長さが4メートル以上になることもあるのに,大脳はクルミ1個か2個分の大きさしかない。ずいぶん小さいと思うかもしれないが,アンダーソンの指摘どおり,脳の大きさは地上最大の生物と言われた恐竜と大差ない。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.140-141

勝手な先入観

動物の考え方を解明するのに,わたしたちは勝手な先入観も持ち込んでいる。動物の行動に人間の枠組みを当てはめるのは簡単だし,当然の成り行きだとも言える。ハチは前回の探索のことを思い返して,蜜のある花のもとへ戻るのだろうか?ミミックオクトパスは前もって計画を立てて,あまり食欲をそそられないヒラメそっくりに化け,天敵に食われないようにするのだろうか?動物の行動の多くは,意識的に考えたり計画したりした結果ではなさそうだ。むしろ,仲間を蜜の在り処へ誘導するハチや,ヒラメに擬態するタコは,長年積み重なった自然淘汰の賜物だと考えた方がいい。淘汰されるごとに,役に立つ習性を身につけて苦難を乗り越えてきたのだ。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.140

マダコに逆らうな

これは肝に銘じておくべきだ。マダコに逆らってはいけない。それを言うなら,ミズダコだって同じだが。アンダーソンによれば,シアトル水族館でも,夜間警備員が同じようにびしょぬれになったことがあるそうだ。夜の巡回の場合,警備員は暗い展示物のあいだを懐中電灯で照らして歩く。どうやら,この水族館のミズダコは真夜中の安全確認が気に入らなかったらしく,警備員が入っていくたびに水を浴びせかけるようになった。
 だが,タコには本当に人間の区別がつくのだろうか?これを確かめるため,アンダーソンとマザーは共同で,“良い警官と悪い警官”戦法を使う実験を考え出した。ひとりはミズダコに近づいて棒でいじめ,もうひとりはミズダコに近づいてから,餌を与えるようにする。2週間かけてこの両極端な対応に慣れてからは,“悪い警官”役が部屋に入ってくると,タコは水槽の隅に身を縮めたり,吸盤をこちらに向けて闘志をみなぎらせたり,相手に水を噴きかけたりするようになった。タコの目を横切るように線が浮かび上がることもよくあった。いらだちや敵意を示すメッセージだ。ところが,餌を持ってくる“良い警官”役に対しては,水面に浮上するか,水面の方へ腕を上げて,いつでも餌をもらえる態勢になったという。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.137-138

タコの知能

タコの知能が高いかどうか確かめることより,“問題はタコの知能を正確に測定して数値化するという点にある”と,アンダーソンはビリーの実験に関する論文で指摘している。
 タコに学習能力があることは,研究者にとってもはや驚きではない。多くの脊椎動物やハチと同じく,タコは学習すれば横棒と縦棒の区別がつくし,アルファベットの“V”と“W”のちがいもわかるようになる(わたしの知るかぎり,車の“VW”と“BMW”の区別がつくかどうか試してみた人はいないが)。脊椎動物ほど学習の成果が出ないこともあるが,鳥やネズミより飲み込みが早かったタコもいる。タコの学習能力がどの程度か判断するなら,アンダーソンは鳥類の真ん中あたりだと考えている——ヨウム(コンゴの大型インコ)ほど賢くはないにしても,コガラよりは知能が高いだろう。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.135-136

光の魔術師

タコが操るのは音波ではない。光を使って天敵の目をごまかす“光の魔術師”だ。「ここがタコのすごいところだ」と,バラデュークは言う。「方程式で解けるような生易しい問題ではない」。たしかにすごいが,信号処理の専門家でなかったら,まさにそこが頭痛の種だと言いたくなる。
 海に差し込む光の情報,“光線空間(ライトフィールド)”を数学的に解析しようと,さまざまな研究が行われている。だが,タコは人間がこしらえたお粗末なコンピューター・プログラムや数理モデルのはるか先を行く。どういう仕組みなのか,その場に分散する全方向の光をとらえて,情報を自動的に処理しているのだ。「降り注ぐ日差しの光線空間を理解するのは,きわめてむずかしい問題なんだ。これほどうまく対処できるなんて,たぐいまれな生物だよ」と,バラデュークは言う。

キャサリン・ハーモン・カレッジ 高瀬素子(訳) (2014). タコの才能:いちばん賢い無脊椎動物 太田出版 pp.122

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