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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ケイタイ電話

設問で,「ケイタイ電話」で漢字の「ケイタイ」の部分を書かせる出題があったが,ナンと,受験生が持っていた受験票の裏に「携帯電話等は必ず電源を切ってください」という記載があったとのこと!にもかかわらず,正解率が7割位だったというので,受験生の注意力にも問題があったのであろう。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.87
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そんな時代とは違う

かつて某大学の某有名学部の某教授(文系)が20年間1本も論文を書いていないらしいことが暴露されて,問題になったが,そのような牧歌的な時代と今は違う。キチンとした大学では,その大学に所属している専任教員の研究業績は,自己申告により大学ウェブサイトにて公開される時代なのである。ネットでのグーグルサーチはもちろんのこと,後述するCiNii Articlesとか国立国会図書館蔵書検索・申込システム(NDL-OPAC)により,ごく簡単に対象専任大学教員のザッとした研究業績やら博士号の有無などが判明する。ということで,同僚や研究仲間はもちろんのこと,学生ですら,一体全体教員がどのくらい論文とか本を書いているのかを知るのはたやすいことであり,研究業績が可視化されると同時に研究発表への圧力も高まっているのは,間違いない。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.77-78

センター利用試験

センター試験利用入試は,大学サイドからすると,作問と採点のコストがかからない割に,難関私学では,ある程度の確率で一定の学力を担保できるという魅力がある。その反面,国公立の難関大学の滑り止めとして利用する受験生が多々おり,入学「歩留まり」率は通常一般入試よりもかなり悪くなる。慶應やICUも東大・一橋大・東京工大・東京外大・首都大東京・筑波大・京大などの国公立難関大滑り止め校として機能してきた感がある。
 これは,慶應やICUに限った話ではなく,第二志望の大学ならすべての大学に該当する話であるが,東大などに落ちて不本意ながら入学した学生が「仮面浪人」して,翌年別の大学に入り直すケースもあろう。あるいは学習意欲を示さず,大学に上手く適応できない入学生も出てくるかもしれない。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.66-67

大学生の基礎学力

入試は簡単なぶん,基礎学力を徹底的に鍛えることができるか否かで,大学の質が問われる時代になった。たとえば,入学前に読むべき本のリストを与え,感想文を書かせ,それを担当教員がチェックしてコメントするなど,かなり手の込んだ教育を行っている大学もある。英語力が必要なカリキュラムになっているのならば,専門学校や予備校などが実施する英語の補習授業を,入学前に強制的に受けさせる所もある。高校の授業を補修する,いわゆるリメディアル(授業とは別の事前やり直し)教育や学生のレベルに応じた初年次教育を実施している大学も増えてきた。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.57-58

大学募集定員

ここで,受験業界のジョーシキとして,難関大が必ずしも高倍率だとか志願者殺到となるワケではないことを思い起こされたい。これら3大学が表2中のいわゆる中堅大学よりも,志願者が少ない最大の要因は,まず,一般入試での募集定員の少なさだろう。上智は1693人,学習院はおよそ1865人,ICUに至っては,290人のみしか一般入試などで募集していない。この上智と学習院の一般入試での募集定員は,他の大学の半分程度か早稲田のように,5640人を募集する大規模大と比べると,その約3分の1になる。さらに,上智と学習院はセンター利用入試を13年度に導入していなかったために,国公立大を第一志望とする受験生には敬遠された部分もあると推察できる。

櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.40-41

日本の大学入試

日本の大学・学部ほど,多様で回数が多く,教職員の負担が大きい入試制度を採用しているのは,OECD(経済協力開発機構)加盟国ではほとんどないようだ。その点でも,今や多様化・複雑化する日本の大学入試は「ガラパゴス化」しているとも評価でき,その重みは現場の大学教員の肩にズッシリとのしかかっているのである。
 とりわけ,最近の私学受験については,国公立大学と比べても,20年前と比べても,入試方法がともかく多様化している。かつては附属高校入試とその私学(の学部)が指定する「指定高校推薦入試」くらいしか種類がなかったのが,現在では,それらに加えて,社会人入試,帰国女子入試,AO(Admissions Office アドミッション[ズ]・オフィス)入試,などなど,各大学・学部で特色ある多様な学生リクルートメントにもとづくアドミッション・ポリシーを展開している。これに日本語母語話者ではない受験者を対象とした留学生入試などを入れると,大雑把な入試方法でも9種類を超える。


櫻田大造 (2013). 大学入試 担当教員のぶっちゃけ話 中央公論新社 pp.20-21

距離の基準

「危険そうなものからは離れる」は誰にでも直観でわかる,原始的なリスク管理法である。しかし,では「どのくらい距離をとればよいか」と具体的な数字を追求すると,とたんに決めることが難しく感じられる。距離に関する基準値を調べてみると,多くの人が「なんとなく」合意で決めたのであろう,と推察されるものが少なくなかった。そのなかで比較的,根拠が追えるものについて取りあげたつもりである。
 「携帯電話と植込み型医療機器の距離」の例では,リスク(避けたい影響)は定義されていたものの,国の指針も鉄道会社の運用も,安全への余裕を根拠なしに大きくとったために,どんなリスクを避けるための対応などかがわからなくなってしまった。「危険物施設との保安距離」の例では,そもそも受け入れられるリスクのレベルが曖昧であり,「ゼロリスク」の想定のもとでしか議論されていなかった。このような考えでは「想定外」に対応することはできない。
 将来にわたって,明確な根拠を持って距離の基準値を決めるにはどうすればよいのか,ぜひみなさんも考えてみていただきたい。これからは,“○○cm”などと距離が示された基準値を見つけたら,その根拠について探ってみてはいかがだろう。専門家や行政に直接,尋ねてみるのも面白いかもしれない。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.246

受け入れられるリスク

さらに近年,生物多様性の「ゆりかご」としての水田が注目されているが,水田はそもそも食料生産の場であるため,生産か保全かといった価値観の対立を生みやすい。農業という行為は単一の生き物(作物)を高密度で育て,ほかの生き物(害虫や雑草など)を排除する行為である。ここで,水田で虫が死んではいけないという農業の基準値がつくられたら,食料生産どころではなくなってしまう。「何をどれだけ守ればよいか」という保全目標についての議論はここが最も難しいところであり,ゴールはまだまだ見えない。欧米では大変盛んな保全目標をめぐる議論が日本ではほとんどみられないのは,健康影響における「受け入れられるリスク」について日本ではほとんど議論されないのと同様の状況である。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.222

基準値の○倍

ここからいえることは,「基準値の○○倍!」とメディアなどで頻出する表現から判断できることは,ほとんど何もない,ということである。同じ水中亜鉛濃度の基準であっても,何の基準値かによって意味がまったく異なり,基準値を超えたときに何が起こるかもまったく異なる。また,排水中の亜鉛濃度が1mg/Lだった場合に「排水基準の2分の1」と表現すべきところを「環境基準の30倍」と表現すれば,悪意を持った不安誘導と捉えられかねない。
 基準値の根拠を知ることは,このような場合の判断材料として非常に有効だろう。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.215

メタボの基準

1999年にWHOが初めて作成したメタボの診断基準では,必須条件は腹囲ではなくインスリン抵抗性(インスリンによって血糖値を下げる効果が弱い状態)だった。内臓脂肪については必須条件ではなく,(1)ウエスト/ヒップ比(男性<0.9,女性<0.85),(2)BMI(≧30),(3)腹囲(≧94cm)のいずれかを満たす場合としている。ところが米国のコレステロール教育プログラム基準では,腹囲(男性≧102cm,女性≧88cm,ただしアジア系では男性≧90cm,女性≧80cm)を含む5項目のうち3項目以上を満たす場合と定義された。さらに2005年に発表された国際糖尿病連合(IDF)基準では,腹囲(地域別の基準値が適用)を必須項目とするほかに,4項目のうち2項目以上を満たす場合として定義されている。
 日本でのメタボの基準も,独特のものとなった。とくに腹囲の基準値では男性の「85cm」が厳しすぎること(成人男性のほぼ半数が該当!),世界で唯一,女性のほうが大きな値となっていることが批判の的となった。やや肥満気味の人のほうが痩せた人よりもむしろ長寿であるという統計データが多数存在することから,医薬品業界のマーケット戦略であるとも非難された。
 そもそも腹囲と内臓脂肪面積には,相関はあるが,ばらつきも大きい。内臓脂肪面積100cm2以上に相当する腹囲は,男女とも75cm〜95cmと非常に範囲が広いのだ。そのため2009年には腹囲を必須としない新国際統一基準ができ,腹囲(地域別の基準値を適用)を含む5項目のうち,3項目以上を満たす場合と定義された。ところが——この新国際統一基準において,日本人に対して適用されるべき腹囲の基準値はいま,なんと「男性≧90cm,女性≧80cm」と「男性≧85cm,女性≧90cm」が併記された状態になっていて,いまだに決着がついていないのだ。はたしてお腹ぽっこり=メタボなのか,論争はまだまだ収まりそうにない。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.152

化学物質の基準値

化学物質の基準値には,もともとは大きく分けて「環境基準型」の基準値と「残留農薬型」の基準値の2種類があった,ということを覚えておくとよいだろう。言い換えれば,「無毒性換算型」の基準値と「ALARA型」の基準値の2種類である(「ALARA」とは「できうる限り低く」=As Low As Reasonably Achievableという意味)。両者はともに化学物質の基準値としては歴史が古く,いわば「基準値の基礎」とも呼べるものである。
 また,これらは両者とも「受け入れられるリスクの大きさにもとづく」という考え方が生まれる以前の考え方で決められた基準値であり,その意味では古典的な決め方の基準値ともいえる。無毒性換算型は「無毒性=ゼロ」であるから文字どおり,ゼロリスクを目指す考え方であるし,「ALARA」にしても,健康影響とは無関係にわずかでも毒物が入っていたら感覚的に「イヤ」なので,できるかぎり減らす努力をしましょうという考え方だ。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.130-131

水道で感染症

現在の水道の状況に慣れていると,水を飲んで下痢になるとか,運が悪ければ死に至ることがあるというのは,なかなか考えにくいことかもしれない。しかし,たかだか60年前には水道の普及率は30%程度であり,赤痢やチフスなどの水系感染症(水を飲むことでかかる感染症)の患者は年間10万人以上も発生していた。実はいまだに,飲み水が原因で病原性微生物に感染し,下痢などの症状が出た事例は毎年起きている。大半は,比較的規模が小さい施設や飲用井戸などにおいて,消毒装置が壊れたり,消毒剤を入れなかったりしたことで起きたものである。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.91

ホルムアルデヒドの基準のつくり方

ホルムアルデヒドの基準値は,動物実験の結果から算出されている。この実験は,280匹のオスのラットを4つのグループに分け,ラットの体重1kg当たり,それぞれ0mg,1.2mg,15mg,82mgのホルムアルデヒドを飲み水に混ぜて与えて,2年間継続して観察したものである。
 この結果,82mg投与したグループにのみ,体重の減少や胃粘膜壁の異常などが観察されたことから,閾値は1日当たり15mg/kgと82mg/kgの間にあるものとみなし,低いほうの1日当たり15mg/kgまでなら毒性影響はないものと判定された。なお,このような毒性影響が見られないと判定されたレベル(この場合は1日当たり15mg/kg)のことを,専門用語では「No Observed Adverse Effect Level」(NOAEL)という。日本語では「無毒性量」と訳すことが多いが,正確には,毒性が「観察されなかった量」を意味する。いわば日本語は「誤訳」であり,この訳のためにNOAELを「ゼロリスクとなる量」と誤解している人も多い。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.83-84

急性毒性と慢性毒性

化学物質の毒性は,急性毒性と慢性毒性に分けることができる。
 急性毒性とは,その物質を短い期間だけ摂取しても影響が生じる毒性で,著しく重篤な場合,たった1度の摂取で死を招くこともある。
 慢性毒性とは,長期間にわたってその物質を摂取することで影響が生じる毒性で,たとえば歯や骨,内臓に異常をきたす。慢性毒性を示す物質には,発がん性があるものとないものがある。さらに発がん性がある化学物質にも,その発がんメカニズムによって,遺伝子を直接傷つける形で発がんを引き起こすものと,そうでないものとがある。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.78-79

高血圧の基準

「なにが安全か?」という線引きは絶対的なものではない。今後の研究次第では,現在は「健康」とされている血圧が「要治療」に突然変わってしまうかもしれないし,その逆もあるかもしれない。たとえば2014年4月に,日本人間ドック学会が「健康な人」の収縮期血圧は「〜147mmHg」,拡張期血圧は「〜94mmHg」と発表し,これを同学会の独自の新基準とする,などの動きが起こっている。基準というものはそういうものだと考えておいたほうがよい。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.66-67

リスクとベネフィット

ひじきについての評価が日本と外国では大きく違うと,さきほど述べた。だが見方を変えて,がんという病気はそもそも長寿でなければかかりにくい病気である,と考えれば,両者の評価は決して矛盾しない。がんを心配するよりも,長寿を喜んだほうがよいのかもしれない。
 さらに,われわれ日本人は,コメを主食としながら世界屈指の長寿民族となっている。「10万人に1人」のリスクレベルの100倍以上のコメを毎日食べているにもかかわらず,である。日本食には,ヒ素のリスクを大きく上回る健康上のベネフィット(利益)があるのかもしれない。
 こうしてヒ素の例について考えていくと,日本人はそのリスクを高いレベルで受け入れているという見方もできる。基準値を多少,超えた,超えないで一喜一憂することが,いかに無意味であるかに気づかされる。あえてその国の食文化を壊してまで,一律の目標リスクレベルで基準値をつくって規制することは,つねに正しい選択とは限らないのである。英国やカナダではもともとひじきを食べないし,コメも主食ではない。だから禁止したところで,影響は小さいのだ。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.60-61

ひじきの発がん性

カナダの食品検査庁は2001年に,ひじきは発がん性のある「無機態のヒ素」の含有率が非常に高いので,消費を控えるよう国民に勧告している。また,英国の食品基準庁も2004年に,やはり無機態のヒ素が含まれているとして,ひじきを食べないよう勧告した。香港やオーストラリアも,この流れに追随している。
 ヒ素は海藻類や魚介類に多く含まれていて,これらを多く摂取する食文化がある日本人は,諸外国と比較するとより多くのヒ素を摂取している。ただし,ヒ素の毒性はその化学形態が無機態か,有機態かによって異なり,毒性が問題になるのは無機態のヒ素である。海藻類や魚介類中のヒ素はほとんどが有機態であり,無機態のヒ素の割合は数パーセント以下である。ところが,ひじきだけは無機態のヒ素が約60%と非常に高い割合になっていることが調査で明らかになり,ひじきがとくに問題視されるようになったのである。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.55-57

なぜ危険な餅は禁止しないのか

こんにゃくゼリーが危険だというなら,なぜ餅は禁止すべきという声が上がらないのだろうか?それは餅が日本の食文化として根づいていて,伝統的な正月行事にも必要だからである。もしも餅がなくなれば,日本人は文化の面で困ることになる。だから高い窒息リスクはあるにもかかわらず,日本人はそれを受け入れているということができる。つまり,餅はリスクの受容レベルが高い食品なのである。
 一方,こんにゃくゼリーは登場してから間もないため,日本の食文化として根づいていない。禁止しても困る人は少ない。だから餅よりもリスクは低いのに,そのリスクは受け入れられないということになる。
 こうした理由から,餅を禁止せよという声より,こんにゃくゼリーを禁止せよという声のほうが大きくなるのである。つまり,リスクの大きさとリスクの受容レベルは必ずしも一致しない。リスクの大きさだけを検討して科学的に基準値を作ればいいというわけではいかないのが,食文化がからむ基準値の難しさである。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.54

窒息の確率

食品安全委員会はこんにゃくゼリーによる窒息事故を受けて,各食品の窒息頻度を評価した。これは,食品別の年間窒息事故の頻度を,その食品が年間で何口食べられているか(食品の年間消費量÷一口量)で割ったものを一口あたりの窒息頻度として,比較可能なリスクとして表現したものである。
 その結果,一口当たりの窒息頻度が最も高いのは餅であり,2番目が飴だった。こんにゃくゼリーは3番目で,パンの窒息頻度と同程度であった。餅による窒息頻度が多いのは,単に食べる機会が多いからではなく,一口当りの事故頻度で見てもトップクラスのリスクがあるためと判明したのだ。米飯も救急搬送例は多いものの,食べられている量が圧倒的に多いため,一口当たりのリスクでは小さい数字となる。
 こんにゃくゼリーによる窒息が受け入れられないリスクであると考えるならば,これが規制されるように線引きしなければいけない。ところが,そうすると真っ先に規制されるべきは餅であり,飴である。さらにはパンまでが規制されるかもしれない。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.53-54

食の安全と食文化

このように,食の安全は,食文化と大きく関係する。一概に,安全性だけを考慮して基準値で線引をするわけにはいかないのである。多くの日本人は,フグや餅のリスクが高いことは正しく認識できているが,それらは日本の食文化に深く根づいている食材だけに,規制することが難しい。このことは,これらの食材はリスクが高いが,それ以上に,そのリスクが人々に受け入れられる「受容レベル」が高い状態にある,と言い換えることができる。
 現在,リスクについての考え方は,「安全」は科学的・客観的に決められることであり科学者が判断するもの,「安心」は心理的・主観的なことであり情報提供や教育によって向上するもの,という「安全・安心二分法」が一般的となっている。ところが,これから本章で示す例ではいずれも,そのような考え方は通用しない。食において科学的な基準値を適用することが,いかに難しいものであるかを感じていただきたい。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.51

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