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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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3秒ルールに根拠はあるか

3秒ルールは完全にナンセンスなのか,多少なりとも科学的な合理性があるのか。じつは米国や英国では,真面目に調査している人がいる。2003年に高校生のジリアン・クラーク氏はイリノイ大学で,大腸菌が塗られた床材に,グミや砂糖のかかったクッキーを5秒間置いたのち,菌数を数えた。その結果,ザラザラした床でもなめらかな床でも,大腸菌がクッキーにつくことを報告している。クラーク氏はこの功績により,2004年度のイグ・ノーベル賞を受賞した。2006年にはクレムゾン大学のポール・ドーソン氏が,さまざまな材質の床(タイル,フローリング材,カーペット)にチフス菌がどれだけいるか,また,床に置いたハムやパンに付着する菌数と,床との接触時間にはどのような関係があるかを調べた。その結果,タイルでは接触時間5秒で,ハムに約70%,パンに約50%,菌が付着した。また,床に落ちた食べ物に息を吹きかけゴミを払っても除菌の効果はなかった。ドーソン氏はこれらを総合して,“five-second rule”はただの神話にすぎず,食中毒を防ぐには衛生管理が大事である,と至極まっとうな主張をしている。
 同じことを考える人はいるもので,英国アストン大学のアンソニー・ヒルトン氏は2014年に,床の大腸菌などがトーストやパスタに移るかという同様の実験を行っている。ドーソン氏と違うところは,接触させる時間を3秒から30秒までさまざまに変えているところである(物好きだ!)。その結果,接触時間と床材によって菌の移り方は異なり,カーペットの場合は5秒後もほとんど菌が移っていなかったという。3秒ルールは場合によってはありなのかもしれない,とも思わされる結論である。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.48-49
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3秒ルール

3秒ルール(と総称させていただく)が伝播している文化圏と,そうでない文化圏の境界線がどこにあるのかは判然としないが,そのルーツは13世紀のモンゴル皇帝チンギス・ハーンにあり,「ハーン・ルール」と称されていた(!)という説がある。ハーンは戦いに勝つと祝宴を設け,将軍たちに料理と酒をふんだんに振る舞った。だがその際,「床に落ちた食べ物は12時間以内ならば,食べても安全である。信じたまえ!」と宣言して,みなをそれに従わせたというのだ。ハーンの宴席の食べ物ならそれほど長く落ちていたものでも食べる価値があった,というあたりがこの逸話の真意だろうが,3秒ルールが歴史に痕跡をとどめた例として貴重である。細菌数など調べる手段がなかった当時,「12時間」には「腐敗する前」という根拠があったのかもしれない。だが,ハーンのお膝元だったモンゴル,中国で3秒ルールがほとんど知られていなかったのは残念である。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.48

生菌数の基準

多くの食品は,それぞれ生菌数の上限値が決められている。罰則があるものとしては「食品衛生法による食品別の規格基準」,また,罰則のない自主規定として,厚生労働省が示す「衛生規範」や地方自治体が示す「指導基準」がある。だが食品によっては,かなり高い生菌数を認められているものがある。たとえば弁当や惣菜は,1g当たりの上限値が加熱食品では10万個だが,非加熱食品では100万個まで認められている。やはり非加熱食品の生和菓子は,東京都では50万個まで認められている。加熱しないかぎり数を減らすことはできないが,加熱したら別な食べ物になってしまう(!)というジレンマの中で,このくらいなら製造者がなんとか達成できるだろう,という現実的な観点から決められているのである。
 いずれにせよ,非加熱食品の基準値は腐敗がみられる生菌数の10分の1でしかなく,安全のための余裕はほとんどないだろう。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.30-31

消費期限と賞味期限

まず「消費期限」と「賞味期限」の違いについて確認しておこう。農林水産省のウェブサイトによれば,消費期限とは「食べても安全な期限」である。対して賞味期限とは「おいしく食べられる期限」である。図1-1のように,これらは品質の劣化が速いか遅いかによって区別する,というのが農林水産省の説明である。お弁当や生和菓子などの保存がきかない食品に表示されるのが消費期限(おおむね数時間から5日),加熱処理などが施されていて冷蔵や常温で保存がきく食品に表示されるのが賞味期限というわけだ(なお,期限が意味をもつのは食品の包装を開けるまでの間である)。
 では,これらの期限を過ぎてしまった食品は,どうすればよいのだろうか。消費者庁はそれぞれの期限について,次のようにまったく違う対応を呼びかけている。
 「期限を過ぎた食品は食べないようにしてください」(消費期限)
 「期限を過ぎても必ずしもすぐに食べられなくなるわけではありませんので,それぞれの食品が食べられるかどうかについては,消費者が個別に判断する必要があります」(賞味期限)
 農林水産省や消費者庁の考え方をまとめると,消費期限は食品の「安全」を保つ,すなわち下痢や食中毒などの健康への悪影響をできるだけ低く抑えるための基準,賞味期限のほうは安全というよりは味が落ちるか否かを気にする人のための目安であり,それぞれを保存できる日数の長短により区別しよう,ということになる。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.25-26

いったん決まると

この特徴は日本特有のものかもしれない。飲酒できる年齢を25歳まで引き上げようという青少年禁酒法案が廃案になったように,基準値の多くは,一度決まるとなかなか変更されない。基準値を厳しくする場合もそうだが,基準値を緩くする(緩和する)場合はなおさらである。
 米国では,大気中の主要な汚染物質の環境基準値は5年ごとに見直すことが義務づけられているために,科学の進展に応じてこれまで何度も改定されてきた。ところが日本では,科学的判断を加えて定期的に改定するという手続きそのものが,あまり制度化されていない。これは,基準値の成り立ちや意味づけが国民に広く知られていないことにも一因があるだろう。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.18

基準というものは

米国の疫学者であり衛生工学者のウィリアム・セジウィック氏(1855〜1921)の言葉に,このようなものがある。

 「基準というものは,考えるという行為を遠ざけさせてしまう格好の道具である」

 基準値はいったん定められると,あたかもある種の「権威」のようになり,その根拠を深く考えることなく使ってしまいがちである,という戒めである。ある基準値を使いまわして決められた基準値は,ときに十分な安全を確保しているとはいいがたかったり,まったく理屈に合っていなかったりする。当初の目的とはかけ離れた,ちぐはぐなものになってしまうのである。

村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生 (2014). 基準値のからくり:安全はこうして数字になった 講談社 pp.17-18

かならず終わりが

だがここで思い出してほしい。どんな災厄,どんな不幸にもかならず終わりがあることを。文字を読む能力が乏しい人は,話を聞く能力が育つ。町が爆撃を受けても,死と破壊をかろうじて免れた人びとが新しい共同体をつくるだろう。幼いころに父親や母親を失った人は,耐えがたい苦悩と絶望にさいなまれる。けれども10人にひとりは,それをばねに不屈の精神力を発揮する。エラの谷で巨人と羊飼いがにらみあっていたら,注目を集めるのは,光りかがやく鎧に身を固め,剣を構えた巨人のほうだ。しかしこの世界に美しいもの,価値あるものをもたらすのは,意外なほどの強さを内に秘め,尊い目的を掲げる羊飼いなのである。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.252-253

権威の正当性を裏づける原則

これが「権威の正当性を裏づける原則」だ。権威の正当性を成りたたせるものは3つある。第1に,権威に従う側に発言権があること。異議を唱えたとき,傾聴してもらえるかどうか。第2に,法の運用に信頼性があること。今日の法律が,明日もおおむね同じように適用されることだ。第3に,権威に公平性があること。この集団とあの集団で対応が異なってはいけない。
 世の賢い親たちはこの3原則を無意識のうちに実践している。ジョニーが妹を叩いて困る。やめさせるには,今日はどなりつけたのに,明日は知らんぷりといった一貫性のない対応ではだめ。妹がジョニーを叩いたときも同様だ。もしジョニーが叩いていないと言いはったら,説明するチャンスを与える。罰を与えるときは,罰の中身もさることながら,「どう」罰するかということも重要だ。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.192-193

ビッグファイブ・パーソナリティ

心理学では性格を把握するときに「5因子モデル」,別名ビッグ・ファイブを用いる。次の5つの特性に関して,どんな傾向にあるかを評価するのだ。

 情緒不安定性(敏感/神経質 安定/自信)
 外向性(精力的/社交的 孤立/内気)
 開放性(創意/好奇心 保守的/慎重)
 勤勉性(規律/熱心 怠惰/不注意)
 調和性(協力的/共感 自己中心的/対抗心)

 心理学者ジョーダン・ピーターソンは,革新的な人間はこの5つの因子のうち,最後の3つ(開放性,勤勉性,調和性)の組みあわせに独特の特徴があると指摘する。
 自分の殻に閉じこもっていては,革新的なことはできない。他人ができないことに想像をめぐらせ,自らの先入観を揺さぶる必要がある。勤勉さも大切だ。いくらアイデアが良くても,それを地道に実践する自制心とねばり強さがなければ,ただのドリーマーだ。ここまでは納得がいく。
 そして3つめの調和性だが,革新者に求められるのは調和性というよりも,むしろ非調和性だ。ケンカを売ったり,周囲を不快にさせるのではないが,誰もやろうとしないことにリスク承知であえて挑戦するのだから,むしろ調和性とは対極ということになる。
 それは容易なことではない。非調和な人間がいると,社会は眉をひそめる。それに人間には,周囲から承認されたい本能がある。それでも,社会を変える力がある斬新な発想を実現するには,これまでのしきたりを壊す気概が必要だ。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.113-114

障害が故に

この事実は2通りの解釈ができる。ずばぬけた資質を持つ人は,障害をものともしないというのがひとつ。頭の回転と創造力がケタはずれなので,一生付きあわなくてはならない障害を抱えていても,成功を勝ちとることができるというわけだ。だがそうではなく,障害を持っていたがゆえに成功したと考えることもできる。障害を抱えて悪戦苦闘する過程で,糧となる何かをつかんだのだと。わが子が識字障害でなくてよかったと思っている人も,2番目の可能性を知ると考えが揺らぐかもしれない。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.105

大きな池の小魚か小さな池の大魚か

大きな池の小魚か,小さな池の大魚か——その選択肢を考えるヒントとして,もうひとつ例をあげよう。あなたは大学関係者で,大学院卒の優秀な研究者を採用することになった。そのとき一流大学院卒と条件を限定するか,それとも大学院のランクに関係なく,トップの成績だった人間を選ぶか。
 たいていの大学は前者だ。当校は一流大学院の卒業生しか採用しませんと胸を張る大学さえある。しかしここまで読んできた人ならば,さすがに疑問を抱くだろう。小さな池の大きな魚は,大きな池の小さな魚よりそんなに下なのかと。
 大きな池と小さな池を比較できる簡単な方法がある。ジョン・コンリーとアリ・シナ・オンデルは,経済学の博士課程修了者を対象に調査を行なった。経済学の世界には,研究者なら誰もが読む権威ある学術誌がいくつかある。こうした専門誌は独創性のある優れた論文しか受け入れないので,その掲載回数が評価のものさしになる。コンリーとオンデルが調べたところ,並の大学の優等生のほうが,一流大学の並みの学生よりも掲載回数は多いことがわかった。
 ハーバードやMITの卒業生を採用してはいけない?これにはさすがに誰もが首をかしげるだろう。だが分析結果を見ると反論の余地はない。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.85-86

自分と周囲

人は全体像のなかに自分を置くことがなかなかできない。「同じ舟」に乗っている人間どうしで比較しあうだけだ。だから自分が恵まれないとか,不幸だといった感覚も,あくまで相対的なものに過ぎない。これはなかなか深い意味を持つ事実であり,不可解に思える現象もすべてそれで説明がつく。たとえば国別の幸福度調査で,スイス,デンマーク,アイスランド,オランダ,カナダといった国は,自分が幸せだと答えた国民が多かった。対してギリシア,イタリア,ポルトガル,スペインは,幸せではないという回答が目立った。ではこの2つのグループのうち,自殺率が高いのはどちらだろう?答えは幸福な前者だ。これも「憲兵と陸軍航空隊」と同じ図式だ。誰もが不幸せな国では,自分に不幸が降りかかってもさほど落ちこまない。でも周囲がみんな幸せな笑顔を浮かべていたら,不幸がいっそう身にしみるだろう。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.79

20人か40人か

クラスの人数の謎も,これで手がかりが見えてくる。逆U字型曲線の「どこに位置するか」が問題なのだ。たとえばイスラエルでは,小学校のクラスは昔から38〜39人と大人数だ。これは12世紀の偉大なラビにちなんだ「マイモニデスの法則」(クラスの人数は40人を超えてはならない)に従っているためだ。生徒数が40人に達したらクラスを分割して20人ずつの2クラスにする。38人のクラスと20人のクラスをホクスビー式に比較したところ,20人のほうが成績が優秀であることがわかった。これは当然だろう。38人もいると教師ひとりの手に余るからだ。つまりイスラエルは,逆U字型曲線の左端に位置していることになる。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.57

富も人をだめにする

さて,ここからが本題だ。彼には愛してやまない子どもがいる。自分の子ども時代より多くのものをわが子に与えたい——それは親の本能だろう。だがそれは大いなる矛盾でもある。彼がこれほどまでに成功したのは,お金の価値や働く意味,自分で道を切り開く喜びと充実感を,苦労しながら学んできたおかげだ。けれども彼の子どもたちに,同じように学べというのは酷な話だ。ハリウッドの億万長者の子どもは,近所の落ち葉を掃除なんてしない。明かりを消し忘れたからといって,怖い顔をした父親に電気料金の請求書を突きつけられることもない。バスケットボールの試合を見るときも,柱で隠れてしまうような安い席には座らない。
 「裕福な家庭での子育ては,世間が思っている以上に難しい」と彼は言う。「貧すれば鈍すというが,富も人をだめにする。野心を失い,誇りを失い,自分は価値ある人間だという感覚まで失われる。貧乏でも金持ちでも,極端なのはだめだ。真ん中あたりがいちばんうまくいくのだろう」。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.50-51

1クラスの人数

ベビーブームのころ,シェポーバレーの1クラスの人数は25人だった。いまは15人だ。ふつうに考えれば,25人より15人のほうが教師の目が届くし,教師の目が届いたほうが学習の質もあがる。結果として生徒の学力は,混みあっていた時代より高くなる——はずだ。
 それが正しいかどうかを確かめる明快な方法があった。コネティカット州には,シェポーバレーと同じような学校がたくさんある。もともと小さい町が多いので,出生率や地価の変動の影響を受けやすい。ある学年の生徒数ゼロという年があったかと思うと,翌年は教室が満杯になることもある。一例として,コネティカット州のあるミドルスクールで,5年生の人数を年ごとに追うとこうなっている。

 1993年 18人
 1994年 11人
 1995年 17人
 1996年 14人
 1997年 13人
 1998年 16人
 1999年 15人
 2000年 21人
 2001年 23人
 2002年 10人
 2003年 18人
 2004年 21人
 2005年 18人

 2001年に23人だった5年生が,翌年はたった10人になってしまった。もちろん学校の状況に変化はない。校長以下教師の顔ぶれはいっしょだし,校舎も使う教科書も同じだ。町の人口に大きな変動はなく,経済状況も変化なし。ちがうのは5年生の数だけだ。したがって2002年度の5年生の成績が2001年度より明らかに向上していたら,クラスの規模が関係していたと言えるだろう。
 これがいわゆる「自然実験」だ。科学者は自らの仮説を立証するために実験を組み立てるが,あえてそうしなくても,仮説の真偽をたしかめられる社会状況が出現することがある。ではコネティカット州ではどうだろう?経済学者のキャロライン・ホクスビーは,コネティカット州内のすべての小学校を対象に,少人数クラスとそうでないクラスの生徒の成績を比較した。結果は——差はなし。ホクスビーは書いている。「政策の変更後,統計的に有意な差がでなかった例はたくさんある。今回の研究でも,差はゼロに近い予測だったが,結果は完全にゼロ。つまりちがいはまったくなかったのである」。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.44-46
(引用者注:日本の教室人数のほぼ半分であることに注意。30人以上など想定外)

真っ向勝負してしまう

政治学者アレグィン=トフトは,この疑問につながる奇妙なパターンを発見していた。負け犬がダビデのように戦えば,たいてい勝利する。だがダビデのように戦う負け犬はめったにいないのだ。アレグィン=トフトによると,戦力に極端に差があった紛争202件のうち,弱い側が真っ向勝負を挑んだものは全部で152件——そして119件で敗北した。1809年,スペインの植民地だったペルーは宗主国に反旗を翻して鎮圧された。1816年,グルジア人はロシアに戦いを挑んで失敗した。1817年,インドのピンダリ族はイギリスに抵抗して負けた。1817年,スリランカのキャンディで起きた反乱はイギリスに鎮圧された。1823年,宗主国イギリスと戦ったビルマ人は叩きつぶされた。挙げていくときりがない。1940年代,ベトナムの共産主義勢力は宗主国フランスを苦しめたが,1951年にヴォー・グエン・ザップが通常戦争に路線変更したとたん負けが込みはじめた。アメリカ独立戦争でも,初期にはゲリラ戦術があれほど成果をあげていたにもかかわらず,ジョージ・ワシントンが方向転換してしまった。ウィリアム・ポークは,型破りな戦争を取りあげた著書『バイオレント・ポリティクス』でこう書いている。「ワシントンはイギリス式の軍隊,すなわち大陸軍の整備に勢力を注いだ。その結果,戦況がどんどん不利になって敗北寸前まで追い込まれた」。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.36-37

大国はかならず勝利するか

過去200年に起きた大国と小国の紛争の勝敗表をつくってみよう。人口および兵力に,少なくとも10倍の開きがあることが条件だ。ほぼすべての人が,大国の勝率は100パーセントに近いと予測するはずだ。10倍の開きはそう簡単に埋まらない。だが,正解を知ると,誰もが腰を抜かすにちがいない。政治学者アイヴァン・アレグィン=トフトがはじきだした結果は,71.5パーセント。3分の1弱の戦いで,小国が勝利している。
 アレグィン=トフトはさらに,弱いほうがダビデになったとき,つまり大国と同じ土俵に乗らず,常識はずれのゲリラ戦法を採用した場合も計算した。すると小国の勝率は,28.5パーセントから63.6パーセントに跳ねあがった。たとえばアメリカの人口はカナダの10倍だ。もし両国が戦争になり,カナダが型破りな作戦を採用したら,カナダ勝利に賭けたほうがいいということになる。

マルコム・グラッドウェル 藤井留美(訳) (2014). 逆転!強敵や逆境に勝てる秘密 講談社 pp.26

何が本当の回復なのか

経済を立て直す必要に迫られたとき,わたしたちは何が本当の回復なのかを忘れがちである。本当の回復とは,持続的で人間的な回復であって,経済成長率ではない。経済成長は目的達成のための一手段にすぎず,それ自体は目的ではない。経済成長率が上がっても,それがわたしたちの健康や幸福を損なうものだとしたら,それに何の意味があるだろう?1968年にロバート・ケネディが指摘したとおりである。
 今回の大不況について次の世代が評価するときがきたら,彼らは何を基準に判断するだろうか?それは成長率や赤字幅削減ではないだろう。社会的弱者をどう守ったか,コミュニティにとって最も基本的なニーズ,すなわち医療,住宅,仕事といったニーズにどこまで応えられたかといった点ではないだろうか?
 どの社会でも,最も大事な資源はその構成員,つまり人間である。したがって健康への投資は,好況時においては賢い選択であり,不況時には緊急かつ不可欠な選択となる。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.243-244

財政刺激策か財政緊縮政策か

この相反する2つの政策——財政刺激策か財政緊縮策か——のどちらをとるかという選択は,イギリス以外のヨーロッパ諸国でもそれぞれに葛藤を生んだ。結果から言えば,ECBやIMFからの圧力を受けて厳しい緊縮政策を推し進めてきた国では,住宅危機による健康被害もひどかったことが明らかになっている。そして最も深刻な被害を受けたのは,やはり社会的弱者であるホームレスや障害者だった。
 典型的な例がギリシャである。ギリシャはIMFの緊縮プログラムに従い,ヨーロッパでも最大規模の住宅支援予算削減を強いられた。その結果,ホームレス人口が25パーセント増加し,アテネの下町に路上生活者があふれて薬物が横行し,HIV感染者が急増した。また,2010年7月と8月にはウエストナイルウイルスも蔓延したが,これはヨーロッパでは1996年と1997年のルーマニア以来の大規模なものだった。
 ヨーロッパでも国によって統計のとり方が異なるので,ホームレス人口を単純に比較することはできない。しかしながら,事実上,住宅支援予算を削減した国ではいずれもホームレス人口が増加しており,この点は特筆に値する。アイルランドもギリシャに次いで大幅な住宅支援予算削減を実施したが,その結果,それまで下がってきていたホームレス率が一気に68パーセントも上がった。スペインとポルトガルも不況になってからかなりの予算削減を行い,ホームレス率が上昇した。バルセロナのホームレス人口は2008年が2013人,2011年が2791人と推定され,3年間で39パーセント上昇している。ポルトガルも同様で,2007年から2011年の間に25パーセント上昇した。
 対照的だったのはフィンランドで,この国では住宅支援予算を削減するどころか,2015年までにホームレス人口をゼロにするという目標が掲げられ,さっそく2008年に1250戸の住宅がホームレスの人々に提供された。この政策はとにかくまず住まいを提供しようという考え方——サンフランシスコの「ハウジング・ファースト」と同様——によるものだが,住宅供給にとどまらず,ソーシャルワーカーがホームレスの人々の社会復帰を支援するというところまで踏み込んだものとなった。こうした積極的な政策ははっきりと数字に表れた。イギリス,アイルランド,ギリシャ,スペイン,ポルトガルでホームレス人口が増加した2009年から2011年の間に,フィンランドではホームレス人口が減少の一途をたどった。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.230-231

住居は基本条件

この結果からも明らかなように,住む場所があることは健康の必要条件であり,これは今さら言うまでもない。ホームレスの人々は,社会のなかの最も弱いグループに属する。住む場所がある人に比べて40年も寿命が短いという調査結果も出ている。また,さまざまな病気を抱えながら,適切な治療を受けられないことが多い。さらに結核などの感染症にかかりやすく,まず彼らが感染し,そこから地域全体に広がっていくという事態も起こりうる。健康の悪化とホームレス状態とは密接な関係にあり,どちらが原因かはっきりしない場合もある。だがどちらが原因であろうとも,この2つが重なると結果は同じで,死亡リスクが極端に高くなり,多くの人が苦しみを背負うことになる。

デヴィッド・スタックラー,サンジェイ・バス 橘 明美・臼井美子(訳) (2014). 経済政策で人は死ぬか?:公衆衛生学から見た不況対策 草思社 pp.217

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