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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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クロニンジャー理論の特長

このクロニンジャーの理論の特長としては,次のことがあげられます。

(1)学習理論に基づいている
(2)遺伝子との関連性が想定されている
(3)性格は,変容・成長すると想定している
(4)多くの精神疾患との関連性が想定されている
(5)結婚・犯罪等,人間の生活と性格との関わりを明確にできる


木島伸彦 (2014). クロニンジャーのパーソナリティ理論入門—自分を知り,自分をデザインする— 北大路書房 pp.7
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自尊感情の強化

特に有益だと考えられるのは,自尊感情を強化していくことです。妬みや恨み,嫉妬,正義という快感に溺れるとき,そこに通底しているのは,自尊感情の低さです。その不快感を解消するために,ネガティブ感情が生じて,脳がその原因となる要素を排除する行動を,個体にとらせようとするわけです。
 であれば,自尊感情の低さが問題にならなくなれば,ネガティブ感情をもつ必要もなくなります。自尊感情が低くなる原因には,認知のゆがみがあるので,これを修正していくことも有効ですし,みずから豊かであること,自分が尊敬に足る存在であることを認めていくことがまずは,自分の感情のコントロールの基本の一歩になるでしょう。

中野信子・沢田匡人 (2015). 正しい恨みの晴らし方:科学で読み解くネガティブ感情 ポプラ社 pp.189

ネガティブ感情の意味

嫉妬などのネガティブ感情を持つことは苦しいものです。
 プライド,自尊心,罪悪感,モラル,さまざまな脳の機能が一気に活動して混乱し,自分ではなかなか鎮めることは困難でしょう。
 一方,ネガティブ感情には相応の意味があり,その最大の意義は,ネガティブ感情が個体にとって,集団内で適切な行動をとらせるためのフィードバックシステムであるという側面です。
 罪悪感の正体は,こういうことをすると集団から排除されて生存・生殖が難しくなるぞ,という計算結果の表出です。脳はこういう生死に関わりかねない部分の計算は,非常に速いですね。
 相手を恨む自分を責める,というのも,オーバーサンクションを抑制するための負のフィードバック機構と考えると非常に機能的な感情です。なかなか良くデザインされているなと思います。

中野信子・沢田匡人 (2015). 正しい恨みの晴らし方:科学で読み解くネガティブ感情 ポプラ社 pp.187-188

本質は意地悪

ヒトは協力行動をやむを得ずしているのであれば,親切行動を見たときに,その行動の意図が認知できずに,不自然さを感じるのは当然です。また,親切行動が不自然な行動と認知されていることから,ヒトの本質には親切心があるわけではないのかもしれないということも示唆されます。マキャベリ的知性仮説(ヒトは複雑な社会生活環境へ適応するために脳と知性を進化させたという仮説)に基づけば,ヒトは生き残るために,いじわるを積極的に身につけてきた可能性さえあるのです。そうであればむしろ,ヒトの本質はいじわるなのかもしれません。この点については,引き続き多角的な研究の発展が望まれます。

中野信子・沢田匡人 (2015). 正しい恨みの晴らし方:科学で読み解くネガティブ感情 ポプラ社 pp.184

人間関係の希薄・過密

「近ごろの若者は人間関係が希薄だ」などとよく言われます。特に,若者の社会問題が表面化するたび,人間関係が危機に瀕しているからだと,警鐘を鳴らす評論家や教育者が少なくありません。
 しかし,状況はむしろ逆ではないかと思うのです。情報化社会の進展により,私たちは瞬時にやりとりができるようになりました。子どもや若者も状況は同じです。しかも,便利なものや面白いものに対する若者の嗅覚には凄まじいものがあります。LINEがここまで普及したのも,リアルタイムで送受信できる便利さに飛びついたに過ぎません。使えないものは淘汰され,使えるものは普及していきます。
 しかし,利点ばかりではありません。若者の人間関係は希薄どころか,むしろ過密になっているからこそ,トラブルが絶えないのです。他人に期待を寄せて,それをリアルタイムで確かめられる世界。ここで,私たちは途切れない,途切れることをよしとしないコミュニケーションを強いられています。常に連絡を取り合うことが当然となった世界では,返信をしないことだけで,いとも容易く恨まれてしまうリスクがあるのです。

中野信子・沢田匡人 (2015). 正しい恨みの晴らし方:科学で読み解くネガティブ感情 ポプラ社 pp.147-148

既読スルーのスルー

では,私たちはなぜ,「既読スルー」をスルーできないのか。
 それは,自分が侮辱されたと感じるからです。相手からの返事を期待しているのに,その通りにならないと,多かれ少なかれ感情が崩れてしまいます。そして,場合によっては,返信がないことによって傷つけられたと感じ,その相手を恨んでしまうのです。

中野信子・沢田匡人 (2015). 正しい恨みの晴らし方:科学で読み解くネガティブ感情 ポプラ社 pp.146

社会正義

私は,社会正義ほど恐ろしいものはないと考えています。個人的には,お金が欲しいという欲求を肯定して行動できる人の方を,社会正義を標榜して他者に制裁を加える人よりは信頼できると思っています。

中野信子・沢田匡人 (2015). 正しい恨みの晴らし方:科学で読み解くネガティブ感情 ポプラ社 pp.136

愛すべき他者

「点」でしか分かり合えない曖昧な正義に基づいて,誰かを恨んだり妬んだりするのが人間という生物の性なのでしょう。それは時として,自分のプライドを維持するのに役立つ場合もあります。しかし,権利を振りかざし,正義に魅了されると,私たちはいとも容易く感情に操られてしまう,か弱い生き物でもあるのです。だからこそ,私たちは誰かに寄り添い,生きていくしかありません。自分がこだわる正しさに理解を示し,苦しい気持ちを受け止めてくれる,愛すべき他者の存在を求めるのです。

中野信子・沢田匡人 (2015). 正しい恨みの晴らし方:科学で読み解くネガティブ感情 ポプラ社 pp.117

因果応報

私たちは,基本的に因果応報を信じています。だからこそ,悪いことをした人が不幸になるドラマを見てスッキリするのです。これは,シャーデンフロイデそのものです。
 妬みや恨みなどの感情を抱え込んで鬱々とせずに,ドラマを観て溜飲を下げる。なるほど,誰かを傷つけるよりは,はるかにコストの少ない恨みの和らげ方かもしれません。

中野信子・沢田匡人 (2015). 正しい恨みの晴らし方:科学で読み解くネガティブ感情 ポプラ社 pp.97

妬ましい時

妬ましい気持ちになったとき,私たちはどうしたらよいのでしょう。
 まずは少し深呼吸をして,自分が何を妬んでいるのか,誰を恨んでいるのかを考えてみることです。たとえば,仕事の成果に対する評価が不本意なのか,同期の出世が妬ましいのか,意思決定の曖昧さに苛立っているのかなど,自分が置かれた状況を見つめ直します。
 続いて,自分の妬みを抽出していきます。妬ましいが故に相手を全否定し,白か黒かだけで見ると,救いや余裕がなくなります。ですから,同期のあいつはいい奴だとわかっている……別にあいつを全否定するつもりはない……ただ,能力も仕事の業績も自分より劣っていると思っていただけに,あいつが先に課長になったという現実だけが納得できない……というように考えて,徐々に妬みの原因を炙り出していくのです。
 そして,自覚できるようになった妬みの感情を脇に置いて,目の前にあること,やるべき仕事に没頭するのです。こうして妬みから目を背けることなく距離を置ければ,名状しがたい感情に振り回されずに済みます。

中野信子・沢田匡人 (2015). 正しい恨みの晴らし方:科学で読み解くネガティブ感情 ポプラ社 pp.69-70

ウェルテル効果とパパゲーナ効果

メディアと自殺の関係を調べた研究からは,単なる自殺報道は自殺を誘発する可能性があることが示されている。いわゆる「ウェルテル効果」と呼ばれる現象であるが,啓発活動がこのような効果をもたらす可能性は否定できない。それに対して,モーツァルトのオペラ「魔笛」の登場人物にちなんでつけられた「パパゲーナ効果」と呼ばれる現象がある。これは,単なる自殺報道とは違って,厳しい現実の中で死を考えた人がその死を乗り越えたという報道には自殺予防効果があるというもので,今後の啓発活動のあり方に重要な示唆を与えるものである。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.161

自己愛性パーソナリティ障害

話は少しそれるが,DSM-IV作成過程では,自己愛性パーソナリティ障害を診断カテゴリーとして残すかどうかが議論になった。うつ病など,精神症状が重篤な場合には自己愛性が強まる可能性があり,それを診断カテゴリーとすることが妥当かどうかという意見が出されたためである。わが国では疫学的根拠に乏しいまま若い人に自己愛的な傾向の強い若者のうつ病が増えているといわれるが,年齢にかかわらず,うつ状態が強くなると自己愛的になるのである。もっとも,DSM-IVでは最終的に,自己愛性パーソナリティ障害を削除するだけの科学的根拠がないという理由で,それがそのまま残されることになった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.129-130

自閉症と診断されると

このように増加した大きな理由として,米国では,自閉症と診断されると学校で丁寧に扱われることが挙げられる。米国の普通学級はおおよそ35人で構成されているが,自閉症と診断されると4人学級に入ることができ,手厚く注意を払ってもらうことができる。そのために,知的能力が高く,少し風変わりだったり引っ込み思案だったりする子どもが,教育的なメリットがあるという理由で,自閉症という診断を受けるケースが増えることになった。本来は教育的な配慮をもとに判断されるべきところが,医学的な診断が優先されるためにこのようなことが起きたのである。DSMが力を持ちすぎた結果,このように学校や司法場面で乱用ともいえる形でDSMが使用されることになってしまった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.71-72

うつ病の多様化?

過剰診断に関連して,近年,うつ病が多様化したといわれることがある。しかし,これは誤解を招くいい方であると私は考えている。うつ病という病気の表現形が多様化したのか,うつ病という症状群を引き起こす要因が多様化したのかが明らかでないからである。さらには,これまではうつ病と診断されなかった多様な症状群まで,うつ病と診断されている可能性もある。
 うつ病が多様化したという場合に,私たちは,うつ病という本体があって,その症状がさまざまな形で現れているというイメージを持っていることが少なくない。うつ病という実体があるという前提にたっているためだが,実際にはうつ病の実体はまだ解明されていない。そのために,DSMでは,ある特定の症状の一群をうつ病と呼ぼうという約束ごとをしている。それが診断カテゴリーである。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.63-64

訳語の問題

中でも議論になったのが,disorderの訳語である。精神科病名検討連絡会では,disorderを「障害」ではなく「症」と訳すという提案が議論された。「障害」という用語に伴う偏見を和らげようという意図からで,「障がい」や「障碍」などの用語も検討された。最終的には不安障害など一部の疾患で「症」が採用されることになったが,反対意見も根強かったために「症」と「障害」が併記されることになった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.61

精神分析学の失墜

さて,精神力動的もしくは精神分析的な考え方が米国の精神医学の中で力を失っていった原因はいくつかある。最も大きな要因として,医療経済的制約が強まる中,高価で時間がかかるにもかかわらず効果の検証が行われていなかったことが挙げられる。
 もう1つの大きな要因として考えられるのが,80年代に入って急速に強まった生物学的精神医学の流れである。その頃から精神疾患は,脳の疾患であるということが強調されるようになり,精神的な苦痛を心理的要因から理解しようとする精神分析的ないしは精神力動的立場は急速に弱まっていった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.47-48

分割論者と包括論者

DSM-IIIでは,それまでの診断分類に比べて多くの診断カテゴリーが取り入れられ,それによって併存診断が増えることになった。診断分類を作成する際には,細かくカテゴリーを分けようとする“splitter”(分割論者)と呼ばれる立場のグループと,あまり細かく分けないで大きくまとめて取り扱おうとする“lumper”(包括論者)と呼ばれるグループとの間での葛藤が生じることが多い。DSM-IIIの作成過程では,“splitter”の力が強く,多くの細かい診断分類が追加されることになった。しかも,実際に診断を下す際には,見落としのないようにできるだけ多くの疾患カテゴリーを診断するように勧められている。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.42-43

神経症

理論的に中立の立場をとって症状記述に徹することに対しては,病因を無視することになるという批判が出された。とくに,精神内界の葛藤に病因を想定する「神経症(neurosis)」という用語が使われなくなったことに対しては,精神力動的な立場の精神科医が強く反対した。しかし,立場が異なるさまざまな研究者や臨床家が共通の土壌で議論することを可能にするというプラスの面が大きかったことから,病因を想定しない分類システムが米国だけでなく世界的に広く受け入れられることになった。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.40-41

診断の一致率

1972年にクーパー(Cooper, J.E.)らが行ったUS/UK研究は精神医学界に衝撃を与えた。すでによく知られた研究であるが,精神病症状を持つ人の症状記載を米国と英国の精神科医が読んで診断し,その一致率を見たものである。その結果分かったことは,両国で診断の幅が違い,米国の精神科医の方が統合失調症を広く診断していることが明らかになった。つまり,統合失調症の概念が国によって大きく違うことがわかったのである。こうした事実は精神医学の信頼性を著しく低め,他の医学領域からの批判を招いた。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.28-29

アクティブ・プラセボ

アクティブ・プラセボというのは,実薬と同じような副作用が現れるプラセボであり,それを服用した人は副作用の感じから実薬と錯覚しやすい。モンクリーフの研究によれば,アクティブ・プラセボと実薬とで効果にあまり差がないのである。こうしたプラセボ効果に関する研究は,薬物療法の効果を高めるためにもプラセボ効果を高める接し方が重要であり,その際に精神療法などの心理社会的アプローチの果たす役割が大きいことを示している。つまり,心理社会的アプローチのスキルを身につける研修こそが,薬物療法を効果的に行うためにも,多剤併用を防ぐためにも重要なのである。

大野 裕 (2014). 精神医療・診断の手引き:DSM-IIIはなぜ作られ,DSM-5はなぜ批判されたか 金剛出版 pp.20-21

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