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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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7つのリスト

アンジェラ・ダックワースや彼女の同僚と「気質を育てること」について情報交換をするようになると,デイヴィッド・レヴィンとドミニク・ランドルフはあっさり納得した。生徒たちに不可欠な性格の強みは自制心とやり抜く力だ。しかしそれだけではないようにも思われた。かといって,セリグマンとピーターソンのリストにある24項目すべてを実際の教育システムに取り入れようとすると,それでは多すぎてむずかしかった。そこでレヴィンとランドルフは,このリストをもう少し扱いやすい長さに絞ることはできないかとピーターソンに尋ねた。ピーターソンは研究をもとに,その後の人生の満足度や達成度ととくに深くかかわる強みを割り出した。なんどか微調整を重ねたあと,最終的に7つの項目を含むリストに落ち着いた。

・やり抜く力
・自制心
・意欲
・社会的知性
・感謝の気持ち
・オプティミズム
・好奇心

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.127-128
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ロバーツの研究

パーソナリティ心理学の領域で,勤勉性の研究の第一人者といえばブレント・ロバーツである。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の教授で,経済学者のジェイムズ・ヘックマンや心理学者のアンジェラ・ダックワースとも共同研究をしたことのある人物だ。ロバーツの話によると,1990年代後半に彼が大学院を出て専門の研究分野を決めようとしたときには,勤勉性の研究をしたがる者などひとりもいなかったらしい。ほとんどの心理学者が,勤勉性は,パーソナリティ分野の「厄介者」であると思っていた。多くはいまでもそう思っている。文化の問題だ,とロバーツは説明する。「性格」という言葉とおなじように,「勤勉性」という言葉にも,強い,そして必ずしもよい意味でない連想が働く。「研究者というのは自分が価値を置くものについて研究をしたがるものです」とロバーツはわたしにいった。「勤勉性を高く評価するのは知識人でも学者でもない。リベラルでもない。宗教色の濃い保守派で,社会はもっと管理されるべきだと思っている人々です」(ロバーツによれば心理学者が好んで研究するのは「未知のことに対する開放性」だそうである。「開放性はクールですからね」と彼は少しばかり悲しそうにいっていた。「独創力についての研究だから。それに,リベラルのイデオロギーともいちばん強い結びつきがある。パーソナリティ心理学の世界にいる人間はほとんどがリベラルなんですよ。いってしまえばぼくもね。学者は自分たちのことを研究するのが好きなんです」)

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.120

簡単な助言

ミシェルの発見によれば,子供が時間を引き伸ばすために効果があるのはマシュマロについてちがう考え方ができるような簡単な助言があった場合だった。頭に浮かぶおやつが抽象的であるほど我慢できる時間も延びた。マシュマロを菓子ではなく丸くふくらんだ雲みたいなものと考えるように誘導された子供たちは,7分ほど長く我慢できた。本物のマシュマロを見ずに絵に描かれたマシュマロを見るよう勧められた子供もいた。彼らもまた比較的長く我慢することができた。本物のマシュマロを見てはいても,「絵みたいな額がついていると想像してごらん」と言われた子供たちもいて,やはり18分ほど待つことができた。

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.110-111

ミシェルのマシュマロ

ダックワースはウォルター・ミシェルと共同研究をはじめた。ミシェルはコロンビア大学の心理学の教授で,社会科学の研究者のあいだではいわゆるマシュマロ・テストの研究で有名である。1960年代後半,当時スタンフォード大学の教授だったミシェルは4歳児の自制心をテストする独創的な実験を考えだした。スタンフォードのキャンパスにある保育園で,子供をひとりずつ小さな部屋に連れていって机の前に座らせ,マシュマロなどのおやつをさしだす。机の上には呼び鈴がある。実験者は,これからちょっといなくなるけどわたしが戻ってきたらそのマシュマロを食べていいわよ,と告げる。そのとき,子供に選択肢を与える。マシュマロが食べたくなったら呼び鈴を鳴らせばいい。そうすれば実験者は部屋に戻り,子供はおやつを食べられる。ただし,実験者が自分から戻るまで呼び鈴を鳴らすことなく待てたらマシュマロはふたつもらえる。
 ミシェルは誘惑に抵抗するために子供たちがそれぞれに使う方法を研究するつもりでこの実験をおこなった。しかしその後10年以上が経ち,褒美を我慢する能力が子供たちの将来の成果とどう関連するかを調べはじめると,新たな側面が見えてきた。1981年の時点で見つけられたかぎりの生徒の追跡調査を実施したところ,マシュマロを我慢できた時間とその後の成績の相関には目をみはるものがあった。おやつを15分我慢できた子供たちの学力検査の得点平均は,ものの30秒で呼び鈴を鳴らした子供たちの平均を210点も上まわった。

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.109-110

知能じゃないところ

幼少期の支援こそが重要であるとする科学的根拠に異を唱えるのはむずかしい。子供の脳の健康的な発達において,最初の数年は非常に大切だ。子供の将来をよいものにするための唯一の機会のようにも見える。しかし感情,心理的,そして神経科学的な経路をターゲットとしたプログラムのいちばん有望なところは,子どもが成長してからでも十分に効果がある点だ——学力面のみの支援よりもはるかに効果が高い。知能指数だけを見るなら,8歳を過ぎたあたりからなかなか伸びなくなる。しかし実行機能や,ストレスに対処したり強い感情を抑制したりする能力は,思春期や成人期になってからでも——ときには劇的に——改善できる。

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.91

両極端

子供に対する親のかかわりの重要性を考えるとき,わたしたちはつい両極端に走る傾向がある。暴力を受けて育った子供は無視されたりやる気を挫かれたりしただけの子供よりはるかに苦労するだろうとか,特別な家庭教師や個人指導を山ほど受けさせるようなスーパーママの子供はふつうに愛されて育っただけの子供よりずっとうまくやるだろう,などと想像する。しかしブレアとエヴァンズの研究によって提示されているのは,たとえばジェンガをやっているあいだ手助けをしたり気遣いを示したりといった,ごくふつうの親のかかわり方が,子供の将来に大きく影響するという事実である。

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.70-71

子供時代の逆境による予測

回答を一覧にまとめたときにアンダとフェリッティがまず驚かされたのは,おおむね恵まれているこの層のなかにも子供時代のつらい思い出を持つ人が多いことだった。回答者の4分の1以上がアルコール依存症患者やドラッグ常習者のいる家庭で育ったと答えていた。子供のころに叩かれた,と答えた人数もほぼ同じ割合だった。アンダとフェリッティはこのデータを使ってそれぞれの子供時代の逆境(ACE)を数値化した。ひとつのカテゴリーにつき1点を加算していく。その結果,3分の2の人々に1点以上がつき,8人にひとりは4点以上がついた。
 ふたりがさらに驚いたのは,カイザー社が集めた該当登録者の膨大な医療履歴をACEの数値と比較したときだった。子供時代の逆境と成人してからのネガティブな結果のあいだには非常に深い相関関係があり「唖然とした」と,のちにアンダは書いている。さらに,この二者の関係は目をみはるほど直接的なものだった。ACEの数値が高ければ高いほど,成人後も常習行為から慢性疾患にいたるまでほぼすべての項目でより悪い結果が出ていた。アンダとフェリッティはデータから次々に棒グラフをつくったが,どれもおおよそおなじかたちになった。グラフの底辺,つまりX軸にはACEの数字をふり,Y軸には肥満,鬱,性行為開始年齢,喫煙歴などの項目をあてた。どの表でも一貫して,棒グラフは左(ACEの数値ゼロ)から右(とくに7以上)にいくにつれて確実に伸びた。ACEの数値が4以上の人々は子供時代に逆境がなかった人々にくらべて喫煙率は2倍,がんの診断を受けた率は2倍,心臓病は2倍,肝臓病も2倍,肺気腫や慢性気管支炎を患っている率は4倍だった。いくつかの表ではグラフの伸びがことに顕著だった。ACEの数値が6を超える成人は,ゼロの人々にくらべて自殺を試みたことのある割合が30倍にのぼった。そしてACEの数値が5を超える男性は,ゼロの男性にくらべて46倍という確率でドラッグを注射したことがあった。

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.40-41

簡単ではない

いくつかのスキルにかんして,知能至上主義の背後にある単純な計算——大事なのは早くはじめてたくさん練習することである——には確かに根拠がある。バスケットボールの試合でフリースローを落としたくなかったら,毎日の午後の練習で二百本のシュート練習をするほうが二十本しか練習しないよりもずっと上達する。たとえば4年生なら,夏のあいだに四十冊の本を読めば四冊しか読まないよりも読解能力は伸びるだろう。機械的に向上する技能もあるというのは事実だ。
 しかし人間の気質のもう少しデリケートな要素を伸ばすとなると,ものごとはそう単純ではない。長時間懸命に取り組んだからといって失望を乗りこえるのがうまくなったりはしない。充分に早いうちから好奇心のドリルをやらなかったからという理由で好奇心の足りない子供に育つわけでもない。このような気質を身につけたり失ったりする方法は決してランダムではない。心理学者や神経科学者たちは,ここ数十年のあいだこうした気質がどこから生じ,どうやって伸びるのかについて研究を重ねてきた。だがその方法は複雑で,非常に謎めいている。

ポール・タフ 高山真由美(訳) (2013). 成功する子 失敗する子:何が「その後の人生」を決めるのか 英治出版 pp.16-17

機能はわからない

ひとつわかりやすい例をあげてみたい。平泳ぎの北島康介選手を知らない人(たとえば火星人)が科学的に北島選手のカラダを解析して,筋肉の構造などを徹底的に科学的に理解しても,北島選手がいったいどのスポーツで金メダルを取ったのかはおそらくわからないと思うのだ。北島康介選手の肉体のすごさは,当然ながらその筋肉を研究すればある程度わかるだろう。そして,その筋肉を研究すればアスリートとして一流ということはわかるだろう。しかし,平泳ぎで世界一ということまではわからないはずだ。もちろんこれは推察にすぎないが,たぶんわからないだろうと思う。なぜなら,北島選手のすごさは物質としての筋肉にあるのではなく,それに支えられてはいるものの,それとは独立した「平泳ぎの泳ぎ方」であるからだ。北島選手の能力は物質に支えられているが,その本質は物質からはわからない。重要なのはメカニズムなのだ。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.189-190

脳科学的説明

たとえば脳科学的説明なし条件だと,
「(前略)この人間の特性は,他者の知識を利用しながら他者の視点に立つことができないという人間の認知のメカニズムで説明できる」
 という解説文を読んでもらった。
 一方で,これが脳科学的説明あり条件になると,
 「(前略)fMRIが示すところによると,この人間の特性は前頭前野を活性化させず,他者の知識を利用しながら他者の視点に立つことができない,という人間の認知のメカニズムによって説明できる」
 といった解説文を読んでもらった。これらの文を含む学術的な解説記事を被験者の一般の学生さんに評定させたのである。特記しておくべきこととしては,脳科学の説明は論理構造になんら付与しない,完全なる蛇足であったことである。論理学的には,脳科学的説明によって,その文章の論理性はまったく同じであり,脳科学の部分は意味的に無関係な加筆だったということである。それにも関わらず,脳科学的な加筆があると,被験者は説明の妥当性を過剰に高く見積もったのである。
 脳科学の説明があるほうが,説得された感じが強まるのだ。あなたも経験がないだろうか?テレビで育脳とか脳が活性化するというキーワードを耳にすると,なんとなく,なるほどなあ,そういうものなのだなぁとふと思ってしまったことがないだろうか?それがまさに,脳科学的説明の利点であり,危ない点なのだ。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.186-187

H.Mの海馬

だいぶ話がそれてしまったが,H.Mは海馬の大部分を手術で取り出したため,新しいことが覚えられなくなった,というのが心理学,脳科学などの分野では定説になっていた。1990年代にCTスキャン,MRIによってH.Mの脳を画像診断した結果,どうも海馬を除去したようだという点が繰り返し報告された。そのため,この症例を出してきて記憶には海馬が重要な役割を果たしているという論を展開するというのが,この20年の心理学,脳科学,認知科学界の常套的手法であった。
 2014年,『ネイチャー・コミュニケーション』という科学界最高峰の学術誌において,このH.Mを巡るストーリーに疑問が投げかけられた。2008年12月にH.Mは死去する。その後,彼の脳は大切に保管されていた。この保管された脳の切片から,アネセ(UCサンディエゴの放射線学の助教)らが脳の全体像を詳細に復元した。3Dコンピュータグラフィックスの技術を用いて,詳細に脳のどの部分が切除されていたかを明らかにした。すると,なんと海馬の大半は切除されずにH.Mの頭の中に残っていたことが明らかになったのである。1990年代のCTやMRIの精度はまだ粗く,解像度や位置情報の正確さに問題もあった。そのため,1990年代には海馬の消失程度が過分に見積もられていたようなのである。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.178

万能から自由に

万能という理想から離れて自由になることで,研究者としての適応度が逆に上がるということがある,という話がとにかくしたい。益川さんのように英語が苦手なら,英語が得意な人と共同で研究をすれば良いし,いまの時代,英語はお金さえ払えば書いてくる業者もある。これは,プログラムであっても同じである。プログラムを外部の会社に外注している研究者は結構な数いる。研究者を目指す上で,最初は誰しもが万能研究者を目指すべきだろう。だが,それで数年やってみて,それでも限界を感じることがあれば,そこですべてをあきらめるのではなく,できないことは捨てるという選択肢を取ると,研究者としてやっていける道が逆に開けるのだと個人的に強く信じている。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.173

限界を感じる

できないことは捨てるという戦略は,できないことにとらわれて時間を無駄に費やすよりも何倍も良いだろう。人は身体的能力についてはその限界をすぐに感じるのに対して,知的能力については,その限界をすぐに感じないようである(知能的限界を感じないことの良い例としては,○○学院,○○予備校のような「だれでも○○大学に入れる」信仰みたいなのもそのひとつだ。知的能力は身体的能力に比べて,その限界を感じにくいようなのだ。このあたりも研究テーマにできそうだ)。だから,万能研究者を目指し続ける人も多いのだが,それはすっぱりあきらめて,得意なところに特化した研究者になれればいいのではないかと思う。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.172-173

研究と教育

もう1点,教職について昔からふと思うことに,研究者として優れている先生は教育もうまいということがある。これは私以外の多くの研究者もそう思っているようである。教育だけうまい先生というものはあまりいないものであり,教育がうまい先生というのは,まず間違いなく研究もしっかりやっているものなのである。そういうわけで,教育と研究にはこの論文が指摘するような,相関関係ないしはなにがしかの因果関係をもっていることは充分に想像できる。若手研究者,ポスドクは積極的に授業,非常勤講師などをやると良いかもしれない。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.106

誰得?

知覚の基礎研究には,実は誰得?が多々ある。知覚の基礎研究の大切さは,すぐに人類の役に立つことのみではなく,とにかく人類全体としての知識の獲得,蓄積にもある。この研究は,いますぐに社会に利益を還元しろと言われても,正直むずかしいだろう。だが,どういった研究がどのタイミングで将来的に人類の役に立つかは,誰にもわからない。われわれ知覚の研究者はもちろん,社会に知見を還元して社会に役立つことをするべきだ。しかしそれだけでは駄目で,すぐには社会に還元できなくても人類全体にとっての知識の獲得,新しい知識の累積になるようなことを地道に研究する必要も同時にある。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.87

スナーク効果

いま,1から9までの数列を頭に浮かべてみてほしい。1は左端,9が右端になるような数列を浮かべる人が多いのではないだろうか。私たちは,数字の表象を脳の中,心の中に持っている。脳の中の数字は,空間の右に行くほど大きい数字(左に行くほど小さい数字)というものになっていると言われており,この数字の表象の特徴のことを指して,メンタルナンバーラインと呼ぶ。
 脳内にそういった数字の表象があるために,大きい数字に反応する際には右手,小さい数字に反応する際には左手で反応すると,その逆の組み合わせで数字に反応する場合よりも,ずっと早く反応ができる。このことを心理学の専門用語で「スナーク」効果と呼ぶ。これには文化がかなり貢献しているようで,数字にあまり触れていないアメリカ人の9歳以下の子どもではスナーク効果は起こらないとされているし,数列が欧米と逆で,右から左に数字を書いていくイラン人では反対方向のスナーク効果が起こるらしい。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.70

男性が…女性が…

男性として生きていると,この社会がいかに男性に有利にできているかについて,忘れてしまいがちだが,認知能力で男性優位といわれているものの中には,こういった社会的な圧力がかかわっているものが多々ある。社会的な圧力を自覚していないものが安易に,「女性のほうが左右の脳をつないでいる脳梁が大きくて,左右の脳の情報交換が活発だから女性のほうがおしゃべり好きであり,上手である!」というような言説を行うのは実は非常に危険なのである。
 実は脳梁の太さ,大きさに性差があるという見解も,科学的にそれを否定するデータもあるくらいであり,まだまだ確定した話として一般の人に広めることができるほど固まった話ではないのだ。実際,男女で脳梁の大きさに違いはないという報告が1997年にビショップらによってなされている。地図が読めない女性という認識も,ただ社会的な圧力が働いたせいで本来の能力を女性が発揮できていないだけである可能性があるのだ。

妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.58

優秀じゃなかったんだね

東大法学部とは(少なくとも当時は)人事に関しても特別のところである。最も優秀な学生は,教授が目をつけていて,大学院には進まずに,学部卒から直接助手に抜擢される。そして,2,3年で助手論文を書くのだが,それは本人にとって生涯で最良の論文であることが多く,学界を震撼させるほどのものであることさえ少なくない。だが,形式的に彼は博士号どころか修士号さえ持っていない。ただの法学士だけである。助手論文が評価されるとポストの空きがあれば20代後半にしてそのまま東大助教授に昇進するか,そうでなくとも旧帝国大学の助教授に就任する。そして,30代前半ですでに教授に昇進するのだ。この昇進の速さは驚異的である。文学部の場合,だいたい40歳で助教授,50歳で教授といったところであろう。語学においては,50代の後半でやっと教授になることも少なくない。
 東大法学部には優秀な人材が多いから,他の領域(例えば官僚や法曹界)に流れてしまうのを避けるため,こうした破格な昇進を約束すると聞いたことがある。確かに,私の学生時代,教官たちはこうした制度を潜り抜けて東大法学部に在職していたのであるから,ほとんど博士の称号を持っていなかった。だが,数人の博士号所有者があった。助手に抜擢されなかった者は,「仕方なく」大学院に進み,博士号を得てから「地方回り」をして戻ってくる。私が学生のころよくこんな噂をしていた。
 「○○教授は博士号を持っているよ,そんなに優秀じゃなかったんだね」

中島義道 (2014). 東大助手物語 新潮社 pp.53-54

大学院指導

合格者には,5段階ある。(1)博士論文審査資格者。(2)博士論文は(主査として)審査できないが,博士課程の講義は担当できる者。(3)博士課程の講義は担当できないが,修士論文は(主査として)審査できる者。(4)修士論文の審査は(主査として)できないが,修士課程の講義を担当できる者。(5)修士課程の講義も担当できない者。そして,(1)を「マル合教官」と呼び,教授名に◎の印をつける。
 この結果は,そのまま公表されはしないが,やがて博士課程の講義,そして博士論文の審査が始まる2年後には,いや,外部から博士課程を受験する者もいるので,受験要綱を公表する1年後には,学生も他の教員たちも,具体的に誰が博士論文を審査できるのか,さらにそれぞれの講義担当教官の名前を見て,誰が博士課程の講義担当に不合格になったのか,わかるのである。
 こうして,幾重もの偶然によって合否は決まるのであるが,不合格になった教員への風当たりは強く,「できれば,他の学科に移ってほしい」とか,「辞めてもらいたい」という声さえ聞こえてくるのであった。

中島義道 (2014). 東大助手物語 新潮社 pp.49-50

自信と精度は関係がない

自分の予測にどれほど自信があろうと,それはその人の真の予測能力の制度とはまるで関係がない——数々の実験がそれを裏づけている。つまり,相手の性格を見抜けるとどれほど自信満々でも,予測力の精度とはまったく無関係か,あるいは,関係があったとしてもごくわずかでしかない。これまでに誤った予測をしたことがあるから,自分は相手をまったく見抜けないとは,誰も思いたがらないのだ。だから,私も含めて誰もが,人には見込み程度の予測をする能力はあっても,確実な予測は立てられないのを科学が示していると胸に刻んでおく必要がある。そのことは,人に会って,手がかりを敏感に察知したと感じても,決して忘れてはならないのだ。

マシュー・ハーテンステイン 森嶋マリ(訳) (2014). 卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学 文藝春秋 pp.197

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