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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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メディアからの影響

 それなのに,私たちの頭の中には事実とまったく逆のイメージが焼き付いているのはなぜなのでしょうか。おそらくテレビ,新聞,週刊誌といったメディアが進化して,少年犯罪の報道がセンセーショナルに取り上げられ,人々の目と耳に届きやすくなった結果,私たちは犯罪数自体が多くなったと錯覚してしまっているのではないでしょうか。
 結局,私たちがまちのイメージを作り上げていく過程も同じで,こうしたメディアの影響から無縁ではいられないということは自覚しておくべきなのです。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 70

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医療費補助

 現在,医療費の自己負担分を市区町村が肩代わりするのは,国の方針と異なる上乗せをしたいという市区町村独自の制度なので,国からの補助がなく,都道府県からの補助を除いた部分は独自の財源からの持ち出しになります。したがって,小児医療助成が充実していればいるほどモラルハザードも広がって,本来,別の目的に使えるはずのお金が医療費に回って,別の施策に取り込む予算が不足するということが起こってしまうのです。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 42

認可外保育施設

 まず,一口に認可外保育施設といってもピンキリであるということをみなさんはご存じでしょうか。著者にいわせれば,そもそも「認可外」なんて呼び名をしている時点で,風評被害を起こしかねないひどい差別だなと思っています。だって,正規の許可がない「モグリの施設」であるかのような誤解を招きかねないですから(実際,世の中には「認可外」のことを「無許可」と呼ぶ人もいます)。
大原 瞠 (2018). 住みたいまちランキングの罠 光文社 pp. 21

一発逆転

 宝クジを購入する動機には,このような資産蓄積の仕組みが背景にある,と思われる。購入者にとって重要なのは,平均還付という仮想的な金額(期待値)ではなく,このような資産蓄積が不可能な状況下での生存中における「一発逆転の可能性」なのではないだろうか。つまり,不確実性下の選択というのは,各自の生きている社会の構造と不可分なのである。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 215

多数の商品メニュー

 貨幣を保有することは,将来手に入れることのできる「多数の商品メニュー」を手にしているのと同じである。もちろん,他にも多少融通の効く商品はある。デパートの商品券を保有すれば,デパートで売っている商品とは何でも交換できる。そういう意味では商品券も流動性を持っている。しかし,デパートにない商品とは交換するのが困難である。チケットショップで換金すればいいが,時間がかかるうえ,額面をディスカウントされてしまう。だから商品券の流動性は貨幣に比べて限定的なのである。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 207

フィードバック・メカニズム

 つまり,「倒産確率10%」は,それが人びとに知られたとたん,すでに正確さを欠いてしまうわけである。これは,「倒産確率10%」という告知内容が,自らの表現の内部にある「倒産確率」という概念に外側からフィードバックし,影響を与えるに等しい。「倒産確率」というのは,いわばフィードバック・メカニズムを持っているのである。
 したがって,「倒産確率」を当局が公表することは,そのこと自体が倒産確率を変化させるので,つねに嘘を述べることになってしまう。はじめから嘘となるのがわかったうえで公表するのは政治家として勇気のいることだろう。
 これは経済現象というのが,さまざまな要素が密接にリンクするかたちで成り立っているものであり,特定の部門だけに固有の言及をすることが難しいことに依存しているのだ。金融機関が予期できぬ破綻をするのは,このような経済現象の相互関連性と心理が確率を左右するメカニズムによるのであって,公表しなかった政治家を,「悪辣な卑怯者」呼ばわりするのは,少しお門違いだといえるのである。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 165-166

データに親しむ

 「データに親しむ」ということは,簡単にいえば,「人間社会や自然環境に関心を持つ」ということである。世の中には,いろいろな固有現象がある。法則や特徴がある。しかし,社会や自然をそのまま「生」で眺めていても,「なにかあるな」ぐらいにしか直感できない。そこでまず,「数字に直す」という作業が必要なのだ。まさに「データ化」の作業である。次の段階は,それらの数字に潜む特徴を引き出すことである。これがいわゆる「データ解析」。その初歩ができるようになるだけでも,世の中を見る眼の解像度はずいぶん変わるし,解像度が高まれば,見ること自体が楽しくて仕方ない,という風になる。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 79-80

マルチンゲール

 まず,ランダムウォークが「マルチンゲール」という数学的な性質を備えていることを理解するのは,たいへん有意義である。マルチンゲールというのは,「その確率現象が過去にたどってきた足取りをどんな風に利用して推進しても,未来に生起する数値の平均値はいま現在の数値そのものである」という性質のことだ。もっと簡単にいうと,「過去のデータをどんな風に利用しても,未来の自分の結果を有利にすることはできない」ということなのである。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 36

大数の法則

 まず,いいたいのは,賭けの勝利がどんなに奇跡的に見えても,大量の人間が参加しているならそれは(誰かの身の上には)必然的に起こる,ということだ。これは「大数の法則」の帰結である。「大数の法則」というのは,「同じ条件で,前の結果に依存せず次の結果が起きるような同一の確率現象は,膨大な数の試行が繰り返されると,確率どおりの頻度で結果が起きる」ということだ。たとえば,サイコロが正しく作られたものなら,膨大な回数投げるとどの目も均等に6分の1の頻度で出る,というのである。これは数学法則であり,定理として証明されているのだ。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 25

「上の空」でプレーする

 いわば「上の空」でプレーをしていることが,どうやら大試合のあとのインタビューでプロスポーツ選手が往々にしてあまり有益なことを語らない理由の一つのようだ。何をやったのか選手が語れないのは,自分たちもそれを知らず,神や母親に感謝するはめになっているからだ。こうしたスポーツ選手は,プレーの一部始終について考えていないときに最も力を発揮するので,自分の頭の中を探り直して,いま何をやったのか熟考するのは難しいのだ。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 288

属性を質問紙の裏へ

 会場にいる先生たちは感銘を受けたようだった。私の経験では,教育者は一般に共通テストをさほど好んでいない。多くの教師にとって,生徒がこうしたテストでどのくらい良い点数をとるかに自分の仕事がかかっている,となればなおさらだ。それだけの重圧がかかると,先生たちは試験に合わせて教えるようになり,生徒は全般的に限られたことしか学ばなくなり,テストにおける一度の成績がすべての人の成功を測る尺度としてのしかかるようになる。もし自分の教えたクラスの成績が,自らの指導力の尺度だと教師が感じていなければ,あるいはテストの成績が頭のよさを表すかのように生徒が感じていなければ,生徒はかえってテストでよりよい点数をとれるかもしれない。複数の視点から自分自身を考えるように生徒に仕向けさせることや,性別や人種,家庭の年収に関する情報を問う質問をテストの裏側に移動させることも効果がある。こうしたことはいずれも,テストが重視されすぎるのを防ぎ,一度の点数や成績が生徒の知能や自尊心,あるいは成功に向けた潜在能力を反映するという考えを忘れさせるためのものなのである。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 204-205

人種ステレオタイプ

 人種に関して報告しなかった場合は,白人と黒人の学生でGREの成績にはなんら違いがないことを研究者たちは発見した。ところが,テストの前に学生が人種を報告したときは,アフリカ系アメリカ人のほうが白人学生よりも悪い成績になった。学生に人種を明らかにさせたことで,彼らは「黒人は白人ほど知的ではない」というステレオタイプについて考えさせられたのだ。こう考えるだけで,知性が試される状況で黒人学生が実力を発揮できなくするのに充分なのだ。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 158

名前と学業

 フィリオによれば,多くの女の子が数学や科学を敬遠するようになる要因の一つは,彼女たちの名前くらい単純なものなのだ。女の子の名前が学業の道に影響をおよぼしうることに気づけば,数学と科学の成績における男女の格差に寄与するほかの微妙な要因も,すぐに探せるようになる。実際,ある環境にいる男女数の不均衡に気づくだけでも,女子生徒がその状況に身を置きたいと思うかどうかに影響するだろう。女子にたいする男子の割合が高ければ,女の子がそこに参加しようとする割合は少なくなる。このことは,その活動に女の子が関心をもっている場合でもやはり当てはまる。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 141-142

「数学ができない」

 高い能力のある女性が時分はどんな実行能力を発揮できるはずなのかを意識させられると,彼女たちはさらに多くのワーキングメモリーと脳の情動中枢を動員し,この情報を処理する。このような脳の情動中枢は,「女の子は数学ができない」という考えから生じる否定的な考えや不安を打ち消そうと活動し始めやすい。そして,重要なことは,数学における性差がこれらの女性たちの意識の前面にもちだされていない場合は,この同じ情動関連の脳領域がさほど活動していないという点である。通常であれば数学を解くことに専念できる知力が,代わりに不安を抑えることに向け直されると,受験者は数学問題を解くために頼れるものが少なくなり,結果的に実行能力にも影響がおよぶことになる。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 130

有利な場合

 どんな場合でも,頭脳馬力や意識的な集中が多いほうがよいという考えは,新しい言語を学習するうえでも,何百回と練習してきたパットを決める際にも,当てはまらないのである。むしろ,場合によっては,ワーキングメモリーを文字どおり完全に眠らせるほうがよい場合もある。急速眼球運動睡眠(レム睡眠)は前頭前皮質の活動が減り,感覚皮質のような脳領域が活発になることが特徴となっている。最近の研究では,レム睡眠のあと,人はばらばらに思われていた情報の関連がよりよくわかるようになることが証明されている。そうなる一つの理由は,ワーキングメモリーと前頭前皮質が活発に動かなくなると,一見,明らかでないつながりが形成されるからだ。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 99

ワーキングメモリの少なさの利点

 となると,新たな情報を得ること——パーティの部屋の奥で,自分のことが話題になっているのを知るようなこと——は,ときには頭脳馬力が少ないほうがうまく達成できる場合もあるのだ。もちろん,盗み聞きする能力は一般には優れた学力とは考えられていない。しかし,完全に注意を集中できないことは,教育や仕事の手配などで重要となる技能,たとえば言語を学ぶうえでは,実際に役立つものになる。ワーキングメモリーの少ない人(たとえば,注意欠陥・多動性障害,つまりADHDのように,ワーキングメモリーの欠如が大きな役割を占める障害を持つ人)は,能力を発揮する重要な場面でつねに不利になると一般には考えられている。しかし,これから述べるように,少ないほうが得である活動もあるのだ。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 93

注意のコントロール

 最も難しい情報に注意を傾け,さほど重要でないデータを無視することは,ワーキングメモリーの多い人が非常に得意なことだ。多くの場合,注意力をコントロールするこの能力は有利に働く。これは前述の二番目の論理的な問題では,確かに言える。結論が前提から論理的に導かれるかどうか正しく答えるために,「イルカは歩ける」という文の信憑性を無視しなければならないような場合だ。しかし,つねにそうであるわけではない。焦点が絞られることで,問題にたいする別の解決策を察知できなくなることもありうる。この狭い焦点は,身の回りの予期しない出来事に気づく能力を損なうことすらある。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 91

論理的思考

 次のような問題を例に考えてみよう。
 (1) 前提 哺乳類はすべて歩ける。犬は哺乳類である。
      結論 犬は歩ける。
 この結論は前提から論理的に導かれるだろうか?
 では,次の問題はどうだろうか?
 (2) 前提 哺乳類はすべて歩ける。イルカは哺乳類である。
      結論 イルカは歩ける。
 この結論は前提から論理的に導かれるだろうか?
 イルカは歩けない。しかし,双方の前提が正しいのであれば,答えはどちらも「はい」になるはずだ。
 このように出題されると,ほとんど誰もが最初の問題は正しいと答える。最初の問題では,前提から得られる結論が論理的であり(二つの前提からそのような結果になる),かつ信じうる(実際,犬が歩けることを私たちは知っている)からだ。ところが,二番目の問題では,うまく対処できる人とそうでない人がでてくる。なぜだろうか?二番目の問題は論理的な思考のプロセスが必要となるだけでなく,結論の信憑性に関して情報を制限することが必要となる。意思決定の過程にひそかに入ってくる情報だ。このような論理的作業をうまくこなせるかどうかを予測するものとして知られる認知能力の一つが,ワーキングメモリーなのである。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 84-85

相対的年齢効果

 学校でもやはり年齢による効果はある。数の保存と呼ばれる概念を子どもが把握しているということは,手短に言えば,一つのまとまりの中にある物体の数は,その個数には無関係の変化——物体の位置をただ変えたりしても——があっても,同じであり続けるという事実を子供が理解していることで,そこにも相対的年齢効果は見られる。学年のなかで月齢が上の子供は,教室外で数の保存について学ぶ時間がより多くあるだけでなく,注意力や記憶(数を理解するうえで必要な能力)のような認知能力も年齢とともに増す。相対的に年上の子供は,教室以外の日常で学ぶものが多く,脳もより発達しているので有利であり,そのため教室で学ぶことが実際に身につくのだ。こうした年上の子供がより「賢い」とか「頭がいい」と識別されるのであれば,相対的年齢は同年齢の仲間のなかで目立つために役立つかもしれない。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 67-68

資源の補充

 ワーキングメモリーを存分に活用しなければならない作業があるときには,がむしゃらに進まずに一歩離れてみることが,それをうまくやりとげるための鍵となるだろう。一歩離れることは,ストレスの多い仕事を終えたすぐあとに浮上してきた問題に取り組むときも,やはり欠かせないものとなる。困難な任務をこなす能力は,ちょうど運動すると筋肉が疲労するように,時間とともに衰える。それどころか,グルコース(脳細胞を含めた,体細胞のためのエネルギーの主要な供給源)は,難しい思考や推理作業をつづけて行っていると枯渇していく。休憩をとって資源を補充しなければ,次に何をするにせよ影響がおよぶことになるだろう。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 42

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