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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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TOSS

TOSSは教育技術の法則化運動(Teacher’s Organization of Skill Sharing)の略で教育研究家・向山洋一氏が主催する団体である。TOSSの特徴は教育内容のマニュアル化で小学校・中学校・高等学校などの教師が多数参加してその授業例を用いている。
 しかし,その教材には「江戸しぐさ」の他にも,独自の「脳科学」に基づく家庭教育である「親学」,水に声をかけて凍らせると,言葉の美醜によって結晶の美醜が変わるという「水からの伝言」,意識の持ちようでホルモン分泌を操作し健康を増進するという「脳内革命」,特定の微生物を組み合わせることであらゆる汚染に対応できるというEM(有用微生物群),70年代の古代史ブームで注目されたが考古学的にはすでに否定されている縄文人南米渡来説など,科学的には怪しいものが目白押しである。
 授業例では,それらについて子供たちは否定的情報を与えられず,教師が示す「証拠」に基づいて「自分で考え」,あらかじめ定められた結論にいたるという体験をくりかえすことで教育効果を上げることが示されている。
 この団体の機関紙には,安倍首相をはじめとする自民党政治家のインタビューがしばしば掲載されており,TOSSのイベントではそれらの政治家の応援メッセージも寄せられている。

原田 実 (2014). 江戸しぐさの正体:教育をむしばむ偽りの伝統 星海社 pp.152-153
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江戸以外の反映

「江戸しぐさ」の作者は,どうも江戸期の風俗をまともに調べて創作することをしていないのではないか,と思えてくる。
 そして,むしろそれらは,昭和初期の食生活の反映と考えたほうが理解しやすいのである(中には「江戸ソップ」のように平成初期のものまである)。

原田 実 (2014). 江戸しぐさの正体:教育をむしばむ偽りの伝統 星海社 pp.93-94

煙草好きの江戸時代

ツンベルクの『江戸参府随行記』にも,日本人が男女問わず煙草好きで,訪問客があれば,まず煙草盆がその客人の前に置かれることを記している。
 茶道でも煙草盆に関する細かい作法があるし,特に多くの客がいる大寄せの茶会では,正客(主賓)の前にあらかじめ煙草盆を置くものとされている。また,茶道用の煙草盆はセットで売られることが多いが,これは本格的な茶会では煙草盆を複数準備しなければならないからである。つまり,客の数だけ揃える必要があるのだ。
 要するに,店などで客の前に灰皿にあたるものがなければ,吸ってはいけないと心得るどころか,店の側の無作法が問われてもおかしくなかったのである。
 長い江戸時代の間には,幕府が幾度か煙草禁止令を出した例もある。しかし,それは煙草嫌いの人に配慮しろというものではなく,嗜好品としての煙草を贅沢とみなして倹約奨励の目的で禁じるものだった。
 また,幾度も出されたということ自体,その禁止令に実行力はなく,江戸の大方の人々は煙草好きであり続けたことを示している。

原田 実 (2014). 江戸しぐさの正体:教育をむしばむ偽りの伝統 星海社 pp.72-73

江戸時代の良さも

「江戸しぐさ」は盛んに江戸時代を称揚するが,それらはいずれも現代的な常識に彩られたものとしてである。
 しかし考えてみれば,今とは異なる論理で動いていた江戸時代の良さというものは,やはり現代の常識では計りきれないところにあると考えるべきである。
 つまり,現代人の常識を江戸時代に求めようとする人は結局,江戸時代の良さもわかっていないのである。

原田 実 (2014). 江戸しぐさの正体:教育をむしばむ偽りの伝統 星海社 pp.57

軍事演習的発想

なぜ,「江戸しぐさ」では同時に進むことにこだわるのだろうか。
 私には,これらのしぐさの背景には,狭い通路で相手に道を譲る,あるいは相手から譲られることを受け入れるだけの余裕がない状況があるように思われる。
 明治39年(1906)に出された『各個教練歩哨及斥候勤務教授法』(海軍砲術練習所編)という海軍兵士訓練用の教本には,「横歩」という項目がある。それは,「右(左)足を運ぶ時,膝を屈することなくまた左(右)踵を打つごとく行進せしむ」訓練だという。つまりは蟹のような横歩きである。
 海軍では,艦船の狭い通路を複数の兵士が動く必要から,体を横にしてすれちがう訓練は必須だった。太平洋戦争開戦前夜の世相において,軍港の街・横浜の小学校で軍事演習まがいの授業があったとしてもおかしくはない。「蟹歩き」の起源が海軍の教練内容にある可能性は高い。
 さらにいえば,狭い通路で同時にすりぬけたがる「江戸しぐさ」そのものが,海軍演習的な発想の延長線上にあるとみてよさそうである。

原田 実 (2014). 江戸しぐさの正体:教育をむしばむ偽りの伝統 星海社 pp.46-47

80歳以降

60歳代では,体力も気力も充実しています。社会的にも一定の立場になっている方が多く,50歳代のころよりもむしろ自信があるくらいで,引退前後の時期は非常に充実しているともいえます。
 ところが,70歳代になると,体力の低下を本格的に感じはじめ,今までできていたことができなくなってきます。人生ではじめて「できない私」に直面し,自分の衰えに不安を感じる人もいます。いよいよ老いが迫ってきたことを感じます。
 老いる自分をどうコントロールできるのかわからず,悩む方もいらっしゃいます。死についての意識が高まってくる方もいます。体の変化が起こり,様々な悩みや葛藤が起こるという点で,思春期のように悩みの深い時期と私は感じています。
 「できる自分」を取り戻そうとしてたいへん頑張る人もいますが,それでもなかなか「できる自分」は取り戻せません。SOC(補償を伴う選択的最適化)のような方略で,別のやり方を考案して補っていき,「できない自分」を減らしていこうとする方もいます。70歳代の時期をどう乗り切るかは,とても大きな課題だろうと思います。
 そうした悩みと葛藤の中で,ある程度の体の状態を維持し,心理的にも老いとの折り合いを付けていき,80歳を迎えます。
 そこから先は,10年,20年と時間をかけて老年的超越が高まっていく時期になります。できないことに対するこだわりはなくなって,「できないんだったら,できないでいいじゃないの」という気持ちになり,「まだ自分にはこんなことができる」「あんなこともできる」と,できる自分を再発見して,ポジティブな気持ちが生まれる状態になっていくようです。
 これまでの研究からは特段の努力をしなくても,加齢とともに,自然に穏やかなポジティブな心理状態になっていき,ありのままに自分の人生を受け止められるようになると考えられます。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.176-178

誠実性

長寿と一番関係が深いと考えられているのは「誠実性」です。「誠実性」というのは,几帳面で仕事が丁寧である,約束や人の期待を裏切らない,目標達成のために頑張る,仕事を最後までやり遂げる,犯罪に走らない,危険なものを求めない,といった性格傾向です。またこのような性格の人は自分に対する自信を持っていて,有能感も高い人が多いです。
 誠実性の高い人は,健康行動をまじめに行います。運動習慣があり,食事を食べ過ぎず,過度な飲酒をしない,タバコを吸わないといった行動をとります。また,自己統制力が高く,規則正しく生活し,三食を食べ,早寝早起きを継続的に行える人が多いようです。病気になった場合でも,医師の助言をよく聞き,処方された薬をきちんと飲み続けることができるといわれています。ですから,結果的に長生きができると考えられています。
 研究としては,児童期から前期高齢期までを対象としたフリードマン(アメリカの心理学者)らの研究,70歳代・80歳代を対象としたウィルソン(アメリカの心理学者)らの研究があり,いずれも誠実性が低いほうが早く死亡する傾向があることが示されています。日本の高齢者でも同じ結果が示されています。
 よく「長生きの秘訣」といわれますが,多くの人はどうしたら長生きできるかということをだいたいわかっています。運動したほうがいいし,食べ過ぎないほうがいい。わかっているけれどもなかなかできないものです。誠実性の高い人は,わかっていることをきちんと,継続的に実行します。その結果長生きする傾向が出てくるということです。わかっていることを実行できるかできないかが性格によって左右されます。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.154-155

老年的超越

老年的超越のデータを調べてみますと,ありのままに受け止めるなどの老年的超越と一番相関が強いのは「年齢」です。年齢が高いほど老年的超越が高く,年齢が若くなると老年的超越が低くなります。
 その他にも様々な変数との相関を調べているのですが,「年齢」ほど強い相関を持つものが見つかりません。性格や,健康状態,生活環境などとの関係も調べていますが,年齢のほうが相関が高くなっています。
 前述したように,離れて暮らしている子供がいると老年的超越は少し上がります。また,体が衰えてくると老年的超越は少し上がります。ですが,相対的に影響力が大きいのが年齢です。年齢が上がると,老年的超越は上がります。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.111-112

出来事と感情の遊離

超高齢者の幸福度を調べるために,私たちはインタビューで次の3つの側面をお聞きしました。
 1つ目は老いに対する価値判断。歳を取っていくことをどのように受け止めているか。今の状況をどう受け止めているのかということです。
 2つ目は孤独感の有無。孤独を感じていないかどうかです。
 3つ目は感情の安定性。感情が安定しているか,嫌な感情を感じていないかという点です。
 1番目の価値判断については,老いを良いものだとは思っていない方が大半です。「年を取って,役に立たなくなったと思うよ」と多くの方がおっしゃいます。「去年より体は悪くなったよ」という方もいます。
 2番目の孤独感の有無では,孤独であることはわかっている,という結果が出てきます。「子供なんて全然来ないし,孫にもずっと会っていない」という方は少なくありません。
 ところが,3番目の感情の安定性に関していうと,感情はとても安定しているのです。嫌な感情をたくさん感じているかというと,そんなこともありません。
 「歳を取って役に立たなくなった,子供や孫にも会えない。だけど,嫌な気分はほとんどない。気持ちは落ち着いている。いいことがあるわけではないけれど,とても幸せな気分だよ」という感じです。
 若い人の心理というのは,出来事と感情が密接に結びついています。「いいことあがあったから幸せ」「嫌なことがたくさんあったから不幸」というのが一般的です。
 しかし,出来事と感情というのは,本来は原因と結果の関係ではありません。随伴するものではありますが,因果関係というわけではありません。超高齢の方と接すると,そういう本質的なことを思い起こさせてもらえます。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.91-92

ポジティブ・エフェクト

自分の人生が限りのあるものだとの認識がなされてくると,ポジティブな感情を生むために,いっそう選択的に行動するとされています。社会情動的選択理論では,残りの寿命を意識するとなぜポジティブになるのかという詳しい説明はなされていませんが,そのような前提で論をすすめています。
 この理論のなかに,ポジティピティ・エフェクトというものがあり,本当にそれがあるのかないのか議論が続いています。ポジティピティ・エフェクトとは,高齢者は行動だけではなく,知的な判断過程でも,ネガティブなものを排除し,ポジティブなものを選択する傾向がある,というものです。
 単純な実験なのですが,いろいろな画像を見せて調べてみると,高齢者はポジティブな画像のほうが,ネガティブな画像より認知しやすいということを示す研究もあります。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.90

第9段階

エリクソンが8段階の心理社会的発達段階を提唱した1950年代とは社会状況は大きく変わりました。1990年代にはエリクソン自身も90歳近い年齢になっており,彼は第9段階というものを想定し始めたようです。
 第8段階までは整合性のとれた,統合された世界観です。最後の最後に1つのジグソーパズルが完成するように人生が作られていくというストーリーになっています。
 しかし,80歳を過ぎて心身の機能が衰えて,寝たきりのような状態になったとしたら,きれいに完成された世界は意味がなくなるのではないか,という考えに至ったようです。自身も80歳を過ぎ,人生には第8段階に続く新たな段階があるということに思い至ったのだろうと思います。それが第9段階のアイデアです。
 この第9段階にあたる80歳から90歳以上では,身体機能や健康状態は大きく悪化し,同年代の知人や友人の死亡により社会的ネットワークも非常に小さくなっていきます。たとえ,第8段階において統合性を達成した者であっても,新たな絶望に見舞われると予想したのです。
 一方,エリクソンはこの重篤な危機は,自分と自分を取り巻く人や環境に対する基本的信頼感をもう一度獲得すること,また,トルンスタムが提唱した老年的超越の獲得により乗り越えることができるのではないかという予測もしています。
 平均寿命が80歳の時代には,第8段階からさらに10年,20年と生きることになります。第8段階が必ずしも最終段階ではなくなったのです。エリクソンの妻のジョアン・エリクソンが,第9段階について整理をして,夫の死後に発表しています。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.87-88

ジグソーパズルのピース

西洋の人がよく使う言葉は「ジグソーパズル」です。統合の感覚というのはジグソーパズルを完成させるようなものです。1つひとつのピースを見ると,何の絵なのかわからないけれども,全体を並べてみると,最終的にある絵が浮かび上がってきて,「ああ,これが私の人生だったんだ」という感覚に至るそうです。それが統合性という概念の感覚になります。
 日本人にはわかりにくいかもしれませんが,西洋の人たちは,矛盾や混乱のない一貫したものを求めていますので,人生に対する考え方にもそれが反映されています。
 最終的に「私の人生にはいろいろな出来事が起こった。うれしかったこともあるし,つらかったこと,苦しかったこともある。それらはすべて今につながる意味を持っていた。振り返ってみると,私の人生はとても意味のあるものだった」という感覚を持てるようになることが,人生の大きな目標と考えられています。人生の最終目標である「統合された自我」を目指して,乳児期からの8段階の発達段階を経てきたということです。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.83-84

フォースエイジ

SOC理論を提唱したバルテスは,高齢期の心理発達に関しても理論を打ち立てています。バルテスは,80歳とか85歳以上の超高齢群の方々の年代を「フォースエイジ」と呼んでいます。フォースエイジとは,4番目の年代という意味です。
 ファーストエイジ(1番目の年代)が誕生から就職前までの段階,セカンドエイジ(2番目の年代)が就職後から退職までの働いている年代,サードエイジ(3番目の年代)が退職後の高齢期です。それに続く超高齢期がフォースエイジ(4番目の年代)です。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.73

SOC

様々な面で,若い時との違いが出てくる中で,環境の変化にうまく適応していくためには,若いときとは異なる新しい方略が必要になります。これをうまく説明したのがバルテスの提唱したSOC理論です。
 人生の中では獲得するものと喪失するものがあり,それらが相互作用して発達していきます。高齢になると,様々な機能が低下し,できないことが増えていき,喪失が増えていきます。しかし,一方的に失われるばかりではなく,高齢になっても獲得するものもあります。両者を相互に織りなしながら年齢を重ねていくというのがバルテスの考え方です。
 しかし,加齢とともに喪失が増えていくことは確かですから,若いころのように「これもしたい」「あれもしたい」と思わないで,一定の喪失(ロス)を前提に環境への適応の仕方を見つけていこうというロス・ベースの考え方を基盤としています。
 ロスを前提とした方略の1つがSOC(補償を伴う選択的最適化,selective optimization with compensation)です。SOCは,選択(selection),最適化(optimization),補償(compensation)の頭文字を取ったものです。SOC理論は,能力や環境の変化に対して,どのように生活をマネジメントし,適応を果たしていくかという方略を示しています。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.55-56

世代による経験差

たとえば,知能テストなどをしてみると,世代の違いが如実に表れます。現在の90歳代の方たちには,知能テストというものを一度もやったことがなく,見たこともないという方がたくさんいらっしゃいます。そういう方に知能テストをしてもらうと,何を求められているのかを理解するのに時間がかかり,点数が低くなることがあります。
 それに対して,70歳代の方たちは知能テストを見たことがあり,テスト慣れしているためか,問題を読むとササッと回答する方が増えます。
 両者を比較したときに,70歳代のほうが90歳代よりも知能が高いといえるのか,それとも単にテスト慣れしているだけなのかの判断はとても難しくなります。世代の違う集団は,単に点数だけを比較してもわからないことがあるため,同じ集団を長期間にわたって追いかけていって調査する縦断的研究というものが必要になります。加齢による心理の変化を探り出していくことは,何十年単位での時間がかかる難しい作業なのです。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.51-52

活動理論と離脱理論

世界と日本の高齢者心理学の歴史をざっと見ましたが,大きなテーマに「高齢者がどう生きると幸せなのか」というものがあります。1960年代から70年代にかけて,大きく分けると2つの流れができ,論争が続きました。
 1つは「活動理論」,もう1つは「離脱理論」です。
 「活動理論(アクティビティ・セオリー)」というのは,高齢者になっても若いころの活動をそのまま維持して,活動的に積極的に生活するほうが幸せであるという考え方です。いわゆる「生涯現役」の考え方です。
 それに対して,「離脱理論(ディスエンゲージメント・セオリー)」は,若いころよりも活動能力が落ちるのだから,社会から少しずつ引退し,離脱していって,若いころの生活とは違う穏やかな生き方をするほうが幸せであるという考え方です。
 1960年代以降に,活動理論と離脱理論の双方の研究者が多くのデータを出して,「こちらの生き方のほうが幸せだ」「いや,ことらのほうがより幸せだ」という論争が続きました。
 1980年代の半ばごろになると,論争は活動理論のほうが優勢になっていきました。新たな理論として,ロウらが「サクセスフル・エイジング(幸福な老い)」という考え方を提唱しました。
 サクセスフル・エイジングは,高齢期のより幸福な生き方を目指すものですが,健康状態をなるべく保ち,社会貢献的な活動を維持することが幸せな老いにつながるという考え方で,活動理論と根を同じくする考え方です。このサクセスフル・エイジングの考えは,アメリカ人の価値観にとても合っており,欧米で非常に普及していきました。
 このように1980年代になると離脱理論よりも活動理論のほうがさらに優勢となり,「活動理論のほうが高齢者にとって幸せだろう」ということで論争が落ち着いていきました。
 1980年代頃までには,医療もかなり発達し,病気を予防し健康を増進できるようになり,現役として活動できる年齢を伸ばせるようになりました。その結果,「生涯現役」が多くの人の目標になり,「何歳になっても社会参加して活動を続けよう」と考える人が主流になっていきました。アメリカでは,「プロダクティブ・エイジング」や「アクティブ・エイジング」などの様々な言葉が出てきています。
 こうして活動理論的な考え方はいわば当たり前のものになりました。「生涯現役を目指すんだ」という人が非常に増えていったのが,1980年代から2000年くらいまでの流れです。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.45-47

ポジティブな時期

70歳くらいになると,昔できたことができなくなって,「あれもできなくなった」「これもできなくなった」と感じ,できない自分に直面するようになります。それをきっかけに,衰えた自分に対してネガティブな感情を持つことも多く,落ち込んでうつ的になる方もいます。
 しかし,それを超えて90歳,100歳になった方は,何か1つでもできることを見つけると,「まだ,これができる」と感じるようです。新しいことができるようになると「こんなことができるようになった」と喜びます。
 「これしかできなくなった」という言葉はあまり出てきません。本当に小さなことであっても,「自分はまだこれができます。それが今楽しい」というふうにおっしゃいます。長生きされた方はそんな境地になるようです。
 どうしてこんなになんでもポジティブに受け止められるのかとほんとうに不思議なほどです。穏やかでポジティブなので,お話ししていてこちらが気持ちがよくなります。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.33-34

超高齢期

超高齢の方たちは,医学的には健康状態とはいえない状態でも,自分の健康状態が悪いとは感じない方が多いようです。健康状態が良いわけではないのに,「ここまで長生きできたんだし,健康状態は悪くない」と考える人がたくさんいます。
 高齢者心理学の分野では,高齢になるほど,病気になる人は増えるのですが,自己評価の健康度は若い人とほとんど変わらないことが知られています。

増井幸恵 (2014). 話が長くなるお年寄りには理由がある:「老年的超越」の心理学 PHP研究所 pp.28

バートの追悼文

権威ある科学雑誌『ネイチャー』は知能の研究で知られる心理学者のシリル・バートに追悼文を頼んだ。10月28日に彼はフロイトの「大胆な憶測とさらに大胆にそれを表現したものは,当初反発を招いた」が,第一次世界大戦の外傷体験によって「リヴァース,マイヤーズ,マクドゥーガルなどの研究者は,フロイトが進めた新しい教義には重要な真実の礎があることをすぐに納得するようになった」と記した。

デヴィッド・コーエン 高砂美樹(訳) (2014). フロイトの脱出 みすず書房 pp.355

フロイト ロンドン

しかしながら,フロイトはまだ完全にナチスの手を逃れたわけではなかった。彼が言うように,ナチスは彼から「血を出させ」続けた。7月18日にナチの外貨局は,フロイトにオランダの通貨ギルダーで保管されているスイスの銀行口座を引き渡すように指示してきた。従わないとウィーンに残っている4人の妹たちがひどい目にあうかもしれないので,彼は指示に従った。この口座は結局,7月31日に閉じられたので,ナチスはさらに彼からお金をとったことになる。金はいつものように弁護士のインドラ博士によって彼らに送られた。だが,まだ少なくともザウアーヴァルトの助けを借りて秘密にしていた口座が1つと,ギリシア大使館によってこっそりと持ち出された金塊があった。フロイトはメアスフィールド・ガーデンズ20番地の家を6千ポンドで購入する手はずを整えていたので,なにか資金があったことになる。マリーからはお金を借りなかった。ザウアーヴァルトの見積ではフロイトの資産は200万シリングがいいところである。ロンドンの不動産の値段の歴史に理解のある地元の不動産鑑定士であれば,フロイトは新居にお金を払い過ぎたと思うだろう。それよりも注目すべきことに,フロイトはバークレイズ銀行から不動産抵当貸付を得ることができた。そのような保守的な時代の82歳の人間にとってはすごいことである。
 郵便局員が「フロイト,ロンドン」と宛名があるだけで,どこに配達すればいいのかわかると言っていたほど,フロイトはたくさんの手紙を受け取っており,「一異邦人にとって驚かざるをえないほど頻繁に別種の書状も届いたが,それらは私の魂を救済せんとするもの,私にキリスト教の道を教示せんとするもの」であって,こうした「善良な人びと」は人生の最後に,彼をキリスト教徒にしたかったのだろう。

デヴィッド・コーエン 高砂美樹(訳) (2014). フロイトの脱出 みすず書房 pp.316-317

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