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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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流行り

すでに説明したように,筆者は神経・筋肉研究分野の「古典的」生理学が,「遺伝子研究」に学問の主流の地位を譲る変動期にめぐり合わせた。当時筆者が最も苦々しく思ったのは,この『ネイチャー』誌の態度であった。
 筆者はこの雑誌に時々論文を発表していたが,ある時,投稿した論文を「筋肉研究者は数が少なく,したがってこれに関する論文は大多数の読者に注目されないので掲載できない」との理由で,論文審査なしに編集者によって却下されたのである。
 筆者の国外の友人たちも,みな,同じ目にあい,「『ネイチャー』は筋肉の論文をもはや受け付けないそうだ」との噂がひろまり,彼らは『ネイチャー』を論文発表の際,考慮の外に置くようになった。
 ノーベル生理学・医学賞受賞者のハクスレー氏は,筆者と30年にわたり親交があったが,やはり同じ理由で,論文掲載を拒否され,筆者の自宅を訪問された際,「Nature is no longer useful!」(『ネイチャー』誌はもう役に立たない!)と憤懣を述べられた。
 このように,一般に絶大な権威と信用があると見なされている『ネイチャー』誌の正体は,現在流行の,したがって研究者数も圧倒的に多い学問分野の論文を恣意的に優先して掲載することによって購読者数を増やし,利益を増大させる商業誌,つまりビジネスに過ぎないのである。

杉 晴夫 (2014). 論文捏造はなぜ起きたのか? 光文社 pp.35-36
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強い人

受刑者に「『強い人』とはどんな人でしょうか」と質問すると,たいてい「我慢できる人」「自分の信念を貫ける人」「最後まで粘り強くやり遂げる人」といった答えが返ってきます。しかし,「我慢できること」は大切ですが,それだけだと爆発してしまいます。「自分の信念を貫けること」も大切ですが,別の見方をすると,他者の意見を聞こうとしない頑固な性格とも言えます。「最後まで粘り強くやり遂げる」はりっぱなことではありますが,人の援助を求めないで何事も自分1人で抱え込んでしまう危うさがあります。一般的には肯定される価値観も,角度を変えてみると,問題となる側面があるものです。要するに,絶対的に正しい価値観や絶対的に誤った価値観など存在しないということです。物事は見方を変えれば,長所にも短所にもなるということです。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.207

価値観から不快感へ

いじめが起きる原因を一言で言い表すことはできませんが,いじめが起きる背景には,私たちの心の中に正しいと思って刷り込まれている価値観があることを見逃してはいけません。すなわち,先に述べた「我慢できること」「1人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」といった価値観が「いじめ」を引き起こす原因にもなっているのです。
 具体的に言うと,「我慢できること」という価値観を強く刷り込まれた者は,「我慢できない人」を見ると,その人の我慢できない態度が許せなくなります。「1人で頑張ること」が大切だと叩き込まれた者は,「1人で頑張れず途中であきらめてしまう人」や「他人にすぐに助けを求める人」を目にするとイライラします。「弱音を吐いてはいけない」と言われた者は,すぐに泣きごとを言う人を許せなくなります。「人に迷惑をかけないこと」が当たり前と思っている人は,「人に迷惑をかけられる人(=人に甘えられる人)」を見ると,腹が立ってくるのです。相手に対して抱く不快感は,自分の心のなかに植え付けられた価値観が原因となっているのです。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.158

反省文の書き方講座

刑務所で面接をしていると,少年院に入っていたときにロールレタリングを書いた経験のある受刑者に数多く出会います。彼らの口から,「そんなものを書いた記憶がある。とりあえず反省文を書いておけばいいのだろう」という言葉が出るたび,「やっぱりな」との思いを抱きます。ロールレタリングが「反省文の書き方講座」になっているのです。ロールレタリングは嫌な感情や思いを吐き出して「心の整理」をする技法なのに,これでは本末転倒と言わざるを得ません。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.106-107

内面を考えよ

反省させるだけだと,なぜ自分が問題を起こしたのかを考えることになりません。言い換えれば,反省は,自分の内面と向きあう機会(チャンス)を奪っているのです。問題を起こすに至るには,必ずその人なりの「理由」があります。その理由にじっくり耳を傾けることによって,その人は次第に自分の内面の問題に気づくことになるのです。この場合の「内面の問題に気づく」ための方法は,「相手のことを考えること」ではありません。親や周囲の者がどんなに嫌な思いをしたのかを考えさせることは,確かに必要なことではありますが,結局はただ反省するだけの結果を招くだけです。私たちは,問題行動を起こした者に対して,「相手や周囲の者の気持ちも考えろ」と言って叱責しがちですが,最初の段階では「なぜそんなことをしたのか,自分の内面を考えてみよう」と促すべきです。問題行動を起こした時こそ,自分のことを考えるチャンスを与えるべきです。周囲の迷惑を考えさせて反省させる方法は,そのチャンスを奪います。「しんどさ」はさらに抑圧されていき,最後に爆発,すなわち犯罪行為に至るのです。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.76

反省慣れている

しかし,皆が見事に「りっぱな反省文」を書いてくることは,ちょっと恐くないでしょうか。「りっぱな反省文」が書けるということは,普段から学生は叱られることに慣れていて,しっかり反省させられているということです。ということは,「りっぱな反省文」が生まれる原点は,家庭でのしつけや教育にあるということです。悪いことをしたら,しっかりと反省させるしつけや教育が行き届いているのです。こうしたしつけや教育が,実は犯罪者を作り出す要因にもなっているのです。そうすると,私たちはしつけや教育のあり方を根本から見なおさないといけないことになります。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.75

反省文はお手軽な方法

とはいえ,未成年にとって,万引きはもちろん,飲酒や喫煙は違法行為です。したがって,罰を受けることは避けられません。言いたいことは,罰を与える前に,問題行動は「必要行動」と捉え直しをする視点を持って,「手厚いケア」をしてほしいということです。ケアをしないで,ただ反省させるだけの方法は,最悪の場合,犯罪者になるということです。少なくとも,問題行動が起きた直後の「反省文」はまったく意味がありません。意味がないどころか,さらに抑圧を強めて,大きな犯罪行動に至るリスクを高めます。
 しかしながら,中学や高校だけでなく,およそ学校と名の付くところでは,今でも問題行動が起きたときには反省文を書かせているでしょう。反省文は,ある意味,「お手軽」な方法であるとともに,「りっぱな反省文」を読めば誰もが納得するからです。しかし,それでは問題を悪い形で先送りさせているだけです。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.69

反省させてはいけない

それでは,どうすればいいのでしょうか。方法は1つしかありません。反省させてはいけないのです。被害者に対して不満があるのであれば,まずはその不満を語らせるのです。不満を語るなかで,なぜ殺害しなければならなかったのか,自分自身にどういった内面の問題があるのかが少しずつみえてきます。一見,非常識なことをしていると受け止められるかもしれませんが,本音を語らないかぎり,受刑者は自分の内面と向きあうことはできません。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.38

時間がかかる

誤解がないように言っておきますが,私は何も被告人に対して「反省しなくていい」と言っているわけではありません。言いたいのは,裁判という,まだ何の矯正教育も施されていない段階では,ほとんどの被告人は反省できるものではないということです。人間の心理として,反省する気持ちになれない状況において,目に見えない「人間の心」を判決や量刑を決めるための条件にすることには無理があります。被告人が犯罪を起こした事実が間違いないのであれば,客観的事実に基づいて,淡々と判決や量刑を決めるしかありません。なぜなら,裁判という場でどんなに反省の弁を述べたとしても,被告人は自分の起こした罪と向き合っていないからです。自分の罪と向きあうのは,長い時間をかけて手厚いケアをするなかではじめて芽生えてくるものなのです。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.36

罰を避けようと

幼少の頃のことを思い出してください。親が怒るような悪いことをしたとき,できるだけ親から叱られないようにするため,どうすればいいか悩んだことはないでしょうか。もちろん親から叱られるような些細なことと犯罪は比べられませんが,人間の心理としてはつながっています。罰はできるだけ受けたくない。受けるとしても罰はできるだけ軽いものであってほしい。それは人間の本能なのです。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.32

反省ではない

重大な犯罪が起きたとき,新聞やテレビのニュースで,「まだ容疑者は反省の言葉を述べていません」「残虐な事件を起こしておきながら,まったく反省している様子はありません」といった言葉をよく耳にします。こうした報道を聞くと「あんなひどいことをしたのに,反省していないなんて,なんてひどい奴だ」「絶対に許せない」と怒りを覚えたことのある人は多いのではないでしょうか。
 しかし,これまで述べてきたように,自分が起こした問題行動が明るみに出たときに最初に思うことは,反省ではありません。事件の発覚直後に反省すること自体が,人間の心理として不自然なのです。もし,容疑者が反省の言葉を述べたとしたら,疑わないといけません。多くの場合,自分の罪を軽くしたいという意識が働いているか,ただ上辺だけの表面的な「反省の言葉」を述べているにすぎません。そのように考えると,犯罪を起こした直後に「反省の言葉」を繰り返す犯人(容疑者)は,反省の言葉を述べない犯人よりも,「より悪質」という見方ができます。もちろん捕まったショックが大きくて落ち込んでしまい,謝罪の言葉しか浮かばないという場合もあるでしょう。しかしその言葉も反省とは違います。あえていえば,やはり後悔です。とりあえず「すみません」と言っておこうという点では,私が接触事故を起こしたときの言動と心理的に大差はありません。

岡本茂樹 (2013). 反省させると犯罪者になります 新潮社 pp.25-26

見抜ける嘘などない

多くの人は,他人のうそを難なく見抜けると思い込んでいる。だが,実際に見抜ける人はほとんどいない。うそやだましを見抜く訓練を受けた専門家でさえも,百発百中とはいかないものだ。捜査機関の職員を対象に的中率を調べたところ,特別な訓練を受けていない一般人と大差ないことがわかった。したがって,真実をつかむためには,面接の席で応募者のうそに見当をつけるよりも,確かな証拠だけを当てにするほうが賢明だ。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.290

金と権力を得る資格がある

対照的に,サイコパスの応募者には,秘密の意図がある。彼らは“知恵比べ”を望む一方で,金と権力を求めている。ただし,労働への見返りとしてではない。彼らは,自分に金と権力を得る資格があると思い込んでいるのだ。彼らは面接官を丸め込んでその仕事を手に入れ,最終的には企業自体を利用しようとたくらんでいる。採用面接は,サイコパスの応募者が光り輝く格好の舞台なのだ。
 しかし,意外なことに,多くの採用責任者は面接の準備を怠っている。それどころか,面接のテクニックを習得しようともしない。そのせいで,サイコパスの応募者に面接の主導権を握らせ,彼らの術中にはまってしまうのだ。
 多くの採用責任者は,適切な質問を用意せずに面接に臨んでいる。なかには,質問を全く用意しない人もいる。応募者にとって,面接はその職務をこなす能力やモチベーションをアピールするチャンスだ。用意周到な応募者は,面接に向けて心の準備を整え,面接のシミュレーションを行う。面接のハウツー本をよく読み,よくある質問に対する答えを用意しておくのだ。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.273-274

録音すると

サイコパスの研究に携わるベテランの専門家は,サイコパスと面と向かって話をしているときには,その話術の巧みさに感銘を受けるのだが,後になってそのときの録音テープを聞き直すと,彼らの話が美辞麗句,矛盾,うそ,事実の歪曲,誤った論法のオンパレードであることに初めて気づくという。このような研究者なら,サイコパスに関する犯罪歴などの付加情報を事前につかむことができるが,少なくとも電話面接の時点では,企業にそのような強みはない。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.271

リーダーシップとの取り違え

サイコパスの特徴を企業のリーダーとしての資質と取り違えてしまうのは,上層部が採用や昇進や後継者育成計画の人選で意思決定をする際に,有能なサイコパスが,上層部が求めるリーダーシップやマネジメント能力を持っているように振る舞えるからだ。現に,サイコパスの魅力的な物腰や大仰な話しぶりは,“カリスマ的なリーダー”や“自信家”の特徴を思われがちだ。
 採用試験でも,応募者に,優れたリーダーシップに不可欠なカリスマ性があると認められた場合,その特性だけが強調されて神々しく見えてしまう。たった1つの特性からその人物の全人格を判断してしまうのだ。これは,面接官や意思決定者が陥りやすい傾向だ。ある特徴が神々しく見えることで,その人物についての足りない情報までがカバーされ,重要な判断に影を落とすのだ。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.245

弱点をつく

サイコパスには,人間の心理を理解し,他人の弱点や脆さを探り,利用することに長けている者が多い。それが持って生まれた特性なのか,他人の弱点を探るために人一倍努力したせいかなのかはわからない。
 いずれにせよ,彼らが最もてこずる相手は,ナルシストで自己主張や支配的な傾向が強い人間であるのは間違いない。サイコパス自身も強力な支配力を振るう傾向があるので,このタイプの人間は特に気になる存在だ。彼らには,強いエゴ,特権意識といった,サイコパスの特性に共通するところもあるが,サイコパスのような冷酷な有能さはない。
 だれかに心理的に操られていることに気づいていちばん驚くのは,自分はだれよりも頭が切れて強い人間だと思い込んでいる人間だ。とりわけナルシシストは,企業で管理職のポストに就く人数が不釣り合いなほど多い。彼らは自分のことしか考えないので,出世を確実にするために,部下を不当にこき使う一方で,上司には取り入ろうとする。
 私たちは,社内で誰かにだまされているような気がすると訴えるナルシシストの管理職と数多く接してきたが,彼らが一様に驚き,認めたがらないのは,社内に自分よりも格段に上手の者がいるという事実だ。そして,まさにこれが企業内詐欺師にとってのうまみなのだが,ナルシシストに代表されるようなあくの強いタイプの人間は,人一倍かたくなに助けや指導を拒み,他人の意見に耳を貸さないので,結局は手遅れになり,長期にわたってサイコパスの格好のターゲットになってしまう。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.169-170

サイコパス社員のサバイバル

では,いわゆる「サイコパス社員」は,どのようにして大企業で生き延び,成功するのだろうか。実際,企業の多くは,起業家志向で他人をだますのに必要な特性と社交術を持つサイコパスにとって最高の餌場になっている。捕食者たるサイコパスは,活動の場を狙って動き回る。権力や支配権や地位や財産を搾取でき,利用価値のある人間と近づきになれる機会を提供してくれるポストや業務や専門職や組織を見つけると,すかさず飛びつくのだ。
 大企業での勤務にはさまざまな問題や課題もあるが,得るものも多い。そして,他の多くの企業と同様,サイコパスも,報酬に対するリスクを計算する。高収入と地位と権力に加え,それに伴う役得も手に入れるチャンスがある一方で,詐欺や着服を働く,同僚を虐待する,高級を貪るといった形で企業を搾取するには,一般社会で他人を操るよりも,さらに洗練されたテクニックが必要になる。サイコパス社員にとって,それは究極のチャレンジだ。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.128

3分の1の法則

実際,多数の類縁団体を対象にした非公式の調査によれば,「3分の1の法則」とも呼ぶべき傾向が見られるという。たとえば,エルマー・ガントリーの現代版のブライアン・リチャーズのような男が,無警戒の宗教団体に詐欺を働くと,彼のことを説得力があるとかカリスマ性があると考えるのは全体の3分の1で,3分の1は「あの男を見ていると虫ずが走る」と疑いの目を向け,残りの3分の1は判断を保留する。
 ここで興味深いのは,詐欺行為やごまかしや盗みなどが明るみに出た後でも,多くの加害者に対する意見は,第一印象とほとんど変わらないことだ。その男に最初から感銘を受けていた人々は,自分の判断は正しい,彼が詐欺を働いたのは何かの間違いで,彼は誤解されていると信じて疑わない。最初から疑心暗鬼だった人々は,「何か怪しいと思っていたんだ」と,自分の判断が正しかったことに納得し,判断を保留していた人は「何があったの」と,相変わらずどっちつかずの態度をとる。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.121-122

サイコパスの対人関係は

では,このようなサイコパスと被害者の関係と,本物の人間関係,つまり,2人の人間が出会い,共通項を見いだし,意気投合して築いていく誠実な関係とでは,何が違うのだろうか。
 第1に,被害者が真の姿だと思い込んでいるサイコパスのペルソナは,現実のものではない。それは,被害者をだますために慎重に積み重ねたうそのうえにつくられた“仮面”なのだ。どの仮面もサイコパスが被害者1人ひとりの心理的な欲求や期待に合わせてあつらえたもので,仮面の下にあるサイコパス本人のパーソナリティを反映するものではない。ただの便利なつくりものにすぎないのだ。
 第2に,サイコパスとの関係には,第三者の意見は反映されていない。サイコパスが一方的に被害者を選択し,接近していく。サイコパスの口車に乗せられていない第三者の目には,その様子がはっきり見えるだろう。だが,被害者は第三者の意見に耳を貸さず,むしろ,サイコパスが特別な存在なのだと説得しようとする。
 第3に,サイコパスとの関係は,偽物であるがゆえに長続きはしない。誠実な関係は,時間の経過とともに変化していく。恋愛は憎しみに変わり,結婚は離婚という結末に終わることもある。だが,当初,2人の関係は,少なくとも当時把握していた本物の情報に基づいて築かれたものだった。人は変わり,別々の道を歩むこともある。ところがサイコパスは,相手との関係を維持することに最小限のエネルギーしか費やそうとしない。もっとも,相手から何か飛び抜けてすばらしいものを奪えそうな場合はその限りではないが,そんなことはめったにない。したがって,関係に終止符が打たれると,相手は訳もわからないまま置き去りにされてしまう。
 第4に,サイコパスには下心,あるいは邪心があり,必ずどこかに利己的な動機が隠れているので,サイコパスとの関係は一方的に偏ったものになる。この虐待行為は,デートや仕事の取引で相手を利用することだけにとどまらない。サイコパスによる虐待行為には,捕食者の性質がうかがえる。相手に深刻な金銭的,身体的,精神的ダメージを与えることも少なくない。健全な本物の人間関係は,お互いの尊敬と信頼のうえに成り立ち,率直な意見を交わし,感情をさらけ出せる関係だ。サイコパスとの関係も,こうした尊敬や信頼に基づいているという被害者の思い込みが,サイコパスの成功に手をかしている。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.106-108

目の前の現実

人間は,だれかを傷つけたら,少なくとも多少の罪悪感や良心の呵責を覚え,謝罪したいと思うものだ。だが,サイコパスには,そのような考えかたをぼんやりとしか理解できない。ときには,罪悪感や良心の呵責を感じるのは世間の人々の興味深い弱点で,自分はそれをうまく利用できるのではないかと考える。自分の行動が,自分にとっても他人にとっても最悪の結果を招く可能性にひるむこともない。その理由として,サイコパスが過去や未来よりも,目の前の現実を重視することが挙げられる。
 また,感情が乏しいせいで,他人が自分とは比較にならないほど豊かな感情を持っていることを理解しにくいともいえるだろう。薄情であるがゆえに,他人のことを自分の思いどおりに動かせる駒や道具として見ることができる。
 言い換えると,サイコパスは,他人の感情の動きよりも,知性や認識力を理解することが得意ともいえる。その結果,自分にとって利用できるか否かによって,相手の価値が決まることになる。使用ずみの他人はさっさと捨ててしまう。相手の気持に無関心でなければ,これほど非情で乱暴なやり方で人を見捨てることはできない。他人との情緒的,社会的な絆がほとんど見られず,あったとしても希薄だからこそ,サイコパスは平然と他人との関係を断てるのだ。

ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.77-78

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