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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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2つの派閥

分子遺伝学の進歩を知るにつけわたしは,自分が研究室で行っている心理学や神経科学の研究と遺伝子科学とを結びつければ,「悲観的な人と楽観的な人がいるのはなぜか」という謎を解く大きな一歩になるはずだと考えるようになった。ところが分子遺伝学の世界では,どんなアプローチの仕方が最善かを巡って,ふたつの派閥が対立していた。わたしが足を踏み入れたのは,そうした派閥抗争の最前線だった。
 ふたつの陣営の研究者はどちらも情熱的で強烈な個性派ぞろいで,自説を曲げて相手と折り合う気などまるで持ち合わせていなかった。双方の主張を簡単に言えば,こういうことになる。片方の陣営が提唱するのは,特定の神経伝達物質に影響を与えると判明している特定の遺伝子を,神経生物学をもとに研究することだ。これは<候補遺伝子アプローチ>と呼ばれる手法だ。いっぽう反対陣営の主張は,「問題の遺伝子を正確に突きとめられるほど神経生物学は進んでおらず,原因遺伝子を特定するには多数の人々の遺伝子をくまなく検証すべきだ」というものだ。この立場は<ゲノムワイド関連解析>と呼ばれる。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.158-159
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信用できる顔か

プリンストン大学のアレクサンダー・トドロフと同僚は研究によって,「この人は信用できるか否か」という瞬時の判断につながる外見的要素をわりだした。「信用できる」とされる顔の特徴は,口角の上がった口もとや大きく見開かれた目,そしてはっきりした頬骨などで,逆に「信用できない」と判断されがちな特徴は,下がり気味の口角や眉尻の上がった眉毛,そして頬骨が平板だったり落ち窪んでいたりすることだ。
 ロンドン大学のレイ・ドランとその同僚は研究の結果,脳の中でこうした「信用できない」顔にとりわけ強く反応するのは扁桃体であること,そして扁桃体が脳内の警報システムを作動させ,不吉な感覚をもたらすことを発見した。扁桃体が傷を受けると,この自然の警戒機能はなくなってしまう。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.134-136

信仰ではなく行動を

楽観やポジティブ・シンキングの威力を賛美するびっくりするような主張は,そこらじゅうに掃いて捨てるほどある。「必要なのはただポジティブに思考することだけ。そうしていれば良い出来事は勝手に起こりはじめる」というやつだ。ポジティブに考えてさえいれば,たとえばがんは完治し,ずっと望んでいた仕事が手に入り,非の打ちどころのないすてきなパートナーが突然目の前にあらわれる——という具合に。エーレンライクが指摘するのは,この種の考え方が現実から完全にかけ離れた,ほとんど信仰の域に堕ちていることだ。
 何人もの導師がどれだけ力説しても,思考自体に魔法のような力があるわけではない。だが楽観が行動と関連することや,その行動こそが利益をもたらすという点については,それを裏づける証拠がある。たとえば事故で下半身不随になっても,質の高い生活をぜったいにあきらめないと信じている人なら,みずからジムに通って上半身の機能を強化し,内にこもらずに外に出て,活発な社会生活を楽しめるようにしようとするだろう。
 いっぽう同じ目にあっても,人生もう終わりだと思いこんでしまえば,その人はそうした行動をおそらく起こさない。人がどんな生活を送ることになるか,その質の差に深くかかわるのは,「ポジティブに思考する力」というよりも,「ポジティブな行動を起こす力」だ。これらふたつはたがいに無関係ではないが,楽観がもたらす実りを刈り取る役は,思考ではなく行動が果たすはずだ。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.92-93

オプティミズム・バイアス

これまで見てきたように,サニーブレインの重要なはたらきのひとつは,究極の報奨に向けてつねに人間を駆り立てることだ。楽観は,人間が生き延びるために自然が磨きあげた重要なメカニズムであり,そのおかげでわたしたちは,ものごとがみな悪いほうに向かっているように見えるときでさえ前に進んでいくことができる。心理学者はこれを「オプティミズム・バイアス(楽観的偏向)」と呼ぶ。程度の差はあるが,このオプティミズム・バイアスの魅力に屈しない人はほとんどいない。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.86

ポジティブ思考カルト

ジャーナリストのバーバラ・エーレンライクは著書『Smile or Die』の中で,現代社会にはびこるこの手の(彼女いわく)ポジティブ思考カルトを痛烈に批判している。エーレンライクは乳がんの診断を受けたとき,この種のカルトの冷酷さを思い知ったという。病名を告げられるや彼女のもとには,この経験は「きっとあなたを変えてくれる」「人生の意味を見いだすチャンスだ」「神に目覚める助けになる」などの「ポジティブな」メッセージが山のように寄せられた。
 恐ろしい病気に直面しているのに,それに感謝せよとアドバイスされ,彼女は強い反感を覚えた。「ポジティブに考えてさえいれば,事態は良くなる」わけが,あるものだろうか?ポジティブ思考は万能だなど,幻想にすぎないとエーレンライクは冷徹に観察し,批判する。彼女はこの点,まったく正しい。楽観主義とは往々にして,人が表層レベルで何を考えるかよりも何を行うかに,そして脳がどう反応するかに深くかかわっている。それは科学的な調査結果からも裏づけらている。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.83-84

快楽の追求

ケンタッキー大学のジェイン・ジョゼフ率いる心理学者のチームはある実験で,刺激追求度が高い人と低い人の双方に一連の写真を見せ,その間の脳の活動をスキャンした。非常に刺激的な画像を見せると,刺激追求度が高い被験者の快楽中枢はオーバードライブ状態におちいり,感情を抑制したり統御したりする前頭前野の活動はほぼゼロになった。逆に刺激追求度が低い人は,前頭前野が強く活性化した。このパターンが意味するのはつまり,刺激追求度が高い人は興奮によって大きな当たりを獲得もするが,いっぽうでその興奮を統制するのは不得手だということだ。
 報奨に強く反応するこの傾向は多くの利益をもたらすいっぽう,マイナスの面もある。快楽にはそもそも持続性がないため,快楽の追求は制御のきかないスパイラル状態におちいりがちなのだ。悪くすると,リスクを冒したり何かの依存症になったりという方向にも進みかねない。
 けれど,制御を保ちさえすれば快楽の経験は,サニーブレインの回路を強める源になる。そして楽観的な心の傾向を育むという,大きなメリットがもたらされる。この心の傾向は,単に喜びや幸福を感じたり,未来を明るく前向きにとらえたりすることだけではない。そこには,利益や意味をもたらす何かを努力してやりとげるという姿勢も含まれている。サニーブレインの回路は,人間が自分にとってプラスになるものごとにつねに焦点をあわせられるよう手助けをしているからだ。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.81-82

左右不均衡

休息している人の脳の活動状態にも,同じような現象が見られる。静かに座っているときでさえ,楽観的な人と悲観的な人の脳には根本的な差がある。安静にした状態でも,楽観的な人の脳の左半分は右半分よりもかなり活発にはたらいているが,悲観的な人の脳の左半分の活動度は楽観的な人と比べてずっと低いのだ。このように脳の左半分の活動度が低いことは,抑うつ患者に特有の快楽の欠乏感が,神経レベルで現れた現象だといえる。
 脳内のこうした不均衡はヒトだけでなく,サルにも同じように認められる。怖がりで心配症のサルは,脳の左半分よりも右半分のほうが活発にはたらいているが,幸福で健康なサルの大脳皮質の左半分はそれにくらべ,ずっと活動度が高い。こうした不均衡が皮質下の領域と皮質上の領域のどちらに起因しているのかは,まだ十分に解明されていない。
 はっきりしているのはこの不均衡が,報奨にすすんで接近するかしないかという傾向にかかわっていることだ。また,脳の左側へんぽ偏りが大きい人は,右側への偏りが大きい人に比べ,おしなべて幸福度や楽観度が高いこともあきらかになっている。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.78

快楽の維持が不得手

つまり,抑うつの人々は快楽を感じられないというよりも,快感の維持が不得手なのだ。じっさい,実験中に側坐核の活動がいちばん急激に弱まった被験者は,快楽や幸福をいちばん経験しにくいと報告していた人々だった。抑うつ型の脳のはたらきがポジティブな感覚の保持をむずかしくしていること,そしてサニーブレインの回路が快感や幸福度を高めるのに重大な役目を果たしていることを,実験結果は強く示している。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.77

自己充足的予言

ミネソタ大学の心理学者マーク・スナイダーは多くの実験から,信念が自己充足的な予言になることを確認した。たとえば,初対面の人に会うときに,その相手が神経質だという情報を事前に聞かされていたら,その人物の行動の中でいかにも心配性に見えるところばかりが目についてしまうものだ。これを証明するためにスナイダーは被験者を2人ひと組でペアにし,何人かには「ペアを組んだ相手が外向的な性格かどうか」を判断するように指示し,何人かには「相手が内向的かどうか」を判断するように指示した。
 相手が外向的な性格かどうか見極めなければならず,しかも質問はわずかしかしてはいけないとしたら,何をたずねるべきだろうか?もしもあなたがスナイダーの被験者と大差ないとしたら,おそらくこんな質問を口にするはずだ。「パーティを盛り上げるためにあなたなら何をしますか?」「大勢の初対面の人々と会うのは楽しいですか?」。だがよく考えてほしい。これで肝心の情報が集まるものだろうか?これらの質問は,単に疑問を確認する役目しか果たしていない。だが,被験者同士のやりとりをスナイダーがビデオテープで検証したところ,質問者がこの種の質問に頼りがちなのはあきらかだった。
 <内向型>グループの質問者の大半は,「もっと社交的になりたいと思う時はありますか?」などの質問を相手に投げかけていた。スナイダーいわく,このときほんとうに必要なのは反証的な証拠なのに,「人々は確認的な証拠ばかりを探そうとする傾向がある」のだ。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.51-52

皆偏っている

ネガティブな情報はなぜ,どのように,不安症の人の心を強く引きつけるのだろう?この疑問を解明しようとする研究のごく早い段階で,わたしはあることに気づいた。
 対照群として実験に参加した人々は,あまり不安を感じず,どちらかといえば楽観的だからこそ対照群に選ばれたはずだ。わたしは当初,対照群の被験者はポジティブなものごととネガティブなものごとの両方に同程度の注意を向ける,非常にバランスのとれた人々なのだと予測していた。けれど実際には,対照群の人々にも認識の偏りがあった。これは当時としては驚きだった。当時の理論では,不安症の人は良いニュースを認識のフィルターからはじき,悪いニュースばかりを感知しているからこそ不安におちいるのだと,そして不安をあまり感じない人は,良いニュースと悪いニュースの両方に同じほど重きをおいているのだと考えられていたのだ。
 だが,不安症でない人にはネガティブな情報を避ける方向に強い偏りがあることが研究を進めるうちにわかってきた。嫌な感じの画像や言葉が画面に浮かぶと,彼らはすぐにそこから注意を逸らしてしまう。不安症の人が悪いニュースについ引き寄せられるのと同じように,不安症でない人にはそうしたニュースを避けようとする偏りがある。けれど,被験者はだれひとり,自分のそうしたバイアスに気づいていなかった。おおかたの被験者は「たくさんの写真が画面に出てきたのはわかった。けれど,三角形に反応することばかりに気をとられていて,どんな写真のときにどうだったかということには気づかなかった」と語った。三角形が,ポジティブな画像とネガティブな画像のどちらの側にあらわれるかで,発見にかかる時間が変化していたこと,そこに一貫性があったことを説明しても,被験者たちはなかなかそれを信じようとしなかった。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.46-47

ペシマム

悲観主義の特徴は楽観主義とほぼ反対だ。悲観的な気質の人はネガティブな考えに染まりやすく,何か障害に出会うたび,「自分は世界から拒絶されている」と受けとめてしまう。ラテン語の「ペシマム」から生まれた「ペシミズム」は哲学的観点からいえば,あらゆる可能性の中で「最悪な」世界を意味しており,「ものごとは究極的にはすべて悪に引き寄せられる」という考え方だ。だが,心理学の世界では「ペシミズム」は「オプティミズム」と同様,気質的な傾向や感情のスタイル——つまり,世界と向きあうときの,人それぞれの姿勢——としてとらえられている。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.26

可能なかぎりの最善

ラテン語で「可能なかぎりの最善」を意味する「オプティマム」に由来する「オプティミズム」は,ドイツ人の哲学者にして数学者のゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646〜1716)が考えた概念だ。ライプニッツによれば,神は可能なかぎり最善の世界を創造した。だから。それをさらに改善することはできない。つまり,オプティミズム本来の意味においては,「ものごとの明るい面」だの「グラスに水が半分もある」だのの概念は無縁なのだ。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.25-26

出来事に影響

オーストラリアのメルボルン大学のブルース・ヘディとアレクサンダー・ウェアリングは1989年に発表した研究の中で,「人がどんな経験をするかは気質に影響される」ということを示唆した。2人はヴィクトリア州の住民に数年がかりで聞き取り調査を行い,人が感じる幸福度に「出来事」と「気質」のどちらがどのくらい影響をおよぼすかを解明しようとした。幸福度の(たとえば)40パーセントは気質に,残る60パーセントは起きた出来事に起因するかもしれないし,逆にもともとの気質のほうが出来事より重要な可能性もあると,2人は予測していた。
 だが2人の研究者はまもなく,「気質と出来事は,それぞれ別個に幸福度に影響する」という前提そのものが誤っていたかもしれないことに気づいた。調査が進むにつれ,同じような出来事が同じ人の身に繰り返し起きていることがあきらかになったのだ。幸運な人には何度も幸運が訪れていた。いっぽうで,別離や失業など不運に何度も見舞われている人もいた。そして,楽観的な人はポジティブな出来事を,悲観的な人はネガティブな出来事をより多く経験していた。気質と出来事が別個に幸福度に影響するというのはどうやら誤りで,気質はむしろ,起きる出来事に強い影響を与えているようだった。

エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.21

人をだますなら

「ジェームズ・ボンド」の心理学を広めているピーター・ジョナソンは,サイコパシーについての持論がある。他人を食いものにするのはリスクが高いと,ジョナソンは指摘する。たいてい失敗する。みんな殺し屋やいかさま師を警戒しているだけではない。そういう連中には法的にもそれ以外でも邪険にしがちだ。人をだますつもりなら,外向的で魅力的で自尊心が高いほうが,拒否されたときにも対処しやすい,とジョナソンは言う。放浪の旅にも出やすい。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.303-304

ヒーロー人口

ニューヨーク市立大学ジョン・ジェイ法科カレッジのダイアナ・ファルケンバックとマリア・ツーカラスは最近,「ヒーロー人口」と名づけた人々——司法や軍や救助など前線ではたらく職業——のなかで,いわゆる「適応性のある」サイコパス的特徴を示すケースを研究している。
 これまでにわかったことは,マームートの実験が明らかにしたデータときれいに整合する。ヒーロー人口は社会志向の生活様式を体現している反面,タフでもある。そうした職業につきまとうトラウマやリスクの度合いを考えれば当然かもしれないが,恐怖心の欠如/支配や冷淡さといったサイコパス的人格目録(PPI)の下位尺度(不安をあまり感じない,社会的支配,ストレスに対する免疫など)と関連づけられるサイコパス的特質が,一般人口に比べて優勢になっている。これらの特質が高めになる位置に調整つまみが回してあるのだ。しかしその一方で,犯罪を犯したサイコパスに比べて,自己中心的な衝動性の下位尺度(マキャベリズム,ナルシシズム,気ままで無計画,反社会的行動など)に関連のある特質はあまり見られない。これらの特質のつまみは低めに設定されている。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.286

7つの決定的勝因

わたしはその能力を「7つの決定的勝因」と名づけた。サイコパシーの7つの中核原理で,配分を間違えずにしかるべき配慮と注意を払って使えば,自分の望みどおりのものを手に入れるのに役立つ。現代生活の難題にただ反作用するのではなく対処するのに役立つ。未来の自分を犠牲者ではなく勝利者に変えることができる——卑劣な手を使わずに,だ。

1. 非情さ
2. 魅力
3. 一点集中力
4. 精神の強靭さ
5. 恐怖心の欠如
6. マインドフルネス
7. 行動力

 明らかに,これらの能力が効力を発揮できるかどうかは使いかた次第だ。当然ながら,どの特質がより必要かは状況に応じて変わってくる。同時に,同じ特質でも,状況によって,例のミキシングコンソールのたとえを使えば,出力を上げたり下げたりする必要が出てくるだろう。たとえば非情さ,精神の強靭さ,行動力の出力を上げれば,あなたは自信を増し,同僚からの評価も上がるかもしれない。しかし上げすぎれば,暴君と化すおそれがある。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.259-260

先延ばししない

「プロの殺人者,たとえば死刑執行人は,たぶん人の命を奪っても何も感じないかもしれない。おそらく良心の呵責や後悔の念が入り込むことはない。トレーダーの場合も似たようなものだ。取引が完了することを仲間内では『執行』という。よく使われる業界用語だ。取引が執行されたら,非常に優秀なトレーダー——きみが興味を持っているような連中は,平気でさっさと帰っていく。なぜとかどこへとか,賛成とか反対とか,正しいか間違っているかなんてことは,これっぽっちも考えない。
 しかもそれは,さっきの話に戻れば,取引の出来不出来とはいっさい関係ない。大儲けしようとすっからかんになろうと関係なしだ。取引を終えるのは冷静かつ客観的な意思決定であって,なんらかの感情だの,心理的な影響だのを伴ったりはしない……。
 プロとして大成するには,株式市場にかぎらず,ある種の切り替えが必要だと思う。目の前の仕事だけに集中できる能力。そのp仕事が終わったら,さっさと立ち去ってきれいさっぱり忘れてしまう能力だ」
 もちろん,過去に生きるというのは対立項のひとつにすぎない。未来に生きること,「先走りすること」,想像力の暴走を許すこと——わたしが「強化コンクリート」とやらの下でやってしまったように——も,同じくらい能力を奪う。たとえば,意思決定の機能不全に関連して認知的・情動的1点集中を調べた結果,ふつうの日常的な行動——プールに飛び込む,電話の受話器を取る,悪い知らせを伝えるなど——では,こうなるかもしれないという「想像」のほうが,「現実」よりもはるかにわたしたちを惑わせることがわかった。
 わたしたちが何かと先延ばしにしたがるのはそのせいだ。
 一方,サイコパスは決して先延ばしにはしない。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.256-257

殺人と戦争の減少

殺人を例に考えてみよう。ヨーロッパ各国の裁判記録を調べたところ,殺人の発生率は急激に減少していることがわかっている。たとえば14世紀のオックスフォードでは,今と比べればだれもが人殺しに手を染めていたかのようだ。20世紀半ばのロンドンでは年間10万人あたり1件なのに対し,14世紀のオックスフォードでは年間10万人当り110件の割合で発生している。同様のパターンはイタリア,ドイツ,スイス,オランダ,北欧でも見られる。
 戦争についても同じことが言える。ピンカーによれば,20世紀は紛争で荒廃し,世界の総人口およそ60億人のうち約4千万人が戦死したが,それでも比率にすればわずか0.7パーセント。これを病気や飢えや大量虐殺など戦争と関係があるとみられる死者数と合わせれば,1億8千万人になる。大変な数に思えるが,それでもまだ3パーセント前後で統計上はたいした数ではない。
 一方,先史時代の社会では15パーセントにも達している。つまり,クリストフ・ツォリコファーが南フランスで発掘した殴られた痕のあるネアンデルタール人の頭蓋骨は,氷山の一角にすぎないということだ。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.185-186

外科医も

もちろん,サイコパスが他人の感情に敏感だということ,そして言うまでもなく,この章の前半で触れたように,じつは感情を偽るのがうまいことも合わせると,彼らが人並み以上の説得力をもち,ごまかしの達人であることをいくらか説明できるかもしれない。しかし「冷たい」知覚的共感と「熱い」感情的共感を切り離すことには,ほかにもメリットがある——なかでも特筆すべきは感情を入り込ませてはいけない職業,たとえば医療関係の仕事だ。
 イギリス屈指のある神経外科医は,手術に臨む際の気持ちを次のように語った。
 「大きな手術の前は緊張するかって?いや,そんなことはない。どんなパフォーマンスも同じじゃないかな。気持ちを高めなきゃならない。今やるべきことに集中して,余計なことは考えないことだ。失敗は許されない。
 さっき,特殊部隊の話をしてくれただろう。じつを言うと,外科医の精神状態はこれからビルだか旅客機だかに突っ込もうっていう精鋭部隊の兵士にかなり似てるんじゃないかと思う。どちらも『仕事』のことをオペレーションと呼ぶ。どちらも『武装』してマスクをつける。そしてどちらも,どんなに長いこと経験と鍛錬を積んだって,最初に切り込むときの例の不確定要素ってやつに完璧に備えができているなんてことはありえない。あの刺激的な『危険な侵入』の瞬間,皮膚をめくったとたん……もう始まってるんだ。
 頭部を狙って銃撃する際の1ミリの誤差と,重要な2本の血管を傷つけないように進むときの1ミリの誤差と,重要2本の血管を傷つけないように進むときの1ミリの誤差の違いは何か。どちらの場合も,自分が生死を握っていて,死か栄光かの決断をくださなくてはならないってことだ。外科手術の場合はメスの刃先にかかっている」

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.170-171

目的のために

録音テープの筆記録をコンピューター解析した結果,サイコパス的な殺人犯のほうが証言のなかで「だから」「ので」「ため」といった接続詞を使う頻度が高く,特定の目的を達成するために殺人を「せざるをえなかった」というふくみがあることがわかった。興味深いことに,犯行当日に何を食べたかをくわしく語りがちでもあった——原始的な狩りの名残りだろうか。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.167

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