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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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感情を偽るのがうまい

ポーターが知ろうとしたのは,サイコパス度の高い被験者のほうがサイコパス度の低い被験者に比べて,感情を偽るのがうまいかどうかだった。答えは明らかにイエスだった。サイコパス的特質があるかどうかによって,嘘の反応に見られる感情の矛盾の度合いも大きくなったり,小さくなったりした。サイコパスのほうがそうでない被験者に比べて,ハッピーな写真を見て悲しそうなふりをしたり,悲しげな写真を見て楽しそうなふりをするのが明らかにうまかったのだ(興味深いことに,ポーターの学生のひとりであるサブリナ・ディミトリオフは,サイコパスのほうが他人のわずかな表情を読み取るのが得意であるという逆パターンの発見もしている)。それだけでなく,サイコパスは情動的知能指数(EQ)が高い被験者にも負けていなかった。だれかが言ったように,誠実そうに見せかけることができたら……向かうところ敵なしだろう。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.161-162
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犯罪への影響

サイコパシーが厳密にはどのように犯罪者をより優秀にするのかについては,議論の余地がある。たとえば,サイコパスはプレッシャーのもとでも冷静さを失わない達人で,そのことが逃走用の車や取調室で有利に働く可能性は十分ある。その反面,非情でもあり,目撃者を脅迫して証人として名乗り出ないようにさせる可能性もある。それでも同じくらい可能性があるのは——かつ同じくらいスパイにも詐欺師にもぴったりなのが——非情で怖いもの知らずのうえに,もうひとつ,より高度な心理的才能を備えていることだ。世界トップクラスのポーカープレーヤー顔負けに,もうあとがないというとき,自分の感情を人並み以上にうまくコントロールできる。そうした才能が強みになるのは,法廷の外で不埒な計略や活動を思いめぐらし実行に移す際だけではない。法廷のなかでもものをいう。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.159-160

経営者のサイコパシー

ロバート・ヘアらの2010年の研究もそれを裏づける。ヘアはサイコパシーチェックリスト改訂版(PCL-R)を全米の200人を超える企業経営陣に配布し,企業幹部と世間一般でのサイコパス的特性の割合を比較した。その結果,経営陣のほうがサイコパシー度が高かっただけでなく,カリスマ性やプレゼンテーションのスタイル——独創性,いい意味での戦略的思考,すばらしいコミュニケーションスキル——についての社内の評価も,明らかに高かった。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.152

ジェームズ・ボンド

こうした疑問をいだいて答えを探しはじめた人間に,心理学者のピーター・ジョナソンがいる。2010年,ジョナソン(当時はニューメキシコ州立大学に勤務)と同僚たちは「ジェームズ・ボンドは何者か——闇の三位一体と工作員的社交スタイル」と題する論文を発表した。それによれば,特有の人格的特徴の三位一体(ナルシシズムの特徴である人並はずれたうぬぼれの強さ。サイコパシーの特徴である恐怖心の欠如,非情さ,衝動性,スリルの追求。マキャベリズムの特徴である不実さと,人を食いものにすること)を備えた男性は,じつは社会の一定の階層では独力で大成功できる。しかも,そうした特徴の度合いが低い男性に比べて,性的な関係にある相手の数が多く,行きずりの短い関係を好む傾向が強い。闇の三位一体は相手が男性ならハンデになるが,相手が女性なら,かえって心拍数を増加させ,遺伝子の増殖の可能性を増大させるかもしれない,とジョナソンは主張する。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.147-148

犯罪の世界かビジネスの世界か

ニューマンは,サイコパスが犯罪の世界の外でも一般人と共存しているという見解にも大賛成だ。サイコパス的人格をつくり上げている要素に疎い人々にとっては意外かもしれないが,外科医,弁護士,企業トップなどの職業で非常に成功していることが多い。「リスク回避の低さと罪悪感や良心の呵責の欠如という,サイコパシーの二大要素の組み合わせは」ニューマンによれば「状況次第で犯罪の世界かビジネスの世界での成功につながる可能性がある。両方の世界で成功することだってある」。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.101-102

ビッグファイブとパーソナリティ障害

その証拠に,ソールズマンとペイジは,とくに精神的苦痛を特徴とする人格障害(妄想性,統合失調症性,境界性,回避性,依存性)は神経症傾向と非常に関連があり,対人関係での問題を特徴とするもの(妄想性,統合失調症性,反社会性,境界性,自己愛性)は,当然ながら,協調性に影響することに気づいた。それに比べれば結びつきは弱いものの,外向性と誠実性も関連していた。社交家と世捨て人の分水嶺とでもいうべきものをはさんで,一方の側にある障害(演技性と自己愛性)は外向性の得点が高く,もう一方の側(統合失調症質と統合失調型と回避性)は外向性の得点が低かった。同様に,暴走族と支配魔の分水嶺をはさんで,一方の側(反社会性と境界性)と反対側(強迫性)でも,誠実性で得点の二極化が見られた。
 これはかなり説得力がある。人格という太陽系を構成しているのが万能のビッグファイブだとしたら,人格障害というはみ出し者の星座も天空の一角にあるはずだ。それにしても,サイコパスはいったいその天空のどこに位置するのだろうか。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.77-78

ビッグファイブ・パーソナリティ

経験に対する開放性(知性)は,独創的な考えや情動的知能(EI)が何より大切な職業——コンサルタント,調停員,広告業といった職種——で役に立つことがわかっている。一方,この項目の得点が低い人は,製造や機械関係の仕事で成功する傾向がある。誠実性の得点が(高すぎれば執着,強迫観念,完全主義に陥ってしまうが)中程度以上の人はあらゆる職種で抜きんでる傾向があり,中程度以下の場合はその逆のことが言える。外向的な人は社交性が求められる仕事で成功し,内向的な人はグラフィックデザイナーや会計士など,より「孤独」もしくは「内省的」な職業で成功する。協調性の得点が高い人も,かなり広範囲の職種で成果を上げられるが,とくに能力を発揮できるのは看護や軍隊など,顧客サービスやチームワークが重視される職種だ。ただし誠実性と違って,得点が低くてもかえって都合のいい場合がある。熾烈で非情な業界——エゴが衝突し,リソース(アイディア,特ダネ,受信料や購読料など)をめぐる激しい争奪戦が繰り広げられることも多いメディアなどだ。
 最後は神経症的傾向だが,これはNEOの5つの次元のうち,最も不安定かもしれない。とはいえ,情緒が安定していてプレッシャーにさらされても冷静でいられることは,集中力と冷静さがものをいう職業(パイロットや外科医など)では間違いなく重要だ。神経症的傾向と独創性が分かちがたく結びついていることも忘れてはいけない。昔から芸術や文学の傑作のなかには,脳の浅瀬ではなく魂の奥深くにある未知の迷宮から掘り出されたものがある。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.71-72

妥当性に欠ける検査

インターネット上に次のようなクイズが出回っている。ある女が母親の葬儀で見知らぬ男と出会う。女はなぜかその男に惹かれる。この男が自分の運命の人だと確信し,たちまち恋に落ちる。しかし電話番号は尋ねずじまいで,葬儀が終わったあとは探しようがない。数日後,女は自分の妹を殺す。いったい,なぜ?
 答える前に少し考えてみよう。どうやら,この簡単なクイズで,あなたがサイコパス的な思考の持ち主かどうかがわかるらしい。女が妹の命を奪う動機はなんだろう。嫉妬?その後,男と妹が同じベッドにいるのを目撃したのか。復讐?どちらもありそうな話だが,正解ではない。あなたがサイコパス的思考の持ち主だとしたら,次のように答えるはずだ。妹が死ねば,葬儀に再び男が現れるかもしれないから。
 あなたの頭に浮かんだのが,同じ答だったとしたら……うろたえないことだ。じつを言うと,わたしは嘘をついた。そう考えたからといって,もちろん,サイコパス的思考の持ち主というわけではない。この噂もネットに出回っている多くの情報と同じで,胡散臭いことこのうえない。たしかに女のやり口は一見サイコパス的で,その点については異論はない。冷酷で残忍で非情,自分のことしか考えていない短絡的な行動だ。ただし,ひとつ問題がある。標準的な臨床プロセスを踏んで適切に診断された正真正銘のサイコパス——レイプ犯,殺人犯,小児性愛者,武装強盗——に同じクイズをやらせてみたら,どんな結果が出たか,わかるだろうか。「妹が死ねば,もう一度葬儀ができるから」と答えた人間はひとりもいなかった。ほとんど全員が「恋愛関係のもつれ」が動機だと答えた。
 「おれは正気じゃないかもしれない」とテストを受けたサイコパスのひとりはコメントしている。「だけど,ばかじゃないぜ」

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.63-64

気にしない

彼の言うとおりだ。おそらくサイコパスの際立った特徴,サイコパス的人格を大部分の「正常」な人たちの人格と区別している究極の,「決定的」な特徴は,サイコパスが他人からどう思われようとまったく気にしないことだ。自分の行為を世間がどう考えるか,少しも意に介さない。今ではイメージやブランディングや評判がこれまでにないほど神聖なものになっていて,ゆくゆくはフェイスブックを5億人が利用する時代,Youtubeに2億件の動画が投稿される時代,イギリスで20人にひとりの割合で監視カメラが設置される時代になるかもしれない。そんな世の中では,こうした無頓着さは間違いなく,サイコパスが非常に多くのトラブルに巻き込まれる根本的原因のひとつになっている。
 それはもちろん,わたしたちがサイコパスに惹かれる理由でもある。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.59

コブラとピットブル

ジェイコブソンとゴットマンは,よく引用される虐待者の分類で,このタイプの心理的プロファイルを「コブラ」と呼んでいる。コブラはもうひとつのタイプである「ピットブル」(闘犬用犬種)と違って,素早く,かつ激しく攻撃し,つねに冷静さを失わない。自分はやりたいときにやりたいことができるという誇大妄想をもっている。そのうえ,コブラという名前からうかがえるように,落ちついて狙いを定めてから攻撃にかかる。一方,ピットブルは感情の揺れがより激しく,感情が激しやすい——そのため,かっとなりやすい。両者をさらに比較すると興味深い。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.53

企業リーダーの場合

2005年,サリー大学のベリンダ・ボードとカタリナ・フリッツォンは,企業のリーダーには厳密にどんな資質が必要かを突き止めるべく調査を実施した。人格のどんな側面が,飛行機に搭乗するときにファーストクラスのほうへ向かう人とエコノミークラスのほうへ向かう人を分けるのか。
 ボードとフリッツォンは3つのグループ——企業経営者,精神疾患の患者,入院中の犯罪者(サイコパスとそれ以外の精神疾患の患者の両方)——を対象に,心理的プロファイリングテストの結果を比較した。
 分析の結果,いくつかのサイコパス特性——表面的な魅力,自己中心性,説得力,共感の欠如,独立心,一点集中力——はじつは「精神障害のある」犯罪者よりも企業のリーダーのほうによく見られ,両者の主な違いは「反社会的」な側面にあった。犯罪者のほうが違法行為,身体的攻撃,衝動性の「調整つまみ」が高い位置に設定されていたのだ。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.47

功利主義とサイコパシー

それを突き止めるべく,バーテルズとピサロは200人を超える学生にトロッコの問題を提示し,大柄の男を突き落とすという選択肢をどの程度支持するか——どの程度「功利主義」か——を4段階で自己申告させた。それからトロッコの問題に加えて,学生に潜在的サイコパシー度を測るためのさまざまな検査を受けさせた。「殴り合いのけんかが見たい」「人を操るには相手が聞きたがっていることを言うのがいちばんだ」といった設問だ(そう思う/思わないを10段階で回答)。
 サイコパシーと功利主義というふたつの概念を結びつけられるだろうか,とバーテルズとピサロは考えた。答えは明らかにイエスだった。ふたりの分析の結果,トロッコの問題に対する功利主義のアプローチ(大柄の男を橋から突き落とす)と,サイコパシー傾向が非常に強い人格とのあいだには重要な相関関係があった。ロビン・ダンバーの予測からすれば,かなり的を射ている結果だが,功利主義に対する従来の見解では,いくぶん問題がある。功利主義の理論を定式化したとされる18〜19世紀イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムとジョン・ステュアート・ミルは,だいたいにおいて,善良な人物と思われている。
 「最大多数の最大幸福はモラルと立法の基礎である」とベンサムが明確に表現したことは有名だ。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.45-46

タカ派戦士

バージニアコモンウェルス大学の臨床心理学の名誉教授であるケント・ベイリーは後者のゲーム理論説を支持し,さらに進めて,近い祖先集団の内部や集団間の暴力的な競争が,サイコパシー(ベイリーの言う「タカ派戦士」)の進化の先駆けだったと主張する。
 ベイリーによれば,「ある程度の捕食性の暴力」が「大型獣の狩りにおいて,獲物を探し出してしとめるという側面では必要だった」のではないか——そしておそらくは,無慈悲な「タカ派戦士」のエリート集団は,獲物を追跡してしとめる戦力としてだけでなく,近隣の他集団からの侵略をはねつける防衛軍としても好都合だったのかもしれない。
 もちろん問題は,タカ派戦士を平時に信用できるかどうかだった。 オックスフォード大学の心理学および進化人類学教授であるロビン・ダンバーもベイリーの説を支持している。ダンバーは9世紀から11世紀にかけての古代スカンジナビア人の「猛戦士(ベルセルク)」を引き合いに出す。ベルセルクはサーガや詩や史料によれば,英雄視されるバイキングの戦士で,残忍な,怒りに我を忘れた状態で戦ったらしい。だがもう少し掘り下げてみれば,より不吉な図が浮かび上がってくる。本来は守らなければならないはずの共同体のメンバーに牙を剥き,同胞に対する野蛮な暴力行為に走る危険なエリートたちの図だ。

ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.38

イングランドのチーズ

19世紀初めごろ,イングランドの主要なチーズのほぼすべては2つのカテゴリーに分類することができた。チェシャーに代表される北部地域のチーズは,非加熱で圧搾前に塩を加え,高い圧力で圧搾する技法で製造された。南部地域のチーズはチェダーを筆頭に,スコールディング(加熱)技法と,圧搾前に加塩してその後高圧で圧搾する方法を組み合わせて使用した。北部のチーズはスコールディングのステップを踏まないので,南部のものよりも幾分か水分率が高いチーズになった。また酸味が強いのが特徴であった。
 さらに酸味が強くて高い評価を得ていたスティルトン・チーズが,18世紀の半ばに注目を集めるようになっていた。スティルトンの製造者はチェシャーチーズと同様,カードを圧搾する前に加塩する技法を用いていた。おそらくチェシャーチーズからアイディアを借用したのだろう。しかしチェシャーのように高圧でプレスするのではなく,工程の間じゅうホェイの排出をむしろ制限する方法をとっていた。大型円筒型のスティルトンは,熟成の過程でも,そのサイズと形から,蒸発による水分の減少を制限するものだった。その結果,目が粗く,水分の多い,酸味の強いチーズになり,涼しくて湿度の高い環境で熟成させると,内側からも,外側からもカビが発生した。このチーズは非常に水分が多くて柔らかいため,熟成の間,円筒型がだれたりゆがんだりしないように,巻き布で締め固める必要があった。
 熟成時に外側を保護するためのカバーとして巻き布を使用した最初のチーズは,おそらくスティルトンだったと思われる。

ポール・キンステッド 和田佐規子(訳) (2013). チーズと文明 築地書館 pp.237-238

ロックフォール・チーズ

レンネットを使用して羊のミルクをゆっくり凝固させ,非加熱で,海の塩をたっぷりとチーズの表面に擦り込む簡単なチーズ製造技術はこの地でも発展した。出来上がったチーズは酸度も塩分も高く,ペニシリウム・ロックフォルティの生育に適した化学的環境となった。このようなチーズが洞窟の涼しくて湿度の高い環境に置かれて,ペニシリウム・ロックフォルティの生育はさらに高まった。チーズの風味と食感に青カビの成長が与えた影響は望ましいものと評価されるようになり,職人たちは製造方法と熟成の仕方をさらに洗練し,青カビによるチーズ製造を盛んに推し進めていった。
 ロックフォールチーズに関する確実な記録で最も早いものは1070年の,1人の貴族が「洞窟」と荘園をコンクのベネディクト修道院に寄進した時のものである。チーズの製造はこの地域ではすでに十分発達しており,修道僧たちは小作の農民たちとともにチーズ作りの技術を向上させるべく働いていた。この地に数多くある修道院が自分たちの「洞窟」をロックフォールに所有するようになり,チーズの生産を修道僧が管理運営するようになって,目に見えて発展した。

ポール・キンステッド 和田佐規子(訳) (2013). チーズと文明 築地書館 pp.215-216

ウォッシュタイプ

数頭の牛を飼うことのできた農家では,搾乳後すぐにチーズを作り始められるだけのミルクが採れたのだろう。荘園の農家の女性がコルメラのフレッシュチーズの手法(まだ温かい新鮮なミルクを,非常に強いレンネットで急速に凝固させる方法)をそのまま修正しないで使ったとしたら,出来上がったチーズは水分量の多い,しかし酸味の少ない特徴のものになっただろう。
 このチーズを,根菜用の地下室のような涼しくて湿度の高い環境で保存すると,チーズの表面には酵母が発生しやすくなり,そこにオレンジ色の色素を持った,コリネバクテリア菌が増えていく。初めは偶然の産物だったが,のちには計画的に,チーズの表面に付着した,ピンの先ほどのオレンジ色のコリネバクテリア菌のコロニーを擦って,チーズの表面全体に手で塗り広げ,濃度の低い塩水で湿らせることで,赤みがかったオレンジ色のバクテリアの層がチーズの表面全体に広がるようにしたのではないだろうか。
 この基本技術は塗抹熟成とかウォッシュと呼ばれる1つのグループを生みだした。フランス北西部のチーズの作り手はこの方法を用いて,ポン・レヴェックなどのコリネバクテリア菌が優勢なタイプのチーズを作りだした。ウォッシュタイプのチーズは,ヨーロッパ北部の修道院でのチーズ作りと長年にわたって関係があったことから「修道院のチーズ」と呼ばれることも多い。

ポール・キンステッド 和田佐規子(訳) (2013). チーズと文明 築地書館 pp.182-183

白カビチーズ

牛を1頭か2頭しか飼っていない農家では,チーズ作りに入るまでに,2回か3回の搾乳で採れたミルクを混ぜて使うのが実用的だろう。
 涼しいところで貯蔵していたミルクをおよそ85度(摂氏29度)に温め直して,活性レンネットで急速に(約1時間以内)凝固させる方法で,農家のチーズの作り手は水分量の多い比較的酸味の強いチーズを作り出していた。
 このチーズを涼しくて湿度の高い環境,たとえば根菜類の貯蔵用地下室のような場所で保存すると,その環境の影響を受けてチーズの表面に酵母やカビの育成が促進される。チーズの水分量と地下室の湿度が高すぎない状態なら,黒カビや青カビでなく灰色と白いカビがよく生育する。オレンジ色の色素を持ったコリネバクテリア菌状のバクテリアが後からチーズの表面にコロニーを作ることもあり,これは酸度を減少させるイーストやカビの作用による。農家の作るこのタイプのチーズは,たとえばブリー・ド・モーのような伝統的白カビチーズにいくらか類似するものだったと思われる。

ポール・キンステッド 和田佐規子(訳) (2013). チーズと文明 築地書館 pp.181

大きすぎる

エトルリア北部で作られるルナチーズは,その並外れた大きさのゆえ,マルチアリスは『キセニア』の中で上位4位に推薦している。マルチアリスによれば,ルナチーズはエトルリアの月のイメージで,非常に大きく,「奴隷に千食出せるほど」だという。大プリニウスもルナチーズがローマで最も評価の高いチーズの1つであると述べており,454kgからあるという。同じく大プリニウスによれば,ルナチーズはエトルリア国境辺り,北と西に接しているリグリアで作られているということだ。
 マルチアリスも大プリニウスもルナチーズの大きさを強調していた。誇張法は古代ではごく普通に行われていたが,これらのチーズが人々の注意を引いたのは,ローマ人の生活を優雅に飾ったやや小さい乾燥したペコリーノチーズやプリーノチーズよりも,明らかに大きかったからだ。非加熱で軽く圧搾し,表面に塩をするというチーズ製法をコルメラは記述しているが,これは小型の熟成チーズとフレッシュチーズの製法には最適だが,これでは大型の熟成チーズを作ることは全く不可能なのである。こうなると「いかにして大型のルナチーズが作られたか」という論点に戻って堂々巡りになってしまう。

ポール・キンステッド 和田佐規子(訳) (2013). チーズと文明 築地書館 pp.147-148

スパルタの場合

4世紀のギリシャ人著述家クセノフォンによると,スパルタ教育を受けていた生徒たちは若者の食欲を十分に満たすには足らない,ごく質素な食事しか与えられなかったという。しかし,将来の兵士となる訓練の一環として,もっと食欲をそそる食べ物を探して定期的にコミュニティー内で盗みを働くことが許されていた。むしろ奨励もされていたという。少年は食べ物を盗んで捕まると,厳しい鞭打ちの刑に処せられた。これは盗んだことに対する刑ではなく,捕まったことに対してのものだった。一方,盗みに成功すると,感心な少年だということになったのである。アルテミスの神殿は無血の食物の捧げ物が常に豊富にあり,食料を求めて行われる強盗の主要なターゲットとなった。神殿から盗んだチーズの記録を塗り替えることが,少年たちの間で有名な競争にまでなっていたという。

ポール・キンステッド 和田佐規子(訳) (2013). チーズと文明 築地書館 pp.100-101

インドの場合

例を挙げれば,一晩おいてもよい生鮮食品でも,風味がなくなってしまったり,二度火を入れたものは食べるのに適さないとヴェーダに記されている。毛髪や虫が入っていたり,足や衣類のへり,犬が触れたものも同様である。カビのようなくさいにおいがする,虫がわいたかコナダニがついたようなチーズ,ヨーロッパでは愛好されているこうしたチーズが,食品の清浄性がこれほどまで重視されている文化的背景のもとで,盛んに作られるようになるとは考えにくい。
 この点に加えて,チーズの「腐敗」過程(チーズの熟成のこと)を制御する上で技術的な問題もある。インドのおおかたの地方では,1年のほとんどの時期,亜熱帯の高温で湿度が高い,モンスーンによる雨季が繰り返されるため,このような気候のインドで熟成チーズが生まれないことは納得がいく。

ポール・キンステッド 和田佐規子(訳) (2013). チーズと文明 築地書館 pp.62

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