江戸時代中・後期の日本の成功を解釈する際にありがちな答え——日本人らしい自然への愛,仏教徒としての生命の尊重,あるいは儒教的な価値観——は早々に退けていいだろう。これらの単純な言葉は,日本人の意識に内在する複雑な現実を正確に表していないうえに,江戸時代初期の日本が国の資源を枯渇させるのを防いではくれなかったし,現代の日本が海洋及び他国の資源を枯渇させつつあるのを防いでもくれないのだ。むしろ,答えのひとつは,日本の環境的な強みにある。同じ環境要因のいくつかについては,すでに第2章で考察し,なぜイースター島とその他数カ所のポリネシア及びメラネシアの島々が森林破壊に至った一方で,ティコピア島やトンガなどの島々はそうならなかったのかを説明した。後者の島々の住民は,伐採後の土壌で樹木がすばやく再生するという,生態系的にたくましい土地に住む幸運に恵まれた。ポリネシアやメラネシアのたくましい島々と同様,日本では,降雨量の多さ,黄砂による地力の回復,土壌の若さなどのおかげで,樹木の再生が速い。もうひとつの答えは,日本の社会的な強みに関係がある。そういう日本社会の特徴は,森林の破壊危機の前からすでに存在したので,対応策として生み出される必要がなかった。具体的には,他の社会では多くの土地の森林を荒廃させる原因となった,草や若芽を食べてしまうヤギやヒツジがいなかったこと,戦国時代が終わって騎兵が必要なくなり,江戸時代の初期にウマの数が減ったこと,魚介類が豊富にあったので,蛋白質や肥料の供給源としての森林への圧力が緩和されたことなどが含まれる。日本社会は,ウシやウマを役畜として利用していたが,森林伐採と森林由来の飼料の不足を受けて家畜の数は減ってしまい,人間の手で鋤や鍬などの道具を使わざるを得なくなった。
ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.51-52
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