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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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森林破壊要因

太平洋の島々の森林破壊には何が影響しているのか?

 森林破壊の激しさが増すのは——
 湿潤な島より,乾燥した島
 赤道付近の温暖な島より,高緯度にある寒冷な島
 新しい火山島より,古い火山島
 火山灰が大気中を降下する島より,降下しない島
 中央アジアの風送ダスト(黄砂)に近い島より,遠い島
 マカテアのある島より,ない島
 高い島より,低い島
 近隣関係のある島より,隔絶した島
 大きい島より,小さい島

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.185

マカテア:珊瑚礁が地質的隆起によって海面から突き出した地形
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疫病・奴隷

ヨーロッパ人がイースター島にもたらした被害に関する悲話は,手早く簡単にまとめたいと思う。1774年にクック船長が短気逗留して以来,少人数ではあるものの,イースター島にヨーロッパからの訪問者が絶えたことはなかった。ハワイ,フィジー,その他多くの太平洋の島々でも記録されているとおり,そういう訪問者たちが持ち込んだヨーロッパの疫病のせいで,それまでいわば無菌状態にあった多くの島民たちの命が奪われることになったと見て間違いはないだろう。ただ,伝染病に関する具体的な記述が行なわれるのは,1836年ごろに天然痘が蔓延してからのことだ。これもほかの太平洋の島々と同じく,イースター島でも,島民たちを労働に従事させるための拉致,いわゆる“黒人狩り(ブラック・バーディング)”が1805年ごろから始まり,1862年から63年に最盛期を迎えた。イースター島史上最も苦難に満ちたこの時代には,20隻余りのペルー船がおよそ1500人(生存者の半数)の島民を連れ去り,競売にかけて,ペルーの鉱山における鳥糞石の採掘を始め,さまざまな雑役を強制した。拉致された島民たちのほとんどは,囚われた状態のまま命を落とした。国際的な圧力が高まるなかで,ペルーが10人余りの奴隷を帰島させた際,その島民たちが新たな天然痘を持ち込んでしまった。1864年に,カトリックの宣教師たちが島に定住し始める。1872年には,わずか111人の島民しか残されていなかった。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.178

森林破壊事例

イースター島を総体的に描けば,太平洋における森林破壊の最も極端な事例となり,世界的にも,かなり極端な部類に属する事例だといえるだろう。なにしろ,森林が丸ごと姿を消したうえ,全種の樹木が絶滅したのだ。その結果としてただちに島民に襲いかかったのが,原料の欠乏,野生食糧の欠乏,作物生産量の減少という事態だった。
 原料については,完全になくならないまでも,入手できる量が激減した。これは在来の植物と鳥類から得られるすべてのもの,つまり木,縄,布を作るための樹皮,羽根などに当てはまる。大型の木材と縄の不足により,石像の運搬と設置だけでなく,航海用のカヌーの製造も終局を迎えることになった。1838年,水漏れする小さなふたり乗りのカヌーが5艘,イースター島から漕ぎ出してきて,沖合に投錨したフランス船で物々交換を行なったときのことを,そのフランス船の船長が記している。「島民の全員が,興奮したようすで何度も“ミル”という言葉を繰り返し,意味が通じないと見ると,いらだち始めた。この言葉は,ポリネシア人がカヌーの製造に使う木材の名前だった。島民たちが最も望んだのはその木材であり,あらゆる手を使ってそのことをわれわれに理解させようとした……」。イースター島最大にして最高の山を指す“テレヴァカ”という名前には,“カヌーを手に入れる場所”という意味がある。テレヴァカ山の斜面から樹木が除去されて農園に姿を変える前は,その樹木が木材として利用され,今でも,その時期に使われた石製の錐,掻器もしくは削器,小刀,のみなど,木工とカヌー製造のための道具が山中に散乱している。大型の木材が欠乏するということは,風と激しい雨と摂氏十度の気温に見舞われるイースター島の冬の夜を,薪なしで過ごすことを意味する。1650年以降,イースター島の住民たちは,薪代わりに草,芝,そしてサトウキビなどの農作物の屑を燃料に使わざるを得なくなった。屋根葺き材,住居用の小型の木材,道具の材料,布の材料を求める人々のあいだでは,残された灌木を巡る激しい争いが繰り広げられたことだろう。従来の葬儀方式さえ,変更を余儀なくされた。1体ごとに多量の燃料を要する火葬が不可能になり,遺体をミイラにして土葬する方法へと移行していったのだ。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.171-172

石像建築の理由

台座と彫像はポリネシア全体に広く普及していたというのに,なぜイースター島民だけが桁違いの社会的資源を投入してその建造に心血を注ぎ,最大の石像を立てることに熱中したのか?そういう状態に至るまでには,少なくとも4つの異なる要因が作用し合っている。第1の要因は,太平洋に存在する岩石の中でも,ラノ・ララクの凝灰岩が最も彫るのに適した材料だったことだ。それまで玄武岩や赤い岩滓を相手に四苦八苦していた彫り手にとって,この凝灰岩は「彫ってくれ!」と訴えているのも同然の材料だった。2番目に,太平洋のほかの島々では数日間の航海でほかの島々との行き来ができたので,エネルギーと資源と労力とを島同士の交易,襲撃,探索,植民地化,移住などに充てていたが,イースター島には,その孤立性ゆえに,他と競合するというはけ口が閉ざされていたという事情があった。ほかの島々の首長たちは,島同士の交流のなかで,互いの威信と地位を賭けて相手を打ち負かすべく争い合った可能性があるが,私の教え子のひとりが言ったように,「イースター島の腕白坊主たちは子どもらしい遊びを知らなかった」のだ。3番目に,前述したとおり,イースター島が緩やかな地形に恵まれ,各領地に相互補足的な資源があったせいで,ある程度の統合がなされていたことが挙げられる。その結果,島じゅうの氏族がラノ・ララクの石を入手できたので,石を彫ることに夢中になれたのだろう。マルケサス島のように政治的に統一されないままだったとしたら,領地内を近隣の氏族が石像を運んで通行しようとした際,(最終的に現実となったとおり)その行く手を阻んだだろう。4番目として,これから明らかになるように,台座と石像の建造には大人数の作業員の食糧が必要になるが,支配層の管理下にある高台の農園で余剰食糧が生産されていたおかげで,そういう大事業も可能だったことが挙げられる。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.157-158

炭水化物過剰

ヨーロッパ人が渡来した当時,島民たちはおもに農夫としての生活を送り,サツマイモ,ヤムイモ,タロイモ,バナナ,サトウキビを栽培しながら,唯一の家畜であるニワトリを飼育していた。イースター島にサンゴ礁や環礁がないということは,大半のポリネシアの島々に比べ,魚類と貝類が食糧として利用される機会が少なかったという意味にほかならない。最初の入植者たちは,海鳥,陸生の鳥,ネズミイルカを捕獲できたが,これらの動物はいずれ減少したり絶滅したりすることになる。その結果,島民たちは炭水化物を過剰摂取し,さらに悪いことに,供給不足の真水を補うためにサトウキビの汁を大量に飲用した。この時代の虫歯の発生率が,現在わかるかぎり,先史人類中最も高いと聞いても,意外に思う歯医者はひとりもいないだろう。おおぜいの子どもたちが,14歳になる前にすでに歯に穴をあけてしまい,20代になると全員が虫歯を持っていた。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.142-143

あらゆる島へ

先史時代におけるポリネシア人の広汎な進出は,同時代の人類が行なった海洋探検のなかでも,最も飛躍的でめざましい出来事だった。古代人類がアジア大陸からインドネシア諸島経由でオーストラリアとニューギニアへと至る太平洋上の航路は,紀元前1200年まではニューギニア東方のソロモン諸島止まりだった。同じころ,ニューギニア北東のビスマルク諸島に起源を持つとされる人々——ラピタ式として知られる土器を創り出し,海上及び農耕生活を送っていたとされる人々——が,ソロモン諸島東域の開けた海上で1600キロメートル近く波に流され,フィジー,サモア,トンガにまで漂着して,ポリネシア人の祖先となる。ポリネシア人は,羅針盤も,文字も,金属製の道具も持ち合わせていなかったが,航海術と有機堆積物,人骨など,考古学上の証拠が豊富に発見され,放射性炭素年代測定が行なわれたことによって,ポリネシア人たちの広汎な民族進出に関するおおまかな時代と経路が明らかになっている。ポリネシア人たちは,紀元1200年ごろまでに,ハワイ,ニュージーランド,イースター島を結ぶ広大な海上の三角形の中で,居住可能なあらゆる小島に到着していたのだ。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.137

アジア原産

イースター島民がアメリカではなくアジアに起源を持つ典型的なポリネシア人であること,そして,イースター島の文化が(石像さえも)ポリネシア文化から派生したものであること,このふたつを立証する数々の証拠に,ヘイエルダールもフォン・デニケンも目を向けようとしなかった。1774年,クック船長が短期滞在した際,同行のタヒチ人とイースター島民とが会話を交わせることからすでに判断しているように,イースター島の言語はポリネシア系のものだ。正確にいうなら,イースター島民はハワイ語及びマルケサス語と同系の東ポリネシア系のものだ。さらにいえば,初期マンガレヴァ語として知られる方言とも関わりが深い。イースター島の釣り針や石製の手斧,銛,珊瑚製の鑢などの道具は,典型的なポリネシア様式を呈し,特に初期のマルケサス型に類似している。また,島民たちの頭蓋骨の多くに,“ロッカー・ジョー”として知られるポリネシア独特の形状が見て取れる。イースターの台座で発見された12個の頭蓋骨からDNAを抽出し,分析したところ,すべての検体に,大多数のポリネシア人に見られる9塩基対欠失と3つの塩基置換が認められることがわかった。この3つの塩基置換のうちふたつが,南米住民には見られないもので,これは南米住民がイースター島の遺伝子給源に資したとするヘイエルダールの説に対する反証となる。イースター島の作物であるバナナ,タロイモ,サツマイモ,サトウキビ,カジノキは,おもに東南アジアを原産とするポリネシアに特有の作物だ。イースター島唯一の家畜であるニワトリもポリネシア特有のもので,もとをたどればアジアが原産であり,また,最初の入植者のカヌーで“密航”してきたネズミについても。同様のことがいえる。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.136-137

どうやって渡ってきたのか

イースター島に数多くの謎があることは,すでにヨーロッパから訪れたこの島の発見者ヤコブ・ロッへフェーンも気づいていた。オランダの探検家であるロッへフェーンは,復活祭日(イースター・デー;1722年4月5日)にこの島を見つけ,今なおのコルソの呼び名を,発見日に因んでつけたのだ。到着時のロッへフェーンは,大型船3隻でチリを出発して以来,まったく陸地を見ずに,17日間かけて太平洋を突っ切ってきたところだったので,船乗りとして当然の疑問を抱いた。イースターの岸辺で出迎えてくれたポリネシア人たちは,いったいどうやって,これほど辺鄙な島にたどり着いたのか?今では,西方向にあるポリネシアの最寄りの島から出航してイースター島に着くまで,少なくとも同じ日数を要しただろうということがわかっている。ロッへフェーンと後続の訪問者たちは,島民たちの水上移動の手段が水漏れのする粗末な小型のカヌーだけだと知って驚いた。長さはわずか3メートルで,ひとり,もしくはせいぜいふたりしか乗れないものだったからだ。ロッへフェーンの記録によると,「島民たちの帆船は,扱いづらく,作りも華奢である。その小舟は,雑多な小型の厚板と内装用の軽い木材を組合せ,野生植物から採った非常に細い撚糸で器用に縫い合わせてある。しかしながら,島民は知識不足で,ことに,水漏れ防止用の材料と,船体の至るところにある縫い目を閉じる材料を持っていないので,この船は非常に水漏れを起こしやすく,漕ぎ手は乗船時間の半分を水の掻い出しに費やさねばならない」という。こんな状態の船しかないのに,作物とニワトリと飲み水を携えた入植者たちは,どうやって2週間半にわたる海の旅を無事に乗り切ったのだろうか?

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.126-128

旋回病

旋回病は,発生地であるヨーロッパから誤って持ち込まれた。1958年にデンマークからペンシルヴェニア州のある養殖場に輸入された魚が,後日,この病気に感染していたと判明したのだ。現在,この病気はアメリカ西部のほぼ全域に広がっている。鳥を媒介とする感染経路もあるが,感染した魚が(公共機関,私設の養殖場を含め)人間の手で湖や河川に放流されたことが大きい。この寄生虫は,いったん水域に入り込んでしまうと根絶が不可能になる。この病気が原因で,モンタナで最も有名なマスの棲処マディソン川では,1994年までにニジマスの個体数の減少率が90パーセントを超えてしまった。

ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社

立て直すことができるか

我々の技術がどんなに優れていようと,それが効果を発揮し役に立つのは,適切な社会—生態学的背景に合わせて設計され,その中で使われるときだけだ。大事な問題は「私たちはウンコを基礎とする新しい技術を設計できるか?」ではない(当然できる)。「自分たちが考えだすどのような技術も,人類にとって住みやすい地球の繁栄と持続のために役立たせるように,私たちはみずからを立て直すことができるか?」だ。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.213

健康という目標

健康は,世界的に見ると文化によって表され方は多少違っても,普遍的に(不完全にせよ)理解され望まれる,何より大事な目標であり続ける。だが,この健康という理想がいつも私たちから抜け落ちているように思われるのは,なぜか?誰がどこでとか,糞問題と地域の飢餓とか,赤ん坊か老人かとか,気候変動かやりがいのある仕事かというような細かい問題に引き戻されてしまうのだろうか?
 旧来の技術的・科学的な知は,目的にどう達するかは関係ないと私たちに思わせるかもしれない。問題なのは分析と技術的な処置だけだと。それでも私たちはたいがい,この考えがうまくいかないことを知っているのだ。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館

誰が予想したか

工業化されたヨーロッパの下水道は,本来工場排水と生活排水を運ぶように設計され,排泄物は想定していなかった——もっとも都市住民は脱法的に脱糞することで知られていたが。上水道が導入されると,家庭の衛生は向上したが,汚水溜めがあふれ,近隣に悪臭と病気を生み出した。
 19世紀初めには,裏庭の汚水溜めの問題が相当深刻になったため,パリとロンドンの住民は汚水溜めを市の下水道に接続することを許可された。これは,ウンコを窓から投げ捨てたり,裏庭に溜めて通りに漏れ出させるよりは進歩したかに見えた。しかし都市の下水道はこれほどの量の人糞を受け入れるように設計されていない。人類がこんなに大量のウンコを発生させるなんて,誰が思っていただろう?

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.120

江戸時代

日本人も,人間の排泄物を農業に利用することにかけて,長い歴史と熟練の技を持っている。それは江戸のような都市ができる以前から存在するが,都市化が進むにつれて特に盛んになった。農民は桶を田畑の脇に置いて,排便するときにはそれを使うように旅人に頼んだ。自然の循環をまねた行為が網の目のように張り巡らされた17世紀の都市,江戸は,船に野菜やその他の農産物を満載して大阪に送り,人糞と交換していた。都市と交易が拡大し(1721年の江戸の人口は100万人だった),集約的な稲作が増加するにつれ,屎尿を含めた肥料の価格は大幅に高騰した。18世紀半ばには,ウンコの持ち主は支払いに銀を——野菜だけでなく——要求した。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.112

ジアルジア

ジアルジアが引き起こす病気は軽いものではなく,下痢,鼓腸,腹痛,食欲減退などを伴う。その治療自体も楽なものではない。「国境なき医師団」カナダ支部の事務局長で獣医師のエリン・フレーザーは,ホンジュラスで小規模養鶏の調査をしていた。私が彼女の住む辺鄙な村を訪ねたとき,エリンはほとんど消耗しきっているようだった。おそらくジアルジア症だろうとエリンは言った。そして治療もやはり手荒なものと聞いていたので,何とか「乗り切る」つもりだった。健康な人ではたいてい,ジアルジアは「自己限定的」——しばらくすると自然に消滅する病気を表すのに獣医や医者が使う面白い言い回し——だろうと。でもそれならすべての病気は自己限定的じゃないだろうか?それどころか私たちも自己限定的じゃないだろうか?エリンの指導教官として,私は正直なところ少なからず心配だった。だが彼女は切り抜けることができた。
 この病気は「ビーバー熱」と呼ばれてきた。野生のビーバーが持っていることがある——イヌや,ネコや,ウシや,子どもと同様に——のが知られているからだ。「ビーバー熱」という言葉は元々,ハイカーが山の渓流の澄んだ水を飲んで発病したことから造語されたものだ。おそらくビーバーの糞便で水が汚染されていたのだろうと。ほとんどの人は保育園に通う子どもからこれを移される。この年頃の子どもたちは,うんちのあとで手を洗うとは限らないからだ。保育園は大人にとってA型肝炎の大きな感染源でもある。これもまた糞口感染する病気で,北米で拡大を続けている。A型肝炎の影響は,機能免疫系が感染した細胞を攻撃することで引き起こされるが,子どもは免疫系が完全に機能していないので,A型肝炎ウィルスは子どもには必ずしも害を与えない。だが子どもたちがそれを家に持ち帰ると,ママやパパが重症になることがある。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.98-99

トキソプラズマ症

トキソプラズマはとても小さな寄生虫で,ネコの腸内に棲み,有性生殖を行なう。ネコ科動物はシスト(訳注:表面に膜を作って休眠した状態の生物)を便の中に出すことができる唯一の動物であり,それも初めて感染した子猫の時期だけだ。トキソプラズマは子猫に抑鬱と食欲不振を引き起こすことがある。トキソプラズマに感染した動物の行動が変わることも証明されている。感染したネズミはネコをあまり怖がらなくなり,食べられやすくなって,感染のサイクルが完成する。
 だが,トキソプラズマ症がより心配されるのは,人間の病気としてだ。成人の大部分では,発熱,痛み,目の中の小さなシスト(飛蚊症)といった症状が出る。脳内のトキソプラズマのシストが統合失調症と関係していると主張する研究者もいる。女性が妊娠中に初めて感染すると,流産や死産になったり,子どもがあとで学習障害を起こしたりすることがある。人に感染した場合,シストはその筋肉や臓器に潜み,普段は悪さをしない。ところがその人が免疫抑制状態になると,シストが「目覚め」る。エイズの流行が始まった頃には,こうして復活したシストによるトキソプラズマ脳炎が,死因の多くを占めていた。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.96-97

お返し

生態学的に,すべての種の排便行動は,私たちを生命,誕生,食,脱糞,死,再生の見事な共同体として結びつける一種の贈り物だ。私たちがものを食べるとき,私たちは生物圏から贈り物を受け取っている。私たちがウンコをするとき,私たちはお返しをするのだ。私たちの摂食と排便行動は,我々がこの地球上でどのような市民であるか,いかなる投票行動よりも多くを物語る。これが,クソがクソの役には立つ根本的な理由なのだ。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.84

水分量

ヒツジもウシも共に草を食べるが,ヒツジは必要な水分の多くを草から取り,ウシに比べると飲む水の量が非常に少ない。その糞は乾いていて塊にならない。このようにヒツジは水の利用効率がよく,だから砂漠でウシよりも多く見られるわけだ。また,ヒツジは根元近くから草を食べる。放射性物質で汚染された牧草地を除染するために使われた(放射能を帯びた草を食べさせて取り除くことで)のはそのためだ。この採食行動には生態学的にもっと大きな意味もある。オーストラリアは毎年約2万5000トンの羊肉と100万トンを超える生きたヒツジをサウジアラビアに輸出している。このことがオーストラリアの土壌からアラビア半島への栄養分の移動にどう影響するか,疑問が生じるかもしれない。もちろん,ヒツジが水気の多い青々とした牧草地で草を食べることもあり,そうすると生物学者のラルフ・リューインがクワの実状の「チビクソ(シットレット)」と呼ぶものを作り出す。この言葉を私も気に入っており,もっと使う機会を見つけなければならないと思っている。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.75-76

ヒツジ・ウシ・ウマ

ヒツジは,ウシと水牛を除く偶蹄類の例にもれず,円筒形か丸型で通常は片方の端が突き出し,もう一方がくぼんだ粒を小さな山にして落とす。
 ウシ,スイギュウ,バイソンは,円形に積み重なった平べったい糞を落としていく。昔よくパイとかパットとか呼んだものだ。これは形が非常にはっきりしているので,飛ぶ虫を引き寄せ,卵を産み,幼虫が孵り,そうすることでウンコは鳥が食べられるタンパク質へと変わる。糞虫も引き寄せられ,糞を次の世代への糞虫へと変える。
 馬糞はイボイノシシのものに似て——飛行機で隣の席の人に話すのにちょうどいいムダ知識だ——ソラマメ型と言われているが,私には黒っぽいライ麦パンに見える。そう感じたのは私だけではないようだ。というのは冒険心にあふれる企業が少なくとも一社,馬糞が道路に落ちる前に受け止める「バン・バッグ」と呼ぶものを開発しているからだ。馬の糞はリンゴに似ていると思った人もいたに違いない。だから「道のリンゴ(ロード・アップル)」という言葉が生まれたのだ。もっともこのアメリカの俗語は,そもそもは旅芸人を指すものだったようだが。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.74-75

すべてを包み込む

いま私が述べた食物摂取,廃棄物処理,排泄から,また一歩下がってみよう。私たちが住む世界は,廃棄物やウンコを作りだす木やウシや鳥,そしてそれぞれの相互作用が集まっただけのものではない。こうした相互作用のすべてから見えてくるもの,一歩引いて自分が巨人になったと想像すると見えるものが,人によっては生態系と呼ぶものだ。自分がその一部となる大きな網の目を想像できることは,心構えを「持続可能な畜糞処理」から,一切の無駄がない生物圏での持続的な生活へと移すのに欠かせない。このすべてを包み込む生命系を思い描けるなら,このように想像できるだろう。ウンコは存在しない。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.60-61

利用するため

ここで覚えておくべき要点は,どのような命名法や分類法も,たとえ目に見える特徴にもとづくものであっても,結局は人間が利用するために人間が作ったものであり,何にもまして私たちの観察の尺度と視点に左右されるということだ。廃棄物とウンコは動物と植物に関連する分野であって,生態系に関わるものではない。生態系においては栄養循環を分類するほうが重要だ。これは,廃棄物として扱われる時にはウンコと呼ばれるもの,そして生物圏の生命にとって必要だと,ほとんど考えられていないものに取り組むときに重要になる。
 ウンコを私たちから切り離されたものとして考えるのと同じように,植物と動物を分けて考えることは,大半の人間の関心が向いている普通の日常生活における実用的レベル,つまり顕微鏡を覗いたり宇宙から見下ろしたりしているのでなければ,まったく有効だ。日常生活では,植物が厳密には動物と同じようにして排泄物を作り出しているわけではないことがわかる。さらに,嫌気性バクテリアであれば茂みからやってくる酸素の臭気に不快になるだろうが,私たちのほとんどは,夜の森のすがすがしい空気の香りを心地よく思うだろう。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ 片岡夏実(訳) (2014). 排泄物と文明:フンコロガシから有機農業,香水の発明,パンデミックまで 築地書館 pp.55-56

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