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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ダイバージェント

「侵略を非難する者たちは,<平和>という派閥を形成しました」
 <平和>のメンバーらがほほえみを交わしている。いずれも居心地がよさそうな赤や黄色の衣服を身につけている。いつ見ても,親切で愛情深く,自由な人たちの集団のように思える。でも,仲間に加わりたいと思ったことはない。
 「無知を非難する者たちは,<博学>の一員となりました」
 わたしは,<博学>だけは選択肢からあっさりと除外することができた。
 「不誠実な行為を非難する者たちは,<高潔>という派閥を作ったのです」
 わたしは<高潔>は好きになれなかった。
 「利己主義を非難する者たちは,<無欲>を作りました」
 わたし自身,利己主義はよくないと思う。その気持ちに嘘はない。
 「そして臆病を非難する者たちは,<勇敢>となったのです」

ベロニカ・ロス 河井直子(訳) (2014). ダイバージェント 異端者 上 pp.47-48

引用者注:この5つの派閥は,Big Fiveパーソナリティに対応していると考えられる。<平和>=情動の安定=情緒安定性(Emotional Stability)=低神経症傾向(Neuroticism),<博学>=開放性(「知性」とされることもある;Openness, Intellect),<高潔>=不誠実を非難=誠実性(勤勉性;Conscientiousness),<無欲>=利己主義を非難=協調性・調和性(Agreeableness),<勇敢>=臆病を非難=外向性(Extraversion)。もちろん,Big Fiveパーソナリティは類型ではなく特性なので,それぞれの次元を同時に有し,その程度が異なる形でパーソナリティが記述される。その意味で,誰もが「ダイバージェント」であると言える。
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衣料品から

18世紀のロンドンでは,万引きの27.1パーセントが衣料品だった。衣料品を盗む人の目的がよい服を着ることだったのか,盗んだ服を売りさばいて利益を得ることだったのか,その両方なのかは明らかではないが,衣料品はこの数百年間,万引被害が非常に多いカテゴリーだった。もとは衣料品の万引きを防ぐために50年前に登場した防犯ビジネスも,いまやあらゆる商品を対象にし,業界は数十億ドル規模に成長している。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.147

オンライン上で

この数百年,万引き(ショップリフティング)といえば店(ショップ)から物を盗むことだった。ところが,20世紀末以降の音楽業界のお偉方の言うとおりだとすれば,いま私たちは意識変革を迫られている。ショップリフティングが消えてしまうかもしれないのだ。ほかのあらゆることと同じく,万引きもオンライン上へ移行している。
 1999年,CDを万引きすることなど考えたこともない善良な市民が楽曲を違法にダウンロードしはじめ,そうした行為を非難する側はこれを“電子万引き”と呼んだ。ピアツーピア(P2P)(ネットワーク上で対等な関係にある端末間を相互に直接接続し,データを送受信する通信方式)の各種ファイル交換サイトが,音楽配信サービスを行う<ナップスター>に取って代わったあとも,この呼び名は残った。
 2002年,このようなサイトの規制を検討する<米国議会公聴会>が開かれ,ヴァージニア州選出のある議員はファイル交換ソフト<カザー>を“ホーム・ショップリフティング・ネットワーク”と呼んだ。P2Pファイル交換を万引きと呼ぶ人々は,実店舗での万引きよりも電子的な万引きに重い処罰を科すべきだと主張し,違法にファイルを交換した者(大学生や主婦も多かった)には,従来の万引きより何倍も高い罰金が科せられた。
 それと同時に,かつてアビー・ホフマンやイッピーが万引きを“解放”と呼んだのと同じく,コンピューターの名プログラマーやシリコン・ヴァレーの起業家,技術系ジャーナリストたちは,P2Pファイル交換は万引きではなく“取り引き”だと反論した。彼らの言い分はこうだ。インターネットのファイル交換プログラムという新領域には,従来の財産権法を適用すべきではない。なぜなら,そのようなプログラムを使っても(文字どおりの)ショップリフティングなどできないし,犯罪とは言えないからだ——音楽はチューインガムのように盗むことのできる物ではないから,ファイル交換行為は万引きではない。
 さらに,P2Pは商業性の低い楽曲を広く普及させることによって音楽業界を助けている,という意見まで出てきた。オランダのあるファイル交換企業は,自社を“正直な泥棒”と謳った。しかし,電子万引きとCDの万引きとの関係でいちばん知りたい次の疑問の答えは,いまだに出ていない——「P2Pファイル交換で有罪になった人は,<タワーレコード>米国法人が倒産する前に店舗でCDを万引きしたことがあったのだろうか?」ということだ。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.137-138

収入と万引き

万引きと収入の関係を調査した数少ない研究では意外な結果が出ている。1960年代のある画期的な論文では,裕福に見える万引き犯は貧しく見える万引き犯より拘留されることが少ないことが示された。<センター・フォー・リテイル・リサーチ>社の社長,ジョシュア・バムフィールドは,統計で示される裕福な万引き犯の数は実際の数より少ないと考えている。「<ハロッズ>では数か月に1回,大富豪の万引き犯が逮捕されていますよ」と彼は言う。
 「万引き犯の実像」という論文によると,一般的な万引きの犯人像は「家庭の中心的な買い物担当者」で「通常,収入のある職についていて」,家計の足しにするために盗むとされる。収入と万引きの関係を調査した最新の研究では,年収7万ドルのアメリカ人による万引きは,年収2万ドル以下のアメリカ人より30パーセントも高いことが判明した。収入がいくらか多めの人たちは,収入が少ない人々より,欲望が刺激されやすいようだ。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.124

この本を盗め

いま『この本を盗め』を読むと,当時の世界はなんと無邪気だったのだろうという感慨を覚える。搭乗券を持たずにゲートを通って飛行機にタダ乗りすることなど,9・11事件以後の世界では考えられない。窃盗に関するホフマンの言葉にも,やや古臭く思えるものがある——「ぱくることは革命を愛するゆえの行動だ」。それでも,無銭飲食の項には,ロビン・フッドさながらに,いくらかは時代を超越したことも書かれている。「スーパーマーケットが登場したころから,ぼくらは日常的にスーパーマーケットから盗んでいるが,まったく疑われていない……しかも,盗んでいるのはぼくらだけではない。これほど盗みが行われていてもスーパーマーケットは大儲けしているのだから,そもそもいかに不当な高値で売られているかわかるというものだ」

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.77

窃盗症

第一次世界大戦が始まると,ヨーロッパの精神分析医もアメリカの精神分析医も窃盗症の原因を性的に解釈する説を離れ,万引きも含めたあらゆる窃盗を心的外傷による行動として説明しようと試みた。戦争によって社会的にも文化的にも劇的な変化があったことで,性的表現を忌避しようとしたヴィクトリア朝時代(1837〜1901年)の価値観とそれへの抵抗は,もはやたいした問題ではなくなっていたのだ。シュテーケルは『異常行動』で,「盗みの対象に象徴的な意味を見いだすだけでは不十分だ。盗む行為そのものが,本人が得ることのできなかった重要な価値を持っている。それは患者の過去において報われなかったほかの何かの代償行為を表わすものであり,一種のゲームとなる。盗みは衝動的な反復行為なのだ」と書いている。
 精神医学が精神分析学に取って代わると,窃盗症を性的要因から解釈する説はますます下火になった。1952年に<米国精神医学会>が発行した『精神疾患の診断と統計の手引』(DSM)第1版では,性的抑圧について言及されておらず,窃盗症の定義そのものも記載されなかった。1970年代までには,薬理学の発展と性革命によって,窃盗症の性的抑圧説は廃れていた。性的な意味合いが取り払われた窃盗症は,次に述べるように新たに政治的行動としてみなされるようになる。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.66

性的抑圧と窃盗

女性の性的抑圧が窃盗症を引き起こすという説は,1906年前後にフロイトの弟子たちによって広められた。彼らはエディプス・コンプレックスを窃盗症に当てはめ,女性の窃盗を“幼児期の復讐幻想”と“去勢コンプレックス”に原因があるとし,万引きとセックスを同一視することもあった。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.64

クロプマニア

窃盗を疾病とみなす考え方のもうひとつのルーツは,フィリップ・ピネル(1745〜1826年)が1806年に著した『精神病論』に見られる。ピネルはナポレオンの侍医を務め,近代精神医学の父と呼ばれた人物だ。精神病患者を鎖で拘束するのに反対したことで知られる。精神疾患の体系的な診断法を開発し,それをパリで他の医師たちにも教授した。
 1816年,ピネルの弟子でスイス人のアンドレ・マティは,ギリシャ語の“kleptein(盗む)”と“mania(狂気)”を組み合わせて,窃盗症を意味する“klopemania”という新語を作った。アンドレ・マティは“クロプマニア”に分類される盗みを「窃盗傾向」と「必要のない窃盗」と呼び,この種の形質があがって盗みをした者を何人か例示している。マティはクロプマニアの窃盗衝動は「持続的だが,錯乱をともなうことはほとんどない」とし,「理性は維持されており,この隠された衝動を抑えようとするが,“窃盗傾向”が意思を凌駕する」と考えた。こうした理論は,法廷での万引きの無罪判決につながった。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.54-55

骨相学

骨相学の父祖とされるドイツ人のフランツ・ジョセフ・ガルと同僚のユハン・ガスパー・シュプルツハイムは,彼らの説がキリスト教に反するとして,1801年にはオーストリアに入ることを禁止された。2人は数年にわたって,ヨーロッパで各地で講演をし,最後にパリへ着く頃にはころにはかなり有名になっていた。そのころまでには,ガルとシュプルツハイムは一般の人以外に殺人犯や強盗犯の脳も研究していた。ガルは,脳内の“物欲性向の器官”が大きいと人は盗みを行うとし,“獲得性向の器官”によっても窃盗が促されるとした。頭蓋上部にあるとされる“殺人性向の器官”とは異なり,“窃盗性向の器官”は側頭部にあると説明した。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.53

ルソーの盗み

18世紀のフランスの大思想家ジャン=ジャック・ルソーは,軽窃盗を単なる犯罪とはみなさなかった。本質的に,それは市民による政治的行動であり,貴族階級や君主制への反逆であると論じた。
 フランスの民衆による“バスティーユ監獄襲撃”の2年前,1787年に死後出版された『告白』で,ルソーはみずからの体験として,自慰,三角関係,マゾヒズム,子捨て,そして盗みの経験を告白している。少年時代にジュネーブで彫金師の弟子をしていたとき,民衆からアスパラガスやリンゴを盗み,親方の道具を断りなく使ってその「技量」も盗んだ。盗みが明らかになるや,今度は罰せられることと盗む喜びが結びつくようになった。「盗みと罰は切り離せないものだとわかった」とルソーは書いている。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.39-40

厳罰化・重罪化

ウィリアム三世統治下の1699年,英国議会は窃盗を厳罰化する法律を可決した。この“万引き法”は1688年から1800年に制定された150を超える法律のひとつで,多くの犯罪を死刑と定めたため,のちに“血の法典”と呼ばれた。この法律によって,5シリング以上の物品を万引きした者は絞首刑に処されることになった(窃盗犯の流刑地だった北米植民地やオーストラリアのボタニー湾近辺の地が,1660年以降,イギリスの受刑者を徐々に受け入れなくなった事態への代替策でもあった)。また,万引き犯を警察へ突き出した者は公職奉仕の義務を免除される,とも定められた。“血の法典”では,5シリング以上の価値の物品の万引きなど,一部の重罪から“聖職者の特典”と呼ばれていた恩赦も削除された(14世紀以来,免罪符として知られる聖書の詩篇51篇の冒頭部を読むことのできた罪人は,流刑や死刑を免除され,焼印だけで放免されたことがあったのだ)。
 こうした厳しい万引き法をもってしてもこの犯罪は減らなかった。殺人件数は少なかったが,万引きも含めた窃盗全般は急増する。多くの歴史学者が認めるように,当時,ロンドンの全犯罪の大半を占めたのが窃盗である。

レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.30-31

息を止めるな

「スイミングは,いつ呼吸するかに積極的に意識を集中しなくてはならない唯一のスポーツです。そうしないと,うまくいかなくなる」とは,米国水泳連盟でコーチ長を務めるスコット・ベイの言葉だ。
 数カ月後に電話で話したときに彼が言っていたが,問題は私たちが「まだほんの子供のときに,息を大きく吸って,止めて,それから水に入るように言われたときに」始まった。わたしたちは一生,それを守り続けがちなのだそうだ。その結果が上達の大きな障害になりかねない。「もし,たったの0.5秒息を止めたら——」とベイは続ける。「たったそれだけの間,息を止めただけで,体の中心部のすべての筋肉,特に横隔膜の筋肉を収縮させてしまう。そして,筋肉は収縮するたびに,いくらかの酸素を燃焼する。したがって,中心部の筋肉が燃料の酸素を燃やし,血液のなかに酸素を注ぎ込む代わりに,そこから酸素を奪ってしまう」。さらに,泳ぐために酸素を必要としている筋肉からも奪う。「息を止めてはいけません。顔が水に浸かっているときに,ゆっくり息を吐き出しなさい。できるだけ普通に。リズミカルに呼吸するよう試みて」

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.133-134

突然変異体

「何のスポーツであれ,オリンピック選手は突然変異体です」とは,畏怖の念に打たれたあるコーチの言葉だ。「彼らは(統計分布の)釣鐘曲線の端っこにくる人たちです。完璧な体形と,完璧な生理機能と,完璧な精神を合わせもっている。<英国王のスピーチ>を観ましたか?どこかの場面で,コーチが王に“大事なのは技巧じゃない”と言ったでしょう?そう,あるところまで来ると,もはや技巧ではなくなる。その何かがオリンピック選手の勝敗を分ける。強い精神力があるか?あの大舞台で決定的な瞬間に力が出せるか?」
 彼らはそれをネックアップ(首から上)と呼ぶ。なぜなら,多くの勝敗が頭のなかで決まるからだ。したがって,レース直前の作戦は平静さを失わせる可能性がある。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.127

終わりなき競争

過去30年間に,一般的に世界最速スイマーを決めるレースとされている50メートル自由形のタイムを,男子はほぼ2秒,女子は2秒以上縮めた。水泳の世界では,これはとてつもなく大きい。ちなみに,マーク・スピッツが1972年のオリンピックで金メダルの1つを獲得した100メートルバタフライのタイムは54秒27だった。今日の記録は49秒82である。オリンピック選手(のちに銀幕でターザンが演じた)のジョニー・ワイズミュラーが,1922年に100メートル自由形で1分の壁を破ったとき(同じくアメリカ人のデューク・カハナモクが保持していた世界記録を更新),世界中でトップ記事になった。そのときのタイムは58秒6だった。今日の世界記録は46秒91だ。まだまだ続けられる。そして,タイムを縮める終わりなき競争のなかで,選手たちが将来にわたって続けていくだろう。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.120-121

特殊な体型

長身も有利だ。ジョーンズは198センチ。400メートル自由形の世界記録を保持する十代の中国人選手,孫楊は2メートル近くある。アメリカ人の驚異の十代選手ミッシー・フランクリンは185センチ。オリンピックで計6個のメダルを獲得しているライアン・ロクテは189センチ。翼幅が長いのも助けとなる。マイケル・フェルプスが両腕を広げた幅は,身長より7.5センチも長い204センチに達する。翼幅が身長より15センチ長い選手もいる。スイマーの長い四肢の先には特大の手や足がついている。大量の水をすくい上げるフィンサイズの付属物だ(フランクリンの靴のサイズは31センチある)。
 彼らの脚は後方にしなり,歩き方をみれば,種目が分かる。自由形の選手には内股が多く,平泳ぎの選手はアヒルのような歩き方をする。彼らの体はやわらかい——とんでもなくやわらかい。フェルプスが足首をほとんど脚にぴったりとつけられるくらい前に曲げられることは有名だ。パーフェクトなヒレ足だ。オリンピック選手ダラ・トーレスの足の指は,手の指さながらに動かすことができる。ほぼ全員が肝心な部分の関節は通常よりずっと可動域が広い「二重関節」になっている。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.112-113

ローリング

泳ぎ方が変わった時にはなおさらだ。たとえば,わたしが子供だったときには,クロールは身体を平らに,それもヒラメのように真っ平にして泳ぐよう教わった。地上で手本を見せてくれるようインストラクターに頼むと,彼らはじっと立って腕だけを動かした。右,左,右,左。呼吸についても同じ。体全体ではなく頭だけをターンしながら,胸いっぱいに息を吸い込めと教わった。
 今日,すべてはローリングにつきる。頭と背骨を一直線に保ち,前方に手を伸ばすとき,体はパンケーキよりはナイフのようでなくてはならない。手本を示す人はデッキに立って,ヒップと反対側の腕を前へ後へと動かす,まるでジルバでも踊っているかのような動作をするだろう。
 「水中でピラティスでもするように,身体のすべての部分を一直線に並べることを習得しなくてはならない」。説明が抜群に上手いからと推薦された,テキサス州サンアントニオの有名な元クラブコーチ,ジョージ・ブロックは助言する。「体幹を使って流線形を作り,次に腕と脚で推進力を加えなさい」と。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.100-101

平泳ぎ

まずはカエルから始めよう。この名人級スイマーの小さな両生類の名は,ディグビーがそのパイオニア的マニュアルに「一級の泳法」とした平泳ぎの脚の動きに「カエル足」として冠されている。平泳ぎ(ブレストストローク)は,腹を下にし,顔を自然に前方に向けた姿勢で泳ぐため,ヒューマン(ストローク)またはチェストストロークとも呼ばれている。300年以上もの間,それはヨーロッパ人とアメリカ人にとって,どこで泳ぐにしろ,事実上,唯一の泳法であった。平泳ぎでベンジャミン・フランクリンはテムズ川を下り,バイロンはヘレスポントスを横断し,ウェブはドーバー海峡を渡った(もっとも,ウェブは,当時は一般的だった顔を水面上に出したままの姿勢で21時間泳いだため,首の後ろに痛みを伴う水膨れができた。また,彼は腕と脚を同時に動かしていた)。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.84-85

水泳の定義

「水泳の定義」は,19世紀のあるインストラクターによると「身体を浮かせた状態で進むことである。これが達成される限り,どのように——どのような方法やフォームで——行うかはほとんど問題にならない」
 非常にシンプルである。アイザック・ニュートンがこれをさらにシンプルにした。
 「すべての作用には,それと大きさが等しい反作用がある」。これは運動の第三法則であり,実際,水泳の第一法則である。水中で前に進もうとすれば,水を自分のほうに引き寄せるか,前に押さなければならない。するとその作用によって進むことができるのだ。スイミング用語でこの“引く”と“押す”動作は「キャッチ」と呼ばれる。腕と脚をもとの位置に戻す動きは「リカバリー」だ。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.81-82

ジレンマ

水泳は体の線をなめらかにし,確実に脂肪を燃焼してくれるけれども,体重減少に直接役に立ちはしない。インディアナ大学運動療法学科の副学長ジョエル・ステイガー博士によると,それは「体重減少は効率,すなわち行った運動量をその運動の代謝コストで割ったものが問題」だからなのだ。「ところが,体重を落とさなければならない大半はあまりに太っていて,効果が出るほど長い距離を泳げない。反対に,上手に泳げる人ほど効率のよい泳ぎをしているので,代謝運動の量は少ない。つまり,もし体重を減らすために泳いでいるとすれば,泳ぎが上達することは,むしろ目的を頓挫させているのです」。浮力のせいですよ,と彼は言う。「浮力がスイミングのエネルギー消費を減らしているのです」。それはジレンマだが,ステイガー博士は気にしない。体重は体型の重要な指標にはならないと指摘する。筋肉は脂肪より重いというのが,その大きな理由である。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.70-71

何でも治る?

もっとも,中世以来,医療関係者は意見をしょっちゅう変え,最後には,大げさな効用にたどり着いていた。500年近く前に,ディグビーは「体液から毒を除去し,伝染病菌を枯らすので寿命が伸びる」として,水泳を勧めた。歳月がこの誇大広告をさらに増長した。1891年にはあるフランス人医師が,水泳はマスターベーションから肺感染,さらに大腿骨の自然脱臼まで,あらゆるものを治すと発言。それから20年後には,『イギリスの男性的な運動』という人気の高いハンドブックが,スポーツ選手を目指す人たちに,水泳は「神経系統の鎮静にも有効」であると確約した。ほぼ同時期に“経験豊かなスイマー”とだけ身分を明かすアメリカ人が,水泳をする人は「突発性感冒や炎症性疾患にかかりにくく,けっして,もしくはめったに慢性病に苦しまない。身体は引き締まり,皮膚は健康で,生命のすべての機能が健康的な活力で作動する」と記した。締めくくりは1910年のYMCAマニュアルで,「野外での水泳は白髪を防ぐ」と謳っている。

リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.67-68

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