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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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知識=非競合財

知識が非競合財であることは,それを使うときに料金を支払っても支払わなくても変わらない。特許権,著作権,コピー防止技術などによって,知識のうちある部分を保護し,料金を支払わない人が利用できないようにすることは可能だ。だがそれは法律制度の結果であって,知識そのものの本来の性格とは関係がない。知識はそもそも使えばなくなるものではない。算数はいくら使っても,なくなることはない。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.193
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信奉者と懐疑派

グローバル化の真の信奉者はこう主張する。第1に,グローバル化には生活水準を高める素晴らしい可能性があり,どの国もいつまでもこの可能性に背を向けているわけにはいかない。第2に,グローバル化によってしか解決できない新しい問題にぶつかっている。第3に,技術が進歩して,グローバル化が容易になっていく。
 これに対して,懐疑的な人はこう反論する。第1に,平和がもたらす利益もやはり素晴らしいが,その利益に背を向ける国がたえない。第2に,グローバル化ですべての問題が解決できるわけではない。第3に,技術の歴史をみると,過去の技術で容易になった点が,新しい技術で逆にむずかしくなる例がいくらでもある。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.166

悪徳のグローバル化

皮肉な話だが,アメリカ国際開発庁の元副長官,ハリエット・バビットはグローバル化がさらに進展すると予想する別の理由を明らかにしている。「悪徳は美徳よりもはるかにグローバル化が進んでいる」というのだ。
 たとえば違法ドラッグの取引は,国連の調査では全世界で4千億ドルになっており,世界貿易の約8パーセントにあたるほどの規模がある。ドラッグ産業は最新の技術を駆使して巨大な地下経済を形成しており,多数の国で公式の経済を上回るほどの規模をもち,世界の端から端までを活動空間にしている。アフガニスタンやコロンビアから,リオ・デ・ジャネイロの学校やスラムまで,神橋やシカゴの街頭まで,ドラッグ密輸は世界有数のグローバル産業になっている。その意志をもつ政府すら,この産業を取り締まることはできない。
 性の産業もやはり世界的だ。ルーマニアにあるアルバニア人の難民キャンプでは,若い女性が誘拐され,性の奴隷としてイタリアに送られている。ブカレストでは「人材エージェント」が「ダンサー」をギリシャ,トルコ,イスラエル,さらには遠くの日本の性産業に売っている。国連児童基金(ユニセフ)によれば,毎年何百万人の貧乏な若者が性産業に売られており,その大部分は女性である。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.162

支配的地域の変遷

欧米が圧倒的な経済力を長期にわたって誇ってきたために忘れられていることが多いが,わずか500年前,技術力がもっとも高かったのはヨーロッパではなく中国であり,当時は世界の経済生産の65パーセントをアジアが生み出していた。
 少なくとも欧米ではほとんど忘れられているが,1405年に317隻,総人数2万7千人の大艦隊が,7回に及ぶ大航海の第1回に乗り出した。歴史家のルイーズ・リバシーズによれば,この中国の大艦隊を率いた鄭和はイスラム教徒の宦官で,世界史上まれにみる航海家であり,アフリカと中東の沿岸を探検し,西はジッダとエジプトに達し,インド洋の全域に朝貢貿易のための海軍基地を設けた。
 それから250年を経てようやく,啓蒙主義と初期の産業革命によって第2の波の大変革が起こり,経済力,政治力,軍事力の中心がまずはヨーロッパに徐々に移るようになった。
 だが,そこに止まってはいなかった。19世紀末には,世界の富の創出の中心がふたたび移動し,さらに西のアメリカに移りはじめていた。2回の世界大戦によって,ヨーロッパは経済的な支配力を失った。
 1941年,日本が真珠湾を攻撃してアメリカが第二次世界大戦に参戦する直前に,タイム誌発行人のヘンリー・ルースが,20世紀は「アメリカの世紀」だと主張するまでになっていた。ルースはこう論じた。「アメリカは世界全体の良きサマリア人になり,世界的な文明の崩壊のために飢えと貧困に苦しんでいる人々に,食料を提供する役割を果たさなければならない」
 そして確かにこのとき以来,とくに1950年代半ばに第3の波と知識経済への移行がはじまって以来,アメリカは世界経済で圧倒的な地位を占めてきた。だが富の中心はアジアに移ろうとしており,まずは日本が豊かになり,つぎに韓国などのいわゆる新興工業経済群(NIES)に波及し,その後の数十年を通じてアジアが力をつけてきた。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.131-132

猛進中毒者

「痙攣速度」「せかせか病」「インターネット時間」「デジタル時間」「時間飢饉」などの新しい言葉が使われうようになり,筆者の以前の予想の正しさが示された。現在,何千万,何億もの人が時間の短縮によって苦しめられ,ストレスを感じ,「未来の衝撃」を受けていると感じている。意外だとは言えないことだが,ロンドンのイブニング・スタンダード紙は,減速を望む「猛進中毒者」への支援を専門とするセラピストが登場したと伝えた。
 人はみな,待たされるのを嫌う。子供に見られる注意欠陥障害(ADD)は文化ではなく,化学物質に原因があるのかもしれない。だが,未来が加速しているために,満足が得られるまで待つのを嫌う傾向が強まっている現状をまさに象徴している。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.114-115

時間と時期

研究開発に関しては,時間と時期をめぐる戦いがもっと頻繁に起こっている。CEOは投資家から利益を速く増すよう求められて,研究開発費を削減するしかないと感じることが多い。研究から開発に予算を移し,研究部門に残した予算も基礎研究から応用研究へと移していく。その結果,とくに必要となった時期に技術革新が遅くなる。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.102-103.

無謬論者

キリスト教神学には「無謬説」という言葉がある。この説を信じる人は,2千年にわたって解釈と翻訳にさまざまな問題があったにもかかわらず,聖書には誤りはなく,その言葉のひとつひとつを字義通りに理解しなければならないと主張する。
 経済学にも無謬論者がいる。経済理論では説明がつかない事実,不思議な事実,矛盾する事実がさまざまあるにもかかわらず,実際には何も変わっていないと主張する。デジタル革命と知識経済への移行が経済に与えた影響は,「基礎的条件」の水準でみればごく小さいと主張する。
 アメリカの大手投資信託会社の幹部がヨーロッパの石油化学産業の経営者会議で,金融の世界にはいつでも上昇と下降があるのだから,何も変わっていないと語った。商務省経済分析部は重要性が下がりつづけている経済指標の精度を高めるために努力している部門だが,同部のブレント・モールトンは筆者に,「経済はいまも以前と変わっていない」と助言した。
 だが,表面にみえる基礎的条件から,もっと深い部分にある基礎的条件に視点を移すと,こうした幻想はすぐに吹き飛ぶ。経済が「以前と変わっていない」という見方の誤りをもっとも説得力ある形で示しているのは,この深い水準での動きである。現在,富を生み出す構造の全体が揺さぶられており,今後さらに大きな変化が来ることが示されているのである。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.65-66

農業から支配へ

農業がはじまって,豊作の年には生き残りに最低限必要なものを超える余裕が,ごくわずかではあっても生み出せるようになった。そして,遊牧の旅を続けていた人類がひとつの村に定住し,近くの農地を耕すようにもなった。要するに,農業がはじまって,まったく新しい生活の方法が生まれ,これがゆっくりと世界各地に広まっていったのである。
 ときおりわずかな余裕を生み出せるようになって,不作のときへの備えをわずかでも蓄えることが可能になった。しかしやがて,兵士や僧侶,徴税人をしたがえた武将,貴族,王などの支配者層が経済的余裕の一部が全体を支配できるようにもなり,支配した富を使って王国を作り,自分たちの贅沢な生活を支えるようになった。
 支配者層は,壮大な王宮や聖堂を建てることができた。狩猟を娯楽にすることもできた。土地と奴隷や農奴を獲得して経済的余裕をさらに生み出すために,戦争をする力をもつようになり,実際にも頻繁に戦争をするようになった。こうして増やした経済的余裕によって,画家や音楽家,建築家や魔術師を宮廷で養えるようになった。その一方で農民は飢えに苦しみ,死んでいったのだが。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.56

富とは

富とはおおまかに定義するなら,経済学で「効用」と呼ばれるものがある何かを,単独でか共有の形で所有していることである。つまり,何らかの形の満足を与えるか,あるいは何らかの形の満足を与える別の形態の富と交換できるものである。いずれの場合にも,富は欲求が生み出すものだ。この点も理由になって,富について考えること自体を嫌う人がいるのである。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.49-50

多様性からの収斂

科学技術の発達をそれぞれ独立した動きとしてとらえるのは間違っている。知識の面でも,経済的利益の面でも,ほんとうに大きな成果が得られるのは,2つ以上の飛躍的な前進が収斂するか,組み合わされたときだ。多様な研究が行われ,科学者が増え,多数の分野で科学技術が発達するほど,大きな成果を生み出す斬新な組み合せができる可能性が高くなる。今後何年かに,そうした収斂が多数あらわれるだろう。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.45

可能性を科学する

科学者が増え,知識工作機械の性能が高まり,瞬時の通信が用意になり,共同研究が広まり,利用できる知識基盤が拡大を続けているので,科学の境界が拡大しており,かつては二流のSF映画でしか話題にならなかった点が研究されるようになった。
 まともな科学者がいまでは,学界で悪評を恐れることなく,タイム・トラベルやサイボーグ,不老不死に近いほどの長寿,医療を変え,無限の非化学エネルギー源になる反重力装置など,まったく信じがたいと思われていた点について可能性を議論するようになっている。

アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.44

機械的な演習ではない

長年にわたり,統計的推論は時には加熱するほどの論争の対象であった。異なる推論法は異なる結果を招くが,手法を理解している統計学者により慎重に用いられるのであれば,似たような結論が導かれることが実験的に示されている。これは統計学の芸術的な側面であり,統計解析を実行することはたんに,数学の機械的な演習ではないということを意味する。推論の理論的な理解と同様,データおよびその生成された背景を理解する必要がある。

David J. Hand 上田修功(訳) (2014). 統計学 サイエンス・パレット012 丸善出版 pp.115

数値でわかることもある

数値データが現実世界の美しさを伝えることができるという考えには多くの人が抵抗を示すだろう。そうした人々は,物事が数値に変換されると,物事のもつ不思議さのようなものが剥ぎ取られると感じるのである。しかし,実際にはその考え方はまったく間違っている。数値によってわれわれは物事の美しさや,魅力をよりはっきりとより深く知覚し,結果としてそれらをより完全に認識することができるようになる可能性を秘めている。

David J. Hand 上田修功(訳) (2014). 統計学 サイエンス・パレット012 丸善出版 pp.31

データから得られるものすべて

著名な統計学者であるジョン・チャンバースによる「広義の統計学」の定義にならって,統計学の広い意味での定義づけができる。彼によると,広義の統計学はシンプルに定義される。荒っぽくいえば,「初期段階の計画やデータ収集から最終的な発表や報告にいたるまで,データから得られるものに関連するすべてである」。データを分析する別の学問分野との境界線を定めようとすることは無意味かつ無益である。

David J. Hand 上田修功(訳) (2014). 統計学 サイエンス・パレット012 丸善出版 pp.16

使った人を非難せよ

もし統計学に対して疑念や不信があるなら,責められるべきは明らかに,統計学や統計がどのように算出されたかではなく,統計学をもとにしたさまざまな活用形態である。統計学やデータから有意な議論を抽出する統計学者を非難するのは公平を欠く。むしろ責められるべきは,数値が何を語っているかを理解しない人々や,結果を故意に誤用する人々である。実際,われわれは殺人に使われた銃を非難せず,銃を使った人を非難する。

David J. Hand 上田修功(訳) (2014). 統計学 サイエンス・パレット012 丸善出版 pp.11

statistics

なぜ“statistics”という単語に単数形と複数形の両方があるのかを説明した。単数形の“statistics”は1つの学問領域のことであり,複数形の“statistics”は大量の数のことである。

David J. Hand 上田修功(訳) (2014). 統計学 サイエンス・パレット012 丸善出版 pp.5

データから意味を引き出す技術

「統計学とは,データから意味を引き出す技術である。」これは統計学の実用的な定義かもしれない。しかしながら,どの定義も完璧ではなく,とくに,この定義には統計学の多くの応用において重要となる偶然性や確率論についての言及がない。別の定義として,統計学は不確実性を扱う技術が妥当かもしれない。もっと正確な定義で,統計学の役割をより強調してみよう。すなわち,統計学とは,未来を予測したり,未知の事象を推測したり,データを扱いやすい形にまとめたりするために鍵となる学問であるといえるだろう。異なる応用では技術が異なることもあるが,これらの定義を合わせることで統計学の学問分野の本質を広く網羅することができるだろう。

David J. Hand 上田修功(訳) (2014). 統計学 サイエンス・パレット012 丸善出版 pp.3

日本と海外

日本で査読を受けると,まず指摘されるのは研究方法論についてのような気がする。しかも,“本来の研究方法論”に比べてどこが足りないかというような指摘が多い。海外の雑誌では,「結果のこの部分がおもしろいので,それがよりよく表現されるためにはどのようなデータが必要か,それを示せるか」といった提案や示唆をもらえる。

萱間真美 (2013). 質的研究のピットフォール:陥らないために/抜け出るために 医学書院 pp.111

論文は言葉で記述する

概念にそれぞれの定義を書くように求めると,「言葉にするとニュアンスが変わってしまうから,生データをもって示したほうがよい」と言う人がいる。しかし,論文は言葉によって作り上げられるものであり,言葉にできないなら存在しないのと同じなのだ。

萱間真美 (2013). 質的研究のピットフォール:陥らないために/抜け出るために 医学書院 pp.98

書きたいことから書く

楽しいことがあったとき,おもしろいものを見たときに,誰かに話したいと思う。それは,わくわくするような気持ちではないだろうか。論文は,伝えたいことから書き始めよう。「はじめに」や「研究の背景」から書き始めなくてはならないということはない。それらは,最後に書くこともある。まず,自分がいちばん確信をもって書けること,書きたいことから書き始めよう。最後に整理がつけば,書く順番は自由であることを知っておこう。

萱間真美 (2013). 質的研究のピットフォール:陥らないために/抜け出るために 医学書院 pp.91

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