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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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今月より

記事ストックの関係で,2015年4月1日記事より1日2回更新へと戻します。
今後ともよろしくお願いします。
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「どのような避妊法を使っていますか」

数年たつと,一時期は燃えさかっていた私の理論化学への情熱は冷めはじめた。その原因のひとつは,就職の見通しが当初思っていたほどよくなかったことだ。化学の中でも,実験系の専門分野は理論系よりも早く卒業しやすいため,同世代の大学院生たちで就職活動をはじめている女性たちもいたが,採用のときにひどく差別的な扱いを受けたという話が次々と聞こえてきた。たとえば,面接で「どのような避妊法を使っていますか」と聞かれることもあったそうだ。当時,1970年代前半は,まだまだ男女同権とは程遠い状況だったのだ。

アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.69

男尊女卑

当時,私は化学の研究を仕事にしたいと思っていた。そうなると,大学教授くらいしか思いつく職業がなかった。私のこの希望は,生物学好きの父にとっては,まだやや不本意のようだった。でも,化学は“本物の科学”だからと納得してくれた。大学教授になるためには,最低でも大学院に進学しなければならなかったが,デヴィッドがまだ博士論文を書き終えていなかったため,私はMITのあるケンブリッジを離れたくなかった。なので,私はハーバードの大学院に出願書類を出したが,友人たちには「やめた方がいい,気でも触れたか」と言われてしまった。言うまでもなく,ハーバードの化学研究科は世界的に見てもトップクラスの研究機関だ。しかし,世界的に見ても男尊女卑の風潮が強いことでも有名なのだ(かなりあとになってから知ったことだが,同様の研究機関としては自殺率も非常に高いらしい。私は無事に生き延びたが,あのすごいプレッシャーとストレスを考えると,納得できる)。

アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.66

MIT

今でもそうだが,当時のMITは非常に競争の激しい大学だった。MITの授業は,尋常でない量の課題が出ることで有名だ。これらの課題をこなそうとすることは,放水している消防用ホースから水を飲もうとするのと同じだという人もいるほどである。それに加え,非常にオタク的な文化の学校なので,それについていけないととても孤独でみじめな思いをする。社交能力の低い女子だと,なおさらのことである。

アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.63-64

そんなに急には変えられない

もともと教育制度は,一朝一夕に変えられるものではない。たとえば安部首相が言及する学制改革にしても,明治の初めの学制発布は政府の強権発動が可能だったからだし,戦後の改革は占領軍の命令があったから一気にできた。各学校に生徒,学生が在籍している状態のままで簡単に行えるものではなく,時間をかけて移行させていかなければならない。
 臨教審で提言された学校週5日制の場合,86年の第二次答申で週5日制への移行の検討が求められ,87年に文部省の教育課程審議会が漸次的な導入の方向での検討を提言した。92年に月1日の実施となり,95年に月2回,完全実施は02年からである。段階的導入を開始してから10年。最初の提言からは16年もの時間が経過している。
 子どもが土曜・日曜に家庭や地域で過ごす生活は,それを取り巻く大人たちの間にもすっかり定着している。地域で子どもたちが活動できる場も増え,少年野球,サッカークラブをはじめとする各種スポーツ教室,合掌,美術などの芸術団体でさまざまなことに挑む姿が当たり前になった。廃れかけていた地域のお祭りや郷土芸能も,子どもたちの参加で息を吹き返している。宗教関係者からは,週末に神社,お寺,教会などで厳かな宗教的雰囲気に触れる子どもが増えたと聞く。
 これを「来年から元の6日制に戻す」などという思いつきレベルの提案がいかに乱暴かがわかるだろう。16年かけて議論し段階的に実施して定着させたものを,何の新しい議論もなく単純に元に戻すのでは,およそまともな教育政策とはいえない。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.266-267

教育委員会制度

教育委員会制度が,地方教育行政における政治的中立性を守るための装置であることは広く知られている。首長が直接教育行政を担当するシステムでは,政治家首長が変わるたびに大規模な方針転換が行われかねない。また,首長が最初の任期4年で成果を出すことにとらわれると,目先の短期的効果ばかりを追ってしまう。
 そこで,別途公選による教育委員が構成する教育委員会に権限を委ね,政治に影響されない形で中長期的な視点から教育行政を展開することにしたのである。教育は,すぐには成果が出ない。中長期的な見通しが必要だ。この役割は,委員の選任が公選制から首長による任命になっても変わらず発揮されている。教育委員の任期は首長と同じく4年であり任命時期がひとりひとり別であるため,新しく当選した首長が教育委員を総入れ替えするわけにはいかず,当面は前任者の任命した委員を引き続き抱えねばならない仕組みになっている。首長の独走には歯止めがかかる。
 昨今流行の教育委員会廃止論は,一部の教育委員会が職務怠慢とあげつらわれても仕方ないようなていたらくであるという見えやすくわかりやすい理由に基づいている。だから,つい世論も引きずられてしまう。廃止論者は,政治的中立性の確保と中長期的視点という教育委員会の根本的な役割を忘れているかのようだ。いや,言い出しているのは当の首長なのだから,それがわかっていながら確信犯で自分の思うがままに教育行政を操りたいのかもしれない。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.240-241

天下りか昇進か

再就職は,50代半ばで役所から退官しなければならないという人事ルールに従って去るときに,おおむね65歳を目処に用意される働き場所である。人事ルールによれば,同期が事務次官になるときはそれ以外全員が退官することになる。文部省時代は,事務次官には若ければ54,55歳で就任していたから,同期入省者はそのくらいで役所での職を失う。事務次官自身も,若くて56歳,年長でも59歳で退任するのでその後数年から10年ほどの仕事の場が必要になる。
 その際,何年か毎に勤め先を変えるのが「渡り」であり,退職金を何度ももらうために世間の批判の対象になってきた。これは,再就職先にもルールがあって,たとえば事務次官が退官後にすぐ行くのがCという特殊法人というように決まっており,次の次官が退官するとCのポストを後輩次官に譲って自身はもうひとつ格上のBというところに移る。それまでBにいた先輩次官はさらに格上のAに移る……という具合に再就職先にランク付けがあって「昇進」していくためにそうなってしまうのである。いくらなんでも,退職金目当てではないだろう。現役時代の延長の「昇進」コースがあるためだと思う。
 そういった慣例のある省庁とは違い,文部省の場合,退官した先輩は1ヶ所にずっと勤めるのが通例だった。次のポストへ移ることはまったくないわけではないにしろ,きわめて稀だ。つまり,退官した先輩たちは再就職したポストに数年,長ければ10年近く在職することになる。現役の頃,ひとつのポストにいるのは平均2年程度だから,破格の長期在任である。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.221-223

福祉政策じゃない

それは,民主党政権によって10年度から実施された高校授業無償化も同じである。授業料が無償になるという話だから,国民の中に反対意見はほとんどない。そのために説明が不十分になってしまったのだろう。親の所得と関係なくすべての生徒を対象にすることの意味が,国民にも高校現場にも生徒にも,いや都道府県教育委員会にさえきちんと伝わっていなかった。
 これは,親と関係なく生徒ひとりひとりに高校で学習する機会を付与する生涯学習政策なのである。すべての生徒に学習権を保証し,社会全体のおかげで学んでいると自覚してもらい将来公共に還元する気持ちになってもらう「新しい公共」概念に基づいている。それが,単なるバラマキと思われてしまったために,自民党政権になると,いともたやすく親の所得制限をかけ所得の低い家庭の子どもにだけ適用する福祉政策にすり替えられてしまった。14年度からは年収910万円未満の家庭の子どもだけが無償ということになりそうだ。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.132

「役人は黙っておれ」

ただ,少しだけ懸念を述べておきたい。
 ひとつは,「役人は黙っておれ」式の政治主導が強調されるあまり,せっかく政策官庁らしい前向きの考え方になってきていたのがふたたび消極的な物言わぬ雰囲気になるおそれはないかとの心配だ。室長・企画官クラスの中堅キャリアから,予算を獲得,維持する人ばかりが評価されているのではないかとの不満を耳にした。それでは,政策館長化以前に戻ってしまうではないか。
 もうひとつは,省庁統合により,それまでの各省庁間の友好関係が一度ご破算になったことだ。たとえば文部省と厚生省,文部省と労働省の親しい仲が文部科学省と厚生労働省になるとそのまま受け継がれるわけにはいかない面が出てくる。局長クラス以上の高級幹部になればなるほど,文部科学省なら科学技術分野への配慮もしなければならないし,厚生労働省なら旧厚生省は労働分野を,旧労働省は厚生分野を意識せざるを得ない。何より,統合後の内部融和のほうを優先しなければならない事情もあろう。
 そのために,90年代はじめに課長補佐,室長・企画官クラスで関係を芽生えさせ,そのメンバーが課長,部長・審議官,局長,さらには次官となっていく中でがっちり結びついていたものが,一旦途切れてしまったように見える。それをぜひふたたび構築し,府省庁の枠を越えて政策を発想できるようにしてほしいのである。省庁再編の混乱も落ち着き,新しい各府省庁の体制もようやく固まってきた現在,文部科学省の課長補佐,室長・企画官クラスが他省庁の同年代と積極的に接触し,交友を深めてくれることを願う。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.113-114

通産省の狙い

彼らが狙いをつけたのは国立大学だった。研究費提供などで国立大学の研究機能を通産省の影響下に置き,その研究成果を経済的に利用して新しい成長戦略を描くのが目的である。それには国立大学を文部省から引き離す法人化が不可欠であり,橋本政権の行革路線に乗じてさまざまな画策がなされた。
 しかし,学習産業やスポーツ産業,文化産業とは違い国立大学は文部行政の本丸である。文部省も黙ってはいない。そこで揺さぶりをかけるために仕掛けられたのが「学力低下」騒動だった。『分数ができない大学生』(東洋経済新報社)なるセンセーショナルな本を出版した学者たちを,通産省と関係の深い研究所に集めて研究費を渡し,文部省の政策は信用できないとのキャンペーンを張らせたのである。
 その甲斐あってか,国立大学は国立大学法人という形で04年に法人化する。だが彼らの誤算は,国立大学の保守性だった。文部省に批判的な教官でさえ,通産省に対してはもっと激しい警戒感を持っていた。経済界に奉仕するような提案にうかうか乗るような気配はほとんど現れず,国立大学巻き込み計画は,あえなく頓挫する。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.108-109

あるべき姿

国・都道府県・市町村一体としての教育行政制度の樹立という点からはかなり問題があると思われる大阪府と大阪市の教育行政基本条例についてさえ,文部科学省は静観している。こうした動静からは,地方分権を最大限尊重し教育委員会の独自性を認めていく方向が明確に窺える。文部科学省と教育委員会の関係は,地方分権推進の流れの中で新しい形をとり始めている。中央集権の時代が終わりを告げるからには,これもあるべき姿なのだと言えよう。上意下達がいいとは限らない。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.92

中央直轄

要するに,戦前の府県知事,またその直属の部課長は内務官僚の出先勤務ポストだった。その知事に支配される地方教育行政は,実質的に中央の直轄だったといえよう。この構造は,戦時体制に入っていくにつれ教育の軍国化が進んだ原因のひとつだとも指摘されている。戦前に軍と並んで国民を威圧したのは警察である。知事の支配力を支えたのは内務行政の中核をなす警察組織であり,警察と教育を同じ官僚が扱う中で軍国主義の色彩が強まったというのだ。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.75

文部省の命令?

大学の場合もそうだ。90年代初頭に従来のような専門教育から独立した形の教養教育の見直しが進んだとき,文部省の命令で教養部を廃止させられたと信じている国立大学教官がどれほど多かったか。わたしが当時の文部省担当者に直接問い質したところでは,文部省から命令など出されていない。学内の議論をまとめる際に,これまた「錦の御旗」として使われたのだろうと想像できる。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.72

文科省のせい?

ここまで各学校段階と文部科学省の表の関係ばかりを述べてきたが,一方で現場からの感情的な不信感や嫌悪感があることも頭に置いておかねばなるまい。日教組や進歩派大学教官と対立が激しかった頃からの「反文部省」感情が,過去と比較して薄れたとはいえ「反文部科学省」感情として現在も残っているのは否めない。
 現実に学校現場や大学から嫌われる政策を実行した部分は,あえて嫌われる役割を演じなければならなかったわけで,それはそれとして仕方がないだろう。見過ごせないのは,実態もないのに「悪者」視されている部分である。
 文部科学省→都道府県教育委員会→市町村教育委員会→公立小中学校,文部科学省→都道府県教育委員会→公立高校,あるいは文部科学省→国立大学という指導,助言系統の中で,上意下達の空気を背景に,「文部科学省がこう言っているから……」との説明が方便として使われ,言ってもいないことを文部科学省のせいにされてしまっている場合が少なくない。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.70-71

国立大学法人化

しかし,04年の国立大学法人化はすべてを変えてしまった。各大学は独立した経営権限を持つようになる。学長が自ら任命する理事からなる理事会を率い,全権を掌握する運営形態になった。国立大学の学長は,私学でいえば学校法人の理事長と大学の学長の権力を両方持つことになったのだ。文部科学省が国立大学全体を総合的に考慮して運営していくことはできなくなり,各大学のゆくえは学長の判断に委ねられることになったのである。
 国立大学事務局幹部への文部科学省ノンキャリアの転任も,別機関への転籍ということになり,機械的に判断すると「天下り」呼ばわりされかねない。大学からの要望を受けて初めて,文部科学省から大学への転籍が可能になる。学長が必ずしも文部科学省への親近感を持っているとは限らない。中には本省からの受け入れを拒んだり制限したりする大学も現れた。本省人事が国立大学人事を動かすことはできなくなっている。あらゆる人事が,学長の同意なくしては成立しない。受け入れ数も,受け入れ期間も,誰を受け入れるかも学長次第である。「天下り」呼ばわりのせいもあって,受け入れは大幅に縮小された。
 そのために,文部科学省ノンキャリアの人事コースが大幅に乱れ,先行きの見えないものになってしまっている。一定の年齢になっても大学の課長や部長になれないという事態が生じてきた。急遽他のさまざまな人事コースが模索されているものの,従来の国立大学のように気心が知れ一体感を持って交流できる先は見つかるはずもない。これはノンキャリアを不安にさせ,士気を低下させる。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.67-68

警戒感

ただ,国立大学だった時代でも,「同じ釜の飯」といっても,教職員の中でも教官と技官や事務官とではかなり意味合いが違った。教官の場合,そもそも大学の自治という意識が強いので,文部省はその自治を侵したり圧迫したりするとことという警戒感が,特に文系学部には濃厚に漂っていた。また,大学には教官,技官,事務官の序列で階級があると言われるほどで,教官は一般的に気位が高く,学内で技官や事務官を見下す傾向があった。わたしの父も,わたしが文部省に入るまではそうした言動がしょっちゅうだった。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.59

お上の認可

しかし一般論としては,文部科学省という組織やそこで働く職員に好意を持っている私学の職員や教員は,まずいない。彼らは,文部科学省にお世話になっている意識もなければ,自分たちの「総本山」という意識もない。いや,それは当然だ。文部科学省のほうも,実際に一般論として私学の世話をしているわけではなく,「総本山」などという大それた意識も持ってはいない。設置認可や,学校法人が適正な活動をしているかどうかの調査など,どちらかといえば「お上の認可」とか監視と受け取られても仕方ないようなことをしているのだから,仲間意識や協働意識の方向へ行くはずもない。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.55-56

私学助成

経営の上で経常的経費に対し私立学校振興助成法に基づく国からの私学助成が行なわれてはいるが,法律制定時に経費の2分の1までを補助できると規定し,それが目標とされたにもかかわらず,度重なる予算縮減で現在は10%台と,はるかに及ばぬ水準となっている。これでは,私学が文部科学省に親近感を持つわけにはいくまい。しかもこの助成業務は文部科学省が直接行うのではなく,特殊法人である日本私立学校振興・共済事業団によるため,私学関係者の意識はそちらへ向いてしまう。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.54

私大との交流

文部科学省と大学との関係は,小中高等学校とはかなり違ったものになる。まず,大学・短大の中で学校数,学生数ともに7割以上と最も大きな部分を占める私学とは,ほとんど日常的接点がない。個人的な知り合いででもなければ,私立大学の理事長,理事といった経営陣にも,学長以下の教授陣にも,会う場面は乏しい。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.53

ロボコン

それまでは着実に事業を継続するのが仕事の本流だったから,業務の検討は何かというと「前例は?」から始まった。いわゆる「前例主義」である。それが政策官庁を自認するならば,前例のない新しいものにも挑まなければならない。裏返せば過去の例に囚われず自由な発想ができるということだ。88年に第1回大会が開かれた全国高等専門学校ロボットコンテスト(高専ロボコン)は,そのはしりと言っていい。ロボコンはNHKテレビの人気番組として定着し,長澤まさみ主演の映画『ロボコン』(03年,古厩智之監督)にもなった。
 お堅い高等教育行政からロボコンのアイデアが出たように,従来の枠を超えた新しい取り組みが次々と現れる。文化,スポーツの振興に民間資金を導入した90年創設の芸術文化振興基金,スポーツ振興基金,01年発売開始のサッカーくじ(toto)などが「ヒット商品」に挙げられよう。

寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.35

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