忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

自己コントロール

その評価を行ったのがバウマイスターで,彼は1994年に出版された学術書『自制心の喪失』(彼の妻でケース・ウエスタン・リザーブ大学のフェロー教授ダイアン・タイス,ハーバード大学の教授トッド・ヘザートンとの共著)で,それを発表した。この本では「自己調節の失敗こそが,現代における主要な社会病理である」と結論づけられ,それが高い離婚率や家庭内暴力や犯罪,その他の問題の一因となった多くの例が挙げられている。この本に刺激されてさらに実験や研究が行われ,性格検査における自己コントロール能力測定のための尺度も考案された。研究者らが大学生の成績と,30を超える性格特性項目とを比較したところ,各学生の成績評価点の平均値を,偶然よりも高い確率で予測できる特性は,自己コントロール能力だけだとわかった。自己コントロール能力は学生の成績を予測する方法として,IQやSATのスコアより優れていることも証明された。いわゆる生の知性(ローインテリジェンス;問題解決能力や明晰な思考など)も明らかにプラスになるが,自己コントロールはそれよりも重要だった。自分をコントロールできる生徒は授業への出席率も高く,早めに宿題に着手し,よく勉強する一方で,テレビを見る時間は短かった。

ロイ・バウマイスター&ジョン・ティアニー 渡会圭子(訳) (2013). WILLPOWER 意志力の科学 インターシフト pp.21-22
(Baumeister, R. F., & Tierney, J. (2011). Willpower: Rediscovering the Greatest Human Strength. London: Penguin Books.)
PR

方法を見つける

心理学の世界では,理論というのはどれほどすばらしくても重くは見られない。アイデアのおかげで進歩すると思われがちだが,たいていの場合はそうではない。新しいアイデアを考えつくのは難しくない。人がなぜある行動をとるのか,誰もがそれを説明するお気に入りの説を持っている。だから心理学者は新しい説を思いついても,たいてい「あら,そんなことならうちのおばあちゃんだって知ってるわ」というセリフとともに却下されることになる。科学は新しい学説のおかげではなく,それを検証するうまい方法を見つけた誰かのおかげで進歩するのだ。

ロイ・バウマイスター&ジョン・ティアニー 渡会圭子(訳) (2013). WILLPOWER 意志力の科学 インターシフト pp.19
(Baumeister, R. F., & Tierney, J. (2011). Willpower: Rediscovering the Greatest Human Strength. London: Penguin Books.)

大金持ち

不幸な現実だ,と,ワンカ氏はひとりごちた。なにか大きなものが分捕られそうになると,世のほとんどの人間はわきまえがなくなる。たいていは,お金が争いの因。しかしあの丸薬は,お金よりも大きい。いくらお金を積んでもできないことができるのだ。少なくとも,一粒百万ドルの価値はある。二十歳若返られるならそれくらいぽんと出す大金持ちを,たくさん知っている。

ロアルド・ダール 柳瀬尚紀(訳) (2005). ガラスの大エレベーター 評論社 pp.174

共通言語

DSM-IIIは1980年に発表されて以来,アメリカでは医学教育での使用を義務付けられ,教科書にも記載された。ただし,あくまでもアメリカ国内の診断基準であり,他国の精神医学がすぐに直接的な影響を受けたわけではない。それが日本を含む世界の精神医学界を左右するようになったのは,アメリカの権威ある医学雑誌がDSMを使用する論文の投稿を求めるようになり,臨床はともかく,医学研究ではDSMを使わざるをえなくなったためだ。DSMが世界の精神医学の共通言語,つまり,コミュニケーションのツールとして必要とされるようになってきたのである。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.237

カルフの箱庭療法

河合によれば,カルフの箱庭療法は,創始者であるローエンフェルトの世界技法をユング心理学の考え方で解釈し直したもので,ローエンフェルトはそもそも,フロイトの精神分析の理論を子どもの遊びにもあてはめて分析する自動分析の流れに対し,解釈や転移といった考え方なしに子どもを治療でき,視覚や触覚などの感覚的な要素の多い技法として世界技法を編み出した。
 カルフはこの世界技法を学びながらも,ユングから学んだ心理学の考え方を加味して自らの技法を発展させた。ユング派分析家の資格を持たないカルフがユング研究所の分析家たちを納得させるには哲学的背景をふまえた方法論を確立する必要があったからである。そのため,カルフの初めての解説書となる本書はどうしても解釈に傾きがちになっていった。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.154

不遇の時代

実は来日した頃のロジャーズは,アメリカでは不遇の時間を過ごしていた。シカゴ大学から移ったウィスコンシン大学では,統合失調症の患者に対する大規模な研究を行おうとして十分な成果が得られず苦しみ,学内の人間関係にも悩まされていた。
 1962年にカリフォルニア大学大学院バークレー校に留学した村瀬嘉代子は,ロジャーズが大学で講演を行うと知り,大学院の友人や指導教官に日本ではロジャーズが大変人気があって尊敬を集めていると熱をこめて話すと,「この国では,彼は少数派である,だがどんな話し方をするか,どんな人物かは関心があるから聴きに行く」と冷ややかな反応が返ってきたと手記『柔らかなこころ,静かな思い』の中で回想している。
 講演会場に出かけてみると,予定されていた大教室は瞬く間に満員となり,1千人は収容できるトルーマンホールに変更されたものの会場からはみ出るほどの関心の高さだった。最終的にキャンパスから徒歩5分の教会が会場となり,村瀬はそこで講演を聴くことになるが,聴衆の間には「『何を話すか,どれだけ説得力があるかを聴いてみようではないか』といったこころもち皮肉な空気が漂っていた」という。
 ロジャーズはその日,自らの生い立ちに始まり,学生生活や臨床を行っている中での課題などを紹介しながら,現在の非指示的・来談者中心療法が生まれるまでの経緯を語った。日本で一部の研究者から揶揄的に「ノンデレ(non-directiveを略して)」と呼ばれ,「受容」や「共感」といった言葉が教条主義的に語られるのとはまったく違い,「ロジャーズその人の思索と経験の中から必然性をもってその学説が語られ」,「言葉の背後から人間存在への畏敬と事実に率直に直面する姿勢が伝わって」くるようだったという。
 村瀬は当時を回想する。
 「ロジャーズが登場したときは,冷ややかな,見えない何かが冷たく突き刺さるような雰囲気でした。ところが,ロジャーズが自分の経験をふまえて静かに語るうちに,聴衆はだんだん催眠術をかけられたように聞き入って,最後は拍手が鳴り止みませんでした。これには驚きました。
 話しているのはシンプルなことなのに,みながそうだと深い共感を覚えた。精神分析などこれまで会得した技法のアンチテーゼとして非指示的・来談者中心療法を打ち出し,たくさんの実践の中で何度も何度も確かめていったことや本質だけを語っていたからでしょう。素直に感動,というのとはちょっと違ったんですけれど,本物って何かというのがわかった経験でした。
 それなのに,日本人はその産みの苦しみや本質を理解せずに自分に都合よく解釈して,ロジャーズは甘い,あたたかいと思い込んでいる。これでは安直な宗教みたいになってしまいます。実際にロジャーズの講演を聞いて,それは違うんじゃないか,エモーショナルではあるけれど,非常にオブジェクティブで知的で,つまり,矛盾したものが絶妙なバランスで融合している。だからこの人はこんなふうに人を魅了するのだと思いました」

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.110-111

ロジャーズの功績

ロジャーズの功績で目を瞠るのは,その著『Counseling and Psychotherapy』で,医師とカウンセラー,患者と相談者を区別することなく,「セラピスト」「クライエント」と呼んだことである(『カール・ロジャーズ入門 自分が“自分”になるということ』)。とくに,「クライエント」というネーミングは画期的だった。職業相談や教育相談で行われるカウンセリングは,ロジャーズに出会う前の友田不二男が母親の面接で行っていたように,相談に対してアドバイスや指示を与えることが中心であり,それでは自分で解決する力を奪うことになりかねない。人は本来,自分の問題は自分で解決する力をもっているのだから,相談者が主体であるべきだと考え,自発的に依頼した相談者という意味で,「クライエント」という言葉を使用したのである。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.105

知能検査の標準化

久保は帰国した翌年の1917年,児童文学者・巌谷小波の紹介で,東京・目黒権之助坂にある児童教養研究所に迎えられて知能部門の主任に就任し,職業選択の相談員を務めながら毎週日曜日には講演を行った。児童心理と職業選択とは一見結びつきにくいが,第一次世界大戦後の経済不況で労働者の生活が疲弊する中,家計を支える少年たちが増加していたことが背景にあった。
 このとき,久保がとくに力を注いだのが,フランスからアメリカに導入されて以来大流行していたビネー知能検査の標準化である。久保が刊行した「児童研究所紀要」には,ビネー知能検査で使用されているアメリカでの事例や図版を,文化も風習も違う日本人向けにどのように改訂するか苦心していた様子がうかがえる。ビネー知能検査はその後,鈴木治太郎や田中寛一ら日本の心理学者たちによって改訂が行われ,学業不振の子どもを選り分ける特別学級制度の設置などに利用されていく。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.83

久保良英

日本で,カウンセリングやカウンセラーという言葉が使われるようになるのは第二次世界大戦後のことだが,相談員が相談者に指導・助言する,あるいは,人の能力を測定する活動は,1910年代半ばにはすでに日本に紹介され,実施されていた。アメリカの運動とほとんどタイムラグがないのは,その渦中に留学し,日本に持ち帰った若き日本人心理学者たちがいたためである。
 その代表的な人物が,久保良英である。東京帝国大学で心理学を修めた久保は,東京市教育課の視学を務めていたときに「学童の心理の研究の緊要なことが痛切に感ぜられ」(『久保良英随筆集・滴』),1913年にマサチューセッツ州ウースターにあるクラーク大学に留学した。
 久保が何を,どんな環境で学んでいたかは,帰国後いち早くフロイトの精神分析を日本語で紹介した著書『精神分析法』(1917)の序文に明らかである。久保が師事したのは,アメリカ心理学会の初代会長を務めた心理学者,グランヴィル・スタンレー・ホールで,週2回の講義中,当時の精神医学界で話題となっていたフロイトと,フロイトに師事しながらも決別したアルフレッド・アドラーの名前を聞かない日はほとんどなかったという。
 本書の冒頭には,スタンレー・ホールのほか,1909年に行われたクラーク大学20周年記念祭に招聘したフロイトとその一派であるユングら4人の精神分析家の顔写真が掲載されている。このとき,フロイトらが全米を講演旅行で回ったことからアメリカ精神医学界は多大なる影響を受け,一躍,精神分析ブームが起こる。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.82

資格の違い

もう1つ気になったのは,自分語りである。私は,すでに20年近く,実家にいる両親の遠距離介護を続けているのだが,そのしんどさを打ち明けたとたん,「介護は大変ですよね」と共感してくれたものの,次第にカウンセラーが自分の介護経験を延々と語り始めたのである。これも私の質問が引き金になったとはいえ,聞いてもいないことまで話し続けられ,いつのまにか私のほうが聞き役になっていた。これではどちらがカウンセラーなのかわからない,お金を払ってまであなたの自分語りを聞きたくないと,途中で帰りたい気持ちになった。
 それに比べると,あるベテランの臨床心理士に受けた箱庭療法では,私の口から故郷の話も出なければ,介護の苦労話もなかった。話はあくまでも箱庭の世界にとどまり,「コップの中の剣士が窒息しそうです」とか,「ユニコーンは希望の象徴ですが,砂に足をとられて倒れてしまいそうです」「まだ水を求める段階ではないようです」といったメタファーを用いた抽象的な感想を述べていた。
 カウンセラーはただ横にいて見守るだけで,解釈するわけでも,何かを予言するわけでもない。私の質問に対しても,簡潔に必要最低限の返事が返ってくるだけだった。前の2人に比べると親しみやすさはないし,時間の延長など頼める雰囲気もなかった。ただ,私の箱庭をよく見て,私の発する言葉をよく聞き,そこに展開した世界について考えようとしてくれていた。不思議なことに,このときは自分自身,箱庭がこの先どうなるかが気になり,2週間後に再訪している。
 臨床心理士が自分語りをしないわけではないし,してはいけないわけでもないが,カウンセラーの自己開示がクライエントにとって有効と判断した場合に限られていて,それも研修会などで具体的な事例をもとに頻繁に訓練されている。カウンセリングは,ふだんの何気ない日常会話とは違い,クライエントの症状の改善を目的としているから当然だろう。たまたま私が会ったカウンセラーたちがそうだっただけかもしれないが,それでも,前の2人は,自分がクライエントにどう思われているかの想像力が少々足りないような気がした。
 大学院に入学してから最短でも3年,学部から数えれば7年,資格を取得してからも更新の手続きを必要とする臨床心理士と,短期間の講座を受けて実習経験も乏しいまま開業できる資格を比べると,教育や訓練の差が出るのはやむをえないだろうが,カウンセラーとしての自覚と自律はその根本的な相違ではないかと思われた。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.70-71

臨床心理士

今や,心理職の中でもっとも国家資格に近く,ハードルが高いといわれる資格で,医療機関がカウンセラーを募集する場合は,臨床心理士資格を採用の条件とするところが大半である。ただし,医師免許のように資格を取得すればそれで一生働けるという生涯資格ではなく,5年ごとの更新が義務づけられている。専門性の維持と向上,自己研鑚の必要性などがその理由だが,実務以外に研修会やワークショップに参加したり,論文を執筆したりするなどしてポイントを取得しなければならない。常勤職のポストが少ないため非常勤を掛け持ちする人が多く,高学歴のわりには待遇の低い資格といっていいだろう。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.55

心理三分の一説

社会人学生たちが冗談まじりにネーミングした「心理三分の一説」という仮説がある。大学院で臨床心理学を専攻する学生とはどんな人種なのかを観察した結果,大きく3種類に分かれることを発見したという。3分の1はこれまで普通の生活を送ってきた平均的な人,3分の1は過去にうつ病などを克服した経験がある共感性の高い人,残りの3分の1は今病んでいる人,なのだそうだ。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.53-54

箱庭療法という名称

河合がとくに慎重になったのは,ユングの「象徴理論」についてである。箱庭を作り続けていると,ある程度似通った図柄が現れる。たとえばマンダラ表現がその1つで,自分の中の相対する感情を統合した自己のシンボルという意味をもつのだが,こういったことを始めから強調すると日本人にはうさんくさいと思われる危険性がある。そのため河合は,とにかく事例を集積させることが必要だと考えて象徴解釈は一切述べず,カウンセラーたちには,患者の作る箱庭を「解釈よりは鑑賞するつもりで」と指示し,治療者と患者の関係がまずなによりも重要な出発点であることを伝えた。箱庭療法という日本語の呼び名は,そんな同僚たちとの実践を通じて誰からともなく使われるようになったものである。
 河合が中心となって行われた箱庭療法のケースが日本で初めて紹介されたのは,スイス留学から帰国した翌年の1966年10月,東京家政大学で行われた日本臨床心理学会第2回大会だった。以来,問い合わせや激励が京都市カウンセリング・センターに寄せられ,翌年には,まとまった事例集が初めて刊行されたこともあって,木村晴子が初めて参加した第3回大会では,河合隼雄と箱庭療法への関心がいっそう高まっていたのである。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.31

カウンセラー

カウンセリングを行う人を意味する「カウンセラー」という言葉はそれ以上にあいまいである。臨床心理士,心理療法士,精神分析家,産業カウンセラー,認定心理士,認定カウンセラー,認定臨床心理カウンセラー……と呼称はさまざまあり,中には怪しげな肩書きを自称する人もいる。
 臨床心理士のように,文部科学省の認可した公益財団法人日本臨床心理士資格認定協会が指定する大学院で修士号を取得し,卒業後に資格試験を受けてようやくとれる資格もあれば,民間の講座を数か月受講しただけで認定される資格もある。心理職には国家資格がないからやむをえないとはいえ,こうも呼称や資格が乱立していては,治療を必要とする人を混乱させるばかりである。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.23

カウンセリング

まず,カウンセリングという言葉自体があいまいである。専門用語として使用される場合の狭義の「カウンセリング」は,「言語的な話し合い」(『心理療法個人授業』)によって問題を解決していく心理療法の一つである。ところが,一般的には言語的な話し合いだけでなく,もっと広く,絵を描いたり箱庭を作ったりする心理療法を始め,悩み苦しむ人の相談に乗ること全般を「カウンセリング」と呼んでいるように思われる。つまり,専門家の世界とそうではない世界で,意味の逆転が起こっているのである。カウンセリング・ルームとか,カウンセリング・センターといった看板を掲げながら,箱庭療法や認知行動療法などさまざまな心理療法を行っているカウンセラーもいることがさらに事態をややこしくしている。

最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.22

どういう人材

さて,研究者,特に大学教員は怠けようと思えばどれだけでも怠けられますから,勉強をするな,と言っても,論文を読むなと言っても陰に隠れて猛勉強したり暇を見つけては文献を読んだりするような人材を登用するべきです。自分に尽くしてくれる人材を後継に据えたくなる気持ちは抑えて,日本と世界の学術をリードしている人物を抜擢すべきなのです。自分に似た研究分野で自分と同じように研究するデコイ(複製)のような後継者を残したいという誘惑にはけっして負けないようにせねばなりません。

沖 大幹 (2014). 東大教授 新潮社 pp.180

発想の定番

とはいえ,新しいアイデアを発送する定番もいくつかあります。例えば
 ●既存の研究同士を結びつける
 ●前提を疑う
 ●他分野の理論や経験則から類推する
 といったところでしょうか。既存の研究成果や方法,知識をいくつか結び付けて新しい研究にするのは古典ともいえる定石です。シャルトルのベルナールが「巨人の肩の上に立つ」と言ったとされるように,研究という行為そのものが先達の業績を利用して築き上げるものですから,どの巨人の肩(研究成果)とどの巨人の肩(研究成果)の上に両足で立つ(結びつける)と,より高みを目指せるのか,という風に考えるのが基本なのです。また,類推を働かせるためにも,様々な法則や定理,手法などを数多く知っていて,必要に応じてそれらを的確に組み合わせて使える智慧が有用です。

沖 大幹 (2014). 東大教授 新潮社 pp.73

勉強と研究

さて,勉強と研究とは何が違うのでしょうか。
 先人達によって考案され,十分吟味しつくされた定説を体系立てて学ぶのが勉強です。真面目に勉強していると,あたかも世の基本原理はすべてわかってしまっていて,後はその応用に過ぎない,などと早合点してしまう聡明な生徒さんもたくさんいるでしょう。しかし,そうではなくて,わかっている知識をわかるように教えるのが教育なのです。
 これに対し,研究では,答えがあるかどうかわからない課題に取り組むことになります。やれば答えが出るとわかっている課題の解決は作業であって研究ではありません。
 そもそも,とくべき課題が何であるかをまず見定める必要があり,たいていの場合,課題を決める時点で研究成果が面白いかどうかの大半が決まります。さらに自分自身の能力や研究環境の限界などを考慮しつつ,大きな課題を取り扱いやすく解けそうな小問題に分解し,ひとつひとつ段階を踏んで取り組んでいくのが研究の真髄です。

沖 大幹 (2014). 東大教授 新潮社 pp.59-60

近親交配

自校出身者を教員として採用するのはインブリーディング(近親交配)と揶揄され,アメリカでは制度的に厳しく制限されているという話も聞きます。確かに,目覚しい業績をあげている一流のアメリカ人の研究者で,いつまでもテニュアポジションについていない知り合いが複数います。テニュアポジションとは任期の定めなく身分が保証された教員職で,そうでない場合には常に研究費を確保して自分の職と給与を維持せねばならないのです。聞いてみると,今いる大学の出身なのでテニュアトラック(テニュアポジションにふさわしいかどうかの施行期間)に挑戦させてもらえなかった,とのことでした。

沖 大幹 (2014). 東大教授 新潮社 pp.49-50

裁量労働

国立大学法人の教員は基本的に裁量労働です。裁量労働というのは,実際に職場にいた時間にかかわらず,あらかじめ決められた時間だけ毎週働いているとみなす,という制度です。デザイナーやコピーライター等,高い創造性が求められ,勤務時間管理はなじまないけれど会社から給与を受け取っている,といった職種が当初は想定されていましたが,現在では大学の教授研究業務も適用職種に入っています。国立大学が法人化される以前,国立大学の教員が全員公務員だった頃にも残業に伴う超過勤務手当はつかず,その代り就業時間内の副業も認められていたのですが,法人化に伴って公務員ではなくなり,裁量労働制に移行し,勤務時間管理の束縛から晴れて公式に自由になったのです。従って,講義や重要な学内会議をさぼったりしない限りは,朝何時に職場へ行っても構いませんし,特段の用事がない日は自宅勤務でも誰にも文句は言われません。
 そんな勤務時間の管理だと,誰も真面目に仕事をしないのではないか,と思われるかもしれませんが,みんな学術研究で一旗揚げたくて東大教授になったのです。教育研究をするな,と仮に組織上の上司から言われたとしても,こっそり隠れて教育研究に励むような人しか結果として採用されていないはずなのです。もちろん,教育研究で頑張り続けようとする気力が挫けてしまうことも時としてあります。それでも,高いプライドが維持されている間は馬鹿にされないように頑張るのです。

沖 大幹 (2014). 東大教授 新潮社 pp.36-37

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]