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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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気づきはしない

人間が知覚する世界は人為的に構築されたものであって,その特性や性質は,実際のデータの産物であるとともに,無意識の精神的な情報処理の結果でもある。自然は,わたしたちが情報の欠落を克服できるようにと,知覚した事柄に気づく前に,無意識のレベルでその不完全さを修正するような脳を与えてくれた。脳はその作業をすべて,子供用高椅子に座って瓶詰めのこしあんをほおばったり,大人になってソファでビールを味わったりしながら,意識的な努力をせずにおこなう。人間は,無意識の心がつくりだした視覚を,何の疑問も持たずに受け入れる。また,それが単なる1つの解釈でしかなく,生存確率を最大限に高めるようつくられていながら,あらゆるケースでもっとも正確な描像ではないことにも,気づきはしない。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.67
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音素修復

音素修復には驚きの特徴がある。音素修復は聞こえた単語の文脈に基づいておこなわれるため,文の冒頭で聞こえたと思った音が,文の最後に来る単語によって影響を受けることがあるのだ。
 たとえば別の有名な実験では,被験者に“It was found that the *eel on the axle.”(「*は車軸に取りつけられていた」,星印は咳払いを表す)という文を聞かせたところ,被験者は“wheel”(車輪)という単語が聞こえたと報告した。しかし,“It was found that the *eel was on the shoe.”(*は靴に取りつけられていた)という文を聞くと,“heel”(かかと)という単語が聞こえた。同様に,最後の単語を“orange”(オレンジ)に替えると,“peel”(皮)と聞こえ,“table”(テーブル)に替えると“meal”(料理)と聞こえたのだ。
 いずれのケースでも,被験者の脳に送られてくるデータには,“*eel”というすべて同じ音が含まれている。脳はその情報を辛抱強く保持しつづけ,文脈によるさらなる手がかりが来るのを待つ。そして,“axle”“shoe”“orange”“table”という単語が聞こえたあとで,そこに適切な子音を当てはめる。それらがようやく意識的な心に伝えられるため,被験者はその修正作業には気づかず,咳払いによって部分的に覆い隠された単語も,正確に聞こえたと完全に確信するのだ。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.65-66

周辺視力の弱さ

目から送られる生データに含まれているもう1つの欠陥が,「周辺視力の弱さ」によるものである。腕を伸ばして親指の爪を見つめると,視野のうち鮮明に見える範囲は,爪の内側,おそらく爪のなかに入ってしまうような領域に限られるだろう。視力が1.0以上の人でも,この中央領域より外側の視力は,分厚い眼鏡をかけている人が裸眼で見た時くらいに相当する。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.62

メンタルモデル

哲学者は何世紀ものあいだ,「現実」の正体について,および,わたしたちが経験している世界は現実なのか幻影なのかという問題について論じてきた。しかし現代の神経科学によれば,人間の知覚はある意味,すべて錯覚とみなすべきだという。わたしたちは,近くによる生データを処理して解釈することで,この世界を間接的にしか認識しない。その作業は無意識による処理がやってくれていて,それによってこの世界のモデルがつくられている。あるいはカントが言うように,「物自体」と,それとは別に「わたしたちが知る物」が存在するのだ。
 たとえば,周囲を見回せば,自分は三次元空間を見ているという感覚を抱く。しかし,その3つの次元を直接感じ取っているのではない。網膜から送られた平坦な二次元のデータ配列を脳が読み取って,三次元の感覚をつくりだすのだ。無意識の心は映像をとてもうまく処理してくれるため,目の中に映る映像を上下反転させる眼鏡をかけても,しばらくすると再び上下正しく見えるようになる。眼鏡を外すと再び世界が逆さまに見えるが,それもしばらくのあいだでしかない。このような処理がおこなわれているため,「私は椅子を見ている」という言葉は,実際には,「脳が椅子のメンタルモデルをつくりだした」という意味にほかならない。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.59-60

2人の教皇

1879年,同じくドイツ人心理学者のヴィルヘルム・ヴントが,ザクセン王国の教育省に,世界初の心理学研究室を設立する資金を請願した。要求は却下されたが,ともかくヴントは,すでに1875年から非公式に使っていた小さな教室に研究室を立ち上げた。同じ年,ハーバード大学の医学博士で,教授として比較解剖学と生理学を教えていたウィリアム・ジェームズが,「生理学と心理学との関係」という新たな科目を教えはじめた。また,ローレンスホールの2つの地下室に非公式の心理学研究室を立ち上げ,1891年にはハーバード心理学研究所として正式な地位を得た。
 ベルリンのある新聞は,2人の先駆的な取り組みを評価して,ヴントを「旧世界の心理学の教皇」,ジェームズを「新世界の心理学の教皇」と呼んだ。2人の実験的研究や,ヴェーバーに触発された人たちの研究を通じて,心理学は遂に科学的な足場を獲得した。こうして誕生した分野は「新心理学」と呼ばれ,しばらくのあいだ,科学でもっとも話題の分野だった。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.38-39

流暢さ効果

同様の実験として,別の被験者に,レシピの代わりにある運動のしかたを1ページで説明したものを見せても,似たような結果が得られた。読みにくいフォントで運動のしかたが印刷されていたほうが,被験者はその運動をより難しいと評価し,試したいと答える割合も低かった。心理学者はこれを「流暢さ効果(fluency effect)」と呼んでいる。情報の形態が理解しにくいものであると,その情報の内容に関する判断に影響が及ぶのだ。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.21

能力の低さと自信の高さ

研究によれば,わたしたち人間は,自分の感情を理解することにかけては,能力の低さと自信の高さが奇妙な形で絡み合っているという。あなたは,今の仕事に就いたのはやりがいがあったからだと信じているかもしれないが,実際には,もっと大きな名声を手に入れることのほうに興味があったのかもしれない。あの友達を好きなのはユーモアのセンスがあるからだと断言するかもしれないが,実際には,あなたの母親を思い起こさせる笑顔が好きなのかもしれない。自分があの消化器専門医を信頼するのは,かなりの専門家だからだ,と思っているかもしれないが,実際には,話をよく聞いてくれるからかもしれない。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.18

時代背景

イェール大学の心理学者ジョン・バーが言うには,1970年代後半にミシガン大学の大学院生になった当時は,人間の社会的知覚や判断だけでなく,行動さえもが,意識的で意図的なものであると,ほぼ誰もが決めつけていたという。この思い込みを脅かすような主張はすべて嘲笑の的となり,バーも,専門家として成功した近しい親戚に,人間は自分が気づかない理由から行動することを示した初期のいくつかの研究について話をしたところ,そのような反応が返ってきた。その親戚は,それらの研究が間違っている証拠として自身の経験を持ち出し,自分に気づかない理由で何らかの行動をとっているような瞬間を,一度たりとも意識したことはないと言い張ったのだ。
 バーいわく,「わたしたちはみな,自分の魂の指揮者は自分であって,自分がその責任を負っているのだという考え方を尊重し,そうでないときにはとても恐ろしい感情を抱く。それが精神病というものであり,それは,現実から乖離して自分を制御できないという感情であって,誰にとってもきわめて恐ろしいものである」。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.13

意志があるように見える

わずか1000個ほどの細胞からなるC.エレガンスという線虫でさえ,意識的な意図を持って行動しているようにみえる。たとえば,食べることのできる細菌の塊をやり過ごして,培養皿の別の場所に置かれた餌へ向かっていったりする。ちょうどわたしたちが,気が進まない野菜や高カロリーのデザートに手をつけないのと同じように,線虫も自由意志を行使しているのだと結論づけたくなるかもしれない。しかし線虫は,「腹回りを気にしたほうがいいな」などと考えることはない。単に,探すようプログラムされている栄養分へ向かって移動するだけだ。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.7

擬人化

意思に基づく意識的な行動と,習慣的あるいは機械的な行動とを見分けるのは,ときに難しい。わたしたち人間は,行動は意識的に動機づけられたものだと信じる傾向があまりに強いため,自分自身の行動だけでなく,動物界に見られる行動にも意識の存在を読み取ってしまう。もちろん,ペットに対してはとりわけそうする。これを「擬人化」という。あのカメは捕虜と同じくらい勇敢だし,ネコは飼い主が出かけようとすると怒ってスーツケースにおしっこをかけるし,イヌはちゃんとした理由があって郵便屋を憎んでいるにちがいない,といったように。

レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.6

どこのグループに所属するか

二週間ほど前の授業で,「創作ダンスはグループで練習して発表してもらうので,とにかくクラスで三つの班を作ってください,はいはじめ」と先生が手を叩いたとき,一瞬で空気が張り詰め,全女子が頭をフル回転させたのがわかった。三つの班ってことは六人ずつ,私のグループは四人だから,あとふたりどっかから引っ張ってくるとして,と,梨紗が考えているのが丸わかりだ。くだらないかもしれないけど,女子にとってグループは世界だ。目立つグループに入れば,目立つ男子と仲良くなれるし,様々な場面でみじめな思いをしなくてすむ。だって,目立たないグループの創作ダンスなんて,見ている方までもみじめな思いになる。どこのグループに属しているかで,自分の立ち位置が決まるのだ。

朝井リョウ (2012). 桐島、部活やめるってよ 集英社 No.1541 (Kindle)

目立たない人は全部だめ

目立つ人は目立つ人と仲良くなり,目立たない人は目立たない人と仲良くなる。目立つ人は同じ制服姿でもかっこよく着られるし,髪の毛だって凝っていいし,染めていいし,大きな声で話していいし笑っていいし行事で騒いでいい。目立たない人は,全部だめだ。この判断だけは誰も間違わない。どれだけテストで間違いを連発するような馬鹿でも,この選択は誤らない。

朝井リョウ (2012). 桐島、部活やめるってよ 集英社 No.868 (Kindle)

意見の一致

高校って,生徒がランク付けされる。なぜか,それは全員の意見が一致する。英語とか国語ではわけわかんない答えを連発するヤツでも,ランク付けだけは間違わない。大きく分けると目立つ人と目立たない人。運動部と文化部。

朝井リョウ (2012). 桐島、部活やめるってよ 集英社 No.857 (Kindle)

人間の階層化

なんで高校のクラスって,こんなにもわかりやすく人間が階層化されるんだろう。男子のトップグループ,女子のトップグループ,あとまあそれ以外。ぱっと見て,一瞬でわかってしまう。だってそういう子達って,なんだか制服の着方から持ち物から字の形やら歩き方ややら,前部が違う気がする。

朝井リョウ (2012). 桐島、部活やめるってよ 集英社 No.597 (Kindle)

質を高める

教職員の採用選考は非常に注意深く行われる。それはあたかも,一流の料理人が市場で魚や野菜を吟味する時のように。そして,一旦新しい教職員が採用されると,オリエンテーション,研修,アドバイザー制度を通じての育成が即座に始まるのである。学生についても同様で,リクルート活動には明確な目標を設定し,高校の進路カウンセラーに対して穏やかかつ粘り強く働きかけ,また奨学金の受給者を慎重に選考した結果,現在の質の高さが得られたのである。ヤング前学長の後継者となるランバート氏の選考も,徹底的だった。ヤング前学長と同様,ランバート学長は強い意志を備えた魅力的なリーダーである。学長と理事によるリーダーシップは先進的で力強く,その力がイーロンをより価値ある事業体へと押し上げたのだ。

ジョージ・ケラー 堀江未来(監訳) (2013). 無名大学を優良大学にする力:ある大学の変革物語 学文社 pp.110

教職員採用は一番大切

ビジネス・財務担当副学長ジェラルド・ウイッティントンは次のように語る。「教職員の採用は,我々にとって一番大切な仕事です。確かに,良いプログラムや素晴らしい施設も重要です。しかし,イーロンの特別な『校風』,これこそわれわれの優位事項であり,この『校風』を保つためには,それにふさわしい人材が不可欠なのです」。

ジョージ・ケラー 堀江未来(監訳) (2013). 無名大学を優良大学にする力:ある大学の変革物語 学文社 pp.66-67

MBTI

数年にわたるMBTI実施の結果,イーロンの学生には一定の特徴があることがわかった(MBTIでは,内向型/外向型,感覚型/直感型,思考型/感情型,受容型/判断型の4つの基準から16の性格傾向を分析する)。リッチによると「イーロンの学生の多くは,図書館で静かに勉強するよりも,体験をつうじて感覚的に学んでいくことを得意とすることがわかった」とのことだった。「一番多いのはENFPタイプ(外向/直感/感情/受容)で,2番目はESTJ(外向/感覚/思考/判断)でした。この結果はうれしかったです。私自身もENFPですから」。
 リッチはさらに,ENFPタイプは,統一テスト等ではあまりいい結果を残せない一方,読書や実験を通じて学ぶのと同じぐらい,クラスメイトとの協同学習や学外研修,インターンシップ,実際の生活体験,課外活動などから学び,成長するのが得意であることを指摘した。しかし多くのイーロンの教員は,他の大学でもそうであるように,INTJタイプ,つまり内向的で思考を好む傾向があった。つまり彼らの多くは本の虫で,実際の生活体験よりも理論を好み,行動するよりも思索に耽っていたいタイプなのである。イーロンには,つまり,頭でっかちの教員と活力に満ちた学生の間に大きなギャップがあることが判明したのである。


ジョージ・ケラー 堀江未来(監訳) (2013). 無名大学を優良大学にする力:ある大学の変革物語 学文社 pp.20-21

目撃証言の確率

男が町中で泥棒に襲われたとする。彼は,泥棒は黒人だったと主張する。しかし,この事件を審理している裁判所がいろいろな照明のもとで何度もこのシーンを再現してみたところ,被害者が泥棒の人種を正しく確認できるのは,全体の約80パーセントにすぎなかった。彼を襲ったのがまさしく黒人だった確率はどれくらいあるだろうか?
 多くの人が,確率は80パーセント,と答えるにちがいない。しかし,もっともな仮定を立てることで,正解は80パーセントよりもかなり低くなってしまう。ここでは次のように仮定しよう。人口の約90パーセントが白人で,黒人は10パーセントしかいない。事件の起きた地域の人種構成はまさにその通りになっている。片方の人種のほうがひったくりをする確率が高いということはない。被害者が,黒人を白人に,白人を黒人にまちがって認識する確率も同じである。これらを前提とすると,似たような状況で起こった100件のひったくり事件のうち,平均して26件で,被害者は犯人が黒人であったと証言するだろう。実際に黒人である10人の黒人の80パーセントつまり8人と,白人90人の20パーセントつまり18人を足して,合計26人となる。したがって,黒人と判断された26人のうち,黒人は8人しかいない。被害者が実際に黒人によってひったくられた確率は,わずか26分の8,つまり約31パーセントなのである。

ジョン・アレン・パウロス 野本陽代(訳) (1990). 数字オンチの諸君! 草思社 pp.171-172

正直な回答を得る調査

次のような方法を使うと,あるグループの人たちについての情報を,誰のプライヴァシーも傷つけることなく得ることが可能になる。この方法は,プライヴァシーは守るべきだと口ではいいながら,実際は詮索好きな時代にあって,ますます重要性を増していくことだろう。ここに多くのメンバーがいるグループがあり,そのなかの何パーセントの人がある性行為をしているか,知りたいとしよう。これは,エイズにかかりやすいのがどんな性行為かを知るための調査である。
 私たちは何をすることができるだろうか。財布からコインを出して,1回投げるようにすべての人に頼む。誰にもわからないように,彼らは表が出たか裏が出たかを自分で確認する。表が出た場合には,その人は質問に正直に答えなければならない。あなたはある性行為をしていますか,イエスそれともノー?裏が出た場合には,その人は単にイエスと答えなければならない。したがって,イエスという答はふたつのことを意味している。まったく意味のない(裏が出た)ものと,ひょっとするとばつの悪い(その性行為をしている)ものである。実験者にはイエスがどちらを意味しているかわからないので,人々は正直に答えるにちがいない。
 1000人の回答のうち620人がイエスだったとしよう。その性行為をしている人の割合について,この数字は何を意味しているのだろうか。1000人のうち約500人は,裏が出たというだけでイエスと答えたのだろう。だとすると,質問に正直に答えた500人(表が出た人たち)のうち,120人がイエスと答えたことになる。そこで,24パーセントがその性行為をしている人の割合だと判断することができる。

ジョン・アレン・パウロス 野本陽代(訳) (1990). 数字オンチの諸君! 草思社 pp.160-161

宇宙人存在の確率

私たちの銀河には約1000億個の星があり,その10分の1の星に惑星があると考えられている。これらの約100億個の星のなかで,その星の生命ゾーンのなかに惑星を持っているのは,たぶん100個に1個だろう。生命ゾーンということは,その溶媒が水,メタン,その他の何であれ,煮立ったり凍ったりしていないことを意味している。これで,私たちの銀河内で生命を育むことのできる星は,約1億個にまで絞られた。その大半は太陽よりもかなり小さな星なので,姓名を持つ惑星として考慮に値する候補者は約10分の1である。それでも私たちの銀河のなかに,生命を維持することのできる星が1000万個もあることになる。そのうち10分の1はすでに生命を生み出しているだろう!私たちの銀河のなかに,生命のいる惑星を持つ星が,実際に100万(10^6)個あると仮定しよう。それなのにその証拠が何も発見されないのはなぜだろうか。
 第1の理由として,私たちの銀河が非常に大きいことがあげられる。銀河の容積は約10^14立方光年もある(光は秒速30万キロメートル,1光年は約10兆キロメートルに相当する)。したがって,100万個の星のそれぞれが,平均して10^14/10^6立方光年の容積を持つことになる。生命を持つと考えられる星は,10^8立方光年にひとつしか存在していないのである。10^8の立方根は約500。つまり,生命を持つ星から,もっとも近い別の生命を持つ星までの平均距離が,500光年ということになる。これは地球と月の距離の100億倍に当たる。たとえもっとも近い「隣人」が平均距離よりもかなり近くにいるとしても,そこまでの距離は,おしゃべりをするためにちょっと立ち寄るには遠すぎる。
 ほかの星に生命があるとしても,私たちが彼らに会えるとはとても考えられない第2の理由がある。それは,文明が出現しても,いつかは滅亡してしまうということである。一度複雑になった生命は,本質的に不安定なもので,数千年以内に自滅してしまう,ということも考えられる。このように進んだ生命形態が,平均して1億年存続するとしても(初期の哺乳動物から20世紀の核による破局まで),これらの生命形態は,120億年から150億年といわれる銀河の歴史のなかに一様に分布している。そこで,同時に進んだ生命を持っている銀河内の星は,1万個以下になってしまうだろう。そして,隣人動詞の平均距離は,2000光年以上に広がってしまう。
 旅行者がやって来ない第3の理由は,私たちの銀河内の惑星の多くで生命が生まれているとしても,彼らが私たちに興味を持つ可能性は低い,ということである。その生命形態は,メタンガスの大きな雲,自分で方向を決める磁場,ジャガイモのような生き物でできた大平原,複雑なシンフォニーをつねに歌っている巨大な惑星サイズの固まり,岩に付着した青カビのようなものかもしれない。ここであげたような生命形態が,私たちと同じ目的や意思を持ち,私たちに接触しようと試みるとは考えられない。
 つまり,私たちの銀河のなかに生命の住む惑星があるとしても,UFOの目撃は,単に未確認飛行物体の目撃にすぎない。未確認ではあるが,それは宇宙人ということではない。

ジョン・アレン・パウロス 野本陽代(訳) (1990). 数字オンチの諸君! 草思社 pp.85-87

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