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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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言うだけ

もともとこの国では,社会保障はあくまでお情けの施しであるという意識を持つ人があまりに多い。その上で,実際は不正受給であるかはさておき,生活保護受給者が余裕を持って生きているかのように見えるので許せない。そうした「不平受給」ともいうべき攻撃はしばしば見受けられます。
 メディア上で共有される,生活保護受給者へのイメージをもとに,「あいつはニセ弱者だ」という反発や切断が行われているという現状があります。政治家の側からすれば,貧困者を無視しろとはいいがたいので,「本当に貧しい人のために,ニセ弱者を許すな」というタテマエを語る議員もいる。だけれどそうした主張をする議員が,貧困対策のために必要な政策を具体的にコミットしている場面を,僕はほとんど見かけません。

荻上チキ (2012). 僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか:絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 幻冬舎 pp.85
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とりあえず実行?

一方,現在,様々なニュースなどで「決断できる政治を求めたいものです」といった発言がなされているけれど,これもかなり頭の痛い問題です。なぜなら,その政策の是非もよく吟味されぬままに「とりあえず実行できる人間が偉い!」といった議論も,現在の日本で散見され出してきているからです。

荻上チキ (2012). 僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか:絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 幻冬舎 pp.47

石を投げる側

ただ気をつけなくてはならないのは,現在頭をもたげている問題のひとつとして,「しっかり決断する政治」がますます困難になる一方で,「すっきり感を与えてくれるパフォーマンス」だけが横行しがちになる,ということがあります。実際海外でも,閉塞感の漂う先進国において「第三極としての排外主義」がじわりじわりと再浮上したりしています。友敵図式を活用するやり方で,特定の「敵」を名指しし,排除するスタイルの政治には,警戒が必要です。いつまでも「石を投げる側」でいられると思い込んでいる人は多いように見えますから。

荻上チキ (2012). 僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか:絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 幻冬舎 pp.47

入れ替え

ただし,もともと日本の政治システムは,首相をその状況ごとに入れ替えていくという仕組みを採用していました。これまでもずっと支持率が低下したり,スキャンダルが明らかになるたび,トップをすげ替え続けてきたのです。つまり,日本ではもともと,短期政権であることが普通で,個々数年が異常だというわけでは必ずしもありません。

荻上チキ (2012). 僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか:絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 幻冬舎 pp.36

能力の見方

学級集団の中であるように見える「能力」は,「もしかしたら,あるように見えているだけなのかもしれない」とか,「違う場所だったら,この子は少し違うかもしれない」というような見方をすると,児童さんや生徒さんの別の一面が見えてきます。そのことが,もしかすると,彼らの「スクールカースト」の固定性を,少し緩和させる効果を持つことがありそうです。

鈴木 翔 (2012). 教室内カースト 光文社 pp.283

意見を押し通す

これまで,おとなたちは,「スクールカースト」はコミュニケーション能力によって決まってくる,としてきましたが,じつはそうではなく,何らかの理由から「自分の意見を押し通す」ことができる生徒が,コミュニケーション能力があるとされてきた可能性があります。

鈴木 翔 (2012). 教室内カースト 光文社 pp.131

教師も利用

その結果,おおざっぱにまとめると,教師が見ている「スクールカースト」の風景は,生徒に見えているそれとほとんど変わらないと言えることがわかりました。
 しかし,生徒が「権力」として「スクールカースト」を把握していたのに対して,教師は「スクールカースト」による「地位の差」を,「能力」として把握しているということもわかりました。
 彼ら教師は,「スクールカースト」を,「生きる力」や「コミュニケーション能力」によって成り立っていると解釈することによって,「スクールカースト」があることそれ自体を,肯定していることが明らかになりました。
 また,肯定しているがゆえに,その「スクールカースト」を積極的に学級経営の戦略として利用しているということも明らかになりました。そのため,教師は,学級担任を持つ際には,「スクールカースト」を把握することを重要視しており,把握できることを教師の力量であると考えている教師もいることもわかりました。

鈴木 翔 (2012). 教室内カースト 光文社 pp.263

地位

復習しますと,小学校では,クラス全体の中で,いじめられている児童や嫌われている児童を「地位」の低い児童と捉えており,「地位」の高い児童は,みんなから人気のある,みんなでする遊びのうまい生徒と捉える傾向があります。
 一方で,特に中学校以降になると,個々の生徒が何らかのグループに所属し,それぞれのグループに名前をつけて,グループ間で「地位の差」を把握していることがわかります。
 そこでの「地位の差」は,「いじめ」として表現されることはなく,日常的な教室の風景として語られていく傾向があります。ここにこそ,「いじめ」とされない「スクールカースト」独特の問題があるような気がしてなりません。

鈴木 翔 (2012). 教室内カースト 光文社 pp.101-102

何をしに行くのか

「スクールカースト」の中で感じる劣等感,そして優越感さえも,きっとこうした小さな小さな事柄の積み重ねでできています。おとなたちから見れば,非常にささいなことかもしれませんが,彼らにとって,学校は行くことが当然で,逃げることが難しい場所ですから,こうしたことが「ささいなこと」では済まされないということも容易に想像できます。
 こうした現状を考えると,学校はどのような意味を持つ場なのか,ということを,今いちど考え直さずにはいられません。彼らはいったい,「学校へ何をしに行っているのか?」……そう言い換えることも可能だと思います。

鈴木 翔 (2012). 教室内カースト 光文社 pp.67

いじめられていると言えるか

なるほど。それならば,学校に「いじめ」が蔓延することは,ごくあたりまえで自然な出来事のように思えてきます。しかも,スクールカウンセラーがいじめられた子の心のケアをすべく待機していてくれます。それに,今や「いじめ」は立派な社会問題ですから,「いじめ」だという認識さえ得られれば,先生やご両親,友だちが,いろいろ協力してくれる可能性は大いにあります。
 しかし,そう簡単に,「いじめ」を「いじめ」だと認めてもらうことはできるのでしょうか。いじめられた子どもが「自分がいじめられています」と語ることは,果たして容易なのでしょうか。

鈴木 翔 (2012). 教室内カースト 光文社 pp.61

閉じた空間

周知のとおり,日本の学校というのは,なぜだかよくわからないまま,かなり長い時間,決められた部屋の中の決められた席で,決められたメンバーと,クラス替えや席替えが行われるまでずっと過ごさなければなりません。
 「コミュニケーション操作系」の「いじめ」が日本で蔓延している理由には,こうした「閉じた空間」とでも呼べるような空間のあり方が関係している可能性もあります。

鈴木 翔 (2012). 教室内カースト 光文社 pp.55

教室で起きる

絶対的な優劣関係が生じやすい,学年を超えた「縦のつながり」の場面(たとえば部活動など)ではなく,同じ学年の児童生徒が集められた「教室」で「いじめ」が多く起こるというのは,他の国には見られない大きな特徴です。

鈴木 翔 (2012). 教室内カースト 光文社 pp.53

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
このブログも今年の8月で7周年となります。
今年も引き続き,よろしくお願い申し上げます。

管理人:小塩真司

マジックワード

もちろん「いじめ」にも定義はあります。とてももっともらしい定義です。
 しかし,どんなことでもあてはまりそうな「もっともらしい言葉」には,「都合のいいように置き換えられて解釈されてしまう」という危険性がともないます。
 このような言葉を,「マジックワード」と呼びます。直訳すると「魔法の言葉」とでもいったところでしょうか。だいたいの人が理解している言葉だけれど,突き詰めていくと,だんだんうまく説明できなくなってくる「魔法の言葉」です。

鈴木 翔 (2012). 教室内カースト 光文社 pp.45-46

勉強していない学生を雇えるか

いくら仕事に直接関係ない,座学などくだらないと言っても,授業の課題でレポートを書けば文章力・書類作成能力に多少はつながるし,ゼミでの討論は,就活でのグループディスカッション,社会に出たときの交渉能力に多少なりともつながるだろう。少なくとも,くだらない有料セミナーに金をつぎ込むよりははるかにましなはずだ。
 実際,2010年代の勉強をしている学生は,たとえばゼミの予定が企業の説明会・選考などに重なると,気軽に電話して日程をずらすように交渉する。この学生に話を聞くと「いや,勉強のほうが大事ですし,電話してダメならご縁がなかったと思うしかないです」とこともなげに言った。
 一方,2010年代の勉強していない学生は,本当に勉強していない。インフレ・デフレの違いがわかっていないなど基礎教養がボロボロである。文章もろくに書けない,コミュニケーションとは相手を言い負かすか,SNSで標的を罵倒することであると勘違い……。こういう学生に対して「勉強はムダ,うちの社に来なさい」と言える採用担当者が何人いるだろうか。

石渡嶺司 (2013). 就活のコノヤロー:ネット就活の限界。その先は? 光文社 pp.169

可能性を買う

前提条件として整理しておきたいが,大卒採用——特に事務総合職の場合,大学・学部・研究内容などは,その学生の評価とは無関係である。では,特定の資格・技能などを見ているか,と言えばそれもない。そういうのが重視されるのは転職市場においてであって,大卒採用市場(特に事務総合職)では無関係だ。
 採用側が何を見るかといえば,学生の将来の見込み・可能性である。この曖昧な概念において,大学の勉強は何を意味するのか?
 大学・学部・研究内容はともかく,何か1つのテーマをしっかり勉強していれば,多少なりとも論理的思考能力は身に付くだろう。それは,教養や社会常識などについても同様だ。そういうものが身に付いていれば,仕事において大所高所から色々なことを判断するのに役立つだろう。それなら高い給料を払う価値がある——このように採用側は考えるのだ。

石渡嶺司 (2013). 就活のコノヤロー:ネット就活の限界。その先は? 光文社 pp.164

勉強なんかムダ?

このように,大学の勉強が企業ではあまり評価されないということが,学生の間で広まっているところに,キャリア講義のゲスト講師として来た社会人や大学教員が「大学の勉強なんかムダ」論を語れば,事情を知らない学生は真に受けてしまう。
 しかし,これを学生が真に受けると実に危険だ。
 勉強をしなくなることで,基礎的な教養がボロボロのまま就活に突入することになるが,2010年代に入ってから,採用側もやたらと大学の勉強について聞くようになったからだ。
 その学生の学部や研究内容が企業の事業内容に関連するかどうかは,別にどうでもいい。知りたいのはちゃんと勉強をしているかどうか,そして基礎的な学力や教養が身についているかどうかだ。案の定というか,勉強していない学生は,面接での想定外の質問に言葉を詰まらせることになる。

石渡嶺司 (2013). 就活のコノヤロー:ネット就活の限界。その先は? 光文社 pp.163

したたかな質問

したたかな女子学生は,こんな質問をしているようにしている,と話す。
 「女性社員を登用している企業の見分け方ですか?簡単ですよ。会社説明会で聞くんです。グローバル企業なら女性の海外駐在員がどれくらいいるか。それ以外の企業でも出産・育児休暇を取得,あるいは時短勤務で働いている女性総合職の数を聞くんです。それから,育児休暇から復職した社員の比率も。タテマエでしか女性登用を掲げていない企業だと大体はしどろもどろになります」
 実際に,このことを取材先の採用担当者に伝えたところ,顔面蒼白となる例が続出した。

石渡嶺司 (2013). 就活のコノヤロー:ネット就活の限界。その先は? 光文社 pp.155

大卒採用

日本に大卒採用が登場したのは明治期末期,定着したのは大正時代である。
 当初,選考開始時期は大学卒業後だった。それが変わるのが,第一次世界大戦のさなか。日本は大戦景気に沸き,学生の売り手市場となる。1915年前後には早くも卒業後という慣習が変わり,1920年代には4年生11月頃に選考開始,というスケジュールが定着する。今なら4年生11月だと十分遅いと思えるが,当時はこれでも早過ぎると問題になっていた。

石渡嶺司 (2013). 就活のコノヤロー:ネット就活の限界。その先は? 光文社 pp.87

キャリア・アンカー

キャリアアンカーとは,自分のキャリアを決めるとき,自分が変えたくない価値観や欲求のことです。キャリアアダプタビリティとは,仕事をしていく上での適応能力のことです。プランドハプンスタンス理論は「計画された偶発性理論」とも言いまして,キャリアは偶然の出来事の積み重ねなのだから,ダメ元でも準備しておこう,というものです。

石渡嶺司 (2013). 就活のコノヤロー:ネット就活の限界。その先は? 光文社 pp.70

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