世界中がマンハッタン計画に関わって原爆や水爆を作った物理学者をもてはやし,ナチの戦犯が自由の身となり,アメリカがドイツのロケット専門家を雇うなか,チューリングは有罪を宣告された。イギリスという国が囚人たちに医学実験を行ったナチを相手に戦ってからまだ10年も経たぬというのに,判事は,獄に下るか女性ホルモン注射による化学的去勢を受けるかどちらかを選べ,とチューリングに迫った。チューリングはエストロゲン注射を選び,1年後には乳房が大きくなった。そして,チューリング自身の助けがなければ不可能だったはずのノルマンディー侵攻の10周年記念日の翌日,つまり1954年6月7日に自ら命を断った。イギリス政府はこの2年後にアンソニー・ブラントを叙勲したが,このスパイは後に,友人だったバージェスやマクリーンに情報を漏らして,同性愛者に対する魔女狩りを引き起こしたことを認めている。チューリングの最期について書いていると——そして読んでいても,今なお悲しくつらい気持ちになる。イギリスの首相——当時の首相はゴードン・ブラウンだった——がチューリングに謝罪したのは,チューリングの死後55年が経った2009年のことだった。
シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.165
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