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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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幸運から神風へ

モンゴルの大艦隊が一夜にして壊滅したことは,幕府・朝廷や武士たち,そして日本の人々にとって「想定外」の慶事でした。こうしてみると,海事作戦がいかに難しいものであるかもよくわかります。日本が周囲を海で囲まれていることは,圧倒的に「安全・安心」をもたらしました。しかし,モンゴル帝国の強大な力を知ることなく,大艦隊が壊滅した事実と局所的な戦闘シーンしか知らない日本の人々の間では,いつしか「偶然」や「幸運」がバブル化して「神風」に変わったようです。20世紀に起こった悲劇を考えると,弘安4年にやってきた台風は,ある意味罪作りでもありました。

植村修一 (2013). リスクとの遭遇 日本経済新聞社 pp.126
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攻守渾然一体

よく,「リスク管理(リスクマネジメント)は大事だが,リスクを取ること(リスクテイク)も大事だ」という発言を聞きます。まさしくそうです。ただし,そうおっしゃる方のかなりが,リスク管理とリスクテイクを,野球の守備と攻撃のように切り離して考えています。「上位打線が続く相手の攻撃をゼロに抑えた。よくやった。さあ,今度はわれわれが点をとりにいくぞ。先頭バッターは塁に出ることだけを考えろ」といった感じです。
 リスクの中にも,国家間の紛争のように,個人では如何ともしがたいものがありますが,日常のリスクの多くは,これまで何らかの形で関わってきたものや,それを作り出してきたものです。
 先に登場したEさんの場合も,何時の電車にのるかということは,リスクの管理でもありリスクのテイクでもあります。そもそも,都心にある今の会社に勤めたこと,郊外の鉄道沿線で家を買ったことは,Eさんの判断と意思決定によるものです(家については奥様の判断と意思決定によるかもしれません)。われわれの行為の1つひとつがリスクのテイクであり,その後のリスク管理に繋がり,それが新たなリスクのテイクになっていきます。過去と現在と未来は,別々のものではなく,1つに繋がっています。

植村修一 (2013). リスクとの遭遇 日本経済新聞社 pp.29

リスク

Eさんの通勤電車に見るような,日常用語として用いる場合のリスクとは,漠然と「将来起こるかもしれない良くないこと」を指します。経済学における専門用語としては,同じ不確定なことについて,ある程度「確率」をもって捉えられるものをリスクと呼び,それで捉えられないものを不確実性もしくは,「真の不確実性」と呼びます。さらに「想定外」とは,人間が何かものを考えようとする時に便宜上定めた領域(=想定)を超えることであって,決して起こり得ないことではありません。

植村修一 (2013). リスクとの遭遇 日本経済新聞社 pp.22

個人誤差の発生原因

新しい研究室で私がはじめに行ったのも,個人誤差がどのように発生するかというものでした。人によって測定値が異なり,しかも正しい測定を行う人と,たえずおかしな測定をする人とがいるというのが分かるまでには,かなりの時間を要しました。基本は,真の値が分からないところで,人は正しい値を探して,どのように測定をするかということでした。
 このような人による差が,何によって発生するかというのは,あるいは人間の本質を研究する上での,根本的な問題になるかもしれないという気がするのです。当時は心理学者のすすめもあり,これを人の性格について調べてみました。現在では,性格テスト以上に,測定者の能力を調べた方が,いろいろなことが分かるような気もしています。
 内向的で情緒安定型の人は,かなりの割合で測定がうまく,逆に,外向的で情緒不安定型の人には,測定の下手な人が多いということが分かりました。性格的な傾向ですから,訓練で測定がうまくなるというのは,根本的には,あまり期待できないことになります。
 内向的で情緒安定型というのは,いわれた仕事は真面目にするが,自分からは外部に対して積極的には働きかけない人,いわゆる技能者に向く人のようです。このような人たちが,測定という地味な仕事を支えているということになります。
 外向的で情緒不安定型というのは,経営者とか政治家,ジャーナリストなど,自分から積極的に仕事をする人の性格傾向のようです。このような人は,測定などという地味な仕事になど,かまってはいられないという人たちでしょう。

矢野宏 (1994). 誤差を科学する:どこまで測っても不正確!? 講談社 pp.153-154

人間が行う

どれほど自動化されても,また,人の手を必要としなくなっても,最初にその状態をセットするのは人間です。したがって,作業者がはじめにその状態を作り出すときに,誤っていれば,その誤りはそのあとのすべてに関わるのです。大事故が起きた場合,たいていいわれることは,作業者のうっかりミスが事故に結びついたということです。当事者の本音としては,うっかりでないミスなどあるはずないということです。ごくわずかの目盛りのずれのようなものは,それだけではすぐ目に見える事故になりません。しかし,こうした傾向の生じやすい人の場合,長い間には,多くの損失をもたらすでしょう。

矢野宏 (1994). 誤差を科学する:どこまで測っても不正確!? 講談社 pp.152

条件の固定化

普通に考えると,ものごとの正しさを判断する場合には,条件を精密におさえる方がよいというようにいわれます。血圧にしても,朝目覚めたとき,まだ布団の中で起き上がらないときに測った血圧が基準となるといわれます。これは条件を固定した方が,より信頼のおけるデータがとれるであろうということです。このことはそれなりに正しいと思います。
 しかし,実際に変化するものを調べる場合,条件を固定してしまうと,かえって全体の傾向がつかめなくなるときがあります。ある程度の変化を与えて,その変化にどれだけ追随するかを調べるのも新しい方法なのです。

矢野宏 (1994). 誤差を科学する:どこまで測っても不正確!? 講談社 pp.87

測定と計測

私は測定という言葉と計測という言葉を,あるていど分けて使うようにしています。計測という言葉が積極的に使われるようになったのは,かなり最近のことで,それは測定の結果を有効に活用するということを含む仕事のようです。つまり,測定が観察データであるとすれば,計測はもの作りのように,目的をもったデータをとらねばならないということです。

矢野宏 (1994). 誤差を科学する:どこまで測っても不正確!? 講談社 pp.75

研究の良し悪し

研究の管理者が何をもって研究の「いい」,「悪い」を判断するかということも,きわめて高度な判断であり,しかもきわめて当てにならないもので,誰でもができるものではないと思います。もっともらしい顔をして,研究の良しあしを判断する人,特に技術に対する理解のない人が,それをすると腹が立つ理由です。

矢野宏 (1994). 誤差を科学する:どこまで測っても不正確!? 講談社 pp.63

良し悪しと好き嫌い

私たちは「好き」か「嫌い」かを,「いい」か「悪い」かで表現します。「好き」か「嫌い」かは,特定の個人に属するものですが,それを「いい」とか「悪い」とかいってしまうと,特定の個人を離れて一般的な評価となってしまいます。そこに感覚的な判断の落とし穴があるようです。

矢野宏 (1994). 誤差を科学する:どこまで測っても不正確!? 講談社 pp.54-55

現実の方がおかしい

誤差というのは本来,あってはならないもの,あるいはあっては欲しくないものということであるとすれば,現実を理想化,あるいは美化したものの見方をこそ真実と考える情動が働いて,事実でないものの方が,事実以上の重みを持ってしまうということになるかも知れません。
 それは現実の社会の人間関係だけでなく,技術の世界も同じことなのです。現実にあるはずの誤差を無視して,誤差のない状態でものを考え,現実と矛盾すると,自分の考えの方がおかしいと思わずに,現実の方がおかしいと考えるのです。

矢野宏 (1994). 誤差を科学する:どこまで測っても不正確!? 講談社 pp.31-32

真の値は

ところで問題なのは,「誤差とは測定値から真の値を引いたものである」という定義です。辞書の説明が十分に役に立たないといったのは,何も辞書の責任ではなく,そのもとになっている技術の考え方の方にあるのです。
 文部省の国立国語研究所に,言語変化研究室というのがあり,かつて,用語について質問をしに行ったことがあるのですが,「個々の用語の定義は当事者同士で解決して欲しい」といわれました。前にも紹介したことがあるのですが,多くの技術用語は外国から輸入されたものを,適当な漢語を使って合成しています。したがって,輸入経路と用語の作成者によって,まちまちとなりますから,国語学者がいちいち付き合っていられないということでしょう。
 しかし,誤差については用語の表わし方というより,定義そのものに問題があるのです。我々は真の値が不明だからこそ,真の値の代わりとなる測定値を求めるのです。ということは,測定値を求めたからといって誤差が求まるわけではありません。
 むしろ,真の値が分かっていれば,そもそも測定などをする必要がなくなるのです。結局,どこまで行っても誤差は求められないのです。ところが多くの人は,測定をすれば,簡単に誤差が求められると思っていることから,混乱がはじまります。

矢野宏 (1994). 誤差を科学する:どこまで測っても不正確!? 講談社 pp.22-23

市民権を得ていく

吹けば飛ぶような心理学が,市民権を得ていくには,ここからさらに何十年の月日と心理学のたゆまぬ努力が必要となった。確かに医学とは比べ物にならないほどおくれをとっている学問であり,その臨床応用などとんでもないという感じでもあった。しかし,それだけの学問であっても,心を見つめる視点は精神科の医師たちに比べて決して遅れをとるようなものではなかった。だからこそ,インターン出たての若い医師が我々を一段低く見,軽蔑したように唇をゆがめ,薄笑いを浮かべて,「もっと勉強しなよ」というような不遜な顔を向けてくると無性に腹が立ったものである。
 それに不幸なことに心理学とはフロイトの流れをくむ精神分析学である,という認識がまだ医学の世界に強く流れていた。心を科学として考えようとする関西学院の心理学教室の行き方を理解してくれる医学の世界の光は,まだまだ薄暮の中に埋没していた。心理学の地位を確定しようと社会的にもがけばもがくほど自己嫌悪に陥るのだが,日本の心理学はその怒りと悲しみを切実な問題として受け止める気配は薄く,手も広げていなかった。ただ心ある一握りの人たちが歯ぎしりをしながら,医師への反抗心を燃やし,ときに心ある医学者と熱い語らいをしていた。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.220

研究の集大成

古武先生は
 「ドクター論文というのは卒論とか,マスター論文とはわけが違う。その人間の研究の集大成のようなものと考えてほしい。そして,そこから,また新たな研究が始まるということや。だからドクター論文は少なくとも審査者がいる学術誌に2,3編は載せ,学会発表は年1回は必ず行なうことによってドクターになる資格ができる。それだけの業績を積もうと思ったら,スクーリングが終わって論文を書いたからといってすぐドクターになれると思うな。ただ,医学部などは比較的簡単にドクターになるが,あれは職業上,医学博士という肩書きが必要だから,教授の先生はなんとかして博士にしてやろうと努力をされる。しかし,文学博士は,そう簡単にティーテル(博士号)は出さない。大学の歴史は長く,日本の大学も多いが,いままで文学博士と名がついている人間は全国でもそうおらん。だから文学博士という名称は昔から言われているとおり,『末は博士か,大臣か』というくらいに権威のあるものなのだ。そのつもりでおれ」
 と,常日頃からおっしゃっていた。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.208-209

コンプレックス

はなからコンプレックスがあるのだ。同じ研究への道を歩くのならどこの大学でも一緒であるとは,とうてい思えない。やはり京都大学,東京大学,九州大学,東北大学などは二目も三目も置く大学であった。
 「お前らアホやから私学にしか行かれへんのじゃ」などと憎まれ口を叩く奴もいた。「ふん関学かっ」と鼻先に軽蔑をぶら下げて薄ら笑いを浮かべる人もいた。そのたびに臓腑が煮えくり返るような腹立たしさを我慢しながら,「今に見とれ,ええ仕事して『あっ』と言わしたるからな。オレたちはパヴロフを目指しとんのやから」と腹の中で呻いていた。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.99

TAT記述の誤り

たとえば当時購入した某国立大学の若手の有名な先生が書かれた『性格の診断』という本を読むと人格テストのノウハウが要領よく並べ立てて書かれ,それなりに人格テストの上面が理解できるようになっている。しかしその本の<TAT>という項目で致命的な誤訳がある。
 TATの説明で数十枚のカードの中に1枚だけ「黒くぬりつぶしてある(何も書いていないカード)」と書かれている。臨床心理学者を標榜する著名なこの方は,当時,時代の先端を行かれていたと思うのだが,TATのカードの中に真っ黒なカードは存在しないのである。ただ,何も書かれていない真っ白なカードは存在する。この先生は文献を読まれて,まだ実際にTATの実物をご覧にならないまま『blank(しろ)』を『black(くろ)』と読み間違えたのであろう。なるほどその種の読み間違いはありうるとは思うが,かわいらしい間違いではすまされないように思うのだが……。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.60-61

テスターではない

この頃阪大の精神科では人格テスト(特にロールシャッハ・テスト)がしきりに話題になり,我々心理学の院生に若いドクターが「君,ロールシャッハの分析できますか?」と問いかけ,「えっ,ロールシャッハの分析……?」とキョトンとすると,「フーム,これから我々の領域では人格テストが大切になりますからね。テスターとして腕を磨かないと相手にされませんよ,臨床心理学の世界ではね」と言われてムカッとし,心の中で「テスター?そんなものになるために心理学やってるのと違うわ。臨床心理学の世界はテスターの世界と違う。実験しながら心的疾病はいかにして生まれるかを考えることが学問であり,研究というものだ」と空嘯いたこともある。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.53-54

影が薄かった

研究室生活が1年を過ぎた頃から臨床心理学という分野が研究室の話題となってきた。今でこそ臨床心理学という分野は,心理学の中でも臨床心理士,認定心理士,スクールカウンセラーなどという職種もでき,心理学の中では最も市民権を得た重要な領域であるが,その頃はまだまだ影の薄いものであった。
 海外,特にアメリカではClinical Psychologyとして定着していたが,我が国では精神科領域というよりは,法務関係の鑑別所とか,少年院,児童相談所,刑務所などで心理職の採用が認められていた程度であり,応用心理学,異常心理学の一分野であるというような認識でしかなかった。研究室で臨床心理学ということが話題になったのは,法務庁関係の仕事についていた先輩たちの話とか,大学院の授業で精神衛生特論という講義が始まり,某大学医学部の精神科外来に実習に行き始めたことが発端であった。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.52

計算能力の進歩

その頃,行動を数値に置き換えていくことが科学的研究の必須であると,自分なりにようやく分かりかけてはきたが,現在のように統計・推計的処理はまだまだ先の話である。それにコンピューターなどという利器は存在していなかった。たかだかデータをパーセンテージで表記することぐらいであった。
 広島文理大学に古賀先生という社会心理学の泰斗のような方がおられた。この古賀先生が何十年かの研究生活の中で分散分析法を使い新しい社会心理学の道を開かれたのだが,その分散分析法が単純な計算ではあるが大量の数式を計算していかなければならない。古賀先生は何十年もかけてタイガー計算機という手回しの機器を使い仕事をされた。しかし,もし現在のコンピューターに計算を任すと,恐らく30分もあれば古賀先生の一生の研究結果が打ち出されてくるのではないだろうか。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.44-45

ロールシャッハ

「関学の研究室は学習の研究を実験的にやっているところだから,性格とか人格といったたぐいの文献は本学図書館にはない。アメリカ文化センターならそういったものの最新情報を載せた雑誌があるはずや」
 ということになって大阪市内船場にあったアメリカ文化センターに足を運んだ。そして行き当たったのがロールシャッハ・テスト(Rorshach test)の研究を特集した文献であった。これが私が初めて出合った臨床心理学の文献である。
 私は辞書を片手に連日通いつめ,訳の分からない図柄を見て,それが何に見えるかを問い,その答えで性格を分析するものであるということがおぼろげながら分かってきた。ところがそのオリジナル図版が研究室にも図書館にもない(1952年当時)。研究誌に載っている図版は,全部がモノクロームの小さな写真で,全体の図柄の一部分をピックアップし,詳細な分析を加えた代物がほとんどである。オリジナル図版にでくわしたのはそれから間もなくであったが,「なるほどすごいことを考えたもんじゃ。アメリカ人は偉い。戦争に負けるのも当たり前や」と,ロールシャッハ・テストがアメリカのものであると信じる無知なる男は,単純に感に耐えてその図版に見とれていた。見て感心しているだけでは卒論に届かない。といって分析のことを細かく解読してゆく英語力も,心理学の知識もない。そこで考えたのがロールシャッハの10枚の絵柄であった。その中には色彩のある図版があるが,「もし色抜きのモノクロームであれば反応が違ってくるのではないか。よし,これや」と,色彩図版と同じモノクロームの図版を作って比較してみようと思い立ったのである。「これは実験や。うちの教室にふさわしい仕事になる」と思い込んだのである。そして,誰の指導も受けないで卒業論文を仕上げた。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.27-28

行動の科学と答えたらええんじゃ

今でこそ心理学は市民権を得た周知の学問として認識されているが,当時は心理学をやっていると言うと,
 「えっ,心理学ってなんや?」
 「ずっと昔,僕も心理学の講座を高等学校(旧制)のとき受講した覚えはあるが,なんか難しい哲学のようなもんかいな。何も記憶に残っとらんな。どんなことしとるんや?」
 という問いが降ってきて,その目の裏に「あんた変人なんやな」という光が漂う。その問いに答えようとしても,4年間学部で心理学の授業を受けたにもかかわらず,自分自身が未だ心理学という研究領域が何をする学問なのかはっきりと分かっていなかった者にとっては答えるすべもなかったように思う。古武先生は「心理学とは?」という質問がきたら「心理学とは行動の科学じゃ,と答えたらええんじゃ」と実にシンプルに言われるものの,心理学に足を踏み入れたばかりの駆け出しにとってはそれも理解の外であった。

三宅 進 (2006). ハミル館のパヴロフたち:もうひとつの臨床心理学事始め 文芸社 pp.23-24

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