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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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憑依から診断へ

もう少し進んだ宗教団体のなかでは,しだいに憑依ではなく罪が診断として好まれるようになり,精神疾患の説明に使われるようになっていった。受け入れがたい行動や態度は,粗野,野蛮,貪欲,好色な性質が外に現れたものとされた。精神障害者は悪魔から罪人へと昇格したわけだ。その行動は悪魔じきじきの介入によるのではなく,道徳や慎みに欠けた自由意志の行使を示す。そういう意味では,精神障害者はよくいっしょに収容されているありふれた犯罪者と大差ない。感情を抑え,罪を断ち切るまっとうな道へと精神障害者を導くために,厳格な扱いが推奨された。精神障害者は厳しくしつけ,従順にし,拘束しなければならない。罪深い性質は根深く染み込んでいる。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.94-95
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相違と邪悪

西洋世界は相違を邪悪と同一視し,その伝染を恐れた。奇妙な行動をしている者は悪魔と交わっているのかもしれず,共同体全体の福利を(そして永遠の救済を)おびやかしかねない。極端な例では,拷問と処刑が神の業の一環として完全に正当化された。もっとましな例では,回復もありえたが,それも罪を告白して神と聖なるものに立ち返ってからの話だった。ギリシャの科学的観察は,不合理な霊的診断のシステムにとってかわられ,さまざまな精神状態の特性はさまざまな悪魔の序列に対応させられた。宗教の妄想という覆いがヨーロッパに垂れ込め,最も弱い人々に対する卑劣で残酷な扱いが正当化された。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.93

四体液

ギリシャ人は物事を4つに分けた。季節も4つ,人生の段階も4つ,惑星も4つだった。元素も4つ(空気,火,土,水)で,これらがさまざまに組み合わさって世界の物理現象と心身の様態を定めているとした。4つの体液(血液,黄胆汁,黒胆汁,粘液)はそれぞれ元素のひとつに対応させられた。これらの不均衡が病気をもたらすと,ヒポクラテスも書き留めている。
 ガレノスはこの標準システムに加えて,パーソナリティも同じ体液の不均衡から生じるとした。血液が多すぎれば多血質(快活)に,黄胆汁が多すぎれば黄胆汁質(短気)に,黒胆汁が多すぎれば黒胆汁質(憂うつ)に,粘液が多すぎれば粘液質(無感動)になる。これらの調和のとれたバランスが,精神の正常な働きをもたらす。体液の混ざり方にはあらゆる組み合わせがあるので,人間の行動や傾向がいくら多種多様でも説明できるし,納得できる。いまならどれも「偽医者」の発言のように聞こえるが,この説は1500年以上にわたって医学を支配した。それに比べれば,現在の理論の多くは,半減期が100年単位ではなく10年単位である。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.90

悪人か病認か

息子が癇癪を起こすのは,成長の過程なのか,それとも双極性障害の徴候なのか。娘が学校で注意散漫なのは,注意欠陥・多動性障害なのか,それとも単に頭がよすぎるせいで授業がつまらなくて退屈しているのか。息子が幼いうちからロケットやSFに興味を持っているのは喜ぶべきなのか,それとも自閉症を心配するべきなのか。自分が経験しているのはよくある不安と悲しみなのか,それともこれは全般的不安障害なのか。人の顔や事実を思い出せなければ,アルツハイマー病の手が迫ってきているのか。悲嘆は失意のしるしであり,つらくとも有用で自然なものなのか,それとも大うつ病の病性障害なのか。自分のティーンエイジャーの娘は型にはまらない風変わりな子なのか,それとも危険な薬が必要な重い精神病の予備軍なのか。タイガー・ウッズは精神疾患をかかえているのか,それとも単なる女好きなのか。残忍なレイプ犯はただの悪人なのか,それとももしかしたら病人なのか。われわれはだれしも,精神病の軽い症状が短時間出ることがある——これはわれわれがみな,精神疾患と戯れていることを意味するのか。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.76

強引なカテゴライズ

しかし,落とし穴がある。紙に書いてあるとそうは思えないものだが,現実世界では,ある疾患と別の疾患を分ける境界線はずっとあいまいだ。DSMのどのハードルにも,魔法めいたところや神に定められたようなところはない——黒と白の分岐点らしく見えても,そこにはグレーの影が存在する。大うつ病の条件を5つの症状が2週間つづくとするのは,主観にかなり頼った選択の産物であり,科学的な必然性があるわけではない。同じくらい簡単に,ハードルはもっと高くできる——6つの症状が4週間続かなければならないというように。ハードルを高くすれば,「感度」は損なわれるが(それゆえ,診断が必要な病人の一部を見落としてしまうが),「特異度」は高まる(正常な人々にまちがったレッテルを貼りにくくなる)。感度と特異度は密接な相対関係にある——一方を損なわずに他方を高めるのは不可能だ。両者のあいだには必ずトレードオフがあり,過剰診断と過小診断のリスク便益の適切なバランスをとらなければならない。どこに基準を設定するかの最終決断はつねに主観的な判断になる。いくら研究が進んでも,ほかの選択肢ではなくある特定のハードルを選ぶように命じる明白で説得力のある答は得られていない。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.62

状況による決定

知的能力に明らかな障害がある境界線としてIQ70を選ぶのは,根拠もないのに便利だからそうしているのにほかならず,人口のうちIQが最も低い2.5パーセントを選んでいるという以外に特別な意味はない。これらの人たちは,すぐ隣に位置するほぼ同じ人たちに対しては拒まれている特別な支援や免除を認められやすい。しかし,標準偏差ふたつぶん離れたIQ70で区切ることに,なんら尊重すべきものはない——現実世界では意味がない。状況によっては,境界線の少し上や下で区切ったほうが,いま以上に理にかなっているはずだ。もっと金をまわせるのなら,IQが70より高い人たちにも支援を提供するべきだろう。IQ70の人たちがうまくやっている場合だってある。それに,標準偏差ふたつぶんが境界線になるべきだとだれが言ったのか。ひとつぶんや3つぶんやひとつ半ぶんではだめなのか。この選択は決まって根拠に乏しく,統計ではなく状況に動かされている。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.45-46

独断に満ちている

そもそも,どこに境界線を定めるのであれ,その両端にいる人たちはまったくと言っていいほど変わらないはずだ——にもかかわらず,一方は病気だと言い,他方は健康だと言うのはばかげている。191センチの人も192センチの人も背が高いのに変わりはない。それに,何パーセントで区切るのか。精神保健の臨床医がわずかしかいない発展地上国なら,最も重い障害を抱えた人しか精神疾患と見なされないはずだ——そうなると,1パーセントしか正常ではないように境界線が定められるかもしれない。セラピストだらけのニューヨークでは,精神疾患の条件が急激にゆるやかになっているので,境界線は30パーセントかそれ以上のところに定められるかもしれない。これは独断に満ちており,美しい曲線もどこに線を引くべきかはけっして教えてくれない。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.38-39

理論と現実

ここで目下の疑問が首をもたげる——統計学を何らかの単純明快な形で用いて,精神の正常を定義することはできるのだろうか。ベル形曲線は,だれが精神的に正常で誰がそうでないかを判断する科学的な指針になるのだろうか。理論的には答は「当たり前だ」だが,現実的には「とんでもない」である。理論的には,最も障害の重い人たち(全人口の5パーセントでも10パーセントでも30パーセントでもいいが)が精神疾患で,残りは正常だと勝手に決めることはできる。そして調査法を開発し,あらゆる人にスコアをつけて,ベル形曲線を描き,境界線を定めて,病人にレッテルを貼ることだってできる。だが現実的には,けっしてそんなふうにはならない。統計,状況,価値にまつわる判断があまりにもたくさんあって,統計学による単純な解決を妨げるからだ。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.38

意図せざる悪しき結果

何より不穏な話を語ったのは,精神医学の世界で私が最も古くから知っている友人だった——知恵,経験,誠実さを兼ね備えた人物で,統合失調症の苦しみを和らげることに生涯を捧げていた。彼が確信していたのは,「精神病リスク症候群(PRS)」という新しい診断を導入し,いずれ統合失調症を発症する恐れのある若者の早期発見と予防治療を進めれば,DSM-5は劇的な影響を及ぼせるということだった。この友人は,時間が経ってから負担の重い治療をするかわりに,早いうちに負担の軽い介入をしたがっていた。ひとたび脳が病んでしまうと,もとどおりになおすのは困難になる——妄想や幻覚を生み出す回路が使われれば使われるほど,それを切るのはむずかしくなる。だからこそ,統合失調症を完全に予防できればすばらしいことだし,たとえそれが無理でも,病気の全体的な重荷を軽くすることができればやはりすばらしいことである。
 目標としては立派な話だが,これには5つの強力な反論ができた。第1の反論は——「精神病リスク症候群」という恐ろしげな診断をくだされる人たちのほとんどは,実際には誤ったレッテルを貼られるだけだ——ふつうに考えれば,精神病になる人の割合はごくわずかだろう。第2の反論は——実際に精神病を発症するリスクがあったとしても,それを予防する確実な方法はない。第3の反論は——多くの人たちが,肥満や糖尿病や心臓病を引き起こして寿命を縮めかねない抗精神病薬を必要もないのに飲まされて,二次被害に苦しめられるだろう。第4の反論は——もうすぐ精神病になるという推測が完全に誤っていれば,偏見と不安を生む。第5の反論は——「リスク」があることと,「病気」であることが,いつから同じになるのか。私は友人の考えを変えようと試みたが果たせず,こちらの意見に少しでも耳を傾けさせることさえできなかった。「精神病リスク症候群」はすでに走り出していた。友人の理想は,意図せざる悪しき結果という悪夢を生むとしか思えなかった。

アレン・フランセス 大野裕(監修) 青木創(訳) (2013). <正常>を救え:精神医学を混乱させるDSM-5への警告 講談社 pp.22-23

答えで十分

相関関係は,因果関係と比べて,時間的にもコスト的にも見つけやすい。とはいえ,これからも因果関係の研究は必要だし,医薬品の副作用実験や航空機用部品など,一部の用途ではしっかり吟味されたデータによる対照実験も不可欠だ。しかし,多くの日常的な用途では,「理由」ではなく「答え」がわかれば十分だ。しかもビッグデータから見つけ出した相関関係は,因果関係を探るうえで道しるべにもなる。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.281

プライバシー保護

ビッグデータ時代には,これまでと大きく異なるプライバシー保護の枠組みが必要だ。それには,データ収集時に個別に同意を求める形式よりも,データ利用者に責任を負わせる形が望ましい。そのような仕組みになれば,企業は,個人情報が処理される際,個人にどのような影響が及ぶのか慎重に検討したうえで,データ再利用を正式に評価することになる。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.258

定量化できる能力か

グーグルも,データの魔力に翻弄されないように,もう少し認識を改めるべきだろう。SATスコアやGPAといった尺度は,いくら人生を長く生きてきても,変えようのないものだ。おまけに学識以外の知識をまともに評価できないシロモノである。人間性の面から見た資質も反映されていない。科学やエンジニアリングの世界と違って,人間性の面での知恵は定量化しにくいからだ。
 実はグーグル創業者は,成績よりも学びの姿勢を重視するモンテッソーリ式の教育を受けてきた。そんな背景を考えると,人事採用時にSATスコアのようなデータに執着するのは余計に奇異に映る。過去の技術系企業は,実力以上に粉飾された履歴書をありがたがってきたわけだが,その誤りを繰り返すことにもなる。博士課程中退組のラリーやセルゲイが,伝説のベル研究所に就職していたら,マネージャーになれるチャンスはあっただろうか。グーグルの基準に照らせば,ビル・ゲイツもマーク・ザッカーバーグもスティーブ・ジョブズも大卒ではないから,昇進どころか入社もできないのである。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.249-250

因果関係ではない

言うまでもなく,ビッグデータには数々のメリットがある。人間性抹殺の兵器になってしまうのは,欠陥があるからだ。それもビッグデータ自体の欠陥ではなく,ビッグデータによる予測結果の使い方の欠陥である。予測された行為について実行前に責任を負わせることからして大問題だが,とりわけ,相関関係に基づくビッグデータ予測を使っていながら,個人の責任については因果的な判断を下している。問題の核心はここにある。
 ビッグデータは,現在や未来のリスクを把握し,それに応じて自分の行動を調整するときに威力を発揮する。その意味ではビッグデータ予測は,患者にも保険会社にも金融機関にも消費者にも役に立つ。しかし,因果関係については何一つ教えてくれない。個人に「自責の念」(過失の意識)を持たせるには,対象者が特定の行為を自ら選択していなければならない。まず本人による決断が原因としてあり,その結果として特定の行為が発生していなければならないのである。より正確に言えば,ビッグデータが相関関係を前提としている以上,因果関係を判定して個人の有責性を示す道具としては,まったくもって不適当なのである。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.243-244

承諾の取り方

重要なのは,ビッグデータによってプライバシーのリスクが高まるかどうか(高まることは確かだろう)よりも,リスクの性格が変わってしまうかどうかだ。単にこれまでよりも脅威が大きくなるだけなら,ビッグデータ時代もプライバシーが守られるように法令を整備すればいい。これまでのプライバシー保護の取り組みを一段と強化するだけの話だ。しかし,問題自体が変わってしまうのなら,解決策も改めなければならない。
 残念ながら,リスクの性格そのものが変容している。ビッグデータによって情報の価値は当初の目的だけで終わらないことは,先に述べた。2次利用の価値があるからだ。
 その結果,現行の個人情報保護法で個人に与えられている基本的な役割は根底から揺らぐ。現在,データ収集の際には「どういう目的でどの情報を集めるのか」を本人に説明することになっている。本人が同意すれば収集が始まる。プライバシー問題に詳しいインディアナ大学のフレッド・ケイト教授によれば,合法的に個人情報を収集・処理する手続き方法は「告知による同意(告知と同意)」方式だけではないが,今やこの「告知と同意」方式が世界中でプライバシー保護の基本になっているという。
 だが,ビッグデータ時代の画期的な2次利用はある日突然ひらめくものだ。データを最初に収集する時点で,そんな2次利用まで想定できているわけではない。では,存在もしていない2次利用の目的をどうやって告知すればいいのか。データを提供する側も,未知のものについて,どのような説明を受けて同意すればいいのか。同意が取れていない場合,再利用のたびに1人ひとりに許可を求める必要があるはずだ。しかし,グーグルが何億人ものユーザーに昔の検索データの再利用について承認を得ることなど考えられない。技術的に可能だとしても,そんなコストをやすやすと引き受ける企業はない。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.229-230

価値の転換

当然,知識の評価のあり方も変わる。従来は,深い専門知識を持つ者は,ゼネラリストよりも価値があると考えられてきた。専門知識は「正確さ」と同様に,情報が十分にないスモールデータの世界ゆえに重宝がられ,勘と経験で水先案内人を務めてきた。そういう世界では経験が物を言う。それは,長年にわたって身をもって覚えたノウハウだから,簡単には伝授できないし,教科書にまとめることも難しい。ひょっとしたら,本人は意識さえしていないかもしれない。しかし,データを大量に持つことができれば,大きな武器になる。ビッグデータを分析することで,迷信や古い考え方に振り回されにくくなる。自分が賢いからではなく,データを持っているからだ。言い換えれば,会社で価値を発揮できる従業員の条件も変わる。身に付けておくべき知識も変わるし,知っておくべき人間も変わる。職業人として身に付けておくべき資質も一変するのだ。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.214-215

砂金集め

ユーザーとのやり取りの残骸にキラリと光る砂金を見つけたのは,グーグルだけだった。砂金をコツコツ集めれば,輝くインゴットに変わると察したのである。マイクロソフトのスペルチェッカーと比べて性能が少なくとも1桁違うと豪語するグーグルの有力エンジニアもいた(ただし,後に根拠を問われて,きちんと測定したわけではないと認めている)。このエンジニアは,「開発費タダ」という評価を一蹴したうえで,“原料”のミススペルには直接費こそかかっていないが,全体的なシステムの開発にはマイクロソフトを上回る予算を投じたつもりだと胸を張る。
 両社の考え方はまったく異なる。マイクロソフトは文章処理という単一目的から,スペルチェックの価値を捉えていた。一方のグーグルはもっと踏み込んで有用性を見抜いていた。ミススペルを基に世界最高・最新のスペルチェッカーを開発して検索性能を高めただけでなく,検索やGメール,グーグルドキュメント,グーグル翻訳での「オートコンプリート」(入力時の自動補完)機能など,多彩なサービスに生かされている。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.173-174

データの価値に気づくことができるか

データ再利用の重要性を見抜けなかった企業は,苦境に追い込まれて初めてことの重大性に気付かされる。例えば,初期のアマゾンは,AOLの電子商取引サイトに使われている技術を有償で使っていた。普通に考えれば,よくあるアウトソーシング契約そのものである。ところが,アマゾンの元チーフサイエンティスト,アンドレス・ウェイゲンによれば,狙いは別のところにあった。アマゾンが真に興味を持っていたのは,AOLユーザーによる商品の検索・購入データを手に入れることだったのだ。このデータがあれば,「おすすめ商品」機能の効果を改善できる。鈍感なAOLはそこに気付けなかった。まさに主目的である販売としてのデータの価値しか見ていなかった。抜け目のないアマゾンは,このデータの2次利用で利益を手にできるとわかっていたのだ。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.161-162

一石二鳥

リキャプチャでは,2つの単語を入力させる。1つめは従来のキャプチャと同じで,本当に人間が利用しているかどいうかを確かめるための単語だが,2つめの文字列にちょっとした細工が仕掛けてある。この単語,コンピュータによる文書読み取り(OCR)業務でうまく読み取れなかった文字列なのだ。OCRでは,原稿の文字にかすれがあったり,滲んでいたりすると,読み取りミスが発生する。コンピュータでお手上げだった単語を拾ってきて,リキャプチャで人間に読み取り作業をさせれば,正しい読み取りが可能なうえに,人間かどうかの認証もできるとあって一石二鳥。おまけに作業報酬もタダと来ている。
 その価値は計り知れない。実際に入力作業に人を雇えばとてつもないコストがかかる。仮に1回当たり10秒働いてもらったとして,1日に2億件だから,1日の延べ労働時間は55万時間にもなる。米国の2012年の最低賃金は時給7.25ドル。つまりOCRで読めなかった語句の解読作業を業務として発注すれば,1日約350万ドル(3億5000万円),年間10億ドル(1000億円)をゆうに超える計算だ。それがフォン・アーンの手にかかれば,無償で人々に仕事をさせていることになる。グーグルは,このリキャプチャをウェブサイト向けに無料で提供しており,すでにフェイスブックやツイッター,クレイグズリストなど,20万ものサイトが採用している。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.152-153

理論の終焉?

「理論の終焉」という表現は少し引っかかる。まるで物理学や化学などの分野には理論があるが,ビッグデータ分析は概念モデルが一切不要とでも言いたげだ。
 だが,そんなわけがない。そもそもビッグデータ自体は理論の上に構築されている。例えば,統計と数学の理論を使い,コンピュータサイエンスの理論も使う。重力などの現象のように因果関係のある力学の理論ではないが,一種の理論であることに変わりはない。
 一方,これまで見てきたように,理論に基づくモデルには,非常に有益な予測能力が備わっている。実際,ビッグデータからは斬新な視点と新たなヒントが得られる。これは明らかに特定分野の理論にありがちな古い考え方や思い込みと無縁だからにほかならない。
 もっと言えば,そもそもビッグデータ分析の土台には理論があるのだから,理論から逃げることはできない。手法も結果も理論が形作っている。
 データの剪定方法からして,そうだ。我々が判断する時には,データが簡単に用意できるかどうかといった利便性を重視することもあれば,データ収集が安上がりかどうかといった利便性を重視することもあれば,データ収集が安上がりかどうかといった経済性重視の場合もある。その選択に何らかの理論が働いている。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.113

相関の有益性

さらに,相関関係はそれ自体が有益なうえ,原因分析の指針にもなる。ある事象同士につながりがありそうだとわかれば,実際に因果関係があるかどうか,あるとすればなぜかを分析しやすくなる。このように素早く安上がりに絞り込めれば,原因分析のコストも削減できる。相関関係を駆使して重要な変数を拾い出したうえで,今度は因果関係を調べることもできるのだ。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.106

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