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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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因果関係を知りたい

確かに,人間は世の中を因果関係で眺めている。まず,手っ取り早く架空の因果関係を持ち出すパターンがある。もう1つは,じっくり時間をかけて綿密に因果関係を検証するパターンだ。ビッグデータによる相関関係は,このどちらにも影響を及ぼす。
 なぜ架空の因果関係を持ち出してしまうかといえば,「因果関係を知りたい」という本能的な欲望があるからだ。たとえ原因などなくても,原因があるはずだと思い込む習性が人間にはある。これは文化や家庭環境,教育とは関係ない。単に人間の認知の仕組みによるものだということが研究で明らかになっている。ある出来事の後に別の出来事が起こると,脳が因果関係で捉えるように強く命令するのである。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.101-102
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データを拷問にかける

このため,スモールデータ時代には,相関分析は格下の扱いだった。今日でも「データマイニング」という言葉はアカデミックな世界では軽視されている。批判派は,「そりゃ,データを延々と拷問にかければ,そのうち何か吐くだろうさ」と辛辣である。
 専門家は,相関だけに頼らず,仕組みをきちんと説明できる抽象的な概念を基に仮説を立て,それらしい項目に目星を付ける。そして相関が高そうな項目のデータを集め,相関分析によって仮説が正しかったかどうかを検証する。仮設どおりではなかった場合,データの集め方に問題があったかもしれないと考える。最初に立てた仮説(あるいは仮設の前提となった理論そのもの)に欠陥があり,仮設の修正が必要と判断するまでは,根気強く何度も挑戦することも珍しくなかった。
 このように仮設を立てては試行錯誤の繰り返しで人類の知は進化を遂げてきた。煩わしいことこのうえないプロセスだが,スモールデータの世界ではこれで通用していたのだ。
 ビッグデータ時代になれば,「もしや」というひらめきから出発し,特定の変数同士をピックアップして検証するといった手順はもはや不可能だ。データ集合があまりに大きすぎるし,検討対象となる分野もおそらくずっと複雑になる。幸いなことに,かつて仮説主導型にせざるを得なかった制約も,今はほとんどない。これほど大量のデータが利用でき,高度な計算処理能力があるのだから,わざわざ手作業で相関のありそうな数値を勘でピックアップして個別に検証する必要などない。高度な計算解析を駆使すれば,最も相関の高い数値を特定できるのだ。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.88-89

相関関係を知る

ある現象と深いつながりがある数値を特定できるということは,相関関係は今を捉え,未来を予測するときに威力を発揮する。Aという事象が,Bという事象に伴って発生することが多い場合,Aの発生を予測するには,Bの動向に目を光らせておく必要がある。たとえAそのものの計測や観察が無理でも,Aに連動しそうな出来事を把握するのに役立つ。また,もっと大切なことだが,将来,何が起こるのか予測しやすくなる。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.85

正確≠メリット

ビッグデータの世界に足を踏み入れるためには,「正確=メリット」という考え方を改める必要がある。「測定」に対する従来の考え方をデジタル化・ネットワーク化の21世紀にそのまま持ち込むと,重要な点を見逃す。正確さに執着する行為は,情報量の乏しいアナログ世界の遺物だ。情報が少ない時代には,1つひとつの測定値が分析結果を大きく左右したから,分析を歪めないように細心の注意を払う必要があった。
 今,我々が暮らしている世界は,そんな“情報飢餓社会”ではない。目の前で起こっている現象のほんの一部だけでなく,大部分あるいは全体を取り込んだ包括的なデータ集合が手に入るなら,個々の測定値の良し悪しにいちいち悩む必要もない。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.67

舵を切る時

統計的な標本は,数学の定理や引力の法則のように,文明発展の土台として不可欠な要素だと人間は考えがちだ。しかし,その歴史は100年にも満たない。ある技術的な制約の中で,特定の時代に,特定の問題を解決するために開発されたものにすぎない。
 当時の制約が今もそのまま残っているわけではない。ビッグデータの時代に無作為抽出標本が必要だと騒ぐのは,まるで自動車の時代に馬の鞭を振り回すのと同じだ。もちろん,特定の状況ではまだ標本が使えるが,大きなデータの集まりを分析する手法としては,もはや主流と考えるべきではないし,放っておいても主流の座は奪われていくはずだ。
 思い切って舵を切る時が来たのである。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.53-54

ライトロ

長い間,無作為標本は,なかなか優れた簡便法だった。デジタル化以前の時代に大量データの分析を可能にした実績がある。しかし,デジタルの画像や楽曲のファイルサイズを小さくするために圧縮する作業と同じで,標本作成の際には情報が抜け落ちる。一方,完全(あるいはほぼ完全)なデータセットなら,もっと自由に調査できるし,別の角度からデータを眺めたり,特定部分をクローズアップしたりすることも可能だ。
 このイメージに近いのが,最近発売された「ライトロ」というカメラだ。このカメラが画期的なのは,ビッグデータの考え方に基づいた写真が撮影できる点にある。
 ライトロは従来のカメラのように光を1つの平面として取り込むのではなく,光照射野全体の光線を取り込む。その数,1100万本だ。取り込んだデジタルデータからどのような画像を取り出すかは,後で決めればいい。あらゆる情報をカメラに放り込むから,撮影時にピント合わせの必要がない。撮影後に好きな位置にピントを合わせられる。光照射野全体の光線が取り込まれているということは,すべてのデータが入っているということであり,まさに「N=全部」なのだ。普通の写真の場合,シャッターを切る前にどこでピントをあわせるか決めて,風景を面で切り取らなければならない。そう考えると,このライトロでは,はるかに情報の「使い回し」が利く。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.51

N=全部

標本抽出は「小」から「大」を生み出そうという発想だ。最小限のデータから最大限の知見を引っ張りだそうというわけである。しかし,膨大なデータを活用できるようになった今日,標本の意義はすっかり薄れてしまった。データ処理技術はすでにがらりと変わっていて,我々の方法や意識が追いついていないのである。
 対象によっては標本作成以外に方法がない分野もある。しかし,部分的なデータ収集から,なるべくデータをかき集める方向へのシフトがあちらこちらで始まっている。可能ならば,すべてのデータを集める,いわば「N=全部」の世界をめざそうという発想だ。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.46

新たなルールが必要

これから我々個人にとって怖いのは「プライバシー」よりも「確率」となる。心臓発作を起こす(=医療保険が上がる)とか,住宅ローンの返済が焦げ付く(=今後の融資を渋られる)とか,罪を犯す(=逮捕される)といった可能性も,アルゴリズムが予測する。となれば,「人間の神聖なる自由意志」か,はたまた「データによる独裁」かという,倫理問題にまで発展する。たとえ統計によるご宣託があったとしても,個人の意志はビッグデータに打ち勝つことができるのか。印刷機が出現したからこそ,表現の自由を保障する法律が生まれた。それ以前は保護すべき表現はほとんどなかった。おそらくビッグデータの時代には,個人の尊厳を守る新たなルールが必要になる。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.32

理由より結論

世の中,因果関係で説明できないことは山ほどあるが,悲しいかな,人間というものは,原因がわからないとすっきりしない。しかし因果関係に執着しないのが,ビッグデータの世界だ。重要なのは「理由」ではなく「結論」である。データ同士の間に何らかの相関関係(2つの要素が密接に関わり合い,一方が変化すれば他方も変化するような関係)が見つかれば新たなひらめきが生まれるのだ。相関関係は,正確な「理由」を教えてくれないが,ある現象が見られるという「事実」に気付かせてくれる。基本的にはそれで十分なのだ。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.28

倍々ゲーム

グーテンベルクが印刷機を発明したのは,1439年ごろのこと。歴史家のエリザベス・アインシュタインによれば,1453年から1503年の50年間におよそ800万冊の本が印刷されたという。その1200年ほど前のコンスタンティノープル建設以来,欧州では写本,つまり筆写者がせっせと書物を生み出してきたわけだが,その写本を全部足しても印刷機誕生からたった50年間に作られた800万冊には及ばない。言い換えれば,欧州では蓄積された情報の量がわずか50年でほぼ倍増したことになる(当時,世界中の全蓄積情報のうち,欧州が圧倒的なシェアを占めていたはずだ)。ちなみに,情報量は約3年で倍増している。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.23

情報洪水

世の中にコンピュータが本格的に入ってきてから50年。データの蓄積が進み,これまででは考えられなかったようなことがいつ起こっても不思議ではない状況にある。かつて世界がこれほどの情報洪水に見舞われたことはないし,その情報量も日増しに拡大する一方だ。規模の変化は状態の変化につながる。そして,量的な変化は質的な変化をもたらす。

∨・M=ショーンベルガー&K.クキエ 斎藤栄一郎(訳) (2013). ビッグデータの正体:情報の産業革命が世界のすべてを変える 講談社 pp.17

それも才能

「でもね,それは欠点じゃないよ,きっと。健太くんの才能だよ」
 「はあ?飽きっぽいのが才能?」
 「うん。わたしね,本で読んだんだ。自分の欠点だと思っているところを,全部,才能だ,個性だって考えるの。そうすると,だんだん自分のことが好きになれるんだって」
 「へんなの。それじゃ,勉強が出来ないのも才能か?」
 「うん,テストで30点をとれる才能。わたしにはとれないよ,30点は。100点とっちゃうもんね」
 夏葉の言葉を聞いて,大介がうれしそうに笑った。
 「あははっ,じゃあ,足がおそいのも才能?」
 「うん,ゆっくり走れる才能」
 「歌がへたなのは?」
 「音をはずして歌える才能」
 「それじゃ,ぼくなんか,才能だらけだ」
 「そうよ,才能だらけ」

阿部夏丸 (2005). うそつき大ちゃん ポプラ社 pp.190-191

成長と自立を成し遂げる

成長し自立を遂げるということは,子どもが誠実か不誠実かのどちらかを選択する能力と責任を持つようになることを意味する。嘘を隠し通すことが不可能だということが分かっていれば,実のところほとんど選択の余地はない。誘惑が生じるのは,騙そうと思えば騙せることが分かっている場合にかぎられる。
 自立とは,他人に明らかにする自分自身についての情報をコントロールすることを意味する。そして,プライバシーとは,自分に関する情報を誰がどこまで知ることができるようにするかを自ら決断することだ。こうしたコントロールを行う——自らのプライバシーを楽しむ——ために,嘘をつく必要はない。しばしば親は,「いいかい,お前には関係のないことなんだ。そんなことは訊かないでくれ」とやさしく,あるいはきつい口調で言うが,子どもも時には親に対して同じことを言う権利がある。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.152-153

嘘は悪い

重要なのは,4歳という幼い時分から,ひょっとするともっと早くから,誰かを欺こうとする意図を抱くのは悪いことだというのを子どもたちが知っているという点だ。ごく幼い子どもたちは,年上の子どもたちや大人たちよりも嘘を非難する。とある研究者の言葉を借りれば,幼い子どもたちは“真実の狂信者”なのだ。確かに,幼い子どもたちは年上の子どもたちよりも,嘘をよくないことだと考えることが多い。たとえば,5歳児のうち92パーセントが,嘘をつくのはつねに良くないことだと述べた。だが,11歳になる頃までには,この数字はたったの28パーセントに減少していた。また,そうした変化に応じて,5歳児ではその75パーセントが自分は決して嘘をつかないと述べたのに対し,11歳の子どもたちでは,そんなふうに自らの美徳を言い立てる者は1人としていなかった。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.124

話し合うべき

幼い子どもたちは大変無邪気なので嘘などつけないと思っている人たちがいる。また,嘘をつくことが可能ならばそうするだろうが,その能力に欠けていると考える人たちもいる。証拠が示すところでは,子どもたちは,大部分の大人たちが考えているより早い段階で嘘をつく能力を身につける。
 ある子どもたちは,4歳になる頃までに,あるいはもっとい早い段階から嘘をつくことができるようになり,実際に嘘をつく。そういう子たちは,単に間違いを犯したり空想を現実と取り違えたりしているのではなく,意図的に欺こうとしているのだ。
 この年齢での嘘は,取り立てて困った問題というわけではない。子どもたちは皆,そして大部分の大人たちも,時には嘘をつく。しかしながら,子どもが頻繁に嘘をつく場合,とりわけ長期間にわたって嘘が認められる場合には,親は心配して然るべきである。最初に嘘が発覚した時,親は嘘をつくことで生じる道徳的な問題を子どもと話し合うべきだ。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.116

嘘の役割

重要なのは,子どもの反社会的な行動の発達に,嘘がどんな役割を果たしているかということである。嘘をつくことはさらに深刻な問題の兆候なのだろうか,それとも続いて起こる問題の原因なのだろうか?嘘をつくこととは単に,面倒を引き起こす子どもたちがやらかすことの一部に過ぎないのだろうか?利口ぶった子が,教師が背中を向けている最中に紙つぶてを投げたとしよう。こうした推理に従えば,面倒を起こそうとしている子どもたちは嘘をつくだろうが,嘘をつく子どもが皆面倒を起こすとは限らないと言えるだろう。
 それとは反対の見方では,嘘をつくことは子どもを反社会的な行動パターンへと導く第一歩であり,ひょっとしたら非常に重要な一歩かもしれないと考える。嘘をつくことは,子どもが悪い方向へ向かっていることを示すもっとも想起の兆候の1つなのかもしれない。責任を回避する,罰を逃れる方法を学ぶ,成功するためにおべっかを使うといったことは子どもに他のルールを破ることを教えるのかもしれない。嘘をつくことは,問題が持ち上がろうとしていることを示す前兆かもしれないのである。子どもが嘘を隠し通した場合,それによって別の反社会的行動に関わる危険を冒すことになるのかもしれない。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.109-110

片親の場合

ハーツホーンとメイはまた,嘘をつく子どもたちの多くは親による監督が行き届いていない家庭の出身であることを発見した。これは,最近行われた4年生,7年生,10年生の少年たちの嘘に関する研究においても見出された。片親の家庭,あるいは両親が不幸な結婚生活を送っている家庭に暮らす少年たちは,より頻繁に嘘をついていた。ちなみに,結婚生活が上手くいっていない場合には,家庭に両方の親がいても利点にならない。こうした不幸な結婚生活は片親の家庭と何ら変わりがない。子どもたちが嘘をつくかどうかという観点からすれば,いずれも幸福な結婚生活を送る家族よりは不利な環境といえる。
 片親の家庭はほとんどが母親と子ども(父親はいない)の家庭である。そこでは子どもたちに対する監視があまり行き届いていない。母親が手を焼くのはほとんどの場合息子との関係で,とりわけ息子が思春期に達すると苦労する。そうした家庭の子どもは,親よりも仲間に感化されやすいのだ。そのような少年たちは仲間と徒党を組み,反社会的な行動に走りやすい。重要なのは,家庭の所得レベルや親の教育レベルを考慮に入れても,結果に変わりがなかったことだ——つまり,同じような低所得の家庭でも,母親だけの世帯に暮らす子どもは両親が揃った家庭の子どもより多くの問題を抱えていたのである。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.92-93

問題があるときは

嘘をつくことは不適応の特徴なのか,それとも原因なのかという問題に話を戻すと,以上の研究成果だけでは,いずれとも決めがたい。どちらにしても,頻繁に嘘をつくことは危険な徴候である。もちろん,それだけが唯一の要素ではないかもしれない。不適応であることを示す指標は他にもあるかもしれない。それだけが唯一の要素ではないかもしれない。不適応であることを示す指標は他にもあるかもしれない。しかし,もしあなたの子どもが度々嘘をつくなら,そして嘘が(からかいや遊び半分ではなく)長期間続くようなら,あなたはそのことを真剣に受け止めるべきである。人を騙すことがあなたの子どもの典型的な行動パターンになっているようなら,多分,その理由を見つける時期に来ているのだ。真っ先に考慮しなければならないのは,あなた自身の行動が,子どもの嘘を助長してはいないかということである。あなたのルールは厳格すぎないだろうか?あなたは過保護なのではないだろうか?子どものプライバシーを侵害していないだろうか?子どもの目の前でしょっちゅう嘘をつき,嘘をついてもかまわないというメッセージを伝えていないだろうか?嘘をつくことがいかに信頼感を損ない,信頼感を欠いたままで人々が仲良く暮らしていくことがいかに難しいかということを子どもに説明してやってもらいたい。あなたがこれこれの理由で嘘を認めていないことを,子どもにしっかりと分からせてやってほしいのだ。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.83-84

ハロー効果・ホーン効果

スタウサマー-ローバー博士の研究も含め,嘘と不適応に関するこうした研究のほぼすべてはある問題を抱えている。それは,心理学者が「後光効果(ハロー効果)」と呼んでいるものに対してそれらの研究が無防備であるという点である。この言葉は,もしあなたがある人物の良い点や悪い点を知っていれば,ほかにも良い点や悪い点を持っているだろうと考える傾向があるという事実を指している。もしも,マザー・テレサは子犬が好きだろうかと尋ねたら,おそらくあなたはイエスと答えるだろう。わたしはそれを「天使の後光(ハロー)/悪魔の角(ホーン)効果」と呼んでいる。なぜなら,それは肯定的にも否定的にも作用するからである。ヒトラーは赤ん坊が好きだろうかと訊かれたら,多分ほとんどの人はノーと答えるだろう。天使の後光/悪魔の角効果はわたしたちを惑わせ,ヒトラーのような悪人ならば,赤ん坊のことを好むといったやさしさは持っていないだろうという予測へと導くのである。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.80-81

不適応の子どもたち

もっとも規模の大きい研究の1つは,精神科での治療が必要な子どもたちとそのようなケアを必要としない子どもたちに対する親たちのコメントを比較したものだ。4歳から16歳まで,延べ2600人の子どもたちが集められた。男女や白人と黒人の比率が考慮され,さまざまな社会階級を反映するように構成されていた。半数はケアにまわされる必要のある子どもたち(“不適応者”)で,残り半分はおそらく何も問題を持たないであろう子どもたちだった(“コントロール”)。
 親たちは,子どもたちの行動に関して138項目に及ぶ情報を提供した。その中に,自分の子どもたちがどの程度の頻度——度々,時々,皆無——で嘘をついたり不正を行ったりするかを尋ねる質問があった。適応障害の子どもたちについては,およそ半数が嘘をつき不正をしたという報告がなされた。その一方,コントロールの子どもたちでそうした行為に及んだのはわずか5分の1だった。適応障害者とコントロールの子どもたちの間には多くの相違が存在するが,嘘をつくという行為における不一致はその中でも最たるものの1つだった。嘘や不正行為におけるこのような相違は,社会経済的な地位,性別,人種に関わりなく認められた(不適応の子どもとコントロールの子どもとのもっとも顕著な違いが,悲しみ,不幸,抑うつといった感情や学校での成績が芳しくないという事実に反映されるのは興味深いことである)。
 どの年齢においても,不適応の子どもたちの方がコントロールの子どもたちよりも多く嘘をつくとされていたが,その差がもっとも大きかったのは16歳だった。報告によると,16歳の不適応の少年たちの90パーセント近く,そして,16歳の不適応の少女たちのおよそ70パーセントが嘘をつき不正を行っていた。それとは対照的に,年齢が同じコントロールの少年少女たちで嘘をつき不正をしたのは20パーセント以下だった。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.78-79

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