忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

他の能力の場合は

ハーツホーンとメイは,頭の良い子どもたちが嘘をつくことが少ないのはなぜなのかを説明する際,社会経済的な境遇の果たす役割が大きいのではないかと考えた。より恵まれた上位中流家庭の子弟が知能テストで良い成績を収めていることをかれらは知っていたのだ。また,家庭の文化的なレベル(つまり,子どもが自然に接している芸術や音楽,文学の総量)が嘘に関連しているという証拠も握っていた。家庭の豊かさや家庭の知能指数とは別に,本人の知能指数が重要な決め手となっているのかどうかを見極めるため,かれらは,全生徒が同じように恵まれた家庭の出である私立学校に通う子どもたちを調査した。その結果,同じように家庭に恵まれていても,知能指数の程度によってカンニングするかしないかの率が変わることを突き止めた。
 なぜ,頭の良い子どもはカンニングをしないのだろうか?かれらはカンニングをする必要がないのかもしれない。自分がカンニングや嘘に頼らずとも良い成績が取れる卓越した知性の持ち主であることを知っているのだ。もしもそうした説明が正しいとすれば,自分の並外れた知力が役に立たないと思われるような状況下でテストを受けた場合,かれらも知能指数の低い子どもたちと同じようにカンニングするかもしれない。ハーツホーンとメイはそう推測した。驚くまでもないが,パーティゲームや運動能力測定,あるいは機械の技能テストにおいて不正をするかどうかは,知能指数の善し悪しに関係ないことをかれらは発見した。つまり,こういうことだろう。どんな才能であれ,何かに秀でた才能を持っている子どもは,その才能が成功を保証してくれる可能性が高ければ,ごまかす確率は低いということである。運動能力に恵まれた子どもなら,運動能力がテストされる場合に不正をする可能性は低いはずだとわたしは考えているが,私の知るかぎり,こうした研究を行った者はまだいない。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.71-72
PR

知能の影響

平均以下の知能指数の者は,正直な子どもよりも嘘をつく子どもの方に多く見られた。もっとも知能指数が低い子どもたちのうち,およそ3分の1が嘘をつきカンニングを行っていた。また,もっとも知能指数が高い子どもたちの中に,嘘をついたりカンニングをしたりする者は1人もいなかった。こうした2つの極端な例の中間に位置する子どもたちの場合でさえ,数値は一貫して,知能指数が高いほど嘘をつく子どもの占める割合が低くなることを示している。つまり,頭の良い子どもほど嘘をつく割合は少ないという結論が出されたのだ。このことは,過去50年間に行なわれてきた子どもの知能に関する研究のほぼすべてで確証されてきた。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.71

嘘の動機

要約すると,嘘をつくことには数多くの動機が存在している。

 ■懲罰を受けるのを避けるため
 ■他の方法では得られないものを得るため
 ■友人をトラブルから守るため
 ■自分自身や他の人を危害から守るため
 ■他人の賞賛や関心を勝ち取るため
 ■場が白けるのを避けるため
 ■恥をかくのを避けるため
 ■プライバシーを維持するため
 ■権威に対して自分の力を示すため

 これらは単に嘘をつく動機であるだけでなく,子ども,親,教師らによって,そしてなぜ子どもが嘘をつくのか研究をしてきた専門家たちによって報告されているもっともありふれた動機なのである。これらの嘘の動機は,どれ1つとして子どもに特有のものではない——つまり,それらは大人が嘘をつくときの動機でもあるのだ。だが,子どもの年齢が上がると,幾つかの動機が他のものより重要性を増す。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.61

両論

親たちに対してわたしが行ったインタビューが示唆するところによれば,かれらの大半は,両親の犯した罪を子どもが密告することが正しいことなのかどうかについて,子どもたちと話し合ってはいない。子どもたちは,両親のどちらかが隠れてタバコを吸ったり,誰かといちゃついたり,あるいは速度違反の切符を切られたりすることをもう片方に知らせるべきなのだろうか?親たちは,告げ口屋になってはいけないと子どもたちに伝える一方で,自分たちが情報を要求した時には兄弟たちの悪事を密告するよう期待する。

ポール・エクマン 菅靖彦(訳) (2009). 子どもはなぜ嘘をつくのか 河出書房新社 pp.44

我々の負の遺産

あるいは,より深刻な問題として,現代日本の刑事事件の被害者救済・被害者保護の問題に立ちはだかる「壁」についても,喧嘩両成敗法や中世以来の衡平感覚との関連が指摘できるかもしれない。というのも,現在,まったくいわれのない事件に巻き込まれて心身に傷を負った被害者に対して,マスコミや無関係者によって「被害者側の落ち度」が穿鑿され,しばしばそれが被害者を二重に苦しめ,また公的機関による被害者救済を遅らせているという悲劇がある。これには直接にはマスコミ倫理の問題になるのだろうが,そうした情報を渇望する国民の側に,なんらかの事件になる以上,被害者側にも相応の「落ち度」があるはずだ,という無根拠な思い込みがないとは言いきれない。それ自体,喧嘩両成敗法や折衷の法を成り立たせた中世人の心性の重要な一要素でもあるが,もし,それが数百年を経た現在まで無責任に信奉されているのだとすれば,私たちの社会が荷った“負の遺産”はあまりに大きいものであったといわざるをえない。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.203

喧嘩両成敗の乱用

元来,喧嘩両成敗というのは,紛争当事者の衡平感覚に配慮しつつ緊急に秩序回復を図るために中世社会が生み出した究極の紛争解決作であった。しかし,そこには単純明快であるがゆえに,しばしば安易な運用で理非が蔑ろにされる危険がつねにつきまとった。かねて中世の人々がその採用に躊躇を示していたのも,まさにそうした点を危惧していたからに他ならない。豊臣政権は,一方では公正な裁判を標榜しつつも,他方では喧嘩両成敗を採用するという戦国大名以来のジレンマからは完全に抜けきれてはいなかった。しかも,その両成敗には,つねに逸脱や恣意的な乱用といった影がつきまとっている。これらのことがらは,喧嘩両成敗を永続的な秩序維持策として運用してゆくことのむずかしさを物語っているといえるだろう。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.190-191

均衡状態をつくり出す

「やられた分だけやり返す」という中世の人々の衡平感覚や相殺主義は,現代人にはどうにも野蛮で幼稚な発想のように思えてしまうが,反面で「やられた分」以上の「やり返し」を厳に戒める効果も明らかにもっていたのである。さらに視野を広げれば,そもそも人々の同害報復の観念が復讐を助長した反面,復讐に一定の制限を与えていたという事実は,さきに例としてあげたメソポタミアのハンムラビ法典をはじめとして,中世ヨーロッパ世界やイスラム世界など人類史上においても普遍的に確認される現象である。こうしたことから考えれば,日本中世社会の衡平感覚や相殺主義も,それは一方で紛争の原因でありながらも,他方では紛争を収束させる要素ともなっていたと断言して差し支えはないだろう。そして,他でもない喧嘩両成敗法とは,当事者双方を罰することで,まさにそうした均衡状態を強制的につくり出す効果をもっていたのである。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.123-124

押蒔き

なかでも滑稽なのは「押蒔き」や「押植え」といった行為である。これは,係争中の土地の支配を主張するために,その土地に勝手に作物の種を蒔いたり,苗を植えたりしてしまうことをいう。もし訴訟相手からこれを強行された場合,された側は「種まきや田植えの手間がはぶけた」などといって呑気に笑っていてはいけない。すぐにその土地に駆けつけて田畑を「鋤き返し」(耕しなおし)てしまわなければならないのである。なぜなら,それを放置すれば相手の用益事実を認めたことになってしまい,中世社会の場合,それは即,その土地の秋の実りのみならず,その土地自体を手に入れることができてしまうことになる。中世社会では「種を蒔くこと」や「苗を植えること」に,その土地の支配権につながる象徴的かつ物神論的な意味が込められてしまっていたのである。これなどは現代人には理解に苦しむ本末転倒した話ではあるが,当知行の論理とはそういうものだったのである。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.107

法の保護の外に

つまり,ここから,室町幕府には,流人を「公界往来人」,すなわち室町殿との主従関係(保護ー託身関係)が切断された者とみて,そうしたものは殺害しても構わないとする認識があったことがうかがえる。これもまさに,同時代の落武者狩りや没落屋形への財産掠奪と同様,「法外人(outlaw)」や「フォーゲル・フライ」の論理だろう。だとすれば,これまでみてきたように流人がいとも簡単に敵人によって殺害されてしまい,その後,その敵人の罪が問題とされないのも,すべて納得がいく。つまり,法の保護を失った人間に対して「殺害」「刃傷」「恥辱」「横難」,そのほかいかなる危害を加えようと,それはなんの問題にもならない。この原則があったからこそ,流人は次々と「配所」や「配所下向の路地」で敵人によって殺害されていたのだろう。いってみれば,室町幕府の流罪とは,罪人の追放や拘束に意味があったのではなく,なによりも彼らを法の保護の埒外に置くことに最大の意味があったのである。もちろん,自力救済を基本とする中世社会にあっては,それは多くの場合,即「死」を意味した。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.99-100

集団への帰属意識

現代の私たちの生きる社会では,それが良いことか悪いことかはべつにして,さまざまな場面で「個人」が尊重され,「集団」に対する帰属意識が薄れていっている。いまやかつてのような「村」や「町」という共同体はほとんど見られなくなっているし,「家」すらも今後いまと同じようなかたちで存続するという保証はどこにもない。かつては日本経済の美徳(?)とされた「企業」への滅私奉公意識も若者を中心に急速に薄らいでいる。そうした現代人の目には,こうした室町社会のありようはきわめて奇異なものに映るかもしれない。しかし,この時代は「個人」がその生命や財産を守ろうとしたとき,なんらかの(ときには複数の)「集団」に属することは必須のことだった。そして,その代償として人々は紛争の無意味な継続や拡大に悩まされることにもなった。そのため,この状況にどうにかして歯止めをかけることが,当時,社会全体から切実に求められていたのである。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.76

現代まで影響

しかし,なにも類例を海外に求めるまでもなく,現にいまの日本においても「死をもって潔白を訴える」「抗議の自殺」「憤死」といった言動が子供の世界のイジメから芸能人や学者の醜聞,政治家の汚職事件にいたるまで価値を持ち続けているという深刻な現実があることを忘れてはならない。その一方で,欧米社会ではそうした傾向はみられず,むしろ逆に係争中に一方がみずから命を絶つようなことがあれば,それは敗北を認めたのと同様にみなされるとも聞く。そして,彼我の相違から,日本人はある主張の是非を判断するとき,その主張が論理的に正しいかよりも,主張者がその主張にどれだけの思いを込めているかを基準にする傾向がある,と指摘する向きもある。もとより,その背景には,一方に自死を禁じるキリスト教の規範があり,一方にはそれに類する思想がなかったことが大きな要因として考えられる。が,こと日本の場合についていえば,これまでみてきた中世以来の心性が払拭されず,その後も根強く支持され続けたという歴史的経験が決定的な意味をもったように思えてならない。もしそうだとすれば,室町社会を生きた人々の激情的な心性は,近世・近代をはさんで現代にまで,日本人の精神構造にふかい陰影を刻み込んでいたことになる。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.50

人命軽視

そして,なにより室町人は現代人には考えられないほど個人の生命を軽視しており,遺恨の表明や特定の訴願のまえには,自身の生命を捨てることも厭わなかった。彼らが自害を選択する背景として最も重要な要素は,その独特の生命観にあったといえるだろう。この時代は戦乱や病気,飢饉などにより,現代社会よりもずっと「生」と「死」の間の垣根は低く,人々に「死」は身近な存在だった。ある者は死んで,ある者は生き残る——それを分けるのは,ただ当人たちの運の良し悪しだけだった。そんな社会に生きる彼らが永続すべき「家」や「所領」や「誇り」のために一命を捨てることは,私たちが考えるほど大胆な決断ではなかったのかもしれない。そして,そうした人々の生命観は,また当時の紛争を激化させた重要な要因ともなっていたのである。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.48

号する

そもそも中世社会には武家法や公家法・本所法といった公権力が定める法が存在したが,その一方でそれらとは別次元で村落や地域社会や職人集団内で通用する「傍例」や「先例」「世間の習い」とよばれるような法慣習がより広い裾野をもって存在していた。しかも,それらの法慣習には互いに相反する内容が複数並存していることも珍しいことではなく,人々は訴訟になると,そのなかからみずからに都合のよい法理を持ち出して,自分の正当性を主張し,「〜と号する」のを常としていた「〜と号する」というのは中世人が主観的な正当性を主張しているとされるときの常套的表現)。現代の「法治国家」から見ればアナーキーというほかない実態であるが,そうした多元的な法慣習が,公権力の定める制定法よりもはるかに重視されていたのが,この時代の大きな特徴だったのである。言ってみれば,日本中世社会においては,「法」という名の異なる多様な価値がせめぎあいながら,さまざまな緊張と調和を織りなしていたのであり,公権力の制定法も,その「多様な価値」の1つに過ぎなかったのである。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.40

発狂する大名

当時の日本人は強烈な名誉意識をもちつつも,一方で怒りを「胸中を深く隠蔽し」,「次節が到来して自分の勝利となる日を待ちながら堪え忍ぶ」という陰湿さも同時に持ち合わせていたのである。
 とくに,容易に「主殺し」に転化するような荒ぶる心性を身につけていた被官たちに推戴されていた室町期の大名たちは,つねに被官の反逆に恐々としながら生きていたことは疑いない。史料を読んでいると,よくこの時代の室町殿や大名が発狂するという話に出くわす。あまりにその事例が多いため,これを足利氏を中心とした遺伝的な形質として理解する説もあるが,むしろ私は,その原因は当時の権力構造と被官の心性に由来するものと考えるべきだと思う。後継者の決定や家政の運営について,この時期,大名当主の意見は通りにくくなり,家臣団の意見が尊重されるようになってくる。また,彼ら被官たちが主従の秩序よりも自身の誇りを最優先する心性をもっていたことは前述のとおりである。いっそ近代大名のように,大名当主の存在が「家中」という政治機構のなかに明確な職掌と位置を与えられていれば問題もないのだが,この時期の家政のすべては家臣団と大名当主のパワー・バランスの中で流動的に推移していた。そんな不安定さのなかで,家臣団を思い通りに統制することができず,精神のバランスを崩してゆく大名が多かったのではないだろうか。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.31

名誉意識

このほかにも,同じ頃の北野神社では,神前に奉納した連歌の内容がヘタだといって「笑」ったことで,北野社の社僧と参詣人が喧嘩になり,一方が撲殺されてしまうという事件が起きるなど,この時代には「笑うー笑われる」を原因とした殺傷事件は後を絶たない。それほどまでに彼らは傷つきやすく,「笑われる」ということに過敏だったのである。しかも,ここで稚児や遊女に笑われたのを理由にして大惨事を巻き起こした人々は,とくに侍身分というわけではなく,いずれもただの僧侶であったり,たんなる「田舎人」である。彼らの場合,稚児や遊女といった自分たちよりも身分の低い者から笑われたのが,どうにも許せなかったのだろう。この時代の人々は,侍身分であるか否かを問わず,みなそれぞれに強烈な自尊心「名誉意識」をもっており,「笑われる」ということを極度に屈辱と感じていたのである。もちろん室町人の中にも個人差はあり,その程度は人それぞれであるが,それはおおむね現代人の想像を超えるレベルのものだったようだ。

清水克行 (2006). 喧嘩両成敗の誕生 講談社 pp.16

業績至上主義と創造性

成功した人に莫大な成功報酬を支払い,他方,失敗した人にもなんらかのコストを払ってもらうべきだ,という業績至上の原則を強調するならば,創造的な研究は大きく後退しよう。すぐれた人は創造的な研究に赴かないからである。なぜか。
 創造的な研究開発とは失敗する確率が極度に高い。そうであれば,通念の方式では,圧倒的に多くの研究者は失敗のコストをあるていど払うことになる。それではその研究者が大金持ちでないかぎり,生活がもたない。結局,射幸心のつよい例外的に少数な研究者しか創造的な研究に赴くまい。それではたして創造的な研究が多くうみだされようか。
 つまり,真に創造的な研究開発を推進するには,失敗のリスク,コストを大きく組織がとるほかない。それは具体的にいえば,成功したらそこそこの報酬,失敗してもなおすくないながら昇給する,というしくみであろう。そして成功者はその後の研究テーマの選択,研究費の配分,研究チームの人選により大きな発言権を得ることであろう。それならば,いままでも日本企業が行ってきたことではないか。そのゆえに,これまで日本社会が他国に勝るとも劣らない研究開発の実績をあげてきたのであろう。
 「神話」にとらわれた誤認識がいかに本来のよさを殺すか,いかに自他の状況を知ることが重要でしかも容易でないか,それはどれほど強調しても強調しすぎることはない。

小池和男 (2009). 日本産業社会の「神話」:経済自虐史観をただす 日本経済新聞出版社 pp.254-255

終身雇用神話

ふたつの視点でみる。ひとつは1980年からの推移,もうひとつは国際比較である。後者からみよう。もし日本が他国と違い「終身雇用」の国ならば,当然に残存率は格段に大きいはずであろう。ところがドイツ,スイスより低い。1985−90年をとれば,その両国に加えスペインも日本を上回る。もちろんこの数値でそう断定するのは危ない。というのは,これは男女計の数値なのに,日本の終身雇用「神話」は男性にかぎられ,その反証にはかならずしもならないからである。それにしても日本より45歳以上の残存率の大きい国が複数あることに注目すべきだろう。せいぜい日本は西欧の一部の国なみの長期雇用らしい。
 ほかは推移である。なるほど多くの国で残存率が下がっているのに,日本はわずかながら上がっている。おそらく高年齢化の影響とおもわれる。ただし,米でも最後には少し上がっているのだ。いずれにしても日本がやや長期雇用であるのはたしかなようだが,他国とは隔絶した雇用保険制度とはあまりいえそうにない。とくに日本の統計が企業からのデータであることを心にとめると,この表示による日本の長期雇用度はやや割り引かねばなるまい。

小池和男 (2009). 日本産業社会の「神話」:経済自虐史観をただす 日本経済新聞出版社 pp.203-204

マニュアル化できないから

はやい話が,なぜ日本でも課長以上では残業を記録せず残業手当を払わないのか。そこから考えよう。それは課長以上の仕事はありきたりのマニュアルではまったく規定できないからである。規定できればなにも課長職はいらない。判断材料が一切ないということになるからだ。つまり課長の仕事の内容,その仕事の仕方は課長個人の判断や考え,すなわち創意工夫によるほかない。それゆえ,これだけの作業を行えばよい,という基準ができない。かりに文章に書いてもごく抽象的な表現にとどまる。当然のことながら,できる課長とできない課長の個人の効率差ははなはだ大きいのだ。
 その個人差は高度な職ほど大きい。かりに社長や事業部本部長をみれば歴然としよう。社長の仕事に限界はなく,自宅のお風呂に入っていても経営のことを考える。のほほんとくらす社長の企業はかるく他国企業に買収される。瞬時の油断もできない。
 そうした創意工夫のほんの一部でも生産労働者に頼むならば,とうてい労働時間ではその作業の成果は測れず,したがってその業績は時間数では測れない。

小池和男 (2009). 日本産業社会の「神話」:経済自虐史観をただす 日本経済新聞出版社 pp.168-169

病気休暇と有給休暇

日本の有給休暇取得率が低い,とよくいわれる。それは企業への忠誠心,あるいは職場の仲間への気遣いなどという説明がよくみられる。だが,その理由はかなり簡単なことではないだろうか。病気休暇制度が企業に普及していないからではないか。
 日本の有給休暇は,すくなくともそのかなりは,事実上西欧の病気休暇にあたる機能をはたしてきた。西欧では病気欠勤のとき,ふつう病気休暇を取得する。病気休暇とは医師の診断書を要し,年間数日の上限があるが,実際にはどのような医師の診断書が必要かによって大きく取得日数が変わる。混みあう公的病院の診断書を要求すれば,一挙に病気休暇日数は減る。
 こうした実情はともかく,日本では病気休暇はあまり企業に普及していない。なるほど健康保険組合の病気欠勤保証はあるが,それは病気休暇の代替にはなるまい。というのは,人事の評価の際に考慮する出勤率にマイナスとなる点は回避できないからである。査定に出勤率を考慮する慣行は他国でもみた。したがって,なるべき病気欠勤は有給休暇で消化したい。さりとて病気はいつおこるかわからない。そこでその対策として有給休暇をのこしておかざるをえない。すなわち,病気休暇の制度をきちんと利用すれば,状況は相当に変わってくるであろう。

小池和男 (2009). 日本産業社会の「神話」:経済自虐史観をただす 日本経済新聞出版社 pp.154

計測できない

先進国であればどの国も,週あるいは月あたりの実労働時間統計はある。ただし,それは製造業の生産労働者中心となる。そうでないととても実労働時間は測れない。生産労働者であれば,機械がとまれば仕事できず,家に仕事を持って帰ることができない。よって工場にいる時間で計測できる。だが,大卒ホワイトカラーであれば,家に持ち帰って仕事もできる。米でも弁護士はしばしば家に持ち帰っても仕事していた。それはとても計測できない。

小池和男 (2009). 日本産業社会の「神話」:経済自虐史観をただす 日本経済新聞出版社 pp.153

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]