インディアンは交易品の品質を厳しく吟味し,不満があれば取引を拒否してフランス人の交易者に毛皮を持ちこんだ。インディアンに拒否されて銃製造業者に返送された不良品は,1679年に43挺,81年に122挺に達する。このためロンドン委員会は,イギリスの銃製造業者に注文を出す前に,しばしばサンプルの提出を求め,製品には商標を刻印して責任を命じさせている(HBRS, VIII, pp.25, 31, 47)。交易所での在庫が増大すると,長期保存による品質低下が生じ,とりわけ銃の錆と,火薬の劣化は深刻だった(HBRS, XI, p.125; HBRS, XX, p.61)。インディアンからの苦情による返品の無駄を防ぐため,鉄砲職人や鍛冶工が交易所に配置された。英仏どちらの交易品が優秀だったかについては,研究者の間で長い論争がある(Eccles, 1979, pp.429-434)。実際のところ,品質の優劣は製品による差異が大きく,一概にどちらが優秀だったとはいえない。だが火打ち石と火薬は明らかにフランス製が優れており,ハドソン湾会社が外国から輸入する交易品では,火打ち石とブラジル・タバコがもっとも重要だった。毛皮交易におけるインディアンは,英仏間の競争を巧みに利用し,高い品質と有利な交易条件を主張するしたたかな「商売上手」だったのである。彼らがヨーロッパ製品の魅力の前にたちまち屈服したとの通説は,アーサー・レイが強調するように,研究者が作り上げた「神話」にすぎない(Ray, 1980, pp.267-268)。
木村和男 (2004). 毛皮交易が創る世界:ハドソン湾からユーラシアへ 岩波書店 pp.38