忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

理想や理念

少し話は逸れるけれど,民主主義というのは会議をして多数決で物事を決める制度のことだが,そもそもその会議に誰が出られるのかという時点で既に平等ではなかった。そこで,労働者や貧しい人たちは,金持ちの多数決ではなく,もっと別のカリスマを求め,独裁者を歓迎した歴史がある。現在の民主主義でも,マスコミが扇動して,国民を煽っている。そんな頭に血が上った人たちの多数決で政治を動かすようなことがあっては困る。たしかに民主主義は理想的なシステムだが,このような危険な部分が欠点としてある。だから,理想や理念を忘れないように憲法というものが存在している,と考えて良い。

森博嗣 (2013). 「やりがいのある仕事」という幻想 朝日新聞出版 pp.46
PR

将来の夢

子供に将来の夢を語らせるような機会が多い。小学生の卒業アルバムなどにも,その種のことを作文で書かせたりしている。将来の夢という言葉と裏腹に,何故かほとんど例外なく「どんな職業に就きたいか」ということを子供たちは答えてしまう。おかしな話だと僕は思う。子供だったら,もっと「一日中遊んでいたい」とか,「宇宙を冒険したい」とか,あるいは「大金持ちになって,自分の庭に遊園地を作りたい」というくらい書いても良さそうなものだが,せいぜい,スポーツ選手になりたいとか,ダンスの先生になりたいとか,どうも仕事の種別に子供たちは拘っているようだ。
 こうなるのは,大人が悪いと思う。子供が小さいときから,「大きくなったら何になるの?」なんて尋ねたりするのだ。両親ではなく,祖父母とか,伯父伯母とか,あるいは近所の年寄りとかに多いだろう。二十代くらいの若者は,子供にそんな馬鹿な質問はしない。まだ自分も半分子供だから,その問いかけの虚しさから抜けきっていないためだ。自分がかつて答えた夢に,まだ少し未練をもっていて,現実との間で藻掻いているためだ。それが年寄りになると,もう世捨て人に近づいているから,「この子が立派になるまで自分は生きていられるかしら」といった無責任さから,その場限りの夢の様な答を,ただ言葉として聞きたいだけなのである。

森博嗣 (2013). 「やりがいのある仕事」という幻想 朝日新聞出版 pp.38-39

偉い

そもそも,職業に貴賎はない。「偉い仕事」というのは,つまりは給料が高いとか,能力や人気で選ばれた者だけが就けるとか,そういった「ポスト」を示すようだけど,その偉さは,たいていは賃金によって既にペイされているはずだ。つまり,そういう「偉そうな仕事」をしたら,その分の高級を得ているわけで,それでその偉さは差し引かれているはずなのだ。もし,賃金は一切いらない,というのなら本当に偉いと思うけれど,金をもらっているなら,それでいいじゃないですか,と僕は考えてしまう。
 たとえば,国を動かす凄い仕事をしている,といっても,それだけの金をもらっているのなら,それくらいしても当たり前では,と考える。
 下の者に命令ができる人が偉いわけでもない。命令をきく人たちは,その分の賃金を得ているから言うことをきくだけだし,また,命令できるのも,それは単にその場に限って通用するローカル・ルールがあるだけのことで,ようするに一種のゲームだと思えばわかりやすいだろう。鬼ごっこをするとき,鬼はべつに偉いわけではない。怖いから逃げているのでもない。そういうルールなのである。どちらの立場も,嫌ならいつでもゲームから降りることができるのだ。

森博嗣 (2013). 「やりがいのある仕事」という幻想 朝日新聞出版 pp.11-12

個人・環境適合性

大人たちは自分たちをそういう状況に押しこむことは絶対にしないだろうに,なぜ子供たちに杓子定規な環境を与えているのだろう?「変わっている」と思われていた子供が,大人になって「花開いた」のに驚かされるというのは,よくある話だ。それは「変身」したと表現される。だが,本当に変化するのは,子供ではなく環境なのかもしれない。大人になれば,職業や配偶者や,つきあう相手を自分で選ぶようになる。自分の意志と関係なく放り込まれた世界で暮らす必要はなくなるのだ。「個人・環境適合性」という観点からして,人間は「自分の性格と一致した職業や役割や状況にあるときに」活躍すると心理学者のブライアン・リトルは言っている。この逆もまた真実である。感情的に脅かされるとき,子供は学ぶのをやめてしまう。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.323
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

外向型の子用

現実には,多くの学校は外向型の子供たち向けにつくられている。内向型には外向型とは異なる種類の指導が必要だと,ウィリアム・アンド・メアリー大学で教育学を教えているジル・ブルスとリサ・カンジグは言う。また,「内向型の生徒に対しては,もっと外向的になりなさい,社交的になりなさいと助言する以外に選択肢がほとんどないのが現状だ」とも語った。
 私たちは大人数のクラスで教えるのが当然だと思い込んでしまっているが,じつはそんなことはない。大人数のクラスに生徒をまとめるのは,それが効率的だからであり,大人たちにはそれぞれ仕事があるため,それ以外の方法が考えにくかったからだ。もし,あなたのお子さんがひとりで勉強したがったり,友達と1対1で話すのが好きだったりしても,なにも間違ってはいない。それはたんに,世の中の一般的なやり方にそぐわないだけの話だ。学校の目的は,子供たちに社会へ出て生活するための準備を整えさせることであるはずなのに,現実には,学校生活で生き残るためにはどうすればいいかが重大問題になってしまいがちだ。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.322
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

外向性と友人

 言い換えれば,外向性の度合いはあなたの友人の数を左右するが,友情の質は左右しない。心理学者のイェンス・アスペンドルフとスーザンヌ・ヴィルパースは,ベルリンのフンボルト大学の学生132人を対象にした実験で,彼らの性格特性が仲間や家族との関係にどんな影響を与えているかを探ろうとした。アスペンドルフらは,「外向性・内向性」「調和性」「開放性」「勤勉性」「神経症傾向」の5つからなる主要5因子性格モデルと呼ばれるものに注目した(数多くの性格心理学車が,人間の性格はこの5つの因子の組み合わせで要約できると考えている)。
 アスペンドルフとヴィルパースは,外向型の学生は新しい友人関係になじみやすいと予想し,実際にその通りだった。だが,もし外向型が向社会的で内向型が反社会的なのだとしたら,もっとも調和的な友人関係を育むのはもっとも外向的な学生のはずだ。だが,これはまったくあてはまらなかった。実際には,友人関係でもっとも衝突が少ないのは,調和性が高得点の学生だった。調和的な人は温かく,協力的で愛情深い。性格心理学者たちは,彼らをパソコン画面の前に座らせると,「誘拐する」「攻撃する」「悩ます」といった言葉よりも「親切」「慰め」「助力」といった言葉により長時間集中することを発見した。内向型と外向型の調和性は同程度だった。このことは,外向型の一部が人づきあいの刺激を好むものの,とくに親しい関係を築かないことを説明している。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.287
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

自由特性理論

 リトル教授(引用者注:Brian Little教授)のような極端に内向的な人物がなぜ人前ですばらしい講演ができるのか,読者の皆さんは不思議に思われるだろう。その理由は簡単だと,彼は言う。そして,それは「自由特性理論」と呼ばれる,彼がほぼ独力で築いた心理学の新理論と関連している。固定した特性と自由な特性は混在すると,リトルは信じている。自由特性理論によれば,私たちは特定の性格特性を持って生まれるが——たとえば内向性だ——自分にとって非常に重要な事柄,すなわち「コア・パーソナル・プロジェクト」に従事するとき,その特性の枠を超えてふるまえるのであり,実際にふるまっているのだ。
 つまり,内向型の人は自分自身が重要視する仕事や。愛情を感じている人々,高く評価している事物のためならば,外向型のようにふるまえる。内向型の夫が愛する外向型の妻のためにサプライズパーティを仕掛けたり,親の学校でPTAのような役員になったりするのは,自由特性理論で説明がつく。外向型の科学者が研究室でおとなしくしているのも,物わかりのいい人物がビジネス上の交渉では頑固になるのも,つむじ曲がりのおじさんが姪にはやさしくアイスクリームを買ってやるのも,すべて説明できる。自由特性理論はさまざまな状況で適用できるものの,とくに外向型を理想とする社会で生きている内向型にぴたりとあてはまる。
 リトルによれば,内容が重要であり,自分の能力に適し,過度のストレスがかからず,他人の助力を受けられるようなコア・パーソナル・プロジェクトに関わるとき,私たちの人生は大きく高められる。誰かに「うまくいっているかい?」と尋ねられて,何気ない返事をするとき,じつは私たちはコア・パーソナル・プロジェクトがどれほどうまく運んでいるかを答えているのだ。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.263-264
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

状況論争から

 だが,「生まれつきか育ちか」論争が相互作用論——両方の要素が作用して性格を形成し,しかも両者はたがいに作用し合っているとする考え方——に取って代わられたのと同じように,「人間——状況」論争はもっと微妙な見解にその座を奪われた。私たちが午後6時には社交的な気分でも午後10時には孤独であり,そうした変化は現実に存在し,状況に左右されると,性格心理学者は認めている。また,そうした変化にもかかわらず,固定した性格というものは存在するのだという前提を支持する証拠が数多く登場してきたことを,彼らは強調している。
 最近では,ミッシェルまでもが性格特性の存在を認めているが,それらにはパターンが有ると彼は信じている。たとえば,対等者には攻撃的だが権威者には従属的で従順な人々がいる。その逆の人々もいる。「拒絶に敏感な」人々は,安心を感じているときには思いやり深く愛情に満ちているが,拒絶されたと感じると,とたんに敵対的で支配的になる。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.260-261
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

友人の好みの文化差

 同じように,中国のハイスクールの生徒は「謙虚」「利他的」「正直」「勤勉」な友人を好むのに対して,アメリカのハイスクールの生徒は「楽しく」「活動的」「社交的」な友人を求めるとわかった。「この対照性は明確だ。アメリカ人は社交性を重んじ,気楽で楽しい結びつきをもたらす特性を賞賛する。中国人はより深い特性を重んじ,道徳的美点や業績を賞賛する」と比較文化心理学のマイク・ハリス・ボンドは書いている。
 アジア系アメリカ人とヨーロッパ系アメリカ人に,考えを口に出してしゃべりながら推論問題を解かせた実験もある。その結果,アジア系は静かにしている方が問題解決能力を発揮し,ヨーロッパ系はしゃべりながらのほうが能力を発揮した。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.236
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

最適レベルの刺激

 1960年代終わりから数十年にわたって,著名な心理学者のハンス・アイゼンクは,人間は強すぎもせず弱すぎもしない「最適な」レベルの刺激を求めているという仮説を主張した。刺激とは,私たちが外界から受ける力のことで,さまざまな形をとり,たとえば騒音も社交もまぶしい光も刺激となる。アイゼンクは,外向型の人は内向型の人よりも強い刺激を好み,このことが両者の違いの多くを説明すると信じた。内向型の人がオフィスのドアを閉めて仕事に没頭するのを好むのは,そうした静かで知的な活動こそが彼らにとって最適の刺激だからであり,それに対して,外向型の人はチームビルディングのためのワークショップのまとめ役とか会議の司会など,より積極的で明るい活動に従事しているときがもっとも快適に感じる。
 アイゼンクはまた,こうした違いは上行性網様体賦活系(ARAS)という脳の組織にもとづいているのだろうと考えていた。ARASは大脳皮質と他の部分とを結ぶ脳幹の一部分である。脳は私たちを目覚めさせたり活動的にさせたりするメカニズムを備えている。心理学者が言うところの「覚醒」だ。逆に,鎮静させるメカニズムも備えている。アイゼンクは,ARASが脳へ流れる感覚刺激の量をコントロールすることによって覚醒のバランスを取っているのだろうと推論した。通路が広く開いていれば多くの刺激が入り,狭くなっていれば脳への刺激は少なくなる。内向型の人と外向型の人とではARASの機能が異なるのだと,アイゼンクは考えた。内向型は情報が伝わる通路が広いので,大量の刺激が流れ込んで覚醒水準が高くなりすぎ,それに対して,外向型は通路が狭いので,覚醒水準が低くなりすぎることがある。覚醒水準が高すぎると,不安をもたらし,しっかりものが考えられなくなるような気がして,もう十分だから帰りたいという気持ちになる。逆に低すぎると,閉所性発熱(訳注 悪天候などで狭い室内に長時間閉じ込められることによって精神的に参ってしまった状態)のようになる。いらいらして落ち着きを失い,家から出たくてたまらないときのような気持ちになる。
 現在では,現実はもっと複雑だと私たちは知っている。そもそも,ARASは消防車のホースのようにスイッチひとつで刺激を流したり止めたりしないし,脳全体をたちまち溢れさせたりもしない。脳のあちこちの部分をバラバラに覚醒させる。さらに,脳の覚醒レベルが高くなっても,あなた自身は必ずしもそれを感じるとはかぎらない。また,覚醒にはいろいろな種類がある。大音量の音楽による覚醒は,迫撃砲砲火による覚醒とは違うし,会議のまとめ役をつとめることによる覚醒とも違う。刺激の種類によって必要とする感受性の強弱は違ってくるだろう。私たちがつねに適度なレベルの覚醒を求めているというのは単純すぎるのではないか。サッカーの試合の観客は激しい興奮を求めているし,リラクゼーションのためにスパを訪れる人々は穏やかな雰囲気を求めている。
 もっとも,世界中の科学者たちが1000件以上もの研究によって,皮質の覚醒レベルが外向性と内向性の重要な鍵となっているというアイゼンクの理論を検証し,心理学者のデヴィッド・フンダーはさまざまな重要な点で「なかば正しい」と言っている。根底にある原因はさておき,コーヒーや大きな音などさまざまな刺激に対して,内向型の人が外向型の人よりも敏感だと示す証拠は多数ある。そして,内向型と外向型とでは,活動するために最適な刺激のレベルは大きく異なる。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.156
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

(引用者注: David Funderは「ファンダー」と書くほうが発音に近い)

刺激への反応

 ケーガンはこんな仮説を立てた——生まれつき扁桃体が興奮しやすい乳児は外界からの刺激に対して大きく反応し,成長すると,初対面の人間に対して用心深く接するようになる。そして,この仮説は立証された。つまり,生後4ヵ月の乳児が刺激に対してまるでパンクロッカーのように大きく手足を振って反応したのは,外向型に生まれついたせいではなく,彼らが「高反応」であり,視覚や聴覚や嗅覚への刺激に強く反応したせいだったのだ。刺激にあまり反応しなかった乳児は内向型だからではなく,まったく逆に,刺激に動じない神経系を備えているからなのだ。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.130-131
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

Kaganの気質研究

 ケーガンらは,生後4ヵ月の赤ん坊に慎重に選んだいくつかの新しい体験をさせた。録音した声を聞かせたり,色鮮やかなモビールを見せたり,先端をアルコールに浸した綿棒を嗅がせたりしたのだ。それらの未知の体験に対して,赤ん坊たちはそれぞれに反応した。全体の約20%は元気よく泣いて,手足をばたつかせた。ケーガンはこのグループを「高反応」と呼んだ。約40%は静かで落ち着いたままで,時々手足を動かすものの,さほど大きな動きではなかった。ケーガンはこのグループを「低反応」と呼んだ。残りの40%は「高反応」と「低反応」の中間だった。ケーガンは物静かな10代に成長するのは「高反応」グループの赤ん坊だと予測した。
 その後,赤ん坊たちは2歳,4歳,7歳,11歳の時点でケーガンの研究室に呼ばれて,見知らぬ人やはじめて体験する事柄に対する反応をテストされた。2歳のときには,ガスマスクをかぶって白衣を着た女性や,ピエロの格好をした男性や,無線で動くロボットに引き合わされた。7歳のときには,初対面の子供と遊ぶように指示された。11歳のときには,見知らぬ大人から日常生活についてあれこれ質問された。ケーガンらはこうした外部からの刺激に対して子供がどう反応するかを観察し,ボディランゲージを解読するとともに,自発的に笑ったり話したり笑みを浮かべたりする様子を記録した。さらに,両親と面接して彼らの普段の様子について尋ねた——少数の親しい友達とだけ遊ぶのが好きか,あるいは大勢で遊ぶのが好きか?知らない場所を訪ねるのが好きか?冒険派か,それとも慎重派か?自分のことを内気だと思っているか,それとお大胆だと思っているか?
 子供たちの多くが,ケーガンが予測したとおりに成長した。モビールを見て盛大に手足を動かして騒いだ20%の「高反応」の赤ん坊の多くは,思慮深く慎重な性格に成長した。激しく反応しなかった「低反応」の赤ん坊は,大らかで自信家の性格に成長している例が多かった。言い換えれば,「高反応」は内向的な性格と,「低反応」は外向的な性格と一致する傾向が見られた。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.128-129
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

ブレインストーミングが失敗する理由

 心理学者たちはブレインストーミングが失敗する理由を,通常3つあげている。第1は,社会的手抜き。つまり,集団で作業すると,他人任せで自分は努力しない人が出てくる傾向がある。第2は,生産妨害。つまり,発言したりアイデアを提示したりするのは1度にひとりなので,その他の人たちは黙って座っているだけだ。第3に,評価懸念。つまり,他者の前では自分が評価されるのではないかと不安になる。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.114
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

刺激量と学習

 それどころか,過度の刺激は学習を阻害するようだ。最近の研究によれば,森の中を静かに散歩した人は,騒音が溢れる街中を歩いた人よりも学習効果が高いと判明した。多種多様な分野の3万8千人の知識労働者を対象にした別の研究では,邪魔が入るという単純なことが,生産性を阻害する最大の要因のひとつだとわかった。一度に複数の仕事をこなすことは,現代の会社員にとって賞賛される偉業だが,これもまた神話だとわかった。人間の脳は一度に二つのことに注意を払えない,と科学者は知っている。一度に二つのことをこなしているように見えても,じつは2つの作業のあいだを行き来しているだけで,生産性を低下させ,ミスを最大で50%も増加させる。
 多くの内向型が,このことを本能的に知っていて,ひとつの部屋に大勢で閉じ込められるのを嫌う。カリフォルニア州オークランドのゲーム制作会社<バックボーン・エンターテインメント>では,当初オープンオフィス・プランを採用していたが,内向型が多いゲーム製作者たちから居心地が悪いという声が聞こえてきた。「なんだか大きな倉庫にテーブルが置いてあるみたいで,壁もないし,おたがいに丸見えだった」とクリエイティブ・ディレクターだったマイク・マイカは回想する。「そこで,部屋に仕切りをしたのだが,クリエイティブな部門でそれがうまくいくかどうか心配だった。ところが,結局のところ,誰もがみんな人目につかないで隠れられる場所を必要としていたとわかった」

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.107-108
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

自信と的中率

 カリフォルニア州立大学バークレー校のフィリップ・テトロックが実施した有名な実験がある。テトロックはテレビで解説する専門家たち——かぎられた情報を元に長々としゃべることで生計を立てている人々——による経済や政治の予測が当たる確率は素人の予測が当たる確率よりも低いことを,実験から発見したのだ。そのうえ,的中率がもっとも低いのは,もっとも有名で自信満々な専門家だった——つまり,HBS(引用者注:ハーバードビジネススクール)の教室で生まれながらのリーダーとみなされるような人々だ。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.72
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

雄弁であること

 もし,物静かなタイプと声高なタイプがほぼ同数ずつ,それぞれの考えを持っているとすると,雄弁で説得力のある後者がつねに勝利を得ることになるのではないだろうか。となれば,悪い考えが良い考えを押しつぶして勝利するという事態が,しばしば起こりかねないだろう。実際に,集団の力学に関する研究は,それが現実だと示唆している。私たちはしゃべる人のほうが物静かな人よりも頭がいいと認識する——たとえ学校の成績や大学進学適性試験(SAT)や知能指数が,その認識が正しくないことを示していても,面識のない2人を電話でしゃべらせる実験では,よくしゃべる人のほうが知的で外見がすぐれ,感じがいいと判断された。さらに,私たちはよくしゃべる人をリーダーとみなす。会議の場でしゃべればしゃべるほど,その場にいる人々は彼に注意を向け,会議が進むにつれて彼はパワーを増す。早口でしゃべることもそれを助長する。一般に,口ごもりながらしゃべる人よりも,立て板に水のようにしゃべる人のほうが有能であるとみなされる。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.71-72
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

内気を直そうとする

 社会学者のウィリアム・ホワイトは1956年のベストセラー『組織のなかの人間』(岡部慶三・藤永保訳)で,親や教師がどのようにして内気な子供を矯正しようとしたかについて述べている。「ジョニーは学校にうまくなじめません。担任の先生が言うには,勉強のほうはまあまあなのに,社交性の面がはかばかしくないとのことです。友達はひとりか2人だけで,どちらかといえばひとりでいるのが好きだそうです」ある母親がホワイトにそう話した。そうした教師の干渉を親は歓迎するとホワイトは書いた。「少数の変わった親を別にすれば,たいていの親は学校が子供の内向的な傾向など偏狭な異常を直そうとすることを歓迎している」

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.46
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

19世紀と20世紀

 外見が人生を向上させるという助言は,それなりに自信をもつ人々をも不安にさせたに違いない。サスマンは,19世紀に書かれた人格形成をうながす本に頻繁に登場する言葉と,20世紀初めに書かれた性格指向のアドバイス本に頻繁に登場する言葉とを比較した。前者は,誰もが努力して向上させられる特質を強調し,つぎのような言葉が使われていた。

 市民権
 義務
 仕事
 品行方正
 名誉
 評判
 道徳
 礼儀作法
 高潔

 それに対して,後者が賞賛する特質は——デール・カーネギーはあたかも簡単に得られるかのように書いたが——手に入れるのがより難しく,つぎのような言葉で表現される。

 磁力
 魅力的な
 驚くほどすばらしい
 人の心を惹きつける
 生き生きとした
 優位に立つ
 説得力のある
 エネルギッシュな

 1920年代,30年代に,アメリカ人が映画スターに夢中になったのは偶然ではなかった。魅力的な性格を持つ人物のモデルとして,映画スターは最適な存在だった。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.39-41
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

personalityの文化

 「人格の文化」においては,思慮深く,規律正しく,高潔な人物が理想とされる。他人にどんな印象を与えるかよりも,自分がどうふるまうかが重要視される。「性格(personality)」という言葉は18世紀まで英語にはなかったし,「性格がいい(good personality)」という言葉は20世紀になってから広まった考え方だ。
 だが,「性格の文化」が広がると,アメリカ人は,他人が自分をどう見るかに注目するようになった。目立つ人や面白い人が人気を得るようになった。「新しい文化において必要とされた社会的な役割は,演技者としての役割だった。すべてのアメリカ人が自己を演技しなければならなくなった」とサスマンは書いた。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.37
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

性格の北極と南極

 私達の人生は性別や人種だけでなく,性格によっても形づくられている。そして,性格のもっとも重要な要素は,ある科学者が「気質の北極と南極」という言葉で表現した,内向・外向のスペクトラムのどこに位置しているかである。この連続したスペクトルのどこに位置しているかが,友人や伴侶の選択や,会話の仕方や,意見の相違の解消方法や,愛情表現に,影響をもたらす。どんな職業を選んで,その道で成功するか否かを,左右する。運動を好むか,不倫をするか,少ない睡眠で働くか,失敗から学べるか,株相場に大きく賭けるか,短期的な満足を求めないか,優秀なリーダーになるか,起きるかもしれないことをあれこれ想像するか,といったさまざまな性質を決定づける。さらに脳の神経回路や神経伝達物質や神経系の隅々にまでしっかり反映されている。現在では,内向性と外向性は性格心理学の分野で徹底的に研究されているテーマのひとつであり,数多くの科学者の興味をそそっている。

スーザン・ケイン 古草秀子(訳) (2013). 内向型人間の時代:社会を変える静かな人の力 講談社 pp.5
(Cain, S. (2012). Quiet: The power of introversion in a world that can’t stop talking. Broadway Books: St. Portlamd, OR.)

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]