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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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PTSD

 DSMにPTSDが収載されたのは,戦争体験から生じた傷害について認識し,治療や補償を得ようとしたベトナム帰還兵の努力の結果である。悪名高いミーライ村の戦闘での生存者には,惨劇を目撃しただけの帰還兵もいたが,それに加担したものもいた。PTSDの採用を主張する際,帰還兵らは,残虐行為に加わったものと単なる目撃者を区別しなかった。傷を負わせた戦闘員なのか非戦闘員であるかを問わず,皆が残忍な戦争の後遺症に苦しむ参戦者だとみなされたのである。

ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.146-148
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精神分析の排除

 70年代にDSMを手直ししていた研究志向の精神科医たちの主要な目的は,マニュアルから精神分析の影響を排除することだった。同性愛をめぐる戦いは,一斉攻撃の始まりを意味した。同性愛の精神力動についてのこうした論争は,他の精神分析の概念についての論争と同様,精神科医療の再編によって油を注がれた。精神分析に基礎をおいた個人診療中心の「職業」から,クレペリンの記述的アプローチに影響を受けた研究志向,大学優位の「学問」への変化があった。

ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.84

科学的であろうと

 DSM-IIIの出版が決められた時には,開発者たちには特別な実地試験のデータがあったので,新版は(DSM-IIに比べ)「遥かに大きな」「素晴らしく良い」「かつてないほどの」「以前よりはるかに良い」信頼性が期待されるので,「元気づけられる」と臆面もなく言えた。1982年に出た論文では,彼らはさらにボルテージを上げ,DSMの信頼性を「信じられないくらい良い」などと言っている。
 そうした主張をするにあたって,開発者たちはやや新しい統計的な指標(「カッパ」という合意を計測するための指標)を使い,データを大きな表にして発表した。この表は,専門家にも判読不能な複雑なもので,DSM-IIとの直接比較もなされていなかった。ほとんどの臨床家は,そうした数字の出所となった研究を批判できる立場になかった。というわけで,彼らは「信頼性があり科学的である」という開発者たちの主張を受け入れてしまった。

ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.68-69

神経症の削除

 DSM-IIIをつくるにあたって多くの論争が繰り広げられたが,最も象徴的な論争は,1つの言葉,神経症(neurosis)の削除をめぐるものであろう。神経症,それは心的葛藤から生じると推定される傷害であるが,長い間,精神分析の大黒柱であった。DSM-IIIの実行委員会は,マニュアルからその言葉を放逐する提案をした。なぜならその語は障害の原因を強く含意するからであり,新しいマニュアルは「無・論理的」かつ「記述的」に指向されていたからである。精神力動的考えを持つ多くの精神科医は,この精神科言語の革命的提案を警戒し,精神分析を専門とする協会は強く反対した。1976年からDSM-IIIが出版された1980年まで,実行委員会と精神分析家の間には激しい対立が燃え上がった。競合する学派は,神経症という単語の採否をめぐって,戦闘を繰り広げた。戦闘はカンファレンスで,委員会の会合で,精神科のニュースレターで,私的通信で行なわれた。提案と反対提案がなされ,合意は潰され,妥協が生まれ,またそれは廃棄された。強硬派は脅しを用い,穏健派は妥協に走った。時間がたつにつれ,戦闘はエスカレートし,やがて制御不能となり,アメリカの精神医学が大混乱に陥る恐れも出てきた。5年間にわたって準備されてきたDSM-IIIの最終的な登場が,妨害される恐れも生じた。結局,ばか騒ぎも収まり,DSM-IIIは是認された。論争の的になった単語,神経症は,いくつかの場所にカッコ付きで用いられるという象徴的な存在となった。APAの理事会はDSM-IIIを是認した。なぜなら新マニュアルの影に,多くの「官僚的なうごめき」が生じていたからである。6年の準備,かなりの財政出費,多くのAPAの機関誌と大衆新聞紙上でのプロモーションを経て,新しい製品を拒否することは困難になっていたのである。

ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.60-61

妥当性

 妥当性の概念は社会科学,行動科学において,特に計測と診断を行う心理学者にとって重要な概念である。分類とは,洗練されたものではないが,1つの計測法であり,現象が1つの類型として特徴づけられるかどうかを判定する行為を言う。精神の病気という概念に意味があるかという問いには,知性や不安など抽象的な概念の意味について問うことと同様,科学的構築物の妥当性についての問題が含まれてくる。DSMは診断を症状のチェックリストによって決めるわけだが,現象がある1つの類型にあてはまるかどうかを操作的手順で決めるからといって,その構築物や類型が実体的なものであることにはならない。

ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.40

どこを強調するか

 「彼はサイコパス的な要素で判断されるべきなんでしょうか。それとも正気な部分で判断されるべきなんでしょうか?」
 「そういうたぐいのことを言う連中は,とても左翼的な,左に傾いている学者なのだよ。いや,私は決して軽蔑的な意味でこの言葉を使っているわけではない。彼らはラベルを貼るのが嫌いなのだ。人々に違いがあるという話が好きではないんだよ」彼は間をおいた。「人は私が軽蔑的観点からサイコパスを定義しているという。だが,ほかにどうすればいいというのかね?よいところを挙げる?たとえば,彼は話がうまい,キスが上手だ,踊りの名手だ,テーブルマナーがいい,などと言うことはできる。だが,同時に,彼は問題を起こし,人を殺す。さて,私はどこを強調したらいいのだね?」
 ボブは笑い,私も笑った。
 「犠牲者に,よいところに目を向けてくださいと言ってごらん。彼女は『できません・私の目は腫れあがっているので』と答えるだろう」
 もちろん,行きすぎたラベルづけがあるのは認める,とボブは言った。しかし,それは製薬会社の仕業だ。「彼らがサイコパスの薬を開発したらどうなるか,見物だな。診断基準スコアはぐんと下がり,25とか20に……」

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.332-333

構成概念

 第1に,精神科の疾患概念とは,社会科学者たちが「構成概念」と呼ぶものであることを理解してほしい。構成概念というのは,物質として実体のないもの,つまりスプーンや猫のように見たり触ったりできない,抽象概念のことである。それは一般的な合意によって成り立つ「共有される考え」と言ってもよい。民主主義,心神喪失,保守主義などはどれも構成概念である。それらは「集団のなかで一定の割合で共有されている」という意味の,純粋な考えにすぎない。精神科の疾患も1つの構成概念であり,共有される考えなのだ。

ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.33

区別

 DSMの本領の1つは,精神障害とそうでない問題とを区別しようとしたことにある。それを区別することがいかに重大であるか,普通の人にはピンとこないだろうが,実に甚だしい影響がある。すなわちDSMとは,精神科医療の専門的視点を正当化し,行政や企業から支援を要求する根拠ともなっている。だがもっと重要なことは,私たちの社会が自分たちの問題をどのように考えるべきかという考え方の枠組みを,DSMが提供していることだ。
 DSMは,ある種の行動をカテゴリー化することによって,どの行動が病気や障害に基づくものであり,精神科医などの専門家に取り扱われるべきかを決定する。精神障害というラベルが貼られた場合,その人の行動は,その人の内部の働きに不具合が生じた結果であるとみなされてしまう。

ハーブ・カチンス,スチュワート・A・カーク 高木俊介・塚本千秋(監訳) (2002). 精神疾患はつくられる:DSM診断の罠 日本評論社 pp.15

混雑する境界

 「精神医学の診断はどんどん正常の境界に近づいてきている」とアレン・フランセスは言う。「その境界付近には非常にたくさんの人がいる。最も混雑している境界は正常との境界だ」
 「なぜですか」
 「あらゆる意味で社会が適合を求めるからだ。だんだんと異質であることが耐えがたくなっている。だから,ラベルを貼られるほうが楽だと感じる人もいるのだろう。それによって希望や方向性といった感覚が得られるからだ。『以前には,笑われて,いじめられ,誰からも好かれなかった私が,いまやインターネットで双極性障害に苦しむ仲間たちと話ができる。もう孤独を感じなくていいんです』というわけだ」彼は少し間をおいた。「一昔前までは,素行傷害やパーソナリティ障害や反抗挑戦性傷害といった,もっとひどいラベルを貼られていた子もいたかもしれない。小児双極性障害というのは,自分たちのせいで反抗的な子どもができてしまったのではないかと考えている親たちの罪の意識をうまく和らげてくれるのだ」
 「だとしたら,いいことづくしじゃないですか。小児双極性障害と診断するのはいいことなのかもしれませんよ」
 「いや,絶対によくない。そしてそれには非常に正当な理由があるのだ」

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.303

流行病

 ロバート・スピッツァーがDSM-IIIの編集者を辞任したとき,アレン・フランセスという精神科医が彼の後釜に入った。フランセスも,できるだけ多くの新しい精神障害とそれに対応するチェックリストを受け入れるというスピッツァーの伝統を引き継いだ。DSM-IVは886ページに膨らんだ。
 ドクター・フランセスとは,彼がニューヨークからフロリダへ向かう途中に電話で話すことができた。彼は,編集委員会はいくつかのひどい誤りを犯したと感じているといった。
 「精神医学で誤った流行病をつくるのは非常に簡単だ。そして,現在,流行しているとされる3つの病気については,不注意にも私たちがその原因をつくってしまったのだ」
 「その3つとは?」
 「自閉症,注意欠陥障害,そして小児双極性障害だ」
 「どうしてそういうことになってしまったんですか?」
 「自閉症については主に,はるかに軽症なアスペルガー障害を加えてしまったことが原因だ。そのため,子どもの自閉症は,2千人にひとり以下から,100人にひとり以上と,発症率が跳ね上がってしまった。少し風変わりだったり,ほかの子と違うというだけで,多くの子どもがいきなり自閉症のラベルを貼られるようになってしまった」

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.301-302

小児双極性障害の問題

 「米国では多くの病気で過剰診断がなされているが,小児双極性障害は,その影響を考慮すれば,最も憂慮すべき最新の例であると言えるだろう」
 イアン・グッディヤーはケンブリッジ大学の小児・青少年精神医学の教授である。彼は小児双極性障害という病気が存在するとは考えていない。米国以外で診療している精神科医と小児精神科医のほとんどすべてと,米国の医師の多くも彼と同じ意見だ。
 「この考え方の主唱者たちが述べている小児双極性障害の流行といったような現象は,疫学研究ではまったく発見されていない」と彼は言った。「双極性障害というのは青年期後期から現れる病気だ。実際,この病気にかかっている7歳未満の子どもに遭遇することは,非常に非常にまれなことだ」
 アメリカでは現在,莫大な数の7歳未満の子どもが双極性障害と診断されている事実を考えると,これはまったく奇妙な話だ。
 「そういう子どもたちは確かに病気かもしれないし,なかには非常に重症で,大きな問題を抱えている子もいるだろう。だが,彼らは双極性障害ではない」とイアン・グッディヤーは言った。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.300-301

製薬会社の反応

 DSM-IIIはセンセーションを巻き起こした。改訂版を含めると販売部数は百万部を超えた。一般人による購入が専門家による購入をはるかに上回った。精神科医の数よりもずっと多くの本が売れたのだ。西洋社会の人々はこぞってチェックリストを使って自己診断を始めた。多くの人にとってこれは天からの贈り物だった。自分のどこがおかしいのかがわかり,やっと自らの苦しみに病名がついたのだ。それはまさに精神医学における革命だった。製薬会社にとってはゴールドラッシュであった。なにしろ,一夜にして新しい病気が何百も現れて,数百万人の新しい患者のために治療薬を開発できるようになったのだから。
 「製薬会社はDSMの登場を非常に喜んでいた」とスピッツァーは言った。そしてそれはまた彼を喜ばせたのだった。「私たちは親から,『薬を与えるまで,あの子といっしょに暮らすのは不可能でした。あのころは夜も昼もありませんでしたから』といった話を聞くのがうれしかった。それはDSMをつくった者たちにとっての朗報だった」

 しかし,それから,何かがおかしくなり始めた。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.297-298

採用されたのは

 常々,DSMでサイコパスのことがまったく言及不思議でたまらなかった。それがなんと,スピッツァーの話によれば,ボブ・ヘアーとリー・ロビンズという社会学者のあいだに対立があったためなのだという。リーは,共感性といったパーソナリティ特性を正確に測定することは精神科医には不可能だと考えていた。彼女はそういうものはDSMチェックリストからはずし,明白な症状だけに着目するべきだと提案した。ボブは猛烈に反対したが,DSM委員会はリー・ロビンズの側につき,サイコパスは外されて,反社会性パーソナリティ障害が採用された。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.296

どう考えれば

 どう考えたらよいかわからなかった。世の中には,症状の現れ方が奇妙な病人がたくさんいる。そうした病人を,自分たちのイデオロギーではそれは病気ではないからという理由によって,基本的に正気と決めつけてしまうレディ・マーガレットや,サイエントロジストをはじめとする反精神医学主義者のやり方は不適切に思われる。診断基準に疑問を呈することと,実際にとても苦しんでいる病人たちの珍しい症状を馬鹿にすることの境界はどこにあるのだろうか?CCHRはかつて,ただ「鼻をほじっていた」という理由で子どもに薬物療法をしようとした両親を非難するプレスリリースを発表したことがあった。

 精神科医たちは,鼻ほじりから利他主義,宝くじや<アクションドール>で遊ぶことまで,すべてに精神病のラベルを貼ってきた。綴字傷害や算数障害やカフェイン離脱といったDSMに記載されている精神障害は,がんや糖尿病などの病気と同じくれっきとした病気であるという誤った考えを売り込んでいるのである。
   ——ジャン・イーストゲイト(国際市民の人権擁護の会CCHR会長),2002年6月18日

 じつは,この親たちは子どもがただ鼻をほじったから薬物療法を受けさせたわけではなかった。顔の骨が露出するまで子どもが鼻をほじったから薬物療法を受けさせたのだった。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.287-288

無題

 「連続殺人犯は家族をめちゃくちゃにするが」ボブは肩をすくめた。「企業や,政治や,宗教の世界にいるサイコパスは経済をめちゃくちゃにする。社会をめちゃくちゃにするのだ」
 これは,あらゆる謎のなかで最大級の謎,「世界はなぜこれほど不公平なのか?」に対するストレートな答えだ,とボブは言う。過酷な経済的不公平,数々の残忍な戦争,日常的に見られる企業の無慈悲な手口——それらに対する答え,それが,サイコパスなのだ。正常に機能しないサイコパスの脳のせいなのだ。エスカレーターに乗っているとき,あなたは反対側のエスカレーターに乗っている人々とすれ違う。もし彼らの脳の中に入り込むことができるなら,あなたは,私たちがみんな同じではないことを知るだろう。まわりにいるのは,善い行いをしようとしている善人ばかりとは限らない。私たちの何人かはサイコパスだ。そして,この残忍で歪んだ社会ができたのは,サイコパスのせいなのだ。彼らは静かな池に投げ入れられた石なのだ。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.141

ボブ・ヘアの経験

 1960年代の半ば——ちょうどエリオット・バーカーがオンタリオで,例のトータル・エンカウンター・カプセルを思いついたころだ——ボブ・ヘアはバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア重警備刑務所というところで心理学者として働いていた。近ごろでは,刑務所風のバーとかダイナーなんてのがあって,縦縞の囚人服を着たウエイターが,有名な収監者にちなんだ名前がついた料理を運んできたりするが,当時,刑務所といえば,野蛮な評判がつきまとうおっかない場所だった。エリオットと同じくボブも,自分が担当しているサイコパスたちは正気の仮面の下に狂気を隠していると信じていた。しかしボブは,エリオットほど理想主義者でなかった。彼が興味を持ったのは,サイコパスを回復させることではなく,サイコパスを見つけることだった。彼は何度も何度もずるがしこいサイコパスに騙されていた。たとえば,刑務所勤務の初日のこと。刑務所長から,制服が必要だから,刑務所内で仕立てを担当している収監者にサイズを測ってもらいたまえ,と言われた。そこでボブは言われたとおり採寸してもらい,その男がとても熱心にやってくれるのを見てうれしく思った。男は長い時間をかけてすべてのサイズを正確に測った。足のサイズや,脚の内側のサイズまで。ボブはその光景に感動した。このひどい刑務所のなかにも,自分の仕事に誇りを持つ男がいるのだ。
 しかし,あとでできあがった制服が届くと,ズボンの片脚はふくらはぎまでしかなく,もう片方は引きずるほど長かった。ジャケットの袖も同じく左右の長さが違った。ただのミスであるはずがなかった。明らかに,あの男が彼をピエロのように見せようと仕組んだのだ。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.117

妄想のない精神病

 19世紀の初めに,躁うつや精神病とは関連しない狂気があると最初に提唱したのはフランスの精神科医のフィリップ・ピネルだった。彼はそれを妄想のない精神病(マニ・サン・デリル)と呼んだ。患者は表面的には正常に見えるが,衝動を抑えることができず,暴力激発傾向があると彼は述べた。サイコパスと呼ばれるようになるのは1891年になって,ドイツの医師のJ.L.A.コッホが『サイコパス的劣等性(Die psychopathischen Minderwertigkeiten)』という本を出版したときからだ。
 振り返ると,ボブ・ヘアは登場する前には,定義はまだ固まっていなかったことがわかる。1959年の「イングランドおよびウェールズの精神保健法」では,サイコパスは単に「知能の遅れの有無にかかわらない持続的な精神の異常または傷害であり,その結果,患者は異常な攻撃的行為,あるいははなはだしく無責任な行為に至り,医学的治療が必要となる,あるいは治療によって治る可能性がある」と説明されている。

ジョン・ロンソン 古川奈々子(訳) (2012). サイコパスを探せ!:「狂気」をめぐる冒険 朝日出版社 pp.85

レジリエンスが育つ場所

童話『3匹のくま』の女の子ゴルディロックスは正しかった。レジリエンスは,つぎのような要素がちょうどよく整った場所に育つ——接続しているが結びつきは強すぎず,多様であるが拡散しすぎず,それが有益であるかぎり他のシステムと連動するが,むしろ有害と見れば自らを切り離す。その姿は,戦略的な分散性,(戦略,構造,行動における)計算された流動性,(価値観や目的における)不変性によって特徴づけられる。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.347-348

二者択一

暴力問題に対する考え方としては,一般的に2つの枠組みが定着しているとスラトキンは説明する。「処罰の必要性を唱える意見がよく聞かれます。もっと刑期を長くすべきだとか,厳格に法を適用すべきだといった内容です。あるいは,こんな意見もあります『教育,貧困,育児,そういったものをすべて改善しなくちゃいけない』と。公衆衛生では,これを“何もかも神話”と呼んでいます。刑罰は行動の動機づけにはならないので効果は期待できません。また,何もかも神話は,暗に目の前の問題は手に負えないと言っているにすぎません。つまり,効果のないことをするか,あるいは何もしないかという二者択一の枠組みにはめられているのです」

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.297-298

集団思考

1972年に心理学者アーヴィング・ジャニスがピッグス湾侵攻の失敗を例にとって説明したように,集団思考は,活動の成否が組織の団結力に大きく左右される集団——戦場で闘う兵士たちはまさにこれに当たる——においていつ発生してもおかしくない組織的病理である。その症状は,おおむねつぎのようなものだ——どれほど困難な状況にも対応できるという意思決定者の幻想,グループには倫理観が存在するという思い込み,組織の考え方に同調しないメンバーのステレオタイプ化,そして,合理的に物事を掘り下げることを阻害する過度に単純化された精神構造。やがて自称「思想の番人」が組織を巡回し,反対意見の拡散を食い止め,異端者に圧力をかけ,たとえ水面下では異論が渦を巻いていようとも,組織は一枚岩であるという錯覚を醸しだすのだ。もしも戦場で,このようにして認識の多様性が失われ,画一化した組織文化がはびこったとすれば,兵士は命を落とし,戦場は長期化しかねない。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.265

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