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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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弱いきずな

社会的ネットワーク理論の観点から見ると,ネットワークには「弱いきずな」と「強いきずな」があると言われている。親しい友人や家族との関係は,経験の共有,深い信頼,相互依存,さらには相互の働きかけに支えられており,一般的に強いきずなだ。同じ仲間の鳥が群れをなす(研究者はこれを同種親和性と呼ぶ)ように,強いきずな,特に遺伝的要因よりも自らの選択によって結ばれる他人とは,多くのものを共有している。私たちは,そういった相手を同じ部族に属する仲間とみなす。反対に弱いきずなとは,仕事上のつきあい,強いきずなを通して間接的に知り合った人,友達の友達など,より距離感のある他者との関係をいう。
 この理論を確立したのは,スタンフォード大学の社会学者マーク・グラノヴェッターだ。彼は1973年,多数の転職希望者から聞き取りを行い,新しい仕事に落ち着くまでの過程で社会的ネットワークが果たした役割を探った。その結果,調査対象者の大半が,じつのところ弱いきずな(親しい友人ではなく,知り合い)を通して仕事を見つけたことがわかった。この発見を機に,社会学とネットワーク理論の分野で弱いきずなの有効性に関心が集まった。その後の研究は,社会的移動性やイノベーションの拡散のさまざまな局面で弱いきずなが重要であることを明らかにした。「弱いきずなは社会的ネットワーク内の非常に異なるグループに属する人々を結びつけるため,例えば,人材需要がどこにあるかといった最新情報を素早く探索する時に有用です。自分や直接の友人がもち合わせていない情報に手が届く可能性が広がるからです」。ニューヨーク大学の情報経済学者シナン・アラルは説明する。「弱いきずなは,社会構造のなかで人々の結束が希薄になっている領域をカバーしてくれます。これは,とりわけ危機的な状況において情報を伝達するうえで重要です」

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.245-246
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マインドフルネス

マインドフルネスは,長期的な瞑想の実践によっても,ストレスが高まった時に意識を集中する手法を用いても,個人の精神的レジリエンスを高めることにつながる。しかも,どこでも実践でき,習得が容易で,費用は一切かからない。そして何よりも有望なことに,それがボナノの研究によって突き止められた比較的健康なコホート(世界中のジャックとベラ)のみならず,心の傷を受けやすい人々や,あるいはすでに傷を負った人々にも効果があることが繰り返し証明されている。私たちのコミュニティにおけるバールやリアにとって,個人のレジリエンスは心の習慣として身につけられるものなのである。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.187

立ち直った

5つのパターンが現れたことは意外ではなかった。ボナノが驚いたのは,グループ間の相対的な分布状況だった。フロイト派が正しければ,死別を経験したのに悲しみを乗り越える作業を行わずにいると必ず機能障害に陥るはずだ。ところが,調査対象者のうち,慢性的な悲しみや抑うつ状態によって衰弱したのはわずか25パーセントだった。また,先延ばしされた悲しみの兆候はごく一部にしか認められず(3.9パーセント),統計数値としてはとるに足らないものだった。残りのコホート(何らかの共通因子をもち,長期的に追跡調査を行う対象とされる集団)のうち,悲しみに暮れた人々の20パーセントは自然と回復し,45.9パーセントには衰弱を伴うほどの悲しみはまったく見られなかった。これは全体の半数近くであり,ボナノはこのグループをレジりエントと名づけた。
 繰り返しになるが,ボナノは感情や悲しみの欠如を指摘しているのではない。彼が言うところの「レジリエント」とは,トラウマに直面しても揺るぎない目的意識をもち,人生に意義を見いだし,前に進む勢いをもった人々を指している(これは本書におけるレジリエンスの定義と重なる——「システム,企業,個人が極度の状況変化に直面したとき,基本的な目的と健全性を維持する能力」)。レジリエントなコホートも誰もが死別後に深い悲しみを感じ,人生を大きく変える事態に直面して困難を味わっていた。しかし,彼らは適応し,ときには別離をきっかけに成長するなど,前に向かって進んでいた。しかも,悲しみの段階が顕著に見られることもなければ,悲しみを乗り越える作業を行わないからといって,フロイト派が予測したような結果に結びつくこともなかった。
 要するに,彼らは立ち直ったのである。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.165-166

反統合失調症患者

このような問題にはじめて本格的に関心が寄せられるようになったのは1960年代から1970年代初頭のことだった。この頃,児童精神医学と発達心理学が重なり合う分野の心理学者たちが,健全な成長と発達を阻害する幼児期の要因を調査し始めた。阻害要因としては,母親との別離,両親の離婚,胎児期の合併症などが挙げられるが,最大の危険因子が貧困であることは疑いの余地がない。この分野の研究の大部分は,臨床心理学者ノーマン・ガーメジーが統合失調症患者について行った先駆的な研究を基礎としている。ガーメジーは,興味深い発見をした。彼が担当する成人の統合失調症患者のなかには,困難な状況に直面しながらも驚くほど円滑な人生を楽しんでいる例が見られたのだ。彼らは仕事をもち,さまざまな活動を順調にこなし,恋人と良好な関係を維持していた。こうした患者(ガーメジーの研究では「反統合失調症患者」と呼ばれる)は,施設,失業,ホームレスという堂々めぐりの人生を過ごしているように見える「過程統合失調症患者」とは,あまりにも対照的だった。
 こうした違いに関心を抱いたガーメジーは,さらに統合失調症の親をもつ子どもたちの調査に乗りだした。かなり意外だったのは,90パーセントの子どもたちが友達と良好な関係を築き,学業面で成果をあげ,しっかりとした将来の目標をもつなど,正常に発達していたことだ。彼は仲間の臨床学者たちに,研究の重点を危険因子から「子どもたちを生存と適応に向けて突き動かす力」に移すべきだと声高に訴えた。1970年代初頭,彼の呼びかけにより,心理的レジリエンスについて本格的な研究が始まった。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.159-160

イノベーションの創出

「崩壊を避ける唯一の方法は,蒸気機関とか,電気,コンピュータ,インターネットに匹敵するものを生みだすことでしょう」とウェストは言う。「難しいのは,生きるスピードが加速するのに応じて,イノベーションを創出するスピードも加速する必要があるということです。私の腕時計はあてになりません。世界はもはや線形の時間軸で進行していないのです。成長とイノベーションは日増しに加速しているのですから」
 成長のうねりは次第に大きくなり,加速している。そんななか,順調に機能している都市は,いかsにして絶え間なくイノベーションを創出し,自らの姿を変え,1つの成長曲線からつぎの成長曲線へと乗り移っているのか。その答えは,都市の大きさではなく,多様性の凝縮にある。
 都市とは,地域社会,ネットワーク,イノベーター,インフラストラクチャーなど,多様な小さな要素が積み重なった集合体だ。こうした要素は,さまざまな人や集団を結びつけ,緩やかで形式ばらない,流動的な協力関係を生みだす。ニューヨークに暮らし,都市計画の概念に影響を与えた活動家ジェイン・ジェイコブズの有名な著作には,コラージュのように多様性がひしめくウェストビレッジの活気あふれる風景が描写されている。地元紙を手にした売り子,パトロール中の警察官,すれ違う通勤者たち——そのひとりひとりが,異なる価値観と目的意識が織りなす複雑な階層構造の一部をなしている。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.128-129

ネットワーク組織

ゆるやかに結びつくネットワークのなかで構成要素が自律し,独自性を発揮するダイナミクスは,テロ組織その他の非政府戦闘集団の相互の関係において,そして個々の集団の内部においても複製される。こうした小さな組織は,従来型の強力な指揮統制ではなく,臨機応変で,冗長的で,インフォーマルな社会的関係によって結束している。海兵隊よりも寄せ集めのバスケットボール・チームに近い。そのネットワークは内在する小規模集団によって敏捷性を保ち,より大きなネットワークの多対多の結びつきは,仮にメンバーの10パーセント,20パーセントが排除されてもネットワーク全体が機能しつづけることを保証している。「これまでアルカイダのナンバースリーが何度倒されたかわかりません。ネットワークのなかでは,誰もがナンバースリーなのですから」。アクウィラは辛辣な口ぶりで指摘する。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.85-86

構造で決定

これまで見てきたように,システムの脆弱性とレジリエンスはその構造によって決定する。システムの脆弱性を増幅するのは複雑さ,集中度,同質性であり,レジリエンスを高めるのは適正な単純さ,局所性,多様性である。レジリエンスの視点から,例えばレジリエントな金融システムというものを考えると,それは小規模で,単純で,説明可能で,分離可能であり,なおかつ市場参加者の多様性が保証されていなければならない。さらに,その動作原理は,最新の金融工学という魔法で富を創造するようなものではなく,金融の本来の目的——企業と個人に流動性を供給する——に根ざしたものでなければならない。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.77

固執

「私たちは世界を個別に分析できる構成要素の集合体であると考えがちです」とスギハラは説明する。「実際にそうであるときは,個々の分析結果を単純に足し合わせれば全体像が浮かび上がることになります。研究者たちは,この考えに基づいて数多くの分析手法や統計手法を開発し,人間が創造した単純な仕掛けに関する研究では大いに成果をあげてきました。問題は,関心対象であるシステムが非線形で複雑であるときも,私たちは同じ線形的ツールやモデルに固執してしまうことです。いわば,鍵を落とした場所が暗がりだとわかっているのに,よく見えるからという理由で街灯の下ばかり探しているようなものです」

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.49

適応能力の維持

レジリエンスを向上させるということは,好ましい谷からはじきだされないように抵抗力を強化し,いざというときに備えて許容性の幅を広げておくことだ。これはレジリエンスの研究者たちが「適応能力の維持」と呼ぶものである。つまり,状況の変化に適応しつつ自己の目的を達成する能力を維持することであり,予測不能な混乱や変動が頻繁に発生する現代においては欠かせない能力だ。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.11

継続性と回復

レジリエンスという用語はさまざまな分野で少しずつ違った意味で用いられるため,厳密に定義するとなるとひと筋縄ではいかない。土木工学の分野では,一般的には橋や建物などの構造物が損傷を受けたあとでベースラインまで回復する性能を意味する。緊急時の対応力については,市民生活に欠かせないシステムが自信や洪水の被害からどのくらいのスピードで復旧できるかを指す。生態学では回復不能な状態を回避する生態系の力を意味し,心理学ではトラウマに効果的に対処する個人の能力を意味する。ビジネスでは,自然災害や人災に遭遇しても業務を継続できるように(データや資源の)バックアップを整備する意味で用いられることが多い。力点こそ異なるが,これらの定義は変化に直面した際の継続性と回復というレジリエンスの2つの本質的な側面のいずれかに基礎をおいている。

アンドリュー・ゾッリ,アン・マリー・ヒーリー 須川綾子(訳) (2013). レジリエンス 復活力:あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か ダイヤモンド社 pp.9-10

公務員神話

 学生たちの多くは,相変わらず,公務員は民間労働者より雇用が安定しており,労働時間が短く,その他の労働条件も比較的よいと思っている。しかし,これは過去の誇大視された幻影でしかない。あるいは,民間企業の労働者の働き方/働かせ方があまりにも酷いことになっていることの裏返しの意識かもしれない。また,「公務員を減らせ」「公務員の賃金を下げろ」といういわゆる「公務員バッシング」が,逆に公務員神話を支えているのかもしれない。

盛岡孝二 (2011). 就職とは何か:<まともな働き方>の条件 岩波書店 pp.183

所定労働時間

 「あるないクイズ」ではないが,日本の企業にあるのにないのは「所定労働時間」である。表向きは始業と終業の時刻が定められている。しかし,実際には定時はないに等しい。ある大手生命保険会社の2010年版会社紹介パンフレットの「勤務時間」は9時〜5時,つまり所定労働時間は昼休みの1時間を除いて7時間である。しかし,同じパンフレットで紹介されている同社のやり手模範社員の働き方は,所定労働時間などどこ吹く風である。入社15年目,30代後半の業務推進部長のH氏を例にとれば,出社は7時30分。退社は20時。彼は出社から5時間後の12時30分に昼食をとるが,30分後の13時に早くも仕事を再開し,そのまま夕食抜きで仕事を続け,20時まで勤務する。
 彼は所定では7時間のところを,実働12時間なので,1日5時間の残業を行っていることになる。「毎勤」によれば,金融・保険業(規模500人以上)の1ヵ月の出勤日数は20日である。これを基準にすれば,H氏の月当たりの残業は100時間(法定労働時間の8時間を基準にすれば80時間)と推計される。学生に訊いてみると,「金融関係を志望する学生はふつう午後8時ごろまでなら当然と思っているのではないでしょうか」という答えが返ってきた。ここには「定時」という観念はない。1日7時間という所定労働時間のしばりも,1日8時間という法定労働時間の遵守もおかまいなしである。

盛岡孝二 (2011). 就職とは何か:<まともな働き方>の条件 岩波書店 pp.125-126

男性モデル

 この「働き方の男性正社員モデル」は,労働時間から見ると,家事労働をほとんどせず,サービス残業を含む長時間の残業も拒まず,過労死の不安と背中合わせに,会社人間として猛烈に働く/働かされる男性にとりわけ妥当するモデルである。このモデルは,社会保障制度や税制でいわれる,「稼ぎ主である男性が妻子を養う男性片稼ぎモデル」と不可分の関係にある。今日では,共働きが普通になっているが,それでも既婚女性は,家事労働をほとんど一手に引き受けているために,フルタイムで正社員として働き続けることが難しく,結婚・出産を機にいったん退職した後は,パートタイム労働者として仕事につくことを余儀なくされることが多い。

盛岡孝二 (2011). 就職とは何か:<まともな働き方>の条件 岩波書店 pp.96

給与と賃金

 ここまで「給与」あるいは「給料」と「賃金」を同じ意味で併用してきた。日常的にはいずれの用語も使われているが,「給」と「賃」では漢字の含みがかなり違う。「給」は目上の者から目下の者に金品を与えるという意味がある。女性がよく使う「お給料」という言葉は,会社や役所からいただくという意味合いを強く感じさせる。他方,「賃」には金銭を払って人を雇うという意味があり,いただくというニュアンスはない。「納税者」という言葉が下の者が上のものに納めるという響きをもつことを嫌って,「タックスペイヤー」という言葉を使う人がいる。それに倣ってというわけではないが,私は,「日給」「月給」「給与所得」などのような,置き換えると通りが悪くなる準専門的な用語は別として,なるべく給与あるいは給料より賃金という用語を使うようにしている。
 なお,アメリカでは賃金(wage)とサラリー(salary)とが使い分けられている。前者は主に工場などの現場作業に従事するブルーカラーの時給労働者に支払われる日給または週給について使われる。後者は主に専門職やオフィスワークや営業などに従事するホワイトカラーの月額報酬(支払いは月給制でも年俸契約の定額報酬になっていることが多い)についていわれる。

盛岡孝二 (2011). 就職とは何か:<まともな働き方>の条件 岩波書店 pp.93

インターンシップ

 日本のインターンシップはアメリカから導入された制度でありながら,アメリカのそれとは大きく異なる。アメリカについては,2003年版の『国民生活白書』にわかりやすい説明が出ている。それによれば,アメリカでは,100年も前からその必要性が唱えられており,普及が推進されてきた。そのため,ほとんどの学生は在学中に1回はインターンシップを経験する。ノースイースタン大学の例で見ると,学生は,大学の産学協同教育プログラムのもとで,在学中に大学が斡旋する職場でフルタイムとして働く。その間,学生は有給インターンシップとして学資を稼ぎながら,なおかつ大学の卒業資格を得ることができる。ただし,卒業に必要な単位を取得するまでに,最短でも5年間を要する。

盛岡孝二 (2011). 就職とは何か:<まともな働き方>の条件 岩波書店 pp.41

SPI

 ところでSPIのPはPersonality(パーソナリティ)のPである。SPIの性格適性検査では,まさしくこのパーソナリティがテストされる。しかし,そんなことは可能なのか。またなんのために必要なのか。SPIについてのあるネット情報は,適性検査で試される職種と性格の対応関係のわかりやすい例として,事務職と営業職の違いをあげている。それによれば,「事務職では落ち着いてミスなく作業を進められ,なおかつ持続性のある性格の人材」が適しており,「営業職では社交性があり,意欲的な性格の人材」が適しているという。これは説明になっていない。事務職の適性とされている性質は,営業職に就く人が備えていてもなんら差し支えない。口数が少なく,人付き合いが苦手な人が,温厚・誠実な人柄で顧客の信頼を得て,営業で好成績をあげることはありうることである。

盛岡孝二 (2011). 就職とは何か:<まともな働き方>の条件 岩波書店 pp.8-9

実験的態度での観察

 教育者が被教育者を絶え間なく観察することは不可能なことであろう。幼稚園や保育所はもちろんのこと,小・中・高校などでも教師は個々の児童・生徒について知識をもち,観察を怠らず,その行動傾向を正しく理解することを求められている。しかし,1日のうちの限られた時間だけの,しかも,少数の教育者が多数の被教育者を抱えている状況のなかでの観察は,効果的な教育に必要な事実を誤りなく集め,活用することを求められても無理な注文といわざるを得ないであろう。そこで実験的観察が必要になるのである。もちろん,人為的な刺激が被教育者にとってマイナスの効果をもつ可能性があってはならない(たとえば,試しに体罰を加えてみるなど)が,十分検討の結果導出した仮説にもとづいて,刺激を与え,その効果をみることをすすめたい。効果的教育は「実験的態度での観察」から生まれるのであろう。

中村陽吉 (1991). 呼べばくる亀:亀,心理学者に出会う 誠信書房 pp.163-165

恣意的解釈

 人間の教育においても,教育する側が教育を受ける側について,教育前はもちろんのこと,教育の進行中にも慎重に観察することが大切だと思う。被教育者のもっている資質,おかれている条件,行動傾向,さらには教育的刺激への反応のしかたなどについての観察なしに学習を強要しても成果はあがらないであろう。しかし,観察のむずかしさは,K.ローレンツ博士のように対象を絶え間なく観察できればよいが,人間同士のばあいはそうもいかない。たとえ,母親と乳児との間でも冷静な態度の絶え間ない観察を求めることはムリであろう。私も「カメ」を絶え間なく観察したわけではない。どうしても目を惹く行動だけに注目して,それをつないで恣意的解釈をしがちである。親が幼いわが子の言動をみて天才ではないかと喜んだりするのは,この典型的な例であろう。

中村陽吉 (1991). 呼べばくる亀:亀,心理学者に出会う 誠信書房 pp.161

個性に即した教育

 個性を伸ばすには,まずもって,それぞれの個体(個々の人や生物)の特徴を正確に捉えねばならない。そして,その個性に即した刺激を与えていかないと個性は伸びないであろう。同じ刺激に対しても,異なる個性の持ち主であるそれぞれの個体は違った反応をするからである。個性を伸ばす教育を実現しようと思えば,まずもって個性に即した教育を目指さねばならないものと考える。

中村陽吉 (1991). 呼べばくる亀:亀,心理学者に出会う 誠信書房 pp.157

呼べば来る

 いささかしつこいとは思うが,「呼ぶと来る」のと,「呼べば来る」のとの違いについて考察しておきたい。「呼ぶと来る」というばあいは,むろん,呼ばれたことを理解できてはいるのだが,呼ばれないかぎりは来る意思がないということの表現のように思える。だから「呼ばれなくても来るわよ」という反論も生じてくる。「呼ぶと来る」という表現のなかには,主体の側の意思のみが主張されていて,受け手はまったく受動的な感じを与える。だから,「カメ」はもっと能動的な面をもっているという修正意見が出されるのである。ところが,「呼べば来る」という表現の方は,「カメ」による状況判断を含んでおり,主体の側の意思のみでなく,受け手である「カメ」の能動的意思もあらわされているように思う。いつでもいく気はあるのだが,そちらの都合も考えて待機しているのだという気分が,「呼べば」への反応に含まれているのではなかろうか。

中村陽吉 (1991). 呼べばくる亀:亀,心理学者に出会う 誠信書房 pp.152

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