もっともそれらの美学者も指摘したとおり,この刺激は極端になれば不快でしかない。具体的にいえば,楽曲や振りを含む演出があまりにもギャップに富み,新奇さ,異質性,ジャンル横断的なハイブリッド性を過剰に備えてしまうと,ファンは面食らい,ときに無理解,幻滅,反発,不快さえ抱くことになる。
これはももクロにかぎったことではない。しかし,次々に変わりゆくことを積極的に目指すももクロにあって,その種の事態はしばしば起こる。とくに新曲や新演出が発表されたときには,ほとんどつねに批判される。逆にいえば,そうした不快や批判さえ生むショックを与えないかぎり,ももクロの戦略としては失敗ということになるだろう。
しかしやがてファンは最初のショックを乗り越え,楽曲や演出の良さを理解し,最終的にはかつてなかったほどの強い愛着さえ抱くようになる。それは単なる新し物好きや知ったかぶりを超える。というのも,ももクロの楽曲・演出は,全体として入念に仕上げられ,途切れない全力の身体パフォーマンスによって繋がれているからである。そのためファンは,ももクロ自体への信頼や愛情にも支えられて,楽曲・演出をできるだけ好意的に解釈しようという意思を働かせる。おかげで,各断片は徐々に適切な意味づけと関連を与えられ,最終的にはその場にぴったりと来るようにおもえてくる。そして最初は無理解や反発さえ抱いていたギャップや異質性が,むしろ快く,愛着のわくものになる。
安西信一 (2013). ももクロの美学:<わけのわからなさ>の秘密 廣済堂出版 pp.108-109
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