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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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結果バイアス

 後知恵は,医者,ファイナンシャルアドバイザー,三塁コーチ,CEO,ソーシャルワーカー,外交官,政治家など,他人の代わりに決定を下す人々に,とりわけ残酷に作用する。私たちは,決定自体はよかったのに実行がまずかった場合でも,意思決定者を非難しがちである。また,すぐれた決定が後から見れば当たり前のように見える場合には,意思決定者をほとんど賞賛しない。ここには明らかに,結果バイアスが存在する。結果が悪いと,ちゃんと前兆があったのになぜ気づかなかったのか,とお客は彼らを責める。その前兆なるものは,事後になって初めて見える代物であることを忘れているのだ。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.296
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後知恵バイアス

 過去の自分の意見を忠実に再現できないとなれば,あなたは必然的に,過去の事象に対して感じた驚きを後になって過小評価することになる。この効果を初めて取り上げたのはバルーク・フィッシュホフで,エルサレムの大学生だったときのことである。彼はこれを「私はずっと知っていた」効果と呼んだ。すなわち「後知恵バイアス(hindsight bias)」である。フィッシュホフはルース・ベイス(やはり私たちの教え子である)と共同で,リチャード・ニクソン大統領の1972年の中国・ソ連訪問前に調査を実施した。ニクソン外交に関して起こりうる結果を15項目挙げ,参加者にそれぞれの確率を推定してもらう,というものである。15項目の中には「毛沢東はニクソンとの会談に応じる」「アメリカは中国を承認する」「数十年にわたり反目しあっていた米ソが何らかの重要事項で合意に達する」などが含まれていた。
 この調査には続きがあり,ニクソン帰国後に再び同じ参加者に対し,自分たちが15項目でそれぞれに推定した確率を思い出してもらった。結果は明快だった。実際に起きたことについては自分がつけた確率を多めに見積もり,起きなかったことについては「そんなことは起こりそうもないと思っていた」と都合よく思いちがいをしたのである。その後に行った実験では,自分の当初の推定だけでなく,他人の推定まで,実際より精度を過大評価する傾向が認められた。また,O.J.シンプソンの殺人公判やクリントン大統領の弾劾など世間の注目を集めた出来事でも,同様の傾向が確認された。実際にことが起きてから,それに合わせて過去の自分の考えを修正する傾向は,強力な認知的錯覚を生む。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.295-296

最初から知っていた

 私は,「2008年の金融危機は避けられないことを事前に知っていた」とのたまう御仁をたくさん知っている。この文章には,きわめて主観的な単語が含まれている。この単語は,重要な事象を論じるときには語彙から削除すべきだ。この単語とは,言うまでもなく,知るという動詞である。危機があるかもしれない,と事前に考えた人はたしかにいるだろう。だがこの人たちは,あると知っていたわけではない。いまになって「知っていた」と言うのは,実際に危機が起きたからだ。これは,重要な概念の誤用と言わざるを得ない。知るという言葉は,ふつうは,知っていたことがらが真実であって,かつ真実だと示せるときにだけ使う。つまり何かを知っていると言えるのは,それが真実であり,そうと知り得るときだけだ。だが危機が起きそうだと考えた人たち(しかもその数は,後からそう言い出した人より少なかった)は,当時それを決定的に示すことはできなかった。事情に通じた多くの知識人が経済の未来に強い関心を示してはいたが,災厄が差し迫っているとは考えていなかった。これらの点から推論すると,危機を知り得たとはいえない。このような文脈で知るという言葉を使うのは,重大な誤りである。私は,ありもしない予知能力に不相応な賞賛を獲得する連中がいることを,憂えているわけではない。世界が実際以上に知り得るとの印象を与え,有害な幻想の定着を助長しかねないことを,危惧するのである。
 この幻想の中心にあるのは,私たちは過去を理解していて,だから未来も知り得るという思い込みである。だが実際には,私たちは自分が思うほど過去を理解していない。このような幻想を膨らませる言葉は,知るだけではない。よく使われる言葉の中では,直観や予感も,正しかったと判明した過去の推論についてだけ使われている。「この結婚な長続きしないだろうという予感がしていたが,結局私はまちがっていた」というような文章にはめったにお目にかからない。直感がまちがっていた,という文章もそうだ。白紙の気持ちで未来について考えるためには,過去の考えに使ってきたこの手の言葉を一掃するのがよろしかろう。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.293-294

面接の罠

 次に掲げるのは学界ではよく知られている例だが,現実の世界にきわめて近い話である。ある大学の学部が,若い教授を採用するとしよう。この学部では,研究面の生産性の高い人材を選びたいと考えている。採用委員会は,次の2人の候補者に絞り込んだ。さてどちらを選んだらよいだろうか。

 キムは最近論文を完成した。すばらしい推薦状を携えており,面接では見事な話術で全員を魅了した。研究の生産性に関しては,過去に十分な実績はない。
 ジェーンは過去3年間,ポスドク研究を行ってきた。生産性は高く,すぐれた研究実績を持つ。だが面接での印象はキムに劣る。

 直感的に選ぶなら,キムだろう。彼女のほうが好印象を与える。ここに,「見たものがすべて」効果も働く。だがジェーンに比べると,キムに関する情報量は大幅に少ない。すると,「少数の法則」を考える必要性が出てくる。ジェーンよりキムのほうが情報の標本が小さく,小さい標本ほど極端な結果が出る可能性が高い。小さい標本の結果では運が大きく左右する。となれば,あなたはキムの将来の業績を予測するに当たって,大幅に平均に回帰させなければならない。キムのほうがジェーンより回帰の幅が大きいという事実を認めるなら,たとえ印象が劣っても,最終的にはジェーンを選ぶべきだろう。純粋に学問的な選択としては,私はジェーンを選ぶ。だがキムのほうが有望そうだという直感を押さえつけるのにきっと苦労することだろう。直感に従うほうが,逆らうより自然だし,ある意味で楽しいものだから。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.284-285

回帰に因果関係を

 回帰という概念が理解しがたいのは,システム1とシステム2の両方に原因がある。統計学を専門的に学んでいない人は言うまでもなく,ある程度学んだ人の相当数にとってさえ,相関と回帰の関係はどうもわかりにくい。システム2がこれを理解困難と感じるのは,のべつ因果関係で解釈したがるシステム1の習性のせいでもある。次の文章を読んでほしい。

 鬱状態に陥った子供たちの治療にエネルギー飲料を用いたところ,3カ月で症状が劇的に改善した。

 私はこの文章を新聞の見出しからこしらえたのだが,これは事実である。鬱状態の子供たちの治療として長期にわたってエネルギー飲料を与えたら,臨床的にみて症状は顕著な改善を示すだろう。しかしまた,子供たちが毎日逆立ちをしても,毎日20分猫を抱っこしても,やはり症状は改善するはずだ。こうしたニュースを知った読者は,エネルギー飲料や猫とのふれあいが功を奏したのだ,と自動的に推論するだろう。だがそのような推論はまったく正しくない。
 鬱になった子どもたちというのは,他の殆どの子供たちに比べてひどく元気のない極端な集団であって,このように極端な集団は,時間の経過とともに平均に回帰する。継続的な検査値に完全な相関が成立しないのであれば,必ず平均への回帰が起きる。鬱の子供たちは,猫を抱かなくても,エネルギー飲料を1本も飲まなくても,時間経過とともにある程度はよくなるのである。エネルギー飲料または他の治療法に効果があったと結論づけるためには,何の治療も受けていない「コントロール・グループ」という集団を設けなければならない(プラセボと呼ばれる偽薬の治療を受ける集団を設ければ,なおよい)。コントロール・グループは平均回帰によってのみ症状が改善すると考えられるので,治療がそれ以上に効果があるかどうかを確かめることができる。
 回帰現象にまちがった因果関係を当てはめるのは,一般紙の読者だけではない。統計学者のハワード・ウェイナーが調べたところ,たくさんの著名な研究者が,単なる相関関係を因果関係と取りちがえるという誤りを犯していた。回帰は,研究を邪魔する厄介物であり,経験豊富な研究者は十分な根拠のない因果的推論をしないよう,厳に戒めている。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.269-270

平均への回帰

 平均回帰パターンはどこにでも見られる現象であり,それを説明するために的外れの因果関係をこしらえようとする人が後を絶たない。よく知られている例が,「スポーツイラストレイテッドのジンクス」というものである。これは,同誌の表紙に登場した選手は翌シーズンには成績不振に陥るというジンクスである。その理由として,自信過剰になるからだとか,高い期待に応えようとしてプレッシャーがかかるからだ,などまことしやかな理由が囁かれる。だが理由はもっと単純なことだ。スポーツイラストレイテッド誌の表紙を飾った選手は,そのシーズンに目を見張るような活躍をしたにちがいない。そこには幸運の後押しもあったと考えられる。そして運は気まぐれだということである。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.262-263

データより事例

 心理学のしの字も知らなかった学生たちに心理学を教えるときには,あまり驚かせてはいけない。だが中には,よく効く驚きもある。学生には,驚くべき統計的事実を示しても何も学ばない。だが驚くべき事例(あんなに感じのよい2人が助けに行かなかった)には反応し,ただちにそれを一般化して,助けは自分たちが考えていたより難しいのだと推論することができた。ニスベットとボージダは,この結果印象的な表現でまとめている。
 「被験者は全体から個を推論することには不熱心だが,まさにそれと釣り合うように,個から全体を推論することには熱心である」

 これはきわめて重要な結論である。人間の行動について驚くべき統計的事実を知った人は,友人に話して回る程度には感銘を受けるかもしれないが,自分の世界観がそれで変わるわけではない。だが,心理学を学んだかどうかの真のテストとなるのは,単に新たな知識が増えたかどうかではなくて,遭遇する状況の見方や認識の仕方が変わったかどうかである。私たちは,統計を考えるときと個別の事例を考えるときとで,向き合い方が大きく異なる。因果的解釈を促す統計結果は,そうでないデータよりも,私たちの思考に強い影響をおよぼす。だが説得力の高い原因を暗示するような統計結果であっても,長年の信念や個人的経験に根ざした信念を変えるには至らない。その一方で,驚くべき個別の事例は強烈なインパクトを与え,心理学を教えるうえで効果的な手段となりうる。なぜなら信念との不一致は必ず解決され,1つのストーリーとして根づくからだ。読者に個人的に呼びかける質問が本書に多く含まれているのは,このためである。人間一般に関する驚くべき事実を知るよりも,自分自身の行動の中に驚きを発見することによって,あなたは多くを学ぶことができるだろう。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.256-257

リンダ問題にまつわる問題

 リンダ問題は高い関心を集めたが,同時に,私達のアプローチには批判が集中した。私たちもすでに検証したように,実験の支持の出し方やヒントの与え方によって錯誤は大幅に減る。このことに気づいた研究者の中には,リンダ問題の文脈を取り上げ,被験者が「確率」を「もっともらしさ」と取りちがえたのは妥当だと主張する人が出てきた。それだけでなく,私たちの取り組み全体が回答者をミスリードしているとまで言い出す人もいた。1つの顕著な認知的錯覚を弱めるとか,事前説明で解消してやる,といったことは十分に可能であり,そうすれば他の錯覚もなくなるはずだというのである。この論法は,直観と論理の衝突という連言錯誤固有の特徴を無視している。
 一方,被験者間実験(リンダ問題の実験も含む)から私たちが提示したヒューリスティクスの証拠のほうは,攻撃されなかった。というより,問題にもされなかった。連言錯誤にばかり関心が集まり,ヒューリスティクスの重要性はかき消されてしまった格好である。結局リンダ問題は,一般の人々の間で私たちの研究の知名度を高める一方で,この分野の研究者の間では,私たちの手法の信頼性をいくらか損なう結果となった。これは,まったく予期していなかったことである。
 法定では,弁護士は2通りのスタイルで反論を展開する。1つは相手の主張を粉砕する正攻法で,この場合には相手の最強の論拠に疑念を提出する。もう1つは相手の証人の信用を傷つける手法で,この場合には証言のいちばん弱い部分を突く。相手の弱点を突くやり方は政治の場でもよく用いられるが,学術的な論争でこれが適切なやり方だとは,私は思わない。だが社会科学における議論の規範は,とくに重要な問題が絡んでいるほど,政治家スタイルを容認しているらしい——それを厳然たる現実として受け入れるほかなかった。人間の判断がこれほどバイアスに侵されているとなれば,たしかに重大な問題にはちがいない。
 数年前,リンダ問題を執拗に批判してきたラルフ・ヘルトウィヒと,私は友好的に言葉を交わした。彼とはそれ以前に対立を解消しようと試みたが無駄に終わっている。私たちの評価を高めることになった発見はほかにもたくさんあるのに,連言錯誤だけをとくに問題視したのはなぜか,と私は訊ねてみた。するとヘルトウィヒはにやりと笑って「みんなの興味を引くからだ」と答え,さらに,リンダ問題があれだけ世間の関心を集めたのだから,文句を言う筋合いはないだろう,と付け加えたものである。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.242-243

もっともらしさと確率

 「もっともらしさ」を無批判に「起こりやすさ(確率)」に置き換える行為は,そのもっともらしいシナリオに基づいて予測をしようというときには致命的である。ではここで,2つのシナリオを考えてみよう。次のシナリオ1と2を別々のグループに提示し,確率を予測してもらった。

 1 来年,北米のどこかで,死者数1000人以上の大規模な洪水が発生する。
 2 来年,カリフォルニア州で地震が発生し,死者数1000人以上の大規模な洪水を引き起こす。

 北米で大規模な洪水が起きるよりは,カリフォルニアで地震が起きるシナリオのほうがもっともらしい。ただし,後者の確率はまちがいなく低い。回答者は予想通り,確率理論に反して,よりくわしくて具体的なシナリオのほうが確率は高いと判断した。これは,予想する側にとっても,予想を依頼する側にとっても,1つの罠だといえる。くわしい情報を加味すればシナリオはもっともらしくなるが,起きる確率は下がってしまうのだから。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.234-235

利用可能性カスケード

 サンスティーンと共同研究者の法学者チムール・クランは,バイアスが政策に入り込むメカニズムに「利用可能性カスケード(availability cascade)」という名前をつけた。2人は,社会に関する文脈で「あらゆるヒューリスティックは平等だが,とりわけ利用可能性は平等である」と述べている。彼らが想定しているのは流暢性と利用可能性によって形成される広い意味でのヒューリスティックスであり,ある観念の重要性は思い浮かぶたやすさ(および感情の強さ)によって判断される,としている。
 利用可能性カスケードは自己増殖的な連鎖で,多くの場合,些細な出来事をメディアが報道することから始まり,一般市民のパニックや大規模な政府介入に発展するという過程をたどる。また,リスクに関する報道が特定グループの注意を引き,このグループが不安に陥って騒ぎ立てるという経過をたどることもある。感情的な反応それ自体がニュースの材料となり,新たな報道を促し,それがまた懸念を煽り,大勢を巻き込んでいくわけだ。ときには,利用可能性の威力を心得ていて,不安を煽るニュースを流し続けようと画策する個人や組織が出現し,故意にこのサイクルが拡大することもある。
 こうしてメディアが競って刺激的な見出しを打つにつれて,危険はどんどん誇張されていく。高まる一方の恐怖感や嫌悪感が過大評価されていると口にしようものなら,誰によらず,「悪質な危険隠し」とみなされかねない。こうして問題が国民的関心事になると,政治家の反応は市民感情の強さに左右されるようになるため,事態は政治的重要性を帯び始める。かくして利用可能性カスケードが政策の優先順位を変えるにいたる。公共の利益を考えれば他のリスク対策や他の政策に予算を投じるほうが好ましくても,そんな意見はあっさり押しやられてしまう。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.209-210

利用可能性ヒューリスティックス

 利用可能性ヒューリスティックに関する理解が大きく進歩したのは,1990年代前半のことである。この頃,ノーバート・シュワルツが率いるドイツの心理学者グループが,おもしろい質問を提起した。それは,カテゴリーの頻度に関する印象は,それに関する具体的な例を書き出してもらったときに影響を受けるだろうか,という質問である。読者も被験者になったつもりで考えてみてほしい。

 まず,あなたが何かを強く主張した例を6つ書き出してください。
 次に,自分はどの程度自己主張が強いか,自己評価してください。

 自己主張をした具体例を12書き出してくださいと言われたら,どうだろう(たいていの人はそれだけの数は思いつかない)。自分の自己主張の強さに対する評価は変わってくるだろうか。
 シュワルツのチームは,具体例を挙げることによって,被験者の判断は次の2つのルートを介して強化されると考えている。

・思い出した例の数
・それらの例の思い出しやすさ

 12の例を挙げるよう指示した場合,この2つの決定因は対立することになる。自分が強く主張した印象的な例はすぐに思い出せるが,最初3つか4つはすぐに思い浮かんでも,残りはなかなか出てこない。すなわち,12も思い出すのはたやすくはない。すると,どちらの重みが大きいだろうか。思い出せた数だろうか,それともたやすさだろうか。
 実験の結果は明白だった。やっとのことで12例を思い出したグループは,自分の自己主張の度合いを,6例のグループより低く評価したのである。さらにおもしろいことがある。「自己主張をしなかった例を12書き出してください」と言われたグループは,自分はとても自己主張が強いと評価したのだ。自分がおとなしく人の意見に従った例をなかなか思い出せなかった人は,自分は全然おとなしくないと結論する可能性が高い,ということである。このように自己評価は,具体例を思い出すたやすさに左右される。たやすく思い出せたという感覚は,思い出せる例の数より強力なのである。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.195-196

アンカリング

 プライミング効果が驚くほど多様であり,こちらが何の注意も払わず,気づいてもいない刺激によって思考や行動が影響を受けることは,すでに述べたとおりである。プライミングに関する研究から得られた貴重な教訓は,私達の思考や行動がその瞬間瞬間の状況に,自分が気づいている以上に,あるいは望む以上に左右される,ということである。多くの人が,主観的な経験と相容れないという理由から,プライミングの影響を信じようとしない。また,自立した主体としての主観的感覚を脅かされると感じて,動転する人も少なくない。たまたま目にしたコンピュータのスクリーンセーバーに影響されて,しかもそのことに気づかないままに,見知らぬ人を助けるかどうかの意志が左右されるとしたら,自分は自由だと言えるのか,というわけだ。アンカリングも,同じような危険をはらむ。仮にあなたがつねにアンカーを意識し,それに注意を払ったとしても,アンカリングがあなたの思考をどう導きどう制御するのかは,あなたにはわからない。なぜなら,アンカーが変わったりなくなったりしたら自分の考えがどう変わるのか,想像することは不可能だからだ。
 とはいえ,あなたにもできることはある。何らかの数字が示されたら,それがどんなものでもアンカリング効果をおよぼすのだ,と肝に銘じることである。そして懸かっているものや金額が大きい場合には,何としてもシステム2を動員して,この効果を打ち消さなければならない。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.189-190

サンプルサイズと出現率

 本章では,アメリカにおける腎臓がんの出現率の話を最初に取り上げた。この例は,もともとは統計学の先生向けの本に載っていたもので,私はウェイナーとツワリングの愉快な論文を読んで知った。彼らの論文では,ゲイツ財団が行った17億ドルもの巨額の投資に多くのページを割いている。この投資が行われた背景は,こうだ。多くの研究者は,よい教育とは何か,その秘密を探ろうと長年努力してきた。そして高成績の学校を突き止め,他の学校とどこがちがうのかを見つけようとした。この種の研究で得られた結論の1つが,よい学校は平均的に小さいという興味深い「事実」である。たとえばペンシルバニア州の1662の学校を調べたところ,成績上位50校のうち6校が小さかった。これは,通常の4倍の出現率である。こうしたデータを見たゲイツ財団が,小さな学校をつくるために多額の投資に踏み切ったという次第である。ときには大きな学校を小さな学校に分割することまで行った。アネンバーグ財団やピュー慈善信託など,著名な財団少なくとも5,6団体が追随している。おまけにアメリカ教育省も,小規模学習コミュニティ・プログラムを掲げて加勢している。
 この話には,おそらくあなたも直感的に同意できるだろう。小さい学校のほうがよい教育を提供でき,したがって優秀な生徒を輩出できる理由はすぐに思い浮かぶ。大きい学校に比べて生徒1人ひとりに注意が行き届き,勉学意欲を高められる,等々。だが残念ながら,そのような原因分析は的外れである。なぜなら,「事実」がまちがっているからだ。ゲイツ財団に報告書を提出した統計専門家が,成績の最も悪い学校の特徴を訊ねられたら,やはり平均より小さいと答えただろう。小さい学校の成績は,平均を上回るわけではない。単にばらつきが大きいだけだ,というのが真実である。さらに付け加えるなら,ウェイナーとツワリングは,どちらかといえばむしろ大きい学校のほうが,成績がよいという。とくに学年が上になるほどカリキュラムに多様な選択肢を設けられるので,それが効果を上げると彼らは指摘している。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.173-174

それはランダム

 ランダム性をめぐる誤解は蔓延しており,ときに重大な影響をおよぼすことがある。エイモスと私は代表性に関する共同論文を書き,統計学者ウィリアム・フェレーを引用した。フェレーは,実際には存在しないパターンを人々が見つけ出した例を挙げていた。たとえば第二次世界大戦中のロンドン大空襲では,爆撃は無作為ではないと一般的に信じられていた。というのも,爆撃された地点を地図上に描くと,はっきりと偏りが見られたからである。中には,ドイツのスパイが住んでいるところは爆撃されないのだと信じている人もいた。しかし厳密な統計分析の結果,爆撃地点の分布は典型的なランダム分布であり,かついかにもランダムでない印象を与えがちな分布であることが明らかになった。「訓練されていない人の目には,ランダム性が規則性に見えたり,クラスター(群れ)を形成するように見えがちである」とフェレーは指摘している。
 私はフェレーから学んだことをすぐに活かす機会を得た。1973年に第四次中東戦争が勃発した際に,イスラエル空軍に貢献することができたのである。といっても,空軍幹部に対し,原因究明を止めるよう進言しただけだが。
 この戦争ではアラブ側が先制攻撃を仕掛け,とくにエジプト軍の地対空ミサイルが思わぬ効果を上げてイスラエル空軍機を多数撃墜し,緒戦で優位に立った。損失は甚大で,しかも偏っているようにみえた。たとえば,同じ基地から飛び立った2つの飛行中隊のうち,片方は4機を失ったが片方は無傷だった,という話を私は聞かされた。こうしたわけで,損害を被った飛行中隊のどこが悪かったのか見つけようと,調査が開始されていた。一方の飛行中隊がとくにすぐれていると考えるべき理由はなかった。また,作戦にもちがいはなかった。だが言うまでもなく,パイロット1人ひとりの生活は,多くの点でランダムに異なる。たとえば,ミッションの合間に自宅に帰る頻度とか,任務終了後の報告の仕方などはそれぞれにちがう。私のアドバイスは,こうだった。2つの飛行中隊で異なる結果が出たのは,まったくの偶然にすぎないことを受け入れなさい。そして,パイロットに聞き取り調査をするのはすぐに止めたほうがよろしい。この場合の最もありうる答は,偶然である。あるかどうかもわからない原因を求めて行き当たりばったりの調査をするのは意味がないうえ,損害を被った中隊のパイロットには,自分や死んだ戦友に落ち度があったのではないかと感じさせ,さらによけいな重荷を背負わせることになるだろう……。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.170-171

どこを要約する?

 次の文章を読んでほしい。

 300人の高齢者を対象に電話調査を行ったところ,大統領の支持率は60%でした。

 この文章を10字以内でまとめよ,と言われたら,あなたはどう答えるだろうか。おそらく「高齢者は大統領を支持」と答えるだろう。この答はたしかにストーリーの幹に相当するが,となると枝葉の部分,すなわち調査が電話で行われ,標本数は300だった,という事実は無視されたことになる。これらは補足的な情報なので,あまり注意を引かない。たぶんあなたのまとめは,標本サイズがちがっても変わらないだろう。もちろん標本数がとんでもない数だったら,たとえば6人とか6000万人だったら,あなたは注目するにちがいない。だが専門家でない限り,標本数が150でも3000でも反応は変わらないと考えられる。これがまさに「人間は標本サイズに対してしかるべき関心を示さない」ということである。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.167

見たものがすべて

 「自分の見たものがすべてだ」となれば,つじつまは合わせやすく,認知も容易になる。そうなれば,私たちはそのストーリーを真実と受け止めやすい。速い思考ができるのも,複雑な世界の中で部分的な情報に意味づけできるのも,このためである。たいていは,私たちがこしらえる整合的なストーリーは現実にかなり近く,これに頼ってもまずまず妥当な行動をとることができる。だがその一方で,判断と選択に影響をおよぼすバイアスはきわめて多種多様であり,「見たものがすべて」という習性がその要因となっていることは,言っておかなかればならない。以下に,主なものを挙げておこう。
・自信過剰——「自分の見たものがすべてだ」という態度うかがわれる通り,手持ちの情報の量や質は主観的な自信とは無関係である。自信を裏付けるのは,筋の通った説明がつくかどうかであり,ほとんど何も見ていなくても,もっともらしい説明ができれば人々は自信たっぷりになる。こうしたわけで,判断に必須の情報が欠けていても,それに気づかない例があとを経たない。まさしく「自分の見たものがすべてだ」と考えてしまう。そのうえ私たちの連想マシンは,一貫性のある活性化パターンをよしとし,疑いや両義性を排除しようとする。
・フレーミング効果——同じ情報も,提示の仕方がちがうだけで,ちがう感情をかき立てることが多い。同じことを言っているにもかかわらず,「手術1カ月後の生存率は90%です」のほうが「手術1カ月後の死亡率は10%です」より心強く感じる。同様に,冷凍肉に「90%無脂肪」と表示してあったら,「脂肪含有率10%」よりダイエットによさそうに感じる。両者が同じ意味であることはすぐにわかるはずだが,たいていの人は表示されている通りにしか見ない。「見たものがすべて」なのである。
・基準率の無視——「図書館司書のスティーブ」問題を思い出してほしい。几帳面でもの静かでこまかいことにこだわり,よく図書館司書と見なされる,あのスティーブである。際立って特徴的な人物描写に接すると,こういうことが起きやすい。図書館司書より農業従事者のほうがはるかに数が多いことを知っているにもかかわらず,この文章を初めて読んだときには統計的な事実など考えもしない。「見たものがすべて」になってしまう。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.130-132

ハロー効果の回避

 人物描写をするときに,その人の特徴を示す言葉の並び順は適当に決められることが多いが,実際には順番は重要である。ハロー効果によって最初の印象の重みが増し,あとのほうの情報はほとんど無視されることさえあるからだ。私自身,教授になりたての頃,そういう経験をした。学生の論文試験を採点していたときのことである。始めのうち私は,ありきたりのやり方をしていた。つまり1人の学生の提出物(2本の論文を綴じてある)を取り上げ,課題1の論文を読んで採点し,続けて課題2を読んで採点し,合計を出し,それから次の学生に移るというやり方である。だがそのうち私は,自分のつける点が課題1と2でひどく似通っていることに気づいた。もしかするとこれはハロー効果ではないか,つまり課題1の採点が課題2の評価に影響を与えすぎているのではないか……。
 なぜそうなるのかは,考えてみればすぐわかる。最初の論文で高評価をした場合,次の論文に曖昧な主張や意味のわからない表現があっても,いいように解釈してしまうからだ。これは,一見すると理に適っている。最初の論文がすぐれていた学生なら,次でばかげたミスを犯すはずはない,と考えられるからだ。だが,私の採点方法には重大な欠陥がある。学生が書いた2本の論文のうち,一方がよくて一方はお粗末だった場合,どちらを先に読むかによって合計点が大きく変わってしまうからだ。私は課題を出すときに,2本の論文はどちらも同じ重みで評価する,と学生に話した。だがそれは嘘だったことになる。実際には最初の論文のほうが2本目よりはるかに重要なのだ。これは,私としては受け入れがたい。
 そこで私は新しいやり方をすることに決めた。1人の学生の論文を2本続けて読むのではなく,まず課題1だけを全員読み,その後に課題2に移る。最初の論文の点数は表紙の裏に記入し,2本目を読むときに,1本目の点数に(たとえ無意識的にでも)惑わされないようにした。新しい方法に切り替えてすぐ,私は落ち着かなくなった。自分の採点に以前ほど自信が持てなくなり,これまでに感じたことのない居心地の悪さをひんぱんに感じるようになった。というのも,ある学生の2本目の論文に失望して低い点をつけ,いざ表紙の裏に書き込もうとすると,1本目には高い点数をつけていた,ということがちょくちょくあったからである。そのうえ,1本目との差を減らそうとして,これから書き込む2本目の点数を変えたくなる誘惑にも駆られた。この結果,1人の学生の点数が課題1と2で大幅にちがうケースが頻出することになる。この一貫性のなさが私を不安にさせ,不快にもした。
 こんな具合で,新しい採点方法では,最初のときほどつけた点数に満足できなかったし,自信も持てなかった。しかしその一方で,この不快感は,新しいやり方のほうがすぐれていることを示す兆候なのだとも感じた。最初の採点方法では課題1も2も同じような評価になり,その一貫性に私は満足していたわけだが,それは偽の一貫性だったのである。この偽の一貫性は認知容易性を生み,私の怠け者のシステム2はこの最終評価を受け入れていた。課題1の採点が課題2に重大な影響を与えることを容認していた私は,同じ学生でも課題によって出来不出来がある可能性を,考えまいとしていたことになる。新しい採点方法に切り替えてわかった最初の採点法との不快な不一致は,たしかに本物だった。この不一致は,1つの課題だけで学生の出来を評価するのは不適切であること,そして私の評価が信頼に値しないことをはっきりと示したのだった。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.124-126

確証バイアス

 連想記憶の働きは,一般的な「確証バイアス(confirmation bias)」を助長する。サムが親切だと思っている人は,「サムって親切?」と訊かれればサムに親切にしてもらった例をあれこれと思い出すが,「サムっていじわるだよね?」と訊かれたときはあまり思い浮かばない。自分の信念を肯定する証拠を意図的に探すことを確証方略と呼び,システム2はじつはこのやり方で仮説を検証する。「仮説は反証により検証せよ」と科学哲学者が教えているにもかかわらず,多くの人は,自分の信念と一致しそうなデータばかり探す——いや,科学者だってひんぱんにそうしている。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.121-122

信じようとする

 ある言明の理解は,必ず信じようとするところから始まる。もしその言明が真実なら何を意味するのかを,まず知ろうとする。そこで初めて,あなたは信じないかどうかを決められるようになる。信じようとする最初の試みはシステム1の自動作動によるものであり,状況を最もうまく説明できる解釈を組み立てようとする。ギルバートによれば,たとえ無意味に見える言明であっても,最初は信じようとするという。たとえば,彼がこしらえた例文「白い魚がキャンディを食べている」を読んでみてほしい。たぶんあなたの脳裏には,ぼんやりと魚とキャンディの印象が浮かんだことだろう。これは,無意味な文章に意味を持たせようとして,連想記憶の自動処理により2つの観念を関連づけようとした結果である。
 ギルバートは,信じないという行為はシステム2の働きだと考え,この点を立証するためにエレガントな実験を行った。参加者は「ディンカは炎である」といった無意味な文章を読まされ,数秒後に「正しい」と書かれたカードか「まちがい」と書かれたカードを見せられる。その後に,どの文章が「正しい」に分類されたか思い出すテストを受ける。ただし一部の参加者は,実験中ずっといくつかの数字を覚えているよう指示されている。こうしてシステム2が忙殺されると,まちがった文章を「信じない」ことが難しくなるという偏った影響が現れた。実験後に行われた記憶テストでは,数字を覚えているせいで疲れ切った参加者は,大量のまちがった文章を正しかったと考えるようになった。このことが示す意味は重大である。システム2が他のことにかかり切りのときは,私たちはほとんど何でも信じてしまう,ということだ。
 システム1はだまされやすく,信じたがるバイアスを備えている。疑ってかかり,信じないと判断するのはシステム2の仕事だが,しかしシステム2はときに忙しく,だいたいは怠けている。実際,疲れているときやうんざりしているときは,人間は根拠のない説得的なメッセージ(たとえばコマーシャル)に影響されやすくなる,というデータもある。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房 pp.120-121

ストーリー生成

 ではここで,次の文章を読んでほしい。

 1日中ニューヨークの混雑した通りを散策し,名所見物を堪能したジェーンは,夜になって財布がなくなっていることに気づいた。

 この短い文章を読んだ人に単語保持テストを受けてもらうと,「名所」よりも「スリ」のほうを強く覚えていることがわかる。しかし実際には,「名所」は文中に出てくるが「スリ」は出てこない。なぜこうなるかは,連想一貫性で説明できる。財布をなくす理由は,ポケットから抜け落ちた,レストランに置き忘れた等々,いろいろと考えられる。ところが,財布がないという事実にニューヨーク,混雑が重なると,スリが財布を盗んだのだという説明が浮かんでくる。先ほどのスープを飲んで顔をしかめた客の例では,他の客がスープに文句を言うとか,顔をしかめた客がボーイと接触しただけで怒り出すといった次の出来事が,最初の驚きに一貫性のある解釈を連想させ,もっともらしいストーリーが作り出された。

ダニエル・カーネマン (2012). ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上) 早川書房

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