コンピュータ学者であるアンドリュー・タネンバウムはかつて「規格についてすばらしいのは,選ぶべきあまりにも多くの規格があることだ」と皮肉を言った。彼が何のことを言っているのか,私にはわかる。リモコンでも,時計でも,あるいはその他の家にある装置が動かなくなったときには,私はいつも居間にある大小の電池類—たいていは適切なものが見つからない—がごたまぜになったキャビネットを引っかきまわすことになる。もし一種類だけしか電池がなかったら,生活はずっと楽だろう。あるいは一種類だけのコーヒー・フィルター,データ保存媒体,あるいはコンピューターのOSでもいい。
もっと古い技術でさえ,この問題に悩まされている。公共電力事業ができてから一世紀以上たつが,世界中で14の互換性のないコンセントが存在していて,よその国からやってきた何百万人という海外旅行者たちにとって,日々持ち歩くラップトップ,ヘアドライヤー,電気カミソリ—およびコンセントの合わないアダプター—は,悪態の種である。
自然はちがう。自然はエネルギー備蓄の規格を一元化してきた。力学的(建物を破壊するために打ち込まれる鋼球),電気的(コンピューターを動かす電流),あるいは化学的(原子どうしを結びつけて分子にする結合力)など,エネルギーを取り出す多様な形態のなかで,生命のお気に入りは,化学的エネルギーである。単細胞の細菌類からシロナガスクジラまで,地球上のすべての生物は,エネルギーを,アデノシン三リン酸,すなわちATPという分子に貯えるという規格化された方法を使っている。この分子の高エネルギー結合が切断されると,エネルギーは別の分子に移転され,エネルギーがそれほど高くないアデノシン二リン酸(ADP)ができる。高エネルギーのATPをつくりなおすには,特別な酵素の手を借りて,燃料となる分子からエネルギーを摂りだしてADPに移転することが可能である。
アンドレアス・ワグナー 垂水雄二(訳) (2015). 進化の謎を数学で解く 文藝春秋 pp. 88-89