現存するコレラの調査記録でもっとも詳細だったのは,シティ・オブ・ロンドンによるものだ。当時のシティの一番の問題は,ごみ収集人がスラム街のごみ収集を拒むことだった。当局はさっそく,ごみ収集人の契約条項や,作業にあたっては「住民や賃借人に料金や費用を請求しない」という条件を列挙したポスターを作成した。さらに,貧困者の便所の惨状はごみと一,二を争うほど不快な問題としていた。
原因は放置だった。スラム街の家には,便所の設備が存在しないか,存在したとしても,ひとつの便所や汚物だめを数十人の賃借人が使い,大家は一度も汲み取りをせずに放置した。水洗便所はほとんど知られておらず,不潔を極める最悪のところでは,「床や便座に汚物が30センチメートルも積もり,道路の排水溝を流れていた」。首都が拡大するにつれて,家主は老朽化した建物にさらに多くの賃借人を詰め込み,賃借人は自分の部屋をまた貸しした。おびただしい数の陰気な路地や裏通りで,不潔な状態が当たり前となっていた。汚物だめの汲み取りには金がかかり,スラム街の家主は汲み取り代を払いたがらず,住人には払えないし,払う気もなかった。その結果,便所のなか,周囲,地下鉄に,さらには放ったらかしの路地に——やむを得ずどこでも——汚物がおぞましく堆積していった。テムズ川を行く船の乗客は,あろうことか,潮汐がある川の上にせり出すように家が立ち並ぶスラム街から,目を逸らさねばならなかった。「積荷も何もあったものではなく,川面に張り出した便所に女性が入っていくと汚物が川に落ちるのが,通りがかりの誰の目にも見えるのだ」
リー・ジャクソン 寺西のぶ子(訳) (2016). 不潔都市ロンドン:ヴィクトリア朝の都市洗浄化大作戦 河出書房新社 pp.83