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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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パズルは解けるか

 本書では,1つのパズル——なぜここ50年間に精神病患者の数が急増したのか——を解こうとしている。私たちは今,そのパズルの最初のピースを手にしたのではないだろうか。ソラジン導入前の10年間には統合失調症初回エピソード患者の65%程度が12ヵ月以内に退院し,退院した者も大多数は4・5年の追跡調査期間中に再入院することはなかった。この現象はボコーブンの研究でも確認された。1947年当時の最先端の心理社会的ケアを受けた精神病患者の76パーセントが,5年後に地域社会で問題なく生活していた。だがハロウの研究で見たように,長期的に薬を続けた患者のうち最終的に回復したのは,わずか5パーセントだった。現代に入って回復率が大幅に低下しており,薬を使わない患者と接した記憶がまだある年配の精神科医たちに個人的に聞いても,昔と今では転帰に相違があると証言してくれる。
 「薬物療法がない時代,私が診た統合失調症患者は現代より転帰がはるかに良好でした」とメリーランド州の精神科医アン・シルバーはあるインタビューで答えている。「彼らは仕事を選んでキャリアを追求し,結婚していました。[病院の]思春期病棟に入院していた中で一番重症とされていた患者は現在,3人の子どもを育てながら正看護師として働いています。[薬物療法が登場した]昨今は,多くの患者が様々な仕事に就いているものの自分の手でキャリアを選んだ人はおらず,誰一人結婚していない。それどころか,長期的な恋愛関係さえ持てていません」。
 また,薬によるこうした症状慢性化が精神障害者数の増大をもたらした過程を,数字で追うこともできる。1955年の時点で,州や郡の精神病院には26万7000人の統合失調症患者がいた(アメリカ人617人に1人)。それが現在,統合失調症(または他の精神疾患)でSSIまたはSSDIを受給している人の数は推定240万人にのぼる(アメリカ人125人に1人)。ソラジンの登場以後,アメリカ社会における精神病による障害者の率は4倍に増加した。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.172-173
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神話

 1950年代後半から60年代初期にかけて,バーモント州立病院から269人の慢性統合失調症患者(大半が中年)が退院し,地域社会に戻った。20年後,コートニー・ハーディングはこの集団の患者168人(生存していた者)と面談を行い,34パーセントが回復していること——すなわち「症状がなく自活し,密接な人間関係を築き,働くかその他市民として生産的な活動に従事し,身の回りのことを自分でこなし,総じて充実した人生を送っている」——のを確認した。これは,1950年代に絶望的とみなされていた患者としては,驚くほど良好な長期的転帰であり,ハーディングがAPA Monitorに語ったところによると,回復した患者には1つの共通点が見られた。彼らは全員,「薬の服用をかなり以前に中止していた」のだ。ハーディングは,統合失調症患者は「障害薬物治療を続けねばならない」というのは「神話」であり,実際には「永久に薬が必要な患者はごく一部かもしれない」と結論づけた。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.159

ブレーキとアクセル

 ソラジンなどの標準的な抗精神病薬は,脳内のD2受容体の70〜90パーセントを阻害する。この阻害を埋め合わせるため,シナプス後ニューロンはD2受容体の密度を30パーセント以上高める。シュイナードとジョーンズの説明によると,こうして脳はドーパミンに「過敏」になり,この神経伝達物質が精神病を媒介すると考えられる。「神経遮断薬は,ジスキネジア症状と精神病症状の双方の原因となるドーパミン過敏をもたらすおそれがある」と2人は述べる。「つまり,こうしたドーパミン過敏に陥った患者が精神病を再発する傾向は,単なる病気の通常の経過以外の要因に左右されている」。
 簡単な喩えを使えば,薬のせいで精神病に罹りやすくなり,薬を中止したタイミングで再発する理由を理解しやすくなる。神経遮断薬はドーパミン伝達にブレーキをかけるため,脳はこれに対抗してアクセル(D2受容体の過剰産生)を踏む。薬を突然止めるのは,アクセルを床一杯踏み込んだ状態のままで,ドーパミンを抑えるブレーキから急に足を離すのと同じだ。すると神経伝達系が大きくバランスを崩し,車が暴走するように脳内のドーパミン作動経路も手がつけられなくなる。基底核のドーパミン作動性ニューロンがあまりに急激に興奮するため,薬を中止した患者に奇妙なチックや焦燥,その他の運動異常が現れるのだ。辺縁系に至るドーパミン作動経路にも,同じように制御できない興奮状態が生じ,それが原因で「精神病の再発や悪化」を引き起こす可能性がある,と2人は指摘する。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.154

回転ドア症候群

 何かが間違っており,臨床観察がこの疑念を強めた。退院後も投薬を受けている統合失調症患者があまりに頻繁に精神科救急治療室に戻ってくるため,病院のスタッフはこれを「回転ドア症候群」と名付けた。たとえ患者が確実に薬を飲んでいても再発が多く見られ,研究者らの観察によると「非投与と比べ,薬を投与した方が再発率が高くなる」という。一方で,薬を中止した後に患者が再発した場合,精神症状は「持続し激化する」傾向があり,少なくともしばらくの間は,悪心,嘔吐,下痢,興奮,不眠,頭痛,奇妙な運動チックといった一連の新たな症状も現れた。神経遮断薬への初期暴露により,将来的に重度の精神病エピソードを起こしやすくなるように思われ,この傾向は,薬物療法を続けるかどうかにかかわらず認められた。
 この惨憺たる結果を受けて,ボストン精神病院の医師,J.サンボーン・ボコーブンとハリー・ソロモンは過去のデータを再検討した。彼らは数十年も同病院に勤務していたが,最先端の心理療法で患者を治療していた第二次大戦終了後の時期は,大部分が得てして改善するのを目にしていた。ここから2人は,「精神疾患,特に極めて重度の疾患の大半は,患者が屈辱的な体験や権利・自由の喪失に遭わない限り,概ね自然に治っていくような性質のものだ」と信じるようになった。抗精神病薬は,この自然な治癒過程を加速させるはずだ,と2人は推論した。だが薬によって長期的転機は改善していたか?彼らは後方視的な研究で,1947年に同病院で治療した患者の45パーセントがその後5年以内に再発しておらず,追跡調査期間の終了時に76パーセントが地域社会で問題なく生活していることを確認した。対照的に,1967年に同病院で神経遮断薬を投与された患者のうち,5年間再発しなかったのは31パーセントにとどまり,全体としてこの集団は「社会的依存度」(社会福祉に依存,または他の支援を要する)がはるかに高かった。「極めて意外なことに,以上のデータから向精神薬は不可欠ではない可能性が示唆される」と2人は述べた。「秒後の治療で長期的に薬を使うことにより,多くの退院患者の社会依存が長引くおそれがある」。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.146-147

統合失調症の転帰率

 ここに1つのデータがある。NIMHが実施した研究では,1946〜50年にペンシルバニア州のウォレン州立病院に入院した統合失調症初回エピソード患者の62パーセントが1年以内に退院した。3年目の終わりには,73パーセントが病院を出ていた。1948〜50年にデラウェア州率病院に入院した統合失調症患者216人の研究でも,同様の結果が得られた。85パーセントが5年以内に退院し,初回入院後6年以上が経つ1956年1月1日時点で,70パーセントが地域社会で問題なく生活していた。他方,ニューヨークのクイーンズ地区にあるヒルサイド病院は,1950年に退院した統合失調症患者87人を追跡調査し,半数強はその後4年以内の再発が一度もないことを確認した。同じ期間中にイギリス——アメリカに比べ統合失調症の定義が狭い——で行われた転帰研究でも,同じく明るい展望が得られた。患者の33パーセントが「完全な回復」を,20パーセントが「社会的回復」(すなわち生計を立てて自活できる)を果たしたのだ。
 以上の研究から,当時の統合失調症の転帰について極めて驚くべき見解がもたらされる。従来の通念では,統合失調症の人が地域社会で暮らせるようになったのはソラジンのおかげだとされた。ところが実態を見ると,1940年代末〜50年代初期に統合失調症初回エピソードで入院した患者の大多数が,1年以内に地域社会に戻れるまでに回復していた。3年目の終わりには,75パーセントの患者が地域に戻っていた。入院を続ける必要があったのは,割合としてわずか20パーセントあまりだった。加えて地域に戻った人々も,シェルターやグループホームで生活したわけではなかった。その主の施設は当時まだなかったからだ。補足的所得補償(Supplementary Security Income; SSI)や社会保障傷害保険(Social Security Disability Insurance; SSDI)も設置されていなかったため,政府から障害給付も受けていなかった。退院した人はおおむね家族の元に戻り,社会的回復に関するデータから判断する限り,その多くが仕事をしていた。全体としてみれば,戦後のこの時期に統合失調症と診断された人には,回復して地域社会で十分に機能できるようになるという希望を抱けるだけの根拠があった。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.137-138

統合失調症

 統合失調症は現在,基本的に生涯続く慢性疾患と考えられており,この理解の発端を作ったのはドイツの精神科医エミール・クラペリンの研究だった。1800年代末,彼はエストニアの精神病院の患者の転帰を体系的に追跡調査し,確実に認知症へと悪化する特定の集団の存在を突き止めた。彼らは,入院時に感情の欠如を示した患者だった。多くが緊張病性で自分の世界に閉じこもり,往々にして粗大運動に問題が見られた。奇妙な歩き方をし,顔面チックと筋けいれんがあり,意思をもって身体活動を行うことができなかった。クレペリンは1899年の著書Lehrbuch der Psychiatrieの中で,こうした患者を「早発性痴呆」と記述し,1908年にスイスの精神科医オイゲン・ブロイラーが,この荒廃した状態の患者を指す新たな診断名として「統合失調症」という用語を作りだした。
 だがイギリスの歴史家メアリー・ボイルが,1990年の論文「統合失調症だったのか? クレペリンとブロイラーの集団の再分析」で説得力をもって論じたように,クレペリンの「早発性痴呆」の患者の多くは疑いなく,1800年代末には未特定であったウイルス性疾患,嗜眠性脳炎に罹患していた。この病気はせん妄状態や昏迷を引き起こし,患者はぎこちない歩き方をようになる。オーストリアの神経科医コンスタンチン・フォン・エコノモが1917年にこの病気を記述すると,嗜眠性脳炎の患者は「統合失調症」集団から除外された。その後に残った患者集団は,クレペリンの早発性痴呆集団と全くかけ離れていた。「疎通性がなく,緊張病性昏迷を示し,知能が低下する」タイプの統合失調症患者は,ほぼ姿を消した,とボイルは指摘する。その結果,1920年代〜30年代の精神医学の教科書に掲載された統合失調症の記述が変化した。脂っぽい肌,奇妙な歩行,筋けいれん,顔面チックなどの従来の身体症状は全て,診断マニュアルから消え,残ったのは幻覚,妄想,奇異な思考といった精神症状だった。「統合失調症の指示対象が徐々に変化し,この診断名が最終的には,クレペリンの症状と表面的にもほとんど類似点がない集団に適用されるようになった」とボイルは記している。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.134-136

証拠はない!

 それ以降の研究は,統合失調症と診断された人のドーパミン作動経路に何らかの異常を見つけようとするもので,患者集団の一部にある種の異常が見られるという報告が時折出る程度にとどまった。1980年代末には,統合失調症の化学的アンバランス仮説——統合失調症はドーパミン系の過活動による疾患であり,薬である程度バランスを修復できる——の崩壊は目に見えていた。1990年にピエール・デニカーは「精神科医は,統合失調症のドーパミン作動性理論をほとんど信じていない」と言い,4年後,ロングアイランド・ユダヤ人医療センターの著名な精神科医ジョン・ケーンも,「統合失調症の原因はドーパミン機能の混乱であるという説には,確固とした証拠がない」と言った。それでもなお,一般の人々は相変わらず,統合失調症の脳はドーパミン系の活動が過剰で,薬は「糖尿病にとってのインシュリン」のようなものだと聞かされ続けたのである。だから元NIMH所長,スティーブ・ハイマンは2002年の著書Molecular Neuropharmacologyで,再度,真実を訴えずにはいられなかった。「ドーパミン系の障害が統合失調症の主な原因であるという説得力のある証拠はない」。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.115-116

鬱病セロトニン理論は…

 1984年,NIMHは再度,うつ病のセロトニン仮説の検証に取りかかった。この研究では,うつ病患者の中のセロトニン濃度の「低い」「生物学的サブグループ」が,セロトニンの再取り込みを選択的に阻害する抗うつ薬,アミトリプチリンに最もよい反応を示すかどうかを検証した。もし抗うつ薬が脳内の化学的アンバランスを治療するなら,アミトリプチリンはこのサブグループに対して最も有効なはずだからである。だが主任研究員のジェームズ・マースの報告では,「予想とはうらはらに,脳脊髄液中の5-HIAA濃度とアミトリプチリンに対する反応には,何の関係も認められなかった」。彼らはまた,アスベルグの研究結果と同様,うつ病患者の5-HIAA濃度は非常にまちまちであることを発見した。脳脊髄液中のセロトニン代謝物の濃度が高い患者もいれば低い患者もいた。かくしてNIMHは,唯一可能な結論を導き出した。「セロトニン作動系システムの機能の亢進や低下そのものが,うつ病に関係するとは考えられない」。
 だがこのNIMHの報告にもかかわらず,うつ病のセロトニン理論は完全には消滅しなかった。1988年にイーライリリー社が「選択的セロトニン再取り込み阻害薬」プロザックを発売し商業的成功を収めると,うつ病の原因はセロトニン濃度の低下であるという説明が大衆レベルで復活した。そしてまたもや,多くの研究者がその真偽を確かめるために実験を重ねたが,何度やっても結果が変わるはずがなかった。「キャリアの最初の数年間は,脳のセロトニン代謝の研究にフルタイムで従事したが,うつ病をはじめとする精神障害が脳のセロトニンの欠乏の結果であるという説得力のある証拠は,一切見つからなかった」と,2003年のスタンフォード大の精神科医デビッド・バーンズは言っている。他にも多くの人が同じことを証言している。ダラスのサウスウエスト医療センター精神科准教授のコリン・ロスは,1995年の著書Pseudoscience in Biological Psychiatryの中で,「臨床的うつの原因が何らかの生物学的な欠損状態であるという科学的証拠はない」と述べている。2000年に出版された精神医学の教科書,Essential Psychopharmacologyには,「モノアミンの不足がうつ病の原因であるという明白で説得力のある証拠はない。つまり『実体的な』モノアミン欠乏症というものは存在しない」とある。だがそれにもかかわらず,セロトニン信仰は製薬会社の宣伝力によってしぶとく生き残り,とうとう2005年には,精神医学史の著作が多数あるアイルランドの精神科医デビッド・ヒーリーをして,セロトニン理論は他の信憑性のない理論と同様,医療廃棄物として捨て去るべきだと皮肉を言わしめた。彼は怒りもあらわに,「うつ病のセロトニン理論は,精神異常のマスターベーション理論に匹敵する」とまで言ったのである。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.111-112

単純化

 1000億のニューロンに150兆のシナプス,様々な神経伝達経路という生理学的特徴は,脳の限りない複雑性を物語っている。ところが精神障害の化学的アンバランス理論は,この複雑性を分かりやすく単純なメカニズムに還元してしまった。うつ病の問題は,セロトニン作動性ニューロンがシナプス間隙に放出するセロトニンの減少によって,脳のセロトニン作動性経路が「不活溌」になることに問題がある。だから抗うつ薬でシナプス間隙のセロトニン濃度を正常なレベルまで上げれば,セロトニン作動性経路は過度にメッセージを伝達するようになる。一方,統合失調症の特徴とされる幻聴はドーパミン作動性経路の過活動によるもので,原因は,シナプス前ニューロンがシナプスに放出するドーパミンが多すぎるか,ターゲットのニューロンのドーパミン受容体の密度が異常に高いかのどちらかである。だから抗精神病薬によってブレーキをかければ,ドーパミン作動性経路の機能は正常に近づく。
 これが,シルドクラウトとジャック・ヴァン・ロッサムが提唱した化学的アンバランス理論であるが,シルドクラウトをこの仮説に導いた研究は,それを検証する方法も提供した。イプロニアジドとイミプラミンの研究は,神経伝達物質をシナプスから除去する方法は,次の2つのどちらか,つまり,化学物質がシナプス前ニューロンに再取り込みされて後の使用のために蓄積されるか,酵素によって代謝されて排泄物として運び去られるかであることを明らかにした。セロトニンは代謝されると5−ヒドロキシインドール酢酸(5-hydroxindole acetic acid; 5-HIAA)になり,ドーパミンはホモバニリン酸(homobanilic acid; HVA)になる。だから脳脊髄液中の量を調べれば,それがシナプスの神経伝達物質の濃度の間接的尺度になる。うつ病の原因はセロトニン濃度の低下であるという理論に従えば,うつ状態の人は脳脊髄液中の5-HIAA濃度が通常よりも低いはずである。同様に,統合失調症の原因はドーパミン系の過活動であるという理論に従えば,幻聴や妄想のある人は脳脊髄液のHVA濃度が異常に高いはずである。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.107-108

セロトニン作動経路

 セロトニン作動性経路は,進化の歴史とともに古い。セロトニン作動性ニューロンは,すべての脊椎動物と大半の無脊椎動物の神経系に存在し,人間の場合は,脳幹の縫線核という部位にこのニューロンの細胞体がある。セロトニン作動性ニューロンの一部は,呼吸・循環・消化活動をコントロールする脊髄に長い軸索を下ろしている。その他は小脳・視床下部・基底核・側頭葉・辺縁系・大脳皮質・前頭葉などの脳のあらゆる領域に向かって軸索を伸ばしている。この経路は,記憶・学習・睡眠・食欲・気分や行動の調整に関与している。ニューヨーク大学生物学教授,エフライン・アズミチアの言葉によれば,「脳のセロトニン系は随一の脳システムであり,いわばニューロン系の『巨人』である」。
 また脳には主に3つのドーパミン作動性経路がある。3つのシステムの細胞体は全て,脳幹の頂部の黒質または腹側被蓋野にある。ニューロンの軸索は,基底核(黒質線条体)・辺縁領域(中脳辺縁系)・前頭葉(中脳系皮質)に延びている。基底核は運動の開始と調節に関与し,辺縁系——とくに嗅結節・側坐核・扁桃体——は前頭葉の後ろにあって,感情を調整する。私達はこの部分によって世界を感じるのだが,それは自己感覚と現実概念に欠くことのできないプロセスである。前頭葉は人間の脳の最も特徴的な部位で,自分自身を監督するという神のような能力を私たちに与えている。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.105-106

魔法の弾丸へ

 第1世代の精神科治療薬の発見から,それが「魔法の弾丸」へと変貌を遂げるまでを振り返ると,1970年までの歴史的展開として2通りの筋書きが考えられる。第1の可能性は,精神医学は驚くべき幸運な偶然によって,数種類の薬を発見し,その薬は動物に異常行動を引き起こすにもかかわらず,精神病患者の脳内の化学作用の様々な異常を修復できるものだったという筋書きである。もしその通りなら革命は本物であり,薬を服用した患者の長期的な転帰を調べれば,健康が回復し持続していることが明らかなはずである。第2の可能性は,精神医学は独自の「魔法の弾丸」を所有し医療の主流に加わることを切望するあまり,薬を実際とは違うものに化けさせてしまった。実は第1世代の治療薬は,動物実験が示すように,正常な脳機能を混乱させる薬にすぎない,という筋書きだ。もしそうだとすると,長期的転帰は問題だらけであると考えるのが妥当だろう。
 歴史的展開の可能性は2通りある。そして1970年代から80年代にかけて,研究者はこの重大な質問に答えるために研究を重ねた。鬱病や統合失調症と診断された人々は,本当に脳内の化学的バランスが崩れていて,それで薬で修正されるのか。新薬は本当に脳内の化学的異常を治す治療薬なのか。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.99-100

一生飲まなければ?

 この流行病は,もっと見えにくいかたちでもひたひたと広がっている。この25年間で,精神医学はDSMによって何が「正常」で何がそうでないかの線引きをしたが,それによって社会を根本から再編成してしまった。かつて人々は人間の精神を様々な情報源(偉大な文学作品,科学研究,哲学的・宗教的書物)から理解していたが,今ではDSMというフィルターを通して解釈している。精神医学が教える脳内の「化学的アンバランス」という概念は,精神作用についての理解を一変させ,自由意志という概念を揺るがしている。人間は脳内の神経伝達物質に支配される奴隷なのだろうか。何よりアメリカの子どもたちは,絶えず「精神病」の影に脅かされながら成長する,人類史上,最初の子どもたちなのである。それほど遠くない昔,学校の校庭には怠け者,道化役,いじめっ子,オタク系,恥ずかしがり屋,先生のお気に入り,その他色々なタイプの子どもがいて,程度の差はあれ,みな正常だということになっていた。この子たちがどんな大人になるのか,誰にも予想できなかったし,そこに人生の面白さがあった。20年後に同窓会を開けば,5年生の時の怠け者が大物起業家になっているかもしれないし,引っ込み思案だった女の子が洗練された女優になっているかもしれない。だが今日,高低を賑わしめているのは精神障害と診断された子どもたちなのだ(特にADHD,うつ病,双極性障害)。彼らは,君の脳にはおかしいところがあるので,「糖尿病にインシュリンが必要」なように,一生,精神科治療薬を飲まなくてはいけないと教え込まれている。この医学的所見が「人間とは何か」について子どもに教えるものは,かつての子どもたちが教えられたこととは,まったく異次元のものだ。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.28

人数は?

 ところがここで,どうにも不可解な謎にぶつかる。それほど医療が大きく進歩しているなら,アメリカの精神障害者の数は,過去50年間で人口比で減少したはずだ。1988年にプロザックや他の第2世代の精神科治療薬が登場してからは,さらに減ったと期待していいところだ。障害者率は2段階で減少したはずである。ところが薬物療法革命が進むにつれて,アメリカの精神障害者数は劇的に増加しているのである。しかもプロザックや他の第2世代の精神科治療薬の導入以来,一段とピッチを上げているのだ。何より憂うべきことに,この現代の疫病は今や子どもたちにまで広がっている。

ロバート・ウィタカー 小野善郎(監訳) (2012). 心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 福村出版 pp.21-22

年齢と印象

 桑田の妻,真紀さんが,こんな話をしていたことがある。
 「若い時に言っていることと,今,言っていることは同じなのに,みんなは変わったと言うんですよ。確かにある程度は丸くなったとは思いますけど,本当は何も変わっていないんです。野球に対してもその都度,真剣なところは何も変わってないし,何かを言うとナマイキだって言われちゃうところも変わってない(笑)。でも歳を重ねていくと,同じ言葉でも生意気だって言われたことが立派だって言われたりするんですよね。20年たつと,同じ人がこれだけ違って受け取られるんですから,不思議ですよね(苦笑)」
 飲みに行こうと誘われて,「練習があるから」と断る20歳は生意気だと叩かれ,「練習があるから」と断る40歳は自分を律していると尊敬される。自分を貫くために発していた言葉が,周りよりも若いときには生意気だといわれ,周りよりも歳を重ねると勇気だの男気だのと言われて賞賛される。

石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.282

こんなもの

 1995年,右ヒジに違和感を感じて戦列を離れていた頃——。
 中傷の記事は跡を絶たなかった。英語を話せる彼は外国人選手と頻繁に食事に出掛けるだけで「どうせメジャーに行くための英会話の練習だ」と,穿って見られてしまう。投げなければ「仮病だ」と書かれ,挙げ句の果てには手術の直後,「執刀時間が短すぎたのはメスだけ入れて,移植したふりをしただけじゃないのか」などという報道までもがなされた。いったい何のために,そんなことまでする必要があるというのだろうか。ブルペンで140キロを投げれば,本当に手術したのならそんなに出るはずはないという疑惑までもが大真面目に取り上げられ,世の中に出回った。根拠がないにもほどがあるこれらの記事には,さすがの桑田も怒りを通り越して悲しみさえ感じていた。
 女性問題でも桑田は何度か写真週刊誌に掲載されている。しかし,こういった記事も虚実相半ばしていた。この類の記事の中には,よくここまで調べたなというものも確かにある。しかし,いい加減な取材をもとに推測ばかりの記事が書かれているケースも少なくない。例えば1998年の春季キャンプ。ある写真週刊誌で桑田は深夜,宮崎の街を女性と腕を組んで歩き,2人,タクシーで夜の街に消えたと報じられた。女性の目を隠した写真が掲載されているのだが,これは誰が見ても真紀婦人なのだ。いい気分で酔っ払った夫を介抱すれば,腕くらいは組むだろうし,一緒にタクシーにも乗る。この程度の取材で世の中に流れている情報は,枚挙にいとまがないのだ。

石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.258-259

スキャンダル

 ところがそんな桑田を,暴露本というスキャンダルが直撃した。運動具メーカーのある社員が,「ボクは桑田のためにこれだけのことをしてきたのに,アイツはこんなにひどいことをしたんだよ」という,グチをこぼした子供の泣き言がそのまま本になったような,醜悪な1冊だった。そんな本の中の一節が,またまた騒動を生んでしまったのだから,世の中よくわからない。登板日漏洩疑惑,というヤツだ。しかし,これも中身を読めばわかることだが,そんな大袈裟な名前を付けてわざわざ事件っぽくするほどのことではない。知り合いに,明日投げますよ,と言うことが統一契約書の模範行為に抵触するというのなら,新聞記者が明日の先発を関係者から取材して予想することは,模範行為の抵触を誘発していることになる。これも詭弁だとは思うが,それくらいのことなのだ。本にも「明日投げるの,がんばって」と会話を交わした人が,たまたま昔,賭博で有罪判決を受けた「危ない人」と付き合いがあったと書かれているだけで,それがいつしか,「桑田が賭博のために登板日を意図的に漏洩して金銭を受け取ってたりしてね……」という仮定の話にまでエスカレートしてしまっているのだ。しかも情報源は,子供の泣き言のような,あの一個人の書いた1冊だけ。NHKまでが張り切って取材に出向き,「巨人軍の桑田真澄投手が登板日を漏洩していたのではないかとされる問題で」とかなんとか言って,わざわざ夜のニュースで報じるに至っては,当時NHKで現場に携わっていた取材者の1人として,これがジャーナリズムだというのなら,ジャーナリストになれなくて結構,とまで思わされた出来事だった。しかも,そんなことで1千万の罰金だ,1ヵ月の謹慎だと世の中向けに処分を下す球団,事実関係の調査もできないコミッショナー,情報を垂れ流すだけで一方通行の無責任なマスコミ,どれもが正義の味方のような顔をして,弱冠21歳の桑田真澄1人を悪者に仕立て上げたのだ。

石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.255-256

練習量

 今久留主が言うように,桑田の練習量は半端ではなかった。誰も文句を言えないほどに,走っていた。そして,入学早々の桑田と清原を先輩たちに認めさせる,ある事件が起きた。1年生が集められてボールを打たされた。しかも,竹でできた飛ばないバットで打てというのである。ところが,並み居る1年生の中で桁外れに体が大きかった清原は,その竹バットで何と柵越えを連発したのだ。先輩ばかりか桑田も仰天した。
 「僕なんか外野に1本で,それもやっとショートの頭を越えたのが1本だけだったのに,彼は10本中,8本くらい場外へ持っていったんですね。その打撃を見て,こりゃ,すぐプロへ行ったほうがいいんじゃないかという気がしましたね」
 しかしながら,誰よりも体の小さかった桑田もまた周囲を驚かせた。円筒を命じられた1年生。そこは中学の腕自慢たち,できるだけ遠くへ飛ばそうとボールを高く投げあげる。ところが,桑田はゆっくり前へ進むとそこで立ち止まった。そして何と,真っすぐ,低い弾道のボールを投げたのである。しかもそのボールは,ライトのフェンスを直撃した。さすがの清原も愕然とした。
 「体は凄く小さいし,おとなしいタイプなんであまり存在感もなかったんですけど,ひとたびユニフォームを着て野球すると,打っても凄いし,もちろん投げても凄いし,走っても凄いし,とにかく印象に残ってますね」

石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.236-237

コンプレックス

 実際,桑田は,度胸と工夫を武器に,<人生最大のコンプレックス>と戦い,大きく成長した経験を持っている。桑田真澄の人生最大のコンプレックス,それが清原和博という存在だった。恵まれた体,あふれる才能,天真爛漫な性格,温かい家庭で何不自由なく過ごしてきた清原は,どこをとっても自分とは正反対の存在だった。その清原に負けないためには,工夫を重ねた練習を人の何倍もしなければ話にもならなかった。
 清原もまた,桑田に得体の知れないコンプレックスを感じていた。ピッチャーに憧れていた清原が,PLでもエースになるという夢をあきらめたのは,桑田がいたからだが,それにしても,おとなしくて目立つこともない小柄な男になぜ自分がかなわないのか,最初は納得できなかった。しかし,桑田に投手としての才能を見せつけられるたびに,清原は自分に持っていないものを持っているこの天才投手を認めざるを得なかった。そのことが,投手ではなく打者として一流への階段を上ろうと決意させるに至ったのだった。

石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.233-234

先入観

 「ピッチャーは普通,ホームベースを広く使うために外側へ逃げていくボールを好んで投げるんです。インコースは近くへ,アウトコースは遠くへ逃げていく。コーナーを突く時は,そういう球で勝負するのが当たり前だったんですけど,僕は外から真ん中へ,近めから真ん中へ入ってくる,逆にスライドするボールを使うんです。バッターは,逃げていくボールが厳しくて,中へ入ってくるボールが甘いんだと決めているけど,打ってこない初球とか,ワンストライクを取るときにわざと中へ入るボールを使うんです。そうすると,ストライクゾーンをすごく広く感じてしまうものなんです。だから,左打者の外側からのスライダーやカーブを,僕はよく投げるでしょ。時にはシュート回転して真ん中に入ってしまうストレートも,その後の組み立てには役立ったりするんですよ。ストレートでも,シュート回転はダメとかいうでしょ。そうじゃない。シュート回転のストレートで初球ストライクが取れれば,それでもバッターには残像が残ってる。で,ちょっと内側を見せといて,最後は初球の真っすぐと同じところへスライダーを投げる。同じところだから,甘く中へ入ってくるもんだと思って打ちにいくでしょ,スライドして逃げていくんですよ。これはもうついていくだけで精一杯ですよ」

石田雄太 (2007). 桑田真澄:ピッチャーズ・バイブル 集英社 pp.79

身を守る方法を

 本来キャリア教育には,権利意識としての側面もあり,これによって違法状態への対応能力を身に付けさせることもできるはずだ。ブラック企業は最大の「キャリアの敵」なのであるから,ここから身を守る方法を,子供たちに教えるべきだ。
 ところが,なぜか政府の「ワークルール」とは,子どもに権利を教えることではなく,企業の「厳しさ」を教えることを指すようである。文部科学省が2011年12月に発表した「学校が社会と協働して1日も早くすべての児童生徒に充実したキャリア教育を行うために」と題する教師・家族を対象とした資料の中では,働くことの「権利と義務」を教えるべきだとしながら,権利の内容についてはまったく触れられず,「“世の中の実態や厳しさ”を伝えることの重要性」を複数の項を割いて,強調している。ただでさえ厳しいブラック企業に対して,国家も一体となって若者に「厳しいのだ」と諦めを強要する構図である。
 すでに就職活動が若者を追い込んでおり,鬱病罹患者や,自殺者が増加している。ましてブラック企業ばかりが「出口」で待ち受けている中で,抽象的な働く義務や意識だけを高めていったらどうなるだろう。若者は,就職活動やブラック企業の中で,「違法なことでも耐えなければならない」と再三にわたって教え込まれ,受け入れている。そして,自分たちの結婚や育児,出産さえも惜しんでブラック企業に奉仕しているのである。これ以上「耐える精神」を学ばせても,日本の生産性や社会の発展には絶対につながらない。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.224-225

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