忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

現状認識の誤り

 政府や社会がブラック企業で遅れをとっている最大の要因は,現状に対する認識が誤っているからだ。本書の冒頭で示したように,政府や学者の基本的な思考枠組みは,「若者の意識の変化」で雇用問題を捉えるという傾向にある。若年非正規雇用や失業の問題を「フリーター」や「ニート」問題へと矮小化してきたことがその現れである。そして,ブラック企業問題に対しても,彼らは同じように「若者の意識」さえ改善させれれば,解決する問題だと考えている。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.220
PR

勘違い?

 ある有名な人事コンサルタントの話はとても印象深かった。採用面接で「環境問題への御社の配慮」や「ワークライフバランスへの取り組み」について質問した学生については,全員不採用としたことがある,というのだ。彼曰く,「学生には勘違いしてもらっては困る。お前たちが企業を選ぶのではない。お前たちが企業でどれだけ利益を出せるか,それが重要なのだ」と。こうした目線に晒され続けることで,企業を通じた社会貢献の志や,労働条件についてなど,「何も言えない,言うべきではない」という思考を身に付けさせられていく。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.193

日本経済のためになるか

 実は,ここまで個別企業の成長と実質的な経済の違いに言及してこなかったが,社会問題としてのブラック企業を考える上では,これが決定的に重要な視点である。なぜなら,一部の論者は「ブラック企業でも成長すれば日本経済のためになる」と主張しているからだ。ここまで見てきて明らかなように,ブラック企業がいくら成長しても,それは一時的なものでしかない。額面の上で大きな利益をたたき出したとしても,その後には使い捨てられた若者が横たわるのである。しかも,ブラック企業の「成長」それ自体が,日本の医療費等の直接的な,あるいは労使関係の信頼という間接的な財産を食いつぶして成立しており,実質的な意味では「一時的な成長」だということすらできない。したがって,本書で経済的な発展や成長の戦略を語るとき,それは実質的な意味での経済の発展のことを指しており,決して一時的な額面上での成長ではないことに留意していただきたい。
 一国の経済発展を考えるとき,それが持続可能な実質性を担保しているのか,それとも「数値のまやかし」であるのかは,決定的に重要なのである。経済成長も「質」が重要なのだ。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.176-177

自衛的思考

 これまでも,日本では厳しいノルマや長時間労働が課せられてきたが,それらは「くらいついていけば,将来がある」ものだった。しかし,ブラック企業の命令に従うと,戦略的に退職に追い込まれるかもしれない。本当に意味のある業務命令なのか,辞めさせるための業務命令なのか,それは,若者自身にはわからない。
 こうした「ソフトな退職強要」が横行する社会では,心身を仕事に没入させようなどと考える方が,間違っている。そのため,今度は,もしまともな企業が若者を育てる目的のために厳しい業務を課したり,厳しい叱責を行ったとしても,それが本当に「育てるため」なのかが疑われてしまう。最近,「厳しく育てようとすると,パワハラだと感じる若者が増えている」というデータが各所で示されている。ブラック企業からの相談を受けている私からすると,これは若者の「受け止め方」の問題ではなく,実際にブラック企業という「リスク」が存在するために自然と発生した自衛的な思考である。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.168

奨学金の問題

 その上,ブラック企業に就職する大卒の学生は,多額の奨学金(借金)を背負っている場合もかなりの割合に上る。日本の奨学金は日本学生支援機構(旧育英会)をはじめ,ほとんどが「ローン」であるうえ,多くの場合,利子も付加される。奨学金の支払い請求は解雇された後も苛烈に行われる。返済が滞れば,速やかに金融機関の「ブラックリスト」に登録され,生涯,ローンを組んだりカードを作るときについてまわる。
 こうした新卒からの相談の場合,もしも両親に彼/彼女を支えるだけの資力がない場合,もはや生活保護以外に支える手段はない。新卒からの相談では,ほとんどの場合当人は「何とか生保以外の社会保障はないか」と相談を寄せるのだが,実際には生保しか生き延びる方法はないのである。もし生活保護を忌避してホームレスや,ネットカフェを転々とするいわゆる「ネットカフェ難民」となってしまえば,精神疾患はより悪化し,生活はすさむ。ただ正社員から病気になった,という以上の「貧困者」としての性質が付与されてしまい,社会復帰はより困難になる。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.163

社会への費用転嫁

 ブラック企業が引き起こす第2の社会問題は,新卒の「選別」と「使い捨て」の過程が社会への費用転嫁として行われることである。もちろん,この過程では,いうまでもなく新卒労働者本人の問題としても時間や将来を奪われ,病気の苦痛を与えられたことなどがある。だが,ブラック企業の問題は,これを制度的・組織的に社会へと費用転嫁していることにこそ見出すことができる。
 社会全体が引き受けるコストは,鬱病に罹患した際の医療費などのコスト,若年過労死のコスト,転職のコスト,労使の信頼関係を破壊したことのコスト,少子化のコスト,またサービスそのものが劣化していくといった,あらゆるものに及ぶ。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.155

入社後シューカツ

 また,ブラック企業では共通して「入社後のシューカツ」が続く。就職して以後の職業生活それ自体が,永遠に終わらない「選別」の過程なのである。だから,「正社員」とはいってもいつ辞めさせられる対象になるかわからない不安定な身分。そして,継続する「選別」は常に強い緊張状態を彼らに課す。結局,心身を壊し,働き続けられなくなる。こうして,ブラック企業に正社員として就職した若者たちは,次々に「自己都合退職」で離職していく。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.152

辞めさせる技術

 かれらは社会的な配慮でも,新卒や若者への情けでも動かない。ブラック企業にとって重要なことは,自社の利益を上げることだけである。そのためならば,いかに反社会的であろうと,自社のリスクを最小化し,利益を最大化させる方法を最大限に追求する。こうして現れたのが「辞めさせる技術」なのであり,これがいかに非道なものであっても,彼らにとって「合理的」である以上は進化し続ける。
 ブラック企業の用いる「技術」とは,彼らにとっては全く「合理的」な経営戦略の一部なのである。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.121-122

ソフトな退職強要

 その結果,今度はそうした損害賠償を請求されないような方法で,ハラスメントを行う企業が現れ始めたのである。それは「ソフトな退職強要」と呼ぶべき方法だ。
 ソフトな退職強要では,あからさまなハラスメント行為は行われず,ただひたすら会社に「居づらくなる」ような方法をとる。例えば,挨拶に返事をしないというのがその典型だ。そのほかにも,例えば,「どうしたいの?」と定期的に言われ続けるという相談もあった。これだけだとハラスメントだとはわからないだろう。だが,「そうしたいの?」という言葉は,会社に居続けることができないような雰囲気とプレッシャーを与えるために用いられている。そして実際,本人はこのまま会社に残ることはできず,辞めるしかないと思っているのである。
 また,「能力が低いから,他の道を考えた方があなたのためだ」「この仕事に向いていないと思う。あなたのためにも他に合った仕事を見つけた方がいいのでは」「仕事ができないなら,違う仕事を紹介できるけど」,さらには「わたしだったら採らない」と言われるケースも見られた。さらに,仕事を与えられない,自分で仕事を見つけてきても「一切評価しない」と言われたとの相談もあった。これらの場合には実質的には「辞めた方が良いのでは」と退職を促しているが,直接的な強要ではなく,上司らが退職を「求めている」というニュアンスを伝え続けることで,職場に居続けることを難しくする。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.118-119

民事的殺人

 さらに,これらの手法がひどくなると,「民事的殺人」と呼びうる状況にまで至る。「民事的殺人」とは,被害者が権利行使の主体としてはあたかも「殺され」てしまっているかのような状態である。職場のことを思い出すだけで,過呼吸になる,涙が止まらなくなる,声が出せなくなる。徹底的に追い詰められた恐怖の経験が,彼らから法的な権利の主体であることを奪い去る。ブラック企業の側からすれば,この状態こそが,「完全にリスクをヘッジした状態」なのである。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.112

権利

 ブラック企業が辞めるなと言ったとしても,法律では労働者は辞めることができる権利を保証されている。辞められなければ奴隷と同じだからだ。ところが,いざブラック企業の制止を振り切って職場を辞めると,追い打ちをかけるような嫌がらせを受けることがある。社内の他の労働者に対する「見せしめ」や,勝手に辞めたことへの不当な「仕返し」としてこれらの嫌がらせは行われる。幾つか例を挙げてみよう。
 1つ目は,離職手続きを進めない嫌がらせだ。厚生年金・健康保険・雇用保険など,各種社会保険の手続きを行わない。そのせいで失業中の給付金を受けることができなくなるし,再就職にも支障をきたす場合がある。これらは,いずれも国の保険制度を私物化して行われるパワハラだ。
 2つ目は,最終月の給料を支払わないことだ。これは,単にコスト削減のためにも起きることがある。パワハラが原因で会社に行けなくなってしまったような場合には,最終月だけ手渡しにすることで免れようとする会社もある。会社に行けるような状況ではないのに,「来なければ払わない」とする。
 3つ目は,損害賠償の請求である。「会社が辞めるなと言っているのに勝手に会社に来なくなった」という愚にもつかない理由で無断欠勤の損害賠償を請求されるケースもある。請求の書類を送るのは多少の法律知識があれば簡単にできるため,これで儲けようとする悪徳弁護士・社会保険労務士が請求書に捺印する場合もある。全く応じる必要のないものだが,経験のない人は多大なストレスを感じる。「損害賠償させるぞ」と脅したところで,実際に裁判をしても請求が認められるはずもないが,当事者を脅しつけたり他の従業員に対する威嚇になったりという実利はあるわけだ。
 「辞めさせない」と「辞めさせる」というブラック企業のパターンは,一見矛盾しているかのように見える。しかし,これらは第1章で見たようなブラック企業への徹底した若者の従属と,極端な支配関係に同じ根源がある。選別のために辞めさせるのも,辞めさせずに使いつぶすも彼ら次第。いわば,ブラック企業は「生殺与奪」の力を持っている。また,ブラック企業はこうした支配の力を,利益を最大化させるために用いるという意味で,行動に一貫性を持っている。「辞めさせる」ことも,「辞めさせない」ことも,同様に,あくなき利益追求に端を発している。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.98-99

戦略とは

 具体的に「戦略的パワハラ」の手口を紹介しよう。
 まず,この手の会社にはリストラ担当の職員がいる。彼らは狙いをつけた職員を個室に呼び出し,「お前は全然ダメだ」と結論ありきの「指導」をする。業績不振をあげつらうこともあれば,「うちの社風に合っていない」と「指導」することもある。そしてその職員が「ダメな奴」であることを前提に,様々なタスクを課す。
 たとえば,PIP(Performance Improvement Program: 業務改善計画)と称して達成不可能なノルマを設定させ,「そのノルマを達成できないなら責任をとれ」と転職をほのめかす。達成可能なノルマを設定すると,「意識が低い」とつめよられるため,この手のPIPに入ったら逃げ道はない。
 Y社の場合には,「リカバリープラン」と称して精神的に追い詰めるようなタスクを課していた。坊主頭での出勤を命じたり,コンサルタント会社の集まる社ビルにスウェットで出勤するよう命じたり,他にも「コミュニケーション力を上げるために」と駅前でのナンパ,中学校の漢字の書き取りなどをさせる,いずれのタスクもやり遂げたところでその状態から抜け出せるわけではなく,当然ながら本人にとっても意味が感じられない。
 会社からの「指導」に素直に従ってしまう人は私たちに相談に来る人の中でも多く,ある人は会社に認めてもらおうと難しい資格を短期で3つも取って能力を示した。にもかかわらず,会社は「うちに合わないから改善が必要だ」と追い込む。
 こうしたことを繰り返していると,人間は驚くほど簡単に鬱病や適応障害になる。そうなった頃に,「会社を辞めた方がお互いにとってハッピーなんじゃないか」と転職を示唆するのである。「解雇してほしい」と労働者が言ったとしても,「うちからは解雇にしないから自分で決めてほしい」と,退職の決断はあくまでも労働者にさせる。
 精神障害になることは初めから想定されているため,労働者が病気になるまで追い詰められたとしても会社は躊躇しない。適応障害になったと報告した社員に「ほら,前からうちには合わないって言っていた通りでしょ。あなたはうちには適応できないんですね」と言って謝罪させ,一緒に精神科の産業医のもとに行って「この人はうちで働き続けないほうがいいですよね」と産業医に同意を求め,更に精神的に追い込んだ例もある。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.90-91

戦略的パワハラ

 労働者に「一身上の都合で辞めます」と一筆書かせることで,訴訟リスクを軽減しようというのだ。もし労働者に解雇は不当だったと争われそうになったら,「こちらには証拠がある」と強弁する。これも,契約当事者の意志に反した行動を本人の意志であるかのように偽らせるため,契約の原則から逸脱している。しかし,職場の力関係が圧倒的な場においては,こうした無理も通るのである。
 更に,こうした訴訟リスクを避ける手口が高度化している。それが「戦略的パワハラ」だ。組織的にパワハラを行い,精神的に追い詰められた労働者が自ら辞めるのを待つ。会社から「辞めてほしい」とは一言も言わずに,目的を達成することができる。これは「辞めちまえ」と理由もなく解雇するより,表向きは穏健にみえるかもしれない。しかし,本質的な狙いは全く同じである。しかも,その弊害は精神的な疾病にかかってしまう「戦略的パワハラ」の方が深刻だ。職だけではなく,健康も失ってしまうことになる。
 戦略的パワハラの背後には,「ここまでならぎりぎり退職強要にならない」とアドバイスする弁護士もいる。この手口が悪質なのは,健康を害することが副次的な悲劇としてではなく達成された目的として起きる点にある。会社は組織を動員し,悪知恵のはたらく参謀を雇ってこの目的を達成する。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.89-90

気づいたときには

 「固定残業代」が合法であるための条件は,(1)何時間分で何円分の残業代が含まれているかが(計算すれば)わかること,(2)残業代の部分や基本給の部分の時給がそれぞれ最低賃金を下回っていないこと,(3)予め支払っている残業代の分よりも長く働いた場合,超過した分の残業代を支払うことだ。これらの条件を満たせば,「固定残業代」は違法とはいえない。
 隙の無い「固定残業代」は違法ではない。しかし,これを正当なものだと言えるだろうか。ある会社は,100時間分の残業代や深夜労働,休日労働の割増を全て予め基本給に組み込んで支払っていた。働いている労働者は,そんな仕組みになっているとは思わないため,「給料は良いが仕事がきつい上に残業代も出ない」という程度の認識しかない。いざ残業代を請求しようとして初めて,会社側の策略に気がつくのである。計算してみて驚いたのは,1円のずれもなく最低賃金と一致するように賃金が設定されていた。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.83-84

食いつぶす動機

 若者を食いつぶす動機は,いくつかに分類できる。
 第1に,(1)「選別」(大量募集と退職強要)である。大量に採用したうえで,「使える」者だけを残す。これは,利益を出し続けるためには,ぜひともかなえたい,企業の欲望である。だが,通常の企業はこれを禁欲する。法的なリスクが高いうえ,社会的信用を傷つける恐れがあるからである。この「一線」を軽々飛び越えていくところに,新興成長企業の恐ろしさがある。
 第2に,(2)使い捨て(大量募集と消尽)という動機がある。これは文字通り,若者に対し,心身を摩耗し,働くことができなくなるまでの過酷な労働を強いることだ。「労働能力の消尽」ともいえよう。これも,詳しくは第II部で述べるが,従来の企業では見られなかったことだ。しかも,大量に新卒を募集して,次々に使い捨てるため,労働不能の若者を大量に生み出す。(1)「選別」も(2)「使い捨て」も大量に募集して,残らない(働き続けることができない)という点では共通している。
 第3に,(3)「無秩序」,つまり動機がない場合。これは,明らかな経営合理性を欠いているようなパターンである。パワハラ上司による(辞めさせるためではない)無意味な圧迫や,セクハラがそれである。これらは,「代わりがいくらでもいる」状態を背景とし,会社の労務管理自体が機能不全を引き起こしている状態である。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.78-79

在庫

 これらに共通する特徴は,入社してからも終わらない「選抜」があるということや,会社への極端な「従順さ」を強いられるという点である。また,両社とも新興産業に属しており,自社の成長のためなら,将来ある若い人材を,いくらでも犠牲にしていくという姿勢においても共通している。経営が厳しいから労務管理が劣悪になるのではなく,成長するための当然の条件として,人材の使い潰しが行われる。いくら好景気になろうが,例え世界で最大の業績を上げようが,彼らの社員への待遇は変わることがない。社内の選抜と,「従順さ」の要求には終わりがないのだ。もちろん「正社員」などというものも,これまでとはまったくことなった意味しか付与されていないことがわかる。
 結局のところ,これらの企業に入社しても,若者は働きつづけることができない。これから見ていく各章で,ブラック企業の行動原理については,いくつかに分類していくことになるが,働き続けることができない点で,すべてのブラック企業は共通している。ブラック企業がいくら増えたところで,そして,彼らがいくら雇用を増やしたところで,若者にとって安心して働ける社会は訪れない。
 それどころか,彼らにとって,新卒,若者の価値は極端に低い。「代わりはいくらでもいる」,取り換えのきく「在庫」に過ぎない。大量に採用し,大量に辞めていく。ベルトコンベアーに乗せるかのように,心身を破壊する。これら大量の「資源」があってはじめてブラック企業の労務管理は成立する。「代わりのいる若者」は,ブラック企業の存立基盤なのである。
 「正社員になること」を唯一の解答として与えられてきた若者にとって,正社員になったとしても,必ずしも安定が保証されないという事実は,残酷としかいいようのない事態である。いまやどれだけ競争して,正社員を目指したとしても,そしてたとえその競争に「勝利」したとしても,個人的にすら問題は解決しない。ブラック企業の問題は,格差問題が,非正規雇用問題から,正社員を含む若者雇用全体へと移行したことを示している。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.61-63

代わりがいくらでもいるから

 これらの行為はすべて,労働市場に「代わりがいくらでもいる」ことによって成り立っている。毎年200人を採用し,2年後には半数になる。これを繰り返して,常に新鮮で利益になる者だけを残すのである。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.41-42

絶え間のない否定

 これらハラスメント手法に共通するのは,努力しても何をしても罵られ,絶え間なく否定されるということである。人格破壊の非常に巧妙かつ洗練された手法だといえる。人格を破壊するようなハラスメントが横行しているがために,社員は「次は自分かもしれない」と怯え,緊張の糸を張り詰めながら仕事をしている。現在もこの企業で働くある女性社員によれば,会社支給の携帯電話が鳴るのが恐ろしかったという。彼女のかつての上司は些細なことにも激しく叱責する性質の人物で,電話中,相手の言葉が聞き取れずに聞き返しただけでも激怒したという。電話に応答すれば必ず怒られるのが分かっているから怖い。電話の1本にも戦々恐々としなければならない働き方が,この会社の常態なのである。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.38

クズだ

 「お前たちはクズだ。異論はあるだろうが,社会に出たばかりのお前たちは何も知らないクズだ。その理由は,現時点で会社に利益をもたらすヤツが1人もいないからだ」
 「営利団体である企業にとって赤字は悪だ。利益をもたらせないヤツが給料をもらうということは悪以外の何物でもない。だから,お前たちは先輩社員が稼いできた利益を横取りしているクズなのだ」
 「クズだから早く人間になれ。人間になったら,価値を生める人材になり,会社に貢献するように」

 これらはすべて執行役員の発言である。入社初日から,「新卒は歓迎されていない」ことを知らしめられた新入社員たちだったが,その翌日から始まる過酷な新人研修のなかで執行役員の「コスト=悪」という価値観を叩き込まれていく。

今野晴貴 (2012). ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪 文藝春秋 pp.29

空メール

 とりわけ就活生と接していて,気になるのはメールや電話などのコミュニケーションと,身だしなみだ。
 メールは件名なしで送りつけてくるなんてことはザラだ。タイトルも「こんにちは」など,何が言いたいのかわからないものも多い。しかもメールアドレスも,「love」などの文字が入っているので,出会い系のスパムメールかと思ってしまう。宛名もなく,挨拶もなく,まるでつぶやきのようなメールだってある。しまいには,署名が書いていないので,誰から送ってきたのかわからないメールもあるのだ。
 ちなみに,学生のメールで,今までで最高に呆れたのは,ある有名大学で講演した際に「今日の資料が欲しい方は,私のアドレスまでメールをください」と言ったところ,携帯から空メールが送られてきたことだった。誰から送られてきたのかもわからないし,ファイルも添付できないではないか。
 電話だってそうだ。挨拶もせず,名乗らずにかけてきて,一方的に用件を伝えられることもある。オトナに電話をする経験がないのだからしょうがないとは思うものの,やはり,どうしたものかと思ってしまう。
 ただ,そんな学生たちを一方的に責める気にはならない。単にマナーについて学ぶ機会,実践する機会がないだけなのだ。しかもマナーは,習慣である。付け焼刃的に学んでもボロが出たりする。

常見陽平 (2012). 親は知らない就活の鉄則 朝日新聞出版 pp.194-195

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]