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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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スイッチを切るだけで

 他にもいろいろなやり方があるが,ときにはスイッチを切るだけでじゅうぶんだ。筆者チュンカはある会議に出たとき,自分の前のプレゼンテーションを聞いている経営陣の一団を観察した。彼らは発表者を無言で迎え,おざなりな質問を2つ3つするだけだった。ずらりと並んだ50人以上の上級管理職たちは,新しいスライドが映ると目を上げるだけで,プレゼンターと視線を合わせようともしない。しかし無礼なのではない。マルチタスクの世界へようこそ。彼らはみな数々の通信装置で武装している。携帯電話はマナーモードにしているが,全員がEメール,インスタントメッセージ,ブラックベリーなどで外部の人間とひんぱんに連絡をとっている。出席者同士もコンピュータを介して裏でつながり,すさまじいペースで会話が交わされている。しかしオープンな対話による相互作用はまったくなかった。
 この日,会社の未来を語りあう1日がかりの会議に臨み,発表の準備をしていたチュンカはふと,自分のパソコンの電源プラグが差し込んである同じコンセントに,会議用のワイヤレスネットワーク全体の電源がつながっているのに気づいた。そしてどうしたか。いちばん格上のクライアントの了承を得て,現場の技術サポート員にあらかじめ知らせたうえで(彼は真っ青になったが),電源コードを抜き,何食わぬ顔で発表を始めたのだ。あちこちで出席者がコードを調べ,隣のスクリーンに目をやり,技術サポート員に怒りの視線を投げた。しかしチュンカの目論見どおり,マルチタスクの霧が少しずつ晴れるにつれて,みんな会話に加わりはじめた。やがて会話は熱をおび,この会社の未来について,誰の記憶にもないほど活発な議論がかわされた。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.263-264
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OHPの廃止

 ルー・ガースナーが1993年にIBMのCEOに就任したとき,最初にやったのはちょっとした改革だったが,それは会社を思考の型から救い出すのに大いに役立った。彼はOHP(オーバーヘッドプロジェクター)を禁止したのだ。
 IBMが長年のうちに衰え,ワトソンがつくった組織が形骸化するうちに,同社は異常なほどOHPに頼るようになっていた。1970年代のあるCEOなど,OHPを自分のマホガニーの机にくくりつけていたほどだ。大きな会議では,メインのOHPが十数台,予備に10台,予備の予備にまた10台用意されるという有様だった。OHPなしのIBMなどとても考えられないと。しかしガースナーは譲らなかった。結果として経営チーム相手に,以前とはちがって筋書きのない,徹底した対話ができるようになった。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.262-263

悪魔の代弁者を生み出せ

 直接的な方法のひとつは,ケネディ大統領が公に悪魔の代弁者の役割を務める責任と権威を弟に与えたように,誰かをこの任に指名することだ。これには2つのやり方がある。ひとつは,一人の人間にこの役割をまかせるもので,本人は時間がたつほど効率的なやり方を学んでいく。もうひとつは,たとえば懸案の問題の性質によって,グループ内で役割を交代していくというものだ。そうすればひとりの人物が「いつも反対してばかりのやつ」という烙印を押されずにすむ。私たちとしては,恐ろしい「抗体」ができるのを防ぐために,後者を推したい。
 もっと望ましいのは,IBMのワトソンがやったように,会社に悪魔の代弁者が自然と生まれるような組織なり文化なりを築くことだ。そうした特徴の核心となるのが,権力に向かって事実をつきつけることの認可である。組織内の誰でも,上位の人間に対して深い懸念を口にできるということだ。そうなるためには,一般の社員たちに,これは口先だけでなく本気の認可だとわからせる意欲と手際が必要になる。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.258

悪魔の代弁者

 実はカトリック教会も,何世紀にもわたって自らの誤りを修正する工夫をしてきた。そこで私たちはこの方式を「悪魔の代弁者(デビルズ・アドボケート)」と呼んでいる。教会は伝統的に,ある人物を聖人として認めるとき,その前に「悪魔の代弁者」を指名した。その人の役割は,わざと懐疑的な見方をとること。他の調査官と連携はするものの,あらゆる証拠や思い込みを批判的に評価し,その候補者を聖人として認めるべきでないという理由を論理的に述べていくのだ(おの制度は400年間続けられた後,ヨハネ・パウロ2世によって1983年に廃止された。それ以降,500名が聖人の列に加えられた。これは20世紀初めと比べて20倍のペースだ)。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.252

反対を待つ

 GMの伝説的な創業者,アルフレッド・P・スローンはかつて,社の最高委員会の会議でこう言った。「諸君,この決定については,われわれみんなが全面的に賛成であると受け取っていいかね?」。テーブルについた全員がうなずいた。「では」スローンは続けた。「この件は次回の会議まで延期しようじゃないか。それまで待てば反対意見が出てくるだろうし,この決定の意味がもう少しよくわかるようになるかもしれない」
 私たちの調査によれば,あまりに多くの会社が全員一致の賛同を経てことを進めている。しかし本来は,多少の反対意見があるほうが望ましい。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.251

友好的関係のもとで

 悪い知らせを控え,友好的な関係を保とうとする傾向は,企業ではつぎのような形をとる。
 CEO(および,あらゆるレベルの管理職)がある計画の欠陥を見つけようと思ったら,信頼する相談相手何人かにその案を見せて回るかもしれない。だがそうした相手はみんな,部下ではなくても,おそらく彼を敬愛している,たとえ異論があっても,それを隠そうとする見込みが高い。彼らはきっとこう言うだろう。「すごく気に入りました。それもいい,あれもいい,この別のところもいい。X,Y,Zについては考えたほうがいいかもしれませんが,全体的にはとてもいいと思います」。顧問役たちの本音はこうだ。「おやおや,これは困ったことになるぞ。Xだと身の破滅だ。Yでも,Zでもだ」。だがCEOの耳に届く言葉はこうだ。「いや,じつにお見事です」。そのCEOは,あえて反論を求めた自分の強さを自画自賛さえするだろう。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.244

誰が反論する?

 自分の一族の名を冠した自転車メーカーのCEOエド・シュウィンは,反論されるのはごめんだという気持ちを露骨に表した。1980年代に同社のチームがマウンテンバイクの可能性を探っていたとき,シュウィンは,あんなものは一時の流行だとして,大規模な投資に反対した。アメリカ随一の自転車メーカーであるシュウィンが,なぜ変わらなくてはならないのか?
 しかしある上級管理職がその反論に疑問を抱き,自分の立場を声高に主張した。シュウィンは会議を切り上げ,2週間後に改めて会議を招集すると言い渡した。一同が再び集まったとき,例の上級管理職は解雇されていた。それでも声をあげて反論する人などいるだろうか?

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.239

効果的プレゼン

 ディズニー・イマジニアリングの幹部ジョー・ローディは,自然に近い環境に野生動物を放した遊園地を造りたいと考え,パワーポイントによるプレゼンなど,企画を通す際にはつきものの面倒な手続きをひと通りこなしたが,手ごたえは今ひとつだった。そこでローディは一計を案じた。最終会議で,当時のCEOマイケル・アイズナーが「生きた動物を見てスリルを感じるというのが,まだぴんとこないな」と言うと,彼は会議室の入口まで歩いていき,ドアを開けた。入ってきたのはベンガルトラだった。ごく細い綱でつながれ,若い女性ひとりに抑えられた状態で。アイズナーは即座に“スリル”を理解した。アニマルキングダムは1999年に開園し,大成功を収めた。今も大勢の人たちが,生身のエキゾチックな野生動物を見るスリルを味わっている。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.218

難しさの理由

 構想段階で生じる大きな誤りを避けるには,マイケル・ポーターの「5つの力」分析など,戦略設定への厳格な手法をきちんと守ればいい。ところが実際には,厳格な手法をとるのはきわめて難しいことがわかっている。理由は,以下に挙げる人間の本来的な傾向のためだ。

 ・人はすべての情報を評価するずっと前から,ひとつの答えに狙いを定めている。
 ・人は元来,抽象概念を扱うのが得意でなく,多種類の情報に対して客観的になることが難しい。
 ・人はある答えに向かいはじめると,その答えの正しさを確認しようとし,自分がまちがっているという可能性を受け入れにくくなる。
 ・人はグループの希望に従おうとする。特にそのリーダーが強い人間であれば,反論を唱えず,ただ受け入れる。
 ・人は誤りからじゅうぶんに学ぶことがない。おおむね自信過剰で,自分の失敗を正当化する精巧な防御メカニズムをもっている。企業戦略を任されるような頭の切れる人たちほど,過ちを認めず,ミスから学ばない傾向がある。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.215-216

レミング症候群

 レミング症候群は実のところ,非常に多く見られる。1980年代には,目ぼしい電子企業はみなPC市場に殺到した。ゼニス・エレクトロニクスのようなTVメーカー,ソニーのような日本の家電メーカー,ワング・ラボラトリーズのようなミニコンピュータのメーカー……。1984年には,PCが今後コモディティ化し,利ざやがごく小さくなることがはっきりしていたにもかかわらず,参入は続いた。
 OSのサプライヤーであるマイクロソフトとCPUのサプライヤーであるインテルは,莫大な利益を得ようとしていた。しかしそれ以外の,1台のPCに何もかも組み込もうとした企業のなかで,マイクロソフトとインテルを上回るほどの技術的な躍進を遂げて巨額の金を手にしたのはIBM1社だった。アップル・コンピュータは例外で,同社が得たチャンスはIBMより小さかったが,それで十分だった。自社製コンピュータ内のテクノロジーすべてを掌握していたからだ。
 他の10社ほどは,たがいに他者を押しのければ市場の支配権を得ることができると思いこみ,どの会社もなぜかアメリカ市場の20パーセントを占められると判断した。実際には,現在にいたるまで20パーセントを占める企業は現れていない。熾烈な競争を生き延びたわずかな会社にしても,やがてPC市場が黄金郷でないことを思い知ることになった。市場は巨大でも利ざやはほんのわずかで,どんなミスも恐ろしく高くつくことを,あのデルでさえ学んだのだ。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.173-174

自分の知りたいことしか知ろうとしない

 どんな会社も,市場調査からは自分の知りたいことしか知ろうとしないし,それはずっと昔から変わらない。ウエスタン・ユニオンは競合する可能性のある電話事業について,1876年にこんな結論を出している。「この“電話”なるものは,通信の手段としては欠点が多すぎ,まともに考慮するに値しない」。IBMが事務機器の売上に依存していた時期の会長トマス・ワトソン・シニアは,1943年にこう語っている。「コンピュータの世界市場は5機というところじゃないだろうか」。ミニコンピュータの大手であるディジタル・イクイップメントの創業者ケン・オルセンは,1977年にこう言った。「誰かが家庭でコンピュータを持ちたいと思う理由が見当たらない」。
 しかしIBMは,1980年代にはすっかり大型コンピュータの売上に頼るようになっていた。そして1981年に自社PCを投入する直前には,この製品が寿命を迎えるまでにPCの市場はほぼ20万機になっているだろうと予想した。現在HPとデルは,3日か4日でそれだけの数を売っている。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.171-172

赤の女王症候群

 こうしたコア事業の過大評価は,成功している会社で起こりやすい。その根底にあるのは,スタンフォード大学のウィリアム・バーネットとエリザベス・ポンタイクスの言う「赤の女王症候群」だ。この名の由来はルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』で,赤の女王が「その場にとどまるためには,全力で走らなければいけません」と言うくだりからきている。ビジネスで赤の女王症候群を起こすのは,自分たちの置かれた環境に適応しようと必死になっている会社だ。必死だからこそ成功しているのだが,そこに適応しているということは,異なるルールで動く他の市場には準備ができていないということでもある。しかも,彼らはそれに気づいていない。だから,ある市場で成功している会社ほど,隣接市場でも成功できると過剰な自信をもってしまう。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.139

衰退産業の評価モデル

 盲点を排除するには,たとえばマイケル・ポーターが提案した,衰退産業における評価モデルが参考になる。このモデルはシンプルで,2つの問いかけからできている。ひとつめは,「あなたの属する業界は,衰退に強い構造をもっているか?」。別の言い方をするなら,「あなたの業界は鉄鋼業界のように,収益が減ってもまだ利益をあげられるか?それともかつての写真業界のように,デジタルが大勢を占めればほぼ消えてしまうか?」。2つ目は,「あなたの会社は,まだ残っている需要に対して強い競争力をもっているか?」。言いかえれば「コダックのように,大きなブランド価値があるか?それともブランド力も低コストの組織構造といった資産も欠けているか?」
 あなたの会社に競争力がなく,業界の構造ももろければ,ポーターならこう言うだろう。「売れ,売れ,売れ,できるだけ早く」。もし会社に競争力がなくても,業界の構造がしっかりしているのであれば,こう言うだろう。「事業をばらばらにして売るべきものから選んで売れ」。同時に,「新しい投資や維持費,研究費,広告費などを削りつつ,過去に培った信用を利用して可能な限りキャッシュフローを得るように努めるべし」
 もしあなたの会社がコダックのように,競争力はあっても,業界の構造がもろいようであればこうだ。「もっと収益が高く,今の市場ほど低落の度合いが大きくない隙間(ニッチ)の市場を探せ。そのニッチにどんどん進出しながら,今の市場から撤退しろ」。そしてもし,あなたの会社が競争力も業界の構造も優れているなら,ポーターは言うだろう。「リーダーシップを発揮するべし。コスト面でのリーダーシップを確立し,価格競争のように業界を不安定にする活動は避けるように」
 ポーターによれば,8つの衰退産業に属する企業62社を調査したところ,彼の手法に従った会社の92パーセントがうまく市場に対処できたのに対し,そうしなかった会社で成功を収めたのはわずか15パーセントだった。ポーターの手法はたしかに,企業があらゆる選択肢を考えるうえで役に立つ。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.120-121

守旧的構え

 新しいテクノロジーや業務の採用を検討するとき,往々にして,既存事業の経済性との比較に目がいきがちだ。しかし本当に大事なのは,その新しいテクノロジーや業務がやがて既存の事業を潰し,まったく新しいビジネスモデルが求められるという可能性について考えることだ。
 コダックがもし白紙でそれを検討していたら,デジタル写真の将来性に涎を流しただろう。そして,携帯電話やPC付属のものから高価なプロ用モデルまで,あらゆる形のデジタルカメラを製造・販売できただろう。画質を高められるプリンタやソフトウェアなども開発・販売できたはずだ。
 しかしデジタルの採算性はフィルム事業ほどではなさそうだった。フィルム,印画紙,処理薬品で可能な60パーセントの売買差益を,デジタル事業であげることは困難だった。
 それゆえコダックは罠に陥った。短期的な収益を重視したぶん,デジタルへの参入が遅れたのだ。あえて困難な状況に耐えて,まったく新しいビジネスモデルに踏み出す,あるいは会社を売却するという道を選ぼうとしなかった。
 こうした罠は,広く使われている財務分析が陥りがちなものだという。たとえば,会社はしばしば,新しい事業に参入したら状況が良くなるかと自問するが,そのときほぼ必ず,戦略を変更しなければ事業は安定した状況を保つと想定してしまう。デジタル写真がつきつけてくるような根本的な難題で事業が急激に落ち込む想定はしないのだ。そして何もしなければ激しい凋落を招くという可能性を無視したまま,根本的な変化を避けるように仕向ける。
 複数の研究によると,証券アナリストたちもこの罠を強める傾向がある。彼らはみな,業界ごとに基本的な金融モデルをつくっているので,そのモデルから外れた会社には罰を加えることが多い。また,アナリストを気にかけすぎる会社は,死にゆくビジネスモデルでもずっとしがみつく傾向が強くなる。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.109-110

会計操作

 会計操作は,決して正当化はできないにしろ,ある程度は理解できる。ほんの少し数字をいじるだけで,株価が上がる,株価の乱高下が収まる,オプションの価値が増す,配当金が増える,債券の格付けが上がる,などの好結果が得られるのだから。四半期ごとに市場の要求を満たさねばならない経営陣には,合理的な行為といえる。投資家も株価が高く保たれることで恩恵を得られる。
 だとすれば,こうした操作がはびこるのも当然だ。金融の専門家たちを対象にしたある調査では,回答者の31パーセントが経常費の時期を操作していると認めた。さらに18パーセントが収益認識の操作を行なっていると答え,17パーセントが将来収益のつじつまを合わせるために高額すぎる経費を計上し,8パーセントが棚卸資産会計の操作を行なっていた。アメリカ,ヨーロッパ,アジアの743人の財務責任者に聞いたところ,3分の1の人が,自社の業績がアナリストの予測を下回りそうな状況では「自由裁量」を駆使して数字を上乗せする,と答えた。
 会計操作は,攻撃型だが合法的な収益の管理と,明白な不正との間にかかる危ない橋だ。ある企業が合法から不正へと橋を渡ったことは,召喚状を持った法定会計士のチームが乗りこんで証明されることが多い。しかし不正の一歩手前で留まっていたとしても,最悪の結果は起こりうる。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.58-59

シナジー効果の検討

 コスト面でのシナジー効果については,つぎのような問題を念頭に置きながら検討するとよい。

 ・あなたが削減できると期待するコストの多くは,ただ別の予算に回る公算が大きい。ある部門で人員をカットしても,彼らが有能で,会社が失いたくない人材ならば,他のどこかに移されるだけだ。
 ・他にも多くのコストが,合併につきものの妥協のせいで残りつづける。ある業務がどこか別の都市にある会社に統合される場合,そちらへ移りたがらない社員が出てくるかもしれない。その人材を失いたくなければ,あなたが折れるしかない。だからあらかじめ,この種の妥協はきっと起こるということ,その人物を今の場所に置いておくためにオフィスのスペースや旅費などの余分なコストがかかるということを,計算に入れておく必要がある。
 ・社内には,コスト面でのシナジーが実現されないほうが既得権を守れる人も多い。販売員は自分たちのテリトリーを守り,管理職は自分たちの専門領域を守る。統一されたやり方におとなしく従おうとはしないだろう。誰が,どんなふうに抵抗するかを見越してリストにしておけば,期待されるコスト削減の数字から,実現しない分を割り引くことができる。

ポール・キャロル,チュンカ・ムイ 谷川 漣(訳) (2011). 7つの危険な徴候:企業はこうして壊れていく 海と月社 pp.36-37

時間を取る効果

 もちろん,何にでもギブアンドテークの関係はあり,1日24時間しかないのにコンピュータ・ゲームばかりして,算数の宿題をやる時間が残らなかったりすることはある。テレビ鑑賞にような受け身の気晴らしに時間を使ってしまい,もっと能動的な認知作業に時間を使って,ワーキングメモリを訓練する機会を失ってしまう場合にも,これは言えるだろう。このようなネガティブんな効果があるのは,ゲーム・プログラムの速射砲のような作り方とか過剰な情報にあるのではない。実際,同様の心的活動の不活発さは,ワーキングメモリを訓練しない別の活動でも引き起こされる。アインシュタイン加齢研究では,多くの時間をサイクリングで過ごした人たちにも,統計的な有意差はないものの,弱いネガティブな影響が認められた。

ターケル・クリングバーグ 苧阪直行(訳) (2011). オーバーフローする脳:ワーキングメモリの限界への挑戦 新曜社 pp.175-176

ワーキングメモリ容量

 現代の教育理論のいくつかでは,子供は小さな研究者であるべきで,自ら問題を探し出し,最終的にそれを解く知識を探すとされる。すばらしいことだ。しかし,ワーキングメモリ能力が弱ければ,こういう教え方は悲惨な結果を生むだろう。材料を自身で整理するためには,ワーキングメモリにプランを保持している必要がある。教師が子供にするべきことを指示するよりよほど難しい。さらに,たくさんの子どもが,それぞれに好きな課題をやっている場合,教室の騒がしさのレベルはずっと高くなる。この点を考えると,このような教え方は,単にワーキングメモリの負担を増やすだけで,ADHDの子どもはさらに大幅に立ち遅れてしまうことに鳴る。

ターケル・クリングバーグ 苧阪直行(訳) (2011). オーバーフローする脳:ワーキングメモリの限界への挑戦 新曜社 pp.135-136

ADHD反対

 アメリカでは,ある種の新興宗教がADHDの診断に反対し,薬物治療に文字通り宗教的観点から反対している。ADHDの問題に目をつぶるこのような傾向に抗して,医者と科学者は診断の意義を主張し,薬物によって対処する権利を擁護すべく反論している。

ターケル・クリングバーグ 苧阪直行(訳) (2011). オーバーフローする脳:ワーキングメモリの限界への挑戦 新曜社 pp.129-130

カクテルパーティ効果の個人差

 最近心理学者が見つけたのは,カクテルパーティ状況での振る舞いが人によって異なるということである。ある人は自分の名前が背後で引き合いに出されても,現在の会話に注意を集中できるのに,およそ3人中1人は注意が背後にそれてしまう。この人々の違いは,ワーキングメモリに原因があることがわかった。低いワーキングメモリ能力の人は簡単に注意がそがれてしまうのだ。これはすでに述べた,われわれの実験結果とも符合する。つまり注意のコントロールにはワーキングメモリが必要なのだ。ワーキングメモリがうまくはたらかないと注意散漫となり,刺激駆動型システムに乗っ取られてしまう。この別の例は,低いワーキングメモリ能力の人々が,当面の仕事に集中できず「心があちこちさまよう」状態になることが多いという事実である。ノースカロライナ大学のマイケル・ケーンたちがこれを示す実験をしている。彼らは被験者にPDA(個人情報端末)を与え,PDAのアラームが鳴ると(日に8回鳴るようにセットされていた)すぐに今行っていること,その集中度,心がさまよう状態であったかなどの質問紙に記入してもらった。ケーンたちが見出したのは,課題が心的に難しくなるやいなや,低いワーキングメモリ能力の人たちは,心がさまよう状態になりやすいということだった。

ターケル・クリングバーグ 苧阪直行(訳) (2011). オーバーフローする脳:ワーキングメモリの限界への挑戦 新曜社 pp.89-90

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