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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ヴィクトリア時代のごみ収集

 第一に,ごみ収集人を呼ぶのがそう簡単ではない。収集人のサービスを受ける権利は利用者の側にあり,収集人が黙って通り過ぎたという口論は日常茶飯事で,特に収集の荷車が思わに時間に来たり,週に一回程度しか(もっと少ないことも頻繁にある)来なかったりすると争いが起きた。収集人を呼ぶ際の混乱を失くすために,「依頼カード」――大きく「D」とかいただけの簡単なカード――を使うようになった地区もあった。ゴミを収集してほしければ,このカードを窓に貼るのだ。だが,それでも住民からは,カードが無視されると苦情が出た。また,ごみ収集人の側は,あまり定期的に行き過ぎると――特に1ヵ月分のゴミが入るような大型のごみ入れがある家の場合――「用はない」とぶしつけに断られると不満をこぼした。
 覆いのない荷車は,20世紀に入ってからもかなりの間使われたが,これもまた苦情の種だった。灰がひっきりなしに荷車から飛び散り,道路や,近隣の家々や,すれ違う乗り物や,不用心な通行人にかかるからだ。決して新しい問題ではない。1799年に,クリンク・ペイブメント委員会と請負業者が交わした契約には,「荷車に積んだ灰や汚物や粗粒が,飛び散ったり,振り落とされたり,こぼれたりしないように,荷車に覆い,縁,その他の適切な装備を設けるように」と明記されている(効果を見込んだというよりも,希望にすぎなかったと思われる)。実際には,わざわざこのような措置を取った請負業者はほとんどいなかったため,契約から100年がたっても,ロンドン県はなお覆いをつけさせようと試みねばならなかった。
リー・ジャクソン 寺西のぶ子(訳) (2016). 不潔都市ロンドン:ヴィクトリア朝の都市洗浄化大作戦 河出書房新社 pp.18

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成果給がなじまない場合

 もうお気づきのように,「職務給」と「成果給」には向き不向きがある。日本型成果給は,本当に高度な人材には,適合的だといえる。企業の経営に責任を負うべき企業の上層部,真にハイパフォーマンスな社員については,あらかじめ労働市場で処遇を決定したり,仕事の内容をある程度確定するということも難しいだろう。実際に,実力があるのなら,目標設定も「対等」に結ぶことができるかもしれない。


 一方で,ブラック企業の労働者は,いかに店長が社内では「管理職」とされていたとしても,そして「新入社員が全員幹部候補生だ」と言われていたとしても,やはり会社経営者に責任を負えるような役職ではないし,それだけの対価を得ているわけでもない。労働集約型の労働であるために,「無理な命令」をすればするほど企業は儲かる。だから,日本型成果給はまったくなじまないのだ。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 273-274


社会人としてのマナー

 労働法の権利行使は,「社会人としてのマナー」である。


 なぜなら,「企業に入ったら法律など関係ない。とにかく言われた通り頑張るべきだ」という発想では,本当は「社会人としての責任」を取ることができないからだ。うつ病の場合がわかりやすい。ブラック企業は長時間労働の末に,精神疾患になるまで働かせる。だから,「頑張っていればいい」では済まないし,「自己責任」などはとることもできない。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 239


自由

 「自由な世界だから,止めはしないよ」


 「自由もかなり制限されちゃってるけどね」


 「でも,自由でなくちゃおかしい」ぼくは言った。「それが大事なことだよ」



エドワード・ケアリー 古屋美登里(訳) (2017). アイアマンガー三部作2 穢れの町 東京創元社 pp.282


闘いが裏切りに思える

 だから,個人が企業と争う際にも,みんなが「一体化」しているときに自分だけ争ってよいものか,と考えてしまう。とても強い「背徳感」に襲われる。私が労働相談を受けていても,「他の同期に悪い」とか「店長に迷惑がかかる」と考える方は本当に多い。


 こうして彼らは,「企業の業績」に一体化するあまり,逆に自分自身の健康は二の次になってしまう。また,社会全体にうつ病が蔓延していけば,結局日本の国際競争力を引き下げることになるのだが,そんなことよりも,今勤めている「ブラック企業の業績」がなによりも重要なものだと思えてしまう。


 だからこそ,「会社と闘うこと」は,みんなが「企業の業績」と一蓮托生で頑張っていることへの「裏切り」だと思ってしまうのである。さらには,自分が「闘い」を仕掛けることで,企業が競争で淘汰されるかもしれないという恐怖をも感じている。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 212-213


ひたすらサービス残業へ

 それが特に大きな問題になるのが,すれに述べた労働集約的で,個人の努力だけでは生産性が上がりようもない職場での成果給の導入だ。労働集約型の職場で「企業の社員化」が起こると,無理な業務目標を,ひたすらサービス残業で実現するしかない。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 211-212


強制された自発性

 このように,もともと「年齢給」だった年功賃金は,ベースとなる「仕事の評価」を欠いているのが特徴となっている。ここに考課・査定で評価を加えようとすると,それは,具体的な仕事に関する評価ではないため,個人的な属性である意欲や態度などあいまいなものになってしまう。勤続年数や,実質的に性別もこれに加わる。


 具体的な仕事で評価されるものではないために,社員たちは「自発的」に会社への貢献をしようとする。そうした姿勢すべてが考課・査定の対象になる。だから,自分の仕事はここまでで充分,とはなりにくい。そして,この「会社への貢献」は底なしなのである。こうして高い意欲が喚起されることを,労働社会学者の熊沢誠氏は「強制された自発性」と評した。


 こうした「強制された自発性」についても,「労働モチベーションが高いことがなぜ悪いことなどだ?」と違和感をもたれた方もいるかもしれない。だが,この場合にも,やはり「自発性」に付け込んで,無理な働かせ方をする企業は後を絶たないのである。そして,近年悪用する企業がますます増えている。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 210-211


「生きるか死ぬか」ではない

 私が思うに,「生きるため」,あるいは「生きられるから」「生活に希望が持てるから」「豊かになれるから」こそ,日本の社員たちは頑張ってきた。そして,その結果としての偉業だったのではないだろうか。


 日本で排出した多くのノーベル賞受賞者が,「終身雇用」の研究者だったという事実も重要だ。もちろん,偉業を成すためには研究への没入は必要だが,それは明日クビになるかもしれない,「生きるか死ぬか」などという状態で,生み出されたものではなかった。


 「生きることよりも仕事」という理想像は,あまりにも純粋で,従来の仕事へと没入した日本的「エリート像」からも圧倒的にかけ離れているのである。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 149


「安く・長く」

 つまり,どれだけの時間,どれだけの賃金で働いたのか,ということが重要になる。社員が「安く・長く」働くほど,利益は大きくなっていくのだ。こうした点は,製造業を中心とした従来型産業とは異なっている。研究開発や製造工程の革新で,大きく生産性を上げることができる場合には,「安く・長く」以上のイノベーションがある程度可能だからだ。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 143


若者を引きつける言葉

 「夢のある企業」「活躍できる企業」「グローバル企業」……言葉はさまざまだが,こうした言葉は若者を惹きつけてやまない。むしろ,若者がこうした言葉に胸が踊らず,何の興味をも持たないとしたら,それはそれで深刻な問題だともいえるかもしれない。たとえ「疑わしい」企業であったとしても,「クリエイティブさ」や「成長の見込み」といった殺し文句は,自分を納得させる材料にもなる。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 125


虐待に似ている

 ブラック企業では,正常ではない状態が「常態」となり,労働に駆り立て続けている。それはまるで「虐待」にも似ている。いくら人員が不足していても,目標の数値が無謀なものであっても,妥協はしない。それどころかもっと少ない人員で,もっと高い数値を,常に追い続けなければならないのである。


 業務の重圧によるプレッシャーと長時間労働は,やがて「心身の喪失状態」をもたらす。ある意味では,ブラック企業はこれを「戦略」の中に組み込んでいる。すべての社員とは言わないまでも,常に新しい人材が「正社員」として引き入れられ,そこで「心神喪失状態」に陥れられる者が出る。その状態が一定期間続くと,病気などを理由に退職する。そしてまた,新たな人員が雇われる――。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 113-114


信頼関係を逆手に取る

 就職活動をする学生は「今年中に決めなければならない」という強いプレッシャーの中におかれている。それは,高校生も大学生も変わるところがない。一方,日本社会では昔から契約書が作成されないなどある種の「信頼関係」で会社選びはなりたってきた。そうした中で,「信頼」を逆手に取る企業が現れてしまったのだ。「信頼」をベースにして労働市場が成り立ってしまっているために,若者には会社を比べて選んだり,よい条件を求めて交渉することなど全くできない。
 契約書の中身があいまいでよくわからなくても,あとから意味がよくわからない説明をされたとしても,「どうしていいかわからない」というのがほとんどの若者の実感のはずだ。こうしたことから「わからないで入った」若者が後を絶たない。
今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 75

入社前にはわからない

 入社前に「わからない」理由は大きく分けて2つある。まず,募集要項や契約書と実際がかけ離れている。つまり,「契約段階で騙す」ということだ。序章で示した「月収の誇張,虚偽の条件で募集」や「正社員ではないのに偽装」もこれに当たる。直接的に騙しているので,こちらは比較的理解しやすい。
 これに加え,第2の理由がある。それは,入社後に労働の要求が際限なく膨れ上がっていくということだ。これでは入社前に,「どのくらいの仕事」が要求されるのか,まったく予測がつかない。契約書などの偽装に加え,この「労働の無限性」が「わからないで入る」最大の理由である。
今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 63-64

感動して入社する

 「死」という言葉が軽々しく投げかけられる。安っぽいCMと同じような,眉唾物だと思った読者も多いことだろうと思う。しかし,学生たちにとって,これらの言葉は燦然と輝き,自らの道を照らしてくれているように映る。だからこそ,企業説明会で「感動」し,涙を流して入社を決意する。


 このような言葉は決して「空文句」ではない。実際に好感をもたれ,勧誘の「効果」があるからこそ用いられている。この内実がいかに「ブラック」で当人自身を破壊するものであったとしても,実際に若者の心に響くのは「警告」ではなく,苛烈な競争社会への勧誘の言葉の方なのだ。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 59


自分から入社する

厄介なことに,「上昇志向が強い」学生ほど,巧みにブラック企業に絡め取られ,「自ら」入社してしまうリスクが高いのである。そして,その事例が意外にも多い。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 40-41


見分け方ばかり

 これに関連して最近気になるのは,メディアから「見分け方」ばかりを取材されることだ。「見分け方」は前著でも詳述した重要事項だが,そればかりが独り歩きすることで「見分けられなかった者が悪い」とならないか危惧している。いくら見分けても入るしかない場合も,見分けられない場合もある。「見分け方」ばかりが喧伝されることで,「入るのは自己責任」ということにならないか,危惧しているのだ。もっといえば,次に見るように,「わかっているはず」の学生さえも騙されて入ってしまうのがブラック企業の恐ろしさである。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 39-40


使い潰し戦略

 日本の労働社会は大企業を中心とした,「日本型雇用」に大きな信頼を置いて成り立ってきた。日本型雇用では新入社員を終身雇用・年功賃金で守るとされているが,それだけではない。彼らの能力を向上させることで,これを達成するのだ。
 若者は「能力の向上」と将来の見返りを期待して,一生懸命にはたらく。多少のサービス残業や理不尽な配置転換があったとしても,会社に尽くそうとする。日本人の「労働モチベーション」の高さは,世界的に見ても際立っている。
 だからこそ,こうした「使い潰し」戦略を成長大企業が採ったことのインパクトは大きい。大企業ならば,能力の向上や終身雇用に対する「期待」もなおさらだからだ。いわば,ブラック企業は「日本型雇用」への期待,日本社会に培われた「信頼関係」を逆手に取っている。厳しい命令はそのままに,年功賃金や雇用保障といった「見返り」がないのがブラック企業の労務管理なのだ。
今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 32-33

火山と人間

 繰り返し申し上げたことのひとつは,火山と人間がよく似ているということです。元気な泣き声とともに誕生したかとおもうと,姿を変えながら成長し,やがて年を経て,死を迎えます。突然,怒りを爆発させたかとおもうと,そのあと,何事もなかったかのようにすましています。成長と死,喜怒哀楽のあることによって,火山は普通の山とはまったく異なる表情をもっています。そこにも,火山が神話として語りつがれた原因があるのではないかとおもわれます。
蒲池明弘 (2017). 火山で読み解く古事記の謎 文藝春秋 pp. 243

女性の力

 それにしても,古事記神話のなかでも,もっとも英雄らしいスサノオとヤマトタケルは,なぜ,女性の力に頼ってばかりいるのでしょうか。怪物や敵国を打ち倒す戦いとして描かれている行為が真に意味していることは,大地の平安をもたらすための祈りであるからではないか――ということがここからも見えてきます。
 女性に頼ってばかりの英雄たちの戦いぶりは,古事記におけるもうひとつの大きな謎に結びついてきます。それは天皇家の最も重要な先祖心が,なぜ,アマテラスという女神なのかという問題です。本稿で検討してきたことを踏まえれば,古代にさかのぼる天皇という存在の本質は,アマテラス以来の荒ぶる大地を鎮める戦いとつながっているのではないかということです。
蒲池明弘 (2017). 火山で読み解く古事記の謎 文藝春秋 pp. 229-230

全国規模の自然災害

 成層圏まで到達した噴煙のうち,火山灰のかなりの部分は偏西風に乗って東へ運ばれ,関西あたりで20センチ以上,関東や東北,朝鮮半島でも10センチ以上の火山灰の地層が確認されています。当然ながら,噴火地点に近い九州南部は火山灰のなかに埋もれてしまい,ほぼすべての地点で30センチ以上の降灰エリアとなっています一万年に一度という巨大噴火を経験したことのない私たちには理解しがたいことですが,鬼界カルデラ噴火は全国規模の自然災害であったのです。
蒲池明弘 (2017). 火山で読み解く古事記の謎 文藝春秋 pp. 59-60

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