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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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単眼症

 単眼症の子どもの1つしかない眼は,頭蓋骨の奥深くまで異常があることを示すサインのようなものだ。正常な脊椎動物の脳は,2つに分かれている。ヒトの場合はもちろん,「左脳」とか「右脳」とかの話をするときに出てくる,左と右の大脳半球をもっている。ところが,単眼症の子どもは違う。大脳半球と視葉と嗅葉が2つずつないのだ。前脳部分が融合して,見かけ上分割できない1つのものになっている。だから臨床医たちは,この先天的疾患を「全前脳症」と総称する。これはよく見られる脳の奇形で,1万6000人に1人の割合で生まれ,流産した胎児の200体に1体がこの障害をもっている。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.64
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位置関係が反映

 結合性双生児の結合方法の多様さは,円盤のような形の発生中の胚が,共通の卵黄嚢に浮かんで接触するときに,相手とどういう位置関係にあるかで決まるようだ。リッタ=クリスチーナの場合は,2つの胚の円盤は側部と側部で接触し,脊柱が閉じてから下部の内臓器官が形成されるまでのあいだに融合した。顔の融合している結合性双生児の場合は,胚の端と端(頭部と頭部)で接触したのだ。結合性双生児の最も極端なものは「側部結合二顔体」で,あまりにも密接に融合しているので,1部分だけ二本になっている脊柱や2つの鼻,ときには3つの眼からしか,外見的には双子と判断できない。ここまでくると,1人の人間とするか,2人の人間とするかという議論は意味がなくなる。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.47-48

無頭蓋症

 器官原基が互いに相手を見つけて融合し,全体を形成する能力は,まさに胚発生の驚異の1つだ。こうしたことは,細胞の表面にあるさまざまな分子の働きで起こる。これらの分子には,ほかの細胞が自分たちと同種だと認識できるように取り決めておいた信号のようなものがある。これらは細胞接着分子——生物学者のいう「体のマジックテープ」——であり,1つ1つは弱いが集まると強い。とは言え,機関原基の融合はデリケートな仕事で,とくに神経管の融合はむずかしく,失敗しがちだ。1000人の1人の割合で,神経管の少なくとも1部が閉じていない「二分脊椎」という症状の子どもが生まれる。重度なのは,将来の脳に当たる部分の神経管が閉じそこなった場合だ。むき出しの神経組織は壊死して壊れてしまい,後頭部を肉切り包丁でざっくり切られたように,脳幹の残骸しかないような子どもが生まれる。
 このような無頭蓋症の子どもは,1500人に1人の割合で生まれる。前から見ると閉じかかった眼は頭部から突出したように見え,舌が口から突き出ている。こうした子どもは誕生後,数時間,あるいは数日で死亡してしまう。名前からわかるように,二分脊椎は神経管が閉じそこなっただけなく,脊柱が閉じそこなったため,神経索は骨で保護されずにむき出しのままだ。このような障害が見られるのは神経管だけに限らない。心臓原基も閉じそこなうことがある。その結果,1つになるはずのものが2分されて,それぞれ半分しかない2つの心臓を持つことになる。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.46-47

どこでくっつくか

 結合性双生児は胚の部分的な分裂の結果生まれるわけではないと考えるべき最大の理由は,彼らの体軸だ。彼らは頭どうしや胸どうし,腹部あるいは臀部どうしで結合している。つまり腹と腹,脇と脇,背中と背中が結合した形だ。どんな器官も共有できないほど結合が弱いものもあれば,すべての器官を共有するほど強いものもある。となると,この素晴らしい肉体的な配置は1つの胚が2つに分裂したことによって生じた,と考えるのには無理があるだろう。
 それでは,胚の分裂以外のいかなる方法で結合性双生児は生まれるのだろうか?サー・トマス・ブラウンは,子宮のことを「不可解な世界」と呼んだ。たしかにそのとおりだし,結合性双生児が生まれる原因を説明しようとするとき,とくにそう思える。しかし分裂か融合かというアリストテレスの二分法は人を惑わすだけだ,とする考えも出てきた。結合性双生児が生まれるには,まず1つの胚から2つの胚が作り出され,それから結合するが,1つの胚から2つの胚ができる方法は,機械的に分かれるような大雑把なものではなく,かなり繊細で興味深いものだ,と言うのだ。実際,結合性双生児は奇形の最たるものととらえられているが——つい最近も(1996年)『ロンドンタイムズ』は,ある結合性双生児を「形而上学的な侮辱を受けたもの(“metaphysical insults”)」と表現した——彼らがいたからこそ,子宮の中で私たちの体が秩序立って形成されるには,ある装置が働いていることが解明されたのだ。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.30-31

結合性双生児

 結合性双生児をかたどった最古のものは,臀部で結合した太めの中年姉妹の白い大理石像で,新石器時代の小アジアの神殿で発掘された。それから3000年後に,オーストラリア先住民アボリジニの手によって,現在のシドニー郊外近くの岩に,双頭の結合性双生児(頭が2つに胴体が1つ)を記念してその姿が刻まれた。さらにその2000年後(紀元前700年)には,ギリシャ時代の幾何学文様の陶器に,ギリシャ神話に登場するモリオネが産んだ息子たちの姿が描かれている。エウリュトスとクテアトスという名の兄弟は,ひとりはモリオネと海神ポセイドンの息子,もうひとりはモリオネとアクトル王の息子と言われている。父親どうしは仲が悪かったにもかかわらず,兄弟は1つの胴体と4本の腕を持ち,それぞれ槍を振り回した。現代のイギリスのケント州の教区では,復活祭の翌日に体の側部がぴったりくっついた2人の女性をかたどったパンが,貧しい人々に配られる。ノルマン人の征服時代からの伝統で,かつてその地で暮らしていた結合性双生児の姉妹が,協会に財産を遺贈したことを記念したものらしい。

アルマン・マリー・ルロワ 上野直人(監修) 築地誠子(訳) (2006). ヒトの変異:人体の遺伝的多様性について みすず書房 pp.24

つまらなくなった

 昔のこんにゃく農家は生イモを切り干しにして荒粉という長期保存のきく形で蓄え,そのときどきの相場変動をみながら出荷することで大きな利益をあげることが可能だった。昭和30年代ごろまで,こんにゃく産地では「うちはよその半分しかイモをつくらなかったけれど,ムラのだれよりも儲けた」といった自慢話が聞かれたという。そうしたことが可能だったのは,蓄えた荒粉をうまく売ったからである。
 つまり昔のこんにゃく産地では,イモをもっともたくさんつくった人がもっとも儲けたわけではなかった。もっとも巧みに売る人がもっとも儲けられる人であり,そこにこんにゃくという作物の大きな特異性があった。南牧村の老人たちが「こんにゃくはおもしれえよ」といったのは,そういうことを意味していたのである。
 しかし,火力乾燥機の普及によって農家で荒粉がつくられなくなると,農家はイモ栽培専従となり,利益をあげるには収穫量をふやすしか道がなくなった。それはイモの生産増大をもたらしたが,農家にとって,こんにゃくの魅力は半減した。おそらく火力乾燥機が普及した昭和40年代を境に,農家のこんにゃくに対する向き合い方が変わったはずである。この時期に,生産意欲を失った農家も少なくなかっただろうと推測する。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.192-193

流通バランスの崩れ

 かつて,こんにゃくの荒粉は農家の店先で1週間,天日干しにしてつくられていた。昭和40年代の初めごろまで,そうやってつくられるのが当たり前だった。しかし,いま原料業者が導入している大型乾燥機を使うと,生イモを放り込んで2時間でカラカラに乾いた荒粉が大量にできてしまう。荒粉の製造工程は,機械化によって1週間から2時間に短縮されたのだ。
 製粉工程のほうはどうか。昔の臼による製粉では,1貫(約4キログラム)の荒粉を搗いて製粉にするのに12時間を要した。ひとつの臼に入れられる量は荒粉一貫で,仮に100キログラムの荒粉を製粉にしようとすると杵25本を12時間稼働させなければならない。これが現在の製粉機だと,100キロの荒粉なら45分で処理してしまう。
 つまり,いまの乾燥機と製粉機を使えば,生イモから製粉まで3時間しかかからない。イモを粉にすることくらい,現代のテクノロジーをもってすればたやすいことだ。
 だが,この度を超した生産効率の向上は,こんにゃくがそれまでもっていた生産・流通のバランスをすっかりくずしてしまった。
 それは,こいうことである。各業者とも乾燥機と製粉機をそなえ,てぐすね引いて秋のイモの収穫を待っている状態のため,秋になるとイモの争奪戦が始まり,イモの相場を吊り上げることになった。ふつう出来秋は作物が豊富で値が下がるものだが,こんにゃくにかぎっては,奇妙な逆転現象がおきるのである。
 確保したイモを機械がたちまち粉にしてくれるのはありがたいが,問題はそのあとだ。1週間も向上をフル稼働させれば膨大な製粉をつくりあげてしまい,それはすなわち在庫だから,どんどん売らなくてはならない。そのため,いっせいに売り競争が始まり,値を下げて利幅がなくなっていく。早い話,機械化による増産が安売りを生み,自分たちで自分の首をしめているのである。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.183-185

相場勝負

 そもそもこんにゃく業界は,生産農家,仲買人,原料問屋(業界では俗に「粉屋」という),製造業者(同じく「練り屋」)の4者からなるが,農家はつくったこんにゃくイモをなるべく高く売りたいのは当然である。その農家からイモを買いつける仲買人と粉屋は,なるべく安く仕入れて高く売ったほうが利益が大きい。しかるに,練り屋は原料を高く買わされては儲けが経るばかりだから,安く仕入れないと商売にならない。
 つまり4者とも利害関係はばらばらで相反するから,みな一度にそろって儲かるということは道理上ありえない。ただ,何年かをひとくくりにして眺めれば,4者それぞれひととおり損もすればトクもしていて,そういう意味では公平なのである。
 とはいえ,つねに欲をかいて目先の利益を求めるのが人間の性だから,とくに利ザヤによる利益が大きい中間業者の原料問屋は,相場の先をにらんで同業者どうし裏のかき合い,だまし合いが常態化する。
 相場は需給バランスで決まるため,粉の場合,各地の練り屋からの注文が増えると,上がりはじめる。下仁田には最盛期,大小合わせて70件ほどの原材料問屋があったが,全国に得意先をもつ大手問屋のほうが注文が入りはじめるのが早い。そこで情報をさぐるため,よその問屋の主人が用もないのに大店の店先へ始終やってくる。当たりさわりのない世間話をしながら,番頭の顔つきや店の気配から相場の行き来を察知しようとするのだ。
 むろん大店も心得ていて,うかつなことは漏らさない。それで,かつて粉屋どうしの会話は「こんにちは」と「さようなら」の挨拶以外はみんなウソだった——と下仁田では語り継がれている。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.168-169

もっとも必要になったのは

 ろくに腹の足しにもならず,格別うまいわけでもないこんにゃくを人がなぜ食うかといえば,なんとなくそこにあるから箸をのばす,という説明がもっとも適切であるような気がする。食べれば食感がぷりぷりとして独特だから,知らず知らずのうちにその食感を求めて箸をのばすのがこんにゃくであって,それ以上でもそれ以下の食べ物でもない。日本人はなぜか豆腐の味にはうるさいが,こんにゃくの味のよしあしについて講釈をたれる人は見たことがない。
 つまり人びとの日常において,こんにゃくはあってもなくてもかまわない。そのこんにゃくが史上もっとも必要とされたのは,日本の存亡をかけた大戦中であり,しかも米本土攻撃という,きわめて大胆かつ奇想天外な近代兵器においてであった。
 ちなみに,前述のようにふ号の気球ひとつにつき使用されたこんにゃく粉は90キログラムだから,打ち上げられた9300発に使われたこんにゃく粉は,しめて約840トンとなる。粉は30倍の水で糊にされたから,費やされたこんにゃく糊は約2万5千トン。2万5千トンのこんにゃく糊といってもピンとこないが,これをいま市販されている板こんにゃくにすると,ざっと1億枚が風船爆弾のために使われた計算になる。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.132

世界初だった

 その奇抜すぎる発想のせいで日本では自嘲気味に語られることの多い風船爆弾だが,実際にこの得体の知れない巨大な物体の飛来を受けたアメリカ側の評価は,日本とは正反対だった。戦時中,アメリカ西武防衛司令部の参謀長で,戦後来日して,ふ号作戦の全容解明につとめたW.H.ウィルバー代将という人物が後年,リーダーズ・ダイジェスト誌に「日本の風船爆弾」と題した手記を寄せているが,そのなかでこう書いている。

 この攻撃は大したものではないと,人々に思わせようとこちらは務めた。ところが実際には,これは戦争技術における目ざましい一発展を画したものであった。世界で初めて,飛び道具が人間に導かれないで海を渡ったのである。(中略)
 もしも夏のひでりの季節となって,アメリカ西武諸州の森林が火つけの火口みたいに乾き切ったころまで,この風船攻撃がつづいていたら,そしてもし日本人が1945年3月にやったように平均1日100個の割合で風船を放流しつづけていたら,さらにまた,彼らが少数の大型焼夷弾をつける代わりに数百個の小型焼夷弾をつけていたら——もしくは細菌戦の媒体でも使っていたら——恐るべき破壊がもたらされていたことであろう。

 ウィルバー代将のいうように,ふ号が世界で初めて人間に導かれないで海を渡った飛び道具たりえたのは,2つの要因による。ひとつは巧妙につくられた高度保持装置というテクノロジーであり,もうひとつは,高い気密性をもったこんにゃくという天然素材のおかげであった。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.125-126

こんにゃくと風船爆弾

 風船爆弾は正しくは「ふ」号兵器といい,昭和19年11月から翌20年4月にかけて,福岡県勿来,茨城県大津,千葉県一宮海岸の3ヵ所から計9300発が打ち上げられた。水素を詰めた気球に15キロ爆弾と数個の焼夷弾を吊り下げ,これを太平洋上空の偏西風に乗せて,アメリは本土攻撃をおこなうという壮大な作戦だった。9300発のうち推定1千発がアメリカ大陸に到達したといわれ,各地に山火事を起こした。しかし季節が冬だったため,雪が火を防ぎ,いずれも大規模な森林火災にはいたっていない。
 ただ,オレゴン州で森に引っかかっていた巨大な気球を,たまたまピクニックに来ていた子どもたちが見つけ,おそらく気球とロープでつながっていた爆弾に触れたのであろう。突然爆破を起こし,子ども5人を含む6人が死亡している。
 このふ号の気球が,和紙とこんにゃくでできていた。
 材料に和紙とこんにゃくが使われたことについて,日本が資源に乏しかったためとする見方があるが,こえは必ずしも正しくはない。資源に乏しかったのは事実としても,陸軍がこの秘密兵器に和紙とこんにゃくを採用した理由はそれだけではなかった。気球の素材といえば,まずゴムが一般的だが,じつは当時,ゴムよりも和紙とこんにゃくのほうが素材として数段すぐれていたのだ。
 ふ号はそもそも昭和17年4月の米軍による東京初空襲に対する報復手段として浮上してきた作戦で,兵器の開発は第9陸軍技術研究所(通称・陸軍登戸研究所)によって進められた。開発にあたり,陸軍では球皮の材料としてゴム引き布,合成樹脂,各種油脂,各種糊剤などの気密性測定をおこなっているが,そのなかで最もすぐれた結果を出したのがこんにゃく糊であった。
 のちに米軍も飛来してきたふ号を徹底解剖して驚いている。球皮を調べた結果,その水素漏洩率は1平方メートル当たり1日に0.98リットルで,これは当時米軍が使っていたゴム引き気球の10分の1だったことが判明したからだ。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.118-120

こんにゃくを食べるとは

 江戸時代の百科事典『和漢三才図会』に,こんにゃくについて,

 生の蒟蒻には毒あり,鼠之を食して死に至るを以って知るべし

 と記されており,真偽不明ながら,あの目を剥くような刺激からすると,この記述はまんざらウソとも思えない。こんにゃくイモの産地では,むかしからときどき猪による被害が報告されているが,猪が食うのはエグ味のない種イモばかりで,大きく育ったイモは絶対に食べないという。農作物ならなんでも食い散らす猪ですら唯一食わないのがこんにゃくイモであり,これは野生動物にも食物とは認識されていないのである。
 そんな,つまりは「毒芋」を食べられるようにしたのが,こんにゃくなのだ。しかも食べられるようにするには,イモを摺りつぶして,しばし寝かせたのち石灰をまぜて固め,ふたたび寝かせて小一時間ほど煮てアク抜きをするといった面倒な手順を踏まなければラナ内。同じイモながら,そのまま煮たり焼いたりすればすぐに食べられるジャガイモやサツマイモとは,まったくちがう。
 さらにつけ加えれば,こんにゃくイモは多年生の植物で,寿命が5年ほどあり,イモがこんにゃくにできるほどの大きさに育つまでに3年ばかりを要する。つまり,最初に植えた種イモはその年の秋にはまだ小さく,2年目の秋を迎えてもまだ十分な大きさとはいえず,3年たってようやく1人前のこんにゃくイモとなるしかも,こんにゃくイモは寒さに弱く,冷気にさらしておくと傷んでしまうため,こんにゃく農家では,秋になるとイモを掘り起こして,冬のあいだ室内で保管し,春にまた植えるという作業を繰り返さなければならない。

武内孝夫 (2006). こんにゃくの中の日本史 講談社 pp.10-11

避けるように

 90年代から数年前までAV女優にはうつ,自傷癖,不眠,パニック障害などの軽い症状から,統合失調症や境界性人格障害,演技性人格障害,サイコパスなど,治癒の見込みのないほどの重い症状の女性まで当たり前のように存在していた。
 近年,精神疾患や人格障害のAV女優が激減した理由は撮影に来ない(予定を遂行できない),求めている最低限の演技ができない,現場でトラブルを起こすなど,問題が多く,応募増加で選択枠が増えたことによってモデルプロダクションやAVメーカーが起用を避けるようになったからである。

中村淳彦 (2012). 職業としてのAV女優 幻冬舎 pp.89

スカウト

 応募かスカウトか,AV女優になったキッカケで女性の性格傾向も分かれる。スカウト女性は外見のレベルは高いが時間やお金にうるさい,応募女性はやる気があってセックス好きで撮影はしやすいがルックスがイマイチ,というのが大まかな見方である。
 スカウトマンは人通りの多い繁華街で,歩いている女性に声をかけて勧誘するのが一般的。いきなり声をかけられた女性が立ち止まる理由は「お金」が筆頭だが,「有名になれるかも」「自分をわかってくれるかも」「認めてもらえるかも」などの承認欲求も無視できない。若い女性たちを中心に,誰かに認めてもらいたいという欲求は年々大きくなり,AVに出演したり,風俗でカラダを売ってお金というかたちで評価をされたりすることで,「初めて誰かに認めてもらえた」と満足する女性は多い。数年前までのスカウトが主流だった時代はAV女優に精神的に病んでいる女性や,芸能人になりたい非現実的な願望を持っている田舎女性が多かったが,それはスカウトマンに声をかけられて立ち止まるという行為が,誰にもわかってもらえない淋しさや孤独,承認欲求の表れであったといえる。

中村淳彦 (2012). 職業としてのAV女優 幻冬舎 pp.66-67

必要悪

 挑戦するに値する業種であるが,一般企業が進出したり,脱サラをして開業したりする一般人がほとんどいないのは,やはり女性を確保して本番の撮影現場に斡旋するのは非合法だからである。撮影現場で本番をするのは解釈によっては売春防止法に抵触して「公共の福祉に反する」行為なので,あらゆる労働関係の法律に違反をしているという見方ができる。
 どうして摘発されないのかというと,AVは警察関係者を確保した審査団体のフィルターを通して「合法」の建前を整えてから流通されるので,AV業界全体がソープランドやパチンコと同じく,今のところ「必要悪」として成立しているからである。

中村淳彦 (2012). 職業としてのAV女優 幻冬舎 pp.56

労働量の増加

 メーカーの販売不振の対策は今のところ出演料の大幅な削減ではなく,もっとクオリティの高い女性を出演させてもっと過激な行為をさせる,という方向を選択している。監督やカメラマンやAD,編集などの撮影経費を限界まで下げて出演料はなんとか現状維持するので,モデルプロダクションにはもっとクオリティの高いAV女優にはもっと過激な性行為をというさらなる“労働”が求められる。
 企画,企画単体の価格は横ばいだが,“労働量”は増加の一途をたどっている。

中村淳彦 (2012). 職業としてのAV女優 幻冬舎 pp.41-42

次々と参入

 AV女優は現場から現場を駆けずり回って,日当ギャラであらゆる性行為を披露して売り歩く職業である。病気や怪我,誰かにバレるなど,リスクが極めて高いわりには世間が思っているほど収入は高くなく,過酷な行為が要求される大変な肉体労働である。
 現在,そんな厳しい職業であるAV女優の世界に育ちや社会的地位や年令に関係なく,あらゆるタイプの女性が自ら望んで次々と参入している。AV女優に至るまでの過程に“やむを得ない深い理由”や“大きな決断”があるわけでなく,誰もが日常的に経験している些細なキッカケから応募して究極の職業に就き,決して悲観することなく前向きに仕事をしている。

中村淳彦 (2012). 職業としてのAV女優 幻冬舎 pp.26-27

女優

 AV女優という職業は18歳以上の大人に販売するメディアの撮影において,メーカーや監督の意図に沿った演技や性行為をすることである。性行為そのものに価値のあるサービス業ではなく,その行為が刻まれた映像や写真で視聴者を興奮させることが仕事である。
 まさに“女優”といえる。
 同じセックス行為をしても女性のクオリティによって価値は異なり,その大きな要因がルックスや裸という経験や努力ではどうにもならない。生まれながらの資質。そのため残酷なほど大きな格差が生まれることになる。

中村淳彦 (2012). 職業としてのAV女優 幻冬舎 pp.17

厳しく

 かつて,AV女優になる入口は路上で女性たちに声をかけるスカウトだったが,現在は自分から出演したいと志願し,応募してくる女性が中心となった。モデルプロダクションのサイトや求人広告から,相当数の応募がある。しかも,AV出演する覚悟をして志願しても,外見を中心とした能力を選別されるので,簡単に出演できるものではなくなった。不景気で収入減を補おうとする女性から,好奇心や刺激欲しさの女性まで,幅広い層からの応募で出演志願者は膨れあがり,完全に供給過剰な状態となっている。AV出演を希望する女性はルックスやスタイルや性格を吟味され,現在はある水準に達していないと末端のAV女優にさえなれない。大多数の女性は出演したいと希望しても面接に呼ばれることすらなく,門前払いをされているという現実がある。

中村淳彦 (2012). 職業としてのAV女優 幻冬舎 pp.15-16

効果の大きさ

 メタ分析が設定しうるリサーチクエスチョンは多様であり,いろいろな目的を持って分析が行われるが,どんなメタ分析にも共通するのは,結果が効果量として要約・報告されることである。したがって,効果量の値をどのように解釈するかは非常に重要だが,効果量はかならずしも直感的にわかりやすい指標とはいえない。実際のメタ分析論文を読んでいると,「d = 0.53で,中程度の効果量であった」などの表現を目にするが,効果量の大きさを「大きい(large)」,「中程度(medium)」,「小さい(small)」などと形容するときのもっとも有名な基準は,コーエンによるものである(むしろ,「例外なくコーエンによる」と言ってもよい)。コーエンは,検定力分析を論じた著書(Cohen, 1977; 1988)の中で,標準化された平均値差について,0.20を小さい効果量,0.50を中程度の効果量,0.80を大きい効果量の目安として示している。コーエンは,相関係数についても,0.10,0.30,0.50を,それぞれ小さい効果量,中程度の効果量,大きい効果量の目安として挙げている。

井上俊哉 (2012). 結果の解釈と公表 山田剛史・井上俊哉(編) メタ分析入門:心理・教育研究の系統的レビューのために 東京大学出版会 pp.157-181.

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