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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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構成概念も同じ

 1つの概念に多数の操作的定義が与えられるとき,それらのすべてが,まったく同じように構成概念を代表することはありえない。それらのうちのどれか1つが,100%過不足なく構成概念を表すとも考えられない。現実には,それぞれの操作的定義が,ある程度の誤差を含みながら,構成概念の少しずつ違った側面を捉えていると考えるのが妥当である。クーパーはこの状況を,多数の項目を集めてテストが作られることになぞらえている(Cooper, 2009b)。テストによって何らかの構成概念を測ろうとするとき,1つないし少数の項目を用いるのでは,構成概念の一部しか把握できず,高い信頼性を確保することも難しい。構成概念を確実に捉え,かつ信頼性の高い測定値を得るためには,測ろうとする構成概念と多少なりとも相関があって,互いに少しずつ異なる多数の項目を積み上げて,テストを構成することが必要である(池田, 1992)。これと同じように,少数の操作的定義を用いるときよりも,構成概念の異なる部分を反映した多数の操作的定義を用いるときの方が,一般性の高い結論を導くことができると考えられるのである。ただし,概念的定義の広さに応じて,操作的定義を選ぶことは大事である。英語全般の学力を測ろうとするときと英語文法の学力を測ろうとするときとを比べると,テストのために使える項目の範囲は前者では広く後者では狭くなるだろう。関心を向ける構成概念をどのくらい広く(狭く)定義するのか,その広さを考慮に入れた操作的定義の選択は,問題の定式化の段階における重要な決定事項のひとつである。

井上俊哉 (2012). 問題の定式化 山田剛史・井上俊哉(編) メタ分析入門:心理・教育研究の系統的レビューのために 東京大学出版会 pp.25-48.
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母集団のふるまいの数学的表現

 統計モデルは母集団のふるまいの数学的表現です。つまりそれは目標母集団の人々についての関心のあるプロセスについての仮定を記述します。特定のデータセットを分析するために特定の統計モデルを使用する際,あなたはこの母集団モデルがこれらの標本データをもたらしたことを暗に言明しているのです。つまり統計モデルは標本のふるまいについての言明ではなく,そのデータが作り出された母集団におけるプロセスについての言明なのです。

ジュディス・シンガー,ジョン・ウィレット 菅原ますみ(監訳) (2012). 縦断データの解析I:変化についてのマルチレベルモデリング 朝倉書店 pp.45

表現しなおし

 変化の個人間での異質性についての疑問を,各個人の変化の軌跡の重要なパラメータということばで表現し直すことで,問題をより特定化して単純化をはかることができます。疑問を「変化には個人差があるでしょうか,もしあるとすれば,どのようにでしょうか」と表現する代わりに,「切片には個人差があるでしょうか,傾きにはどうでしょうか」とするのです。観測された平均的な変化のパターンについて知るためには,推定された切片と傾きの標本平均値を検討する必要があります。これらはその標本の初期値と標本全体の平均的な1年間の変化率に関する情報を提供してくれます。観察された変化の個人差を検討するためには,標本の切片と傾きの分散と標準偏差を検討します。これらは,その標本の初期値と変化率の散らばり具合についての情報を提供してくれます。そして,観察された初期値と変化率の関係性について検討するため,その標本の初期値と変化率の共分散あるいは相関を検討することができます。

ジュディス・シンガー,ジョン・ウィレット 菅原ますみ(監訳) (2012). 縦断データの解析I:変化についてのマルチレベルモデリング 朝倉書店 pp.35

有効な時間を

 ここで私たちが言いたいことはとても簡単なことです。あなたが扱う結果変数にもっとも有効だとあなたが考えるような時間の測定単位を選択しなさいということです。心理療法の研究では時間を週単位あるいはセッションの回数で測ることができます。学級を対象とした研究では学年や年齢で時間を測ることができます。養育行動の研究では親の年齢あるいは子どもの年齢で時間を測ることができます。唯一の制約は,時間そのものと同じように時間に関する変数は単調にしか変化しないということです。言いかえると,変化の方向を逆転することができないということです。例えば,子どもに関する結果変数を用いた研究では,身長を時間の測定単位とすることはできますが体重はできません。

ジュディス・シンガー,ジョン・ウィレット 菅原ますみ(監訳) (2012). 縦断データの解析I:変化についてのマルチレベルモデリング 朝倉書店 pp.10

クレッチマーとクレペリン

 クレッチマーの学説を知ったあとの父は,「25分法」の結果をクレッチマーの気質類型と結びつけて解釈しようとし続けていたと思う。言いかえれば,クレッチマーの気質類型それぞれに応じた「25分法」の型があると考え,その発見に情熱をかたむけていたように思う。
 しかし,クレッチマーの気質類型のある型と,「25分法」のある型とが関連があることはある程度言いえても,両者が1対1的に対応していると考えるのは行きすぎであったと思う。それにこだわり続けることで,「25分法」のさまざまな結果がもつ豊かな情報がずい分たくさんこぼれ落ちてしまったように,私には思える。つまり,その対応の仮設が強すぎたと思うし,その仮説にあてはまらないケースが出て来た場合,そのケースを含みこんだ新しい仮説を作りなおすという方向に向かわないで,またもとの仮設に舞い戻ってしまうのである。「25分法」のデータの研究から機能的に,「内田性格学」のようなものをつくりあげていってもよかったのに,あくまでもクレッチマーの性格学に固執し続けたわけである。それぐらい,父にとってはクレッチマーの性格学は圧倒的な意味をもっていたのだろうし,それは結局クレッチマーの分裂気質という概念によって父自身が救われたことと関係しているのだと思う。

内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.99-100

自分の問題と

 大学を出てから,先輩の上野陽一氏(現在の産能大学の創立者)との関係で,協調会という機関の仕事をしたりしたようだが,まもなく,東京府立松沢病院の心理室において,三宅鉱一博士のもとで精神測定法の研究にたずさわることになる。ここで,記憶の検査,連想の試験,知能検査などの研究にたずさわるのだが,その過程で,クレペリンの連続加算による作業心理の実験的研究に出会うのである。おそらく父は,クレペリンの「作業曲線」の研究に,自分の作業障害の生物学的根拠を見出し,目をひらかれる思いがしたのだと思う。それで,連続加算の時間条件の吟味を行って,「5分の休憩をはさむ25分法」がクレペリンの5因子を看取するのに適当であることを見出し,もっぱらその「25分法」を使って,特に精神分裂病の患者さん達のデータをあつめたのだと思われる。(父は,精神分裂病の患者さんの作業障害と自分のある種の作業障害との間に,近似的な関係を見ていたようである。)そして,その「25分法」のデータを蓄積するうちに,この方法が,人間の精神の健・不健——別の言い方をすれば作業障害の有・無——を予測するのに役立つとの見通しを得て,検査法への発展を展望したのであろう。

内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.97

「少年が捕虫網で蝶々を追っかけるような感じ」

 それでは,彼は学者として何をしたかというと,結局,内田クレペリン検査のデータを大量に集め,研究することを通して,人間における素質的(生物的)なものの重要性を確認し続けたとでも言えるかもしれません。しかし,そんな風に言うと,なんだかおもむきが違ってきてしまうようにも思えます。心理学の先輩の城戸幡太郎さんが言われたそうですが,ちょうど「少年が捕虫網で蝶々を追っかけるような感じ」で,喜々として内田クレペリン検査のデータを集め,眺め暮らしていたと言った方がいいでしょう。しかも,そういうことを書斎で孤独に綿密にやるのではなく,色々な人とワイワイやりながら(それこそしばしば飲み食いしながら)盛大にやりっ放していたという感じです。(文部省体育研究所や早稲田大学時代のことをいろいろな方から聞くと,飲み食いを伴うおしゃべりの中から,さまざまなアイディアが出され,試され,一部がまとめられるといった形で研究がなされていたようです。しかし,ともすると,飲み食いに力点が置かれてしまう傾向が強かったと皆さんが指摘することもたしかです。)
 たしかに,こういったやり方は,あるいはもっとも先端を行くやり方であったと言えるかもしれません。けれどもその一面,彼自身がもう少しメリハリをつけ(計画的に),深く緻密に研究をし,さらにその成果を形にしてゆくことに意を注ぐべきであったということも言いたくなるところです。皆さんが,彼のねらいや展望にユニークさを見てくださるだけに,ちょっと残念です。

内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.83-84

日本・精神技術研究所

 日本・精神技術研究所は,迷留辺荘主人が,1947年(昭和22年)に内田クレペリン検査の普及のために設立した私設研究所である。「日本」などと大きく名乗ってみたものの,その研究所は迷留辺荘そのものの一室であった。そしてそこにお弟子さん風の人や,書生さんのような人が出入りして,おしゃべりをしていくのであった。もちろん飲み食いしながら。「精神技術」というのはサイコ・テクノロジー(psycho-technology)の日本語訳で,心理テストやカウンセリングなどの技術のことを意味している。「日本」と「精神技術」の間に「・」(中黒)を入れたのは,いつだったか「日本精神」と読まれて,右翼団体とまちがえられたための,苦肉の策であった。
 1966年(昭和41年),迷留辺荘主人が亡くなってからは,法人組織になり迷留辺荘からも離れて,いささかの近代化をとげた。それとともに宮沢賢治の童話に出てくるような牧歌的研究所のイメージもなくなってしまったかもしれない。 

内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.67-68

内田勇三郎の紹介

 ここで迷留辺荘主人といわれている内田勇三郎は,1894年(明治27年)から1966年(昭和41年)まで生きた心理学者である。東京銀座のたばこ屋(専売以前の)に生まれ,東京府立一中,岡山の第六高等学校を経て,東京帝国大学文学部心理学科を卒業した。卒業して間もなく,東京府立松沢病院に勤務し,そこでドイツの精神医学者E.クレペリンの「連続加算法」による作業検査の研究に出会う。その後その方法に着想を得て,こんにち「内田クレペリン精神検査」とよばれている心理検査を開発・研究した。
 また,旧制の第五高等学校,早稲田大学,埼玉大学,日本大学,社会事業大学などで,心理学を講義した。1947年(昭和22年)ごろから,前述の内田クレペリン検査の研究・普及のために,日本・精神技術研究所を自ら主催した。現在,内田クレペリン検査は日本でもっともよく普及している心理検査のひとつで,年間何百万人以上の人がこの検査を受けている。

内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.66-67

群れ嫌い

 迷留辺荘主人は,前述のように,衆を恃むとか群れをなすことが嫌いな人であったが,そういう傾向とも関連して,団体や組織を切り盛りすることなども,あまり好きでなかったし,得意でもなかったように思われる。
 もちろん,自分で小さな研究所を主催していたということではあるのだけれども,これは言ってみれば個人商店=パパ・ママストアみたいなもので,事実,迷留辺荘主人の妻は,その研究所で大きな役割を果たしていたのである。
 また,最晩年の仕事として,日本女子大児童研究所の主事といったか,とにかく所長のような立場の仕事を何年かしていたけれども,これだって週に2度ぐらい出かけて行って,「皆さんのお好きなようにしなさい」というようなことを言っていたのに違いない。もちろん,こういう言い方は身内の人間の偏見的過小評価の傾向があるかもしれないけれども,迷留辺荘主人の妻などは,「あの仕事は,若く美しい女性に囲まれて楽しいから続けてるんですよ」と公言してはばからなかったほどである。

内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.59-60

人を見て法を解く姿勢に欠ける

 たとえば,迷留辺荘主人は仮にも心理学者であったから,問題行動のある子どもを持ったおかあさんが相談に来たりすることがよくあった。ある時,家の中のお金を無断で持ち出してしまう子どものことでオロオロしながら相談に来たおかあさんに向かって,迷留辺荘主人は,「できるだけあちこちにお金を置いといて,あとはうっちゃらかしておきなさい」と言ったものである。その子がお金がほしいのに,お金をかくしたりするから無断で持ち出すのであって,いくらでもその辺にお金がころがっていれば,無断で持ち出すようなことはしなくなるものだ,というのが迷留辺荘主人の考えであった。その提言は,ひとつの見識であろうけれども,オロオロ相談にやってきたおかあさんの気持ちとは落差が大きすぎて,おそらく実行には移されなかったにちがいない。いったいに,迷留辺荘主人には,「人を見て法を説く」姿勢にいささか欠けるところがあったように思う。

内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.31

収入は

 迷留辺荘主人は,大正14年から昭和3年の間,熊本の旧制第五高等学校の教授というものになり,当時としてはかなりの禄を食んでいたらしい。その時はまだ独身であったから,熊本の地でかなり盛大にお金を使っていたようである。(要するに夏目漱石の『坊ちゃん』の主人公みたいな生活を送っていたのであろう。)
 しかし,ひとつ所からもらう給料で全生活をまかなうような生活は,その時が最初で最後だったと思う。五高から戻って,早稲田大学で心理学を教えていた時も講師であったし,そのあともいろいろな学校で心理学を講じていたけれども,ほとんど全部非常勤講師のたぐいであった。まれに「教授」という肩書きを持っていたこともあったかもしれないが,そういう時は,私立大学が文部省との関係で「教授」を置かないと具合が悪いというような事情で,「教授」であったにすぎず,したがって,給料なんぞはごくわずかであった筈だ。そのほか,当時の心理学者というのは,さまざまな役所(たとえば,少年鑑別所とか東京都とか)の嘱託のような仕事をしたりしていたから,そこからわずかの手当をもらってはいただろう。しかしながら要するに全部の給料・手当のたぐいを合わせたって,たいした金額ではなかったと思う。

内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.21

内田勇三郎の潔癖さ

 迷留辺荘主人は,さまざまな奇癖の持ち主であったが,なかでも彼の潔癖症は,いささか並はずれていて,それはもう病いと言ってもいいものであった。
 たとえば,(私がもの心ついてからはそういうことはなかったけれども)一時期,彼はお金を全部消毒していたことがあったという。どう消毒したかというと,まず,硬貨は全部クレゾール溶液のなかに漬けてしまったそうだし,紙幣に関しては,脱脂綿にクレゾール溶液をしみこませ,それを広口ビンのなかに入れ,そこに紙幣をおさめておいたという。硬貨に関してはかなりの消毒効果が期待できるように思うけれども,お札については,この程度のことでどのぐらいの消毒ができたのだろうか。しかし,とにかくそうせずにはいられなかったということなのだろう。その結果,当然のことながら,わが家のお金は全部クレゾール特有のにおいがしみついてしまい,近所の店屋の人から,「内田さんのところからくるお金は全部わかる」などと言われたそうである。

内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.18

「もう少し,なにかおやりになったらいかがですか?」

 ところで,世間的にみれば,迷留辺荘主人は,仮にも心理学者ということであった。したがって,世間の人が,迷留辺荘主人は,日がな,本を読んだりものを書いたりという生産的なことをしていると想像しても,それほど見当ちがいな想像とは言えないだろう。しかし,いま書いたように,実態はすこぶる非生産的なものであったと言わなければならない。
 そこで。ごくふつうの世間の人間から迷留辺荘主人の妻などというものになってしまった私の母親は,ある時,迷留辺荘主人におそるおそるたずねてみたそうである。「もう少し,なにかおやりになったらいかがですか?」と。そうしたら,言下に返ってきた迷留辺荘主人のことばは,「おまえさんのような者に,おれの頭の中を見せてやりたい」というものだったそうである。それ以来,これも明治生まれの女である私の母親は,自らのプライドもあって,この種の質問を発することはやめたそうである。
 なるほど,頭の中では活発な生産活動がなされていたということであるのか。言われてみれば,一理も二理もあることである。しかし,時としては食べることにも事欠くような生活を強いられている者が,そんな理くつをスンナリ受け入れることは,なかなかむずかしいことであった。
 たしかに,学者の生産は,たくさんの本を読むことや,たくさんの論文を書くことだと考えるのはいささか偏頗な学問観であると言えなくもないのかもしれない。しかし,迷留辺荘主人のように,本は読まない,論文も書かないということに徹する生き方が,どういう学問的立場でありうるのかということについては,私自身いまだにシックリした結論を出せないままでいる。

内田純平 (1995). 迷留辺荘主人あれやこれや:心理学者内田勇三郎の生き方の流儀 文藝社 pp.16-17

言語の妨害

 だがあいにく,人物の特徴を言葉に置き換えると,あとでその人物を認識する能力が損なわれることがある。この可能性は1950年代に発見されたが,それに対する興味が1990年におこなわれた一連の実験で復活し“言語隠蔽効果”という新しい名称がつけられた。1つの実験では,2グループの被験者が,犯人の顔が映っている銀行強盗のビデオを30秒見た。1つのグループは,見たあと5分間で犯人の顔の特徴を「できるだけ詳しく」書きだした。比較対象グループは見たあと5分間,無関係なことをした。それが終わったところで,被験者は外見に似通った8人の写真の中から容疑者を選び,自分の選択に対する自信の度合を採点した。
 この実験は,実際に事件が起きた時の手続きを,下敷きにしたものだった。警察は目撃者に容疑者の特徴を詳しく訊ね,同じ目撃者がのちに数枚の写真から容疑者を見分ける。実験結果では,ビデオを見たあと無関係なことをした被験者は,64パーセントの確率で容疑者を見分けた。では,容疑者の特徴を詳しくメモした被験者のほうは?彼らの正解率はわずか38パーセントだった!書き出した言語情報は,犯人の顔を最初に捉えた視覚による非言語情報を曇らせた。そして言語情報のほうが,正確度が低かったのだ。皮肉なことに,直感的には外見を分析すれば正確な記憶に役立つように思えるが,少なくともこの例の場合は,分析を引っ込めて反射的なパターン認識にまかせたほうがいいらしい。この実験で調べられたのは客観的な記憶だけで,感情的な評価はふくまれていないが,内生的な熟考は成果をあげなかった。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.299-300

脳トレの効果は

 これまでで最大の実験は,1998年にスタートしたものである。任意に集められた2832人の高齢者が,4グループに分けられた。言葉を記憶するトレーニング,問題解決能力を鍛えるトレーニング,問題処理の速度を上げるトレーニングを,それぞれおこなう3つのグループと,トレーニングをなにもしない対照グループである。この大規模な臨床実験は,国立衛生研究所が後ろ盾になり,多くの大学,病院,研究所の学者たちがおこない,ACTIVE(自立した元気なお年寄りのための認知能力上級トレーニング)テストと命名された。実験では,各グループが6週間強のあいだに,1種類のトレーニングを1時間ずつ10回おこなった。そしてトレーニングのあとに,研究室で出される基本的な問題と,日常的な問題の両方で被験者の能力が試された。ここで期待されたのは,認知能力トレーニングが脳の回転をよくし,べつのトレーニングや日常生活でも成績が上がることだった。
 驚くにはあたらないが,たとえば視覚の探索力を鍛える問題を10時間すれば,視覚探索力がアップする。言葉の記憶を10時間練習すれば,言葉の記憶力が向上する。この実験では被験者(とりわけ問題処理速度のトレーニングを受けた人)の多くが,トレーニング後にたちまち能力が上がり,その効果が何年も持続した。だが向上した能力は,自分が練習した項目にかぎられていた。言葉の記憶力を鍛えてもあなたの問題処理速度は変わらないし,その逆も同様である。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.264-265

10%神話

 「ふつうの人は,脳の潜在能力を10パーセントしか使っていない」この項目には,回答者の72パーセントがイエスと答えた。広告や自己啓発書の喜劇のネタに使われやすいこの不思議な説は,かなり前から信じられており,その出所を探る有名な研究をおこなった心理学者もいる。ここには,可能性の錯覚がもっとも純粋な形で示されている。私たちが,脳を10パーセントしか使っていないとしたら。使い方を知らないだけで,90パーセントの能力がまだ眠っていることになる。だがこの信仰には,問題が多すぎる。第1に,人の「脳の潜在能力」を計測する方法も,その能力のうち個人がどれくらい使っているかを計測する方法も,知られていない。第2に,どんなたぐいの活動であれ,長いあいだ働いていないと脳組織は死んでしまう。そこで,もし私たちが脳の10パーセントしか使っていない場合,奇跡の蘇生や脳移植がない限り,その割合を増やせる可能性はない。最後に,進化が——あるいは神が——,その9割もが使えない器官を私たちに用意するだろうか。大きな脳は,人間という種の存続にとって明らかに危険である——脳は産道を通過できる大きさである必要があり,大きな頭は出産時に死をもたらしかねない。人の脳のごく一部しか使っていなかったとしたら,自然選択によって脳はとっくの昔に小さくなっていただろう。
 この「10パーセント神話」は,MRIやPETなどの脳画像技術が発達するはるか以前に出現したのだが,画像化された脳に対する誤った解釈が,神話の影響を強めた可能性もある。神経科学の研究結果として,脳の活動を映した写真(脳ストリップ)がメディアで紹介されるとき,脳の大部分は暗く,明るい色がついた部分はほんの一部だ。だが,色のついた部分は,脳の「活動的な」部分を示すものではない——それが示しているのは,状況や個人差に応じてほかより活発になる部分である。脳全体はつねに(少なくとも基本的な活動レベルでは)「オン」の状態にある。そしてあなたがどんな行動をするときも,脳の広範囲にわたる部分が活動を開始する。というわけで,脳を「これまで以上に」使っても,もちろん日常的な錯覚を避けることはできない。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.252-253

催眠術は有効ですか?

 「催眠術を使うと,証人が事件の細部を正確に思い出せる」この項目に,回答者の61パーセントがイエスと答えた。催眠術によって脳が特殊な状態になり,記憶力が目覚しく向上するという考え方には,簡単な方法で,眠っていた可能性が解き放たれるという思い込みが見てとれる。だが,それは間違いだ。催眠状態にある人の“記憶”は,たしかにふだん以上に活性化するが,その記憶が正確かどうかは別問題だ。催眠状態にある人は数多くの情報を口にするが,それが正しいとはかぎらない。じつは,催眠術の力を信じているために,たくさんのことを思い出すのかもしれない。つまり,催眠状態になると沢山思い出すはずだと信じている人は,催眠術をかけられたときに,できるだけ多く記憶を取り戻そうとするだろう。だがあいにく,催眠状態の人を甦らせた記憶が,正しいかどうかを判断するすべはない——当人が思い出せるはずのことを,私たちが正確にわかっていればべつだが。そして正確にわかっているなら,そもそも催眠術を使う必要はない!

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.252

モーツァルト効果を信じますか?

 モーツァルト効果の報道量について分析をおこなったエイドリアン・バンガーターとチップ・ヒースは,1999年に『ネイチャー』誌の記事および論争と時をおなじくして,モーツァルト効果に関する報道量が急激に増えたあと,その後ふたたび低下したと報告している。クリスのメタ分析,スティールとシェレンバーグの研究によって,ようやくモーツァルト効果に実体のないことが理解されたのだろうか。答えはイエスでノーだ。バンガーターとヒースによると,成人がモーツァルトを聞くプラス効果についての報道は少なくなったものの,モーツァルトは乳幼児の知能を高めるという誤った記事が,以前より一般的になったという!たしかに,この風潮はラウシャーの最初の報告がでたわずか1年後からはじまった。念のためもう1度繰り返しておくが,乳幼児に対する効果を調べた研究結果は,いまだかつて発表されたことがないのだ!クリスのメタ分析の結果が公表された10年後の2009年に,私たちは1500人の成人を対象に全国調査をおこなった。結果を見ると,4割の人が「モーツァルトを聞くと頭がよくなる」と考えていた。否定派のほうが数は多い。だが,科学的事実はこの説をまったく支持していない。本来なら大多数の人が否定していいはずだ——「一般的に女性のほうが,男性より背が高い」という言い方が,受け入れられないように。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.247-248

具体例で

 説得力のある実話に影響された思い込みには,なかなか勝てない。すでにご紹介したように,2つの文章があった場合,原因と結果がはっきり書いてあるものより,因果関係を推理する必要があるもののほうが強く心に残る。体験談も同じだ——私たちは反射的に1つの例を一般化し,すべてにあてはめようとする。そしてそのように推理したものの記憶は長く残る。個人的な体験は私たちの心に残るが,統計値や平均値は心に残らない。そして実話が私たちに強い影響力をもつのも,当然のことなのだ。私たちの脳は,事実として受け入れられるものは自分自身が体験したことと,信頼できる相手から聞いたものだけという条件のもとで進化した。私たちの祖先は膨大なデータや統計や実験は知らなかった。というわけで,やむなく具体例で学んだ——状況の異なる大勢の人たちから集めたデータで,学ぶのではなく。

クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ 木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋 pp.226

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