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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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DDR

 「紛争地では,元兵士や子ども兵士をいかに社会に戻すかが問題となっている」
 これだ!と声を出していた。無条件にピンと来たとしか言いようがない。しかも,これだけ紛争解決や平和問題についての情報を見てきた私が初めて目にしたのだから,まだメジャーな問題ではないのだろう。日本でこのテーマの話をしている人を聞いたこともない。そして,国際的にも解決策が分からないのなら,自分がそれを専門にすれば役に立てるはずだ。
 これが,のちに私の専門となるDDR——兵士の武装解除(Disarmament),社会復帰(Reintegration)——のことを知った瞬間だった。ただ,この時点では,DDRという単語さえも,そこには書かれていなかった。
 和平合意が結ばれて紛争が終わっても,それだけで人々が安全に暮らせるわけではない。紛争が終わるということは,兵士にとっては,明日からの仕事がなくなるということだ。ただでさえ,紛争の直後は,家や工場,道路などが破壊され,仕事もなく家族を養うことができない人々であふれる。そんな状態で,手元に銃があり,戦い方を熟知している兵士たちの不満が爆発するような状態が続いたら,また武装蜂起して争いに逆戻りする危険がある。それを避けるため,兵士や戦闘員から武器を回収し,除隊させたうえで,一般市民として生きて行けるように手に職をつける職業訓練や教育を与える取り組みが,DDRである。

瀬谷ルミ子 (2011). 職業は武装解除 朝日新聞出版 pp.35-36
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できない,やらない

 「できない」ことと「やらない」ことは決定的に違う。「できない」ことは,自分の能力や環境,その他の外部条件が原因のこともある。「できない」ことは,場合によってはあきらめるしかない。ただ,今はできなくても,努力して将来できるようにすることが可能な場合もある。
 一方,「やらない」ことの原因は自分の気の持ちようを変えるだけで解決できる。

瀬谷ルミ子 (2011). 職業は武装解除 朝日新聞出版 pp.24

消滅する自然資源

 1980年に,環境保護主義者であるポール・エーリックと彼の仲間,そして経済学者のジュリアン・サイモンとの間で取り交わされた有名な賭けがある。エーリックは1968年に出版されベストセラーとなった『人口爆発』の著者だ。彼はこの書籍で,人工の過剰な増加と自然資源の枯渇によって,1970年代にはすべての大陸で食糧不足の問題が表面化すると記している。サイモンはエーリックとその友人に対して,ただ言うだけでなく,実際に10年後に消滅する自然資源を5つあげるよう迫った。この不足は価格に反映する。もしその5つの原料の価格が10年の間に上昇したのであれば,サイモンが差額をエーリックとその仲間に支払い,それに対して,もし価格が下落した場合,エーリックがサイモンに支払うという賭けだ。
 エーリックと同僚は5つの金属を選んだ。クロミウム,銅,ニッケル,スズ,そしてタングステン。そして期間は1980年から1990年に設定された。賭けが行われた時点で「他の欲張り深い人間が割り込んでくる前に,サイモンの思いがけない申し出を受け入れることにした」,「金の魅力には抗えないから」とした。
 結果やいかに。
 僕もその10年は実際に生きていたからよく覚えている。1980年下ら1990年にかけては,『ホーム・アローン』が公開され,Windows 3.0が発表され,世界初の「www(ワールド・ワイド・ウェブ)」ページがCERN(欧州原子核研究機構)もよっって作成され,そしてクロミウム,銅,ニッケル,スズ,タングステンの実質的価値がすべてさがった(実質的価格とは,インフレが考慮に入れられた後の値段ということ)。打ちひしがれたエーリックとその仲間たちは,なんとかその負けを「無かったこと」にするために,恥を忍んでいろんな手を尽くしたけれど,結局,それらの鉱物の下落した価格分(578ドル)の小切手をわたすことを余儀なくされた。
 ジュリアン・サイモンが輝かしい勝利とちょっとしたお小遣いを手にすることができたのは,多くの人々が知恵と情熱を注いで,産業技術を発展させた結果だったと言えるかもしれない。

トーマス・トゥエイツ 村井理子(訳) (2012). ゼロからトースターを作ってみた 飛鳥新社 pp.131-132

 鉄と聞くと,僕たちは混じりけのない元素「Fe」を想像しがちだ。でも,現実の物質は,多かれ少なかれ何かと何かが混じりあっているものだ。僕達が普段目にする「鉄」は,主に鋳鉄,錬鉄,そして鋼鉄という3種類に分けられるけど,これらは,すべて鉄を主成分とした化合物で,それぞれが含む鉄以外の成分(炭素など)の量によって分類されている。もしハンマーで叩いて整形するつもりならば,その鉄は錬鉄,あるいは鋼鉄である必要がある。

トーマス・トゥエイツ 村井理子(訳) (2012). ゼロからトースターを作ってみた 飛鳥新社 pp.66

ひとりでは

 ヨーロッパ史上初の冶金学専門書である『デ・レ・メタリカ』には,その当時知られていた,世界各地の採鉱,および金属の精錬について,年代順に記されていた。この本は,ほぼ500年前に書かれたものにもかかわらず,僕にとっては,現代の教科書よりもずと役に立った。そのことは,少なからずショッキングなことでもあった。というのもそれは,16世紀以降に発展してきたさまざまなメソッドを,僕1人ではまったく使いこなすことができないことを意味するからだ。

トーマス・トゥエイツ 村井理子(訳) (2012). ゼロからトースターを作ってみた 飛鳥新社 pp.53

デッサンの達人

 父親の施された英才教育のおかげで,ピカソが少年時代からデッサンの達人であったことは知られています。画家としての地位を確立して以降の,描き殴ったような破天荒な作品は,そうした絵画の写実技法を否定することで誕生した,といわれることも多いのですが,この言い方は必ずしも正確とはいえません。彼の筆力は,むしろそうした前衛的な作品において圧倒的に示されているからです。
 展覧会や画集で,視界のすみにチラッとおそろしくリアルな作品がの目に入り,改めて見直してみるとピカソの絵であった,ということは少なくありません。初期の「青の時代」や「バラ色の時代」の写実的な作品であれば別に不思議ではないのですが,こうしたことは,中期以降の写実描画を捨てたかに見える作品により多く見られます。意識して見直してみると支離滅裂にしか見えない絵が,無意識に視野に入った時にのみ,どきっとするほど写実的な作品に見えるのです。
 改めて見直してみると写実描写のかけらもないはずの画面なのですが,そこに乱暴に引かれた線やべったり塗られた色面が,じつはこれ以上は考えられないように巧妙に配置され,驚くべき写実性を基盤に描かれていることに気づかされるわけです。
 これは,見る側がデッサンに精進すればするほど痛感されるようになりますから,勉強熱心な絵描きほど,ピカソの筆力には脱帽せざるを得ないことになります。この神がかったまでのデッサン力は,釘で引っ掻いたような銅版画の線などでは戦慄的なまでに発揮され,わずか1本の輪郭線で人体に,筋肉や骨格の構造から,それらをうっすらと覆う贅肉までが描き出されています。
 ここまで見事な素描は,ルネッサンスの巨匠による人間離れしたデッサンでも,そうはお目にかかれません。少年時代の彼のデッサンを見ても,その写実描写と存在感の表現には度肝を抜くような迫力があり,現代画家には稀有な筆力を見せつけています。
 絵画に限らず芸事では,幼い頃から身につけた基礎力というものは,いくつになっても容易に抜けるものではありませんから,彼がいかに前衛的な画風を試みたところで,この脅威的なデッサンを抜き去ることはできなかったのでしょう。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.162-163

キュビズム

 キュビズムの作品は,風景を幾何学形体そのままに無機質に描いた上に,人物画では横顔に正面から見た顔のような両目を描き,正面から眺めた顔に横から眺めた鼻を描き込んでいます。おかげで,セザンヌ風の色紙を貼り合わせたような造形がさらに分解と解体を進め,作りかけないしは壊れかけの紙製模型のようにばらばらの面の集積になってしまっています。
 その最大の眼目は,絵画の画面は1つの視点から眺めた画像を描くという,従来の視覚的な文法を破壊することにありました。画面が,横顔に正面顔を合成して,あちらこちらから眺めた姿を合成しているのはそのためです。こうした表現をすることで,画面は見る者に複数の視点からの画像を提供し,あたかも見る者自身が移動して眺めているかのような印象を与えることになります。従来の絵画が,写実的な画像を写真のように静止した状態で描き出していたのに対して,タッチもあらわな形体の描写を,写真のように固定しない視点で集積していたわけです。
 ちなみに,こんなとんでもない手法であるにもかかわらず,題材にヌードが選ばれたのは,アカデミー理論教育としてのデッサンがヌードを題材にしていたからです。つまり,ヌードを描く作品というものは,アカデミーの伝統に照らすならば,そのまま絵画の理論的探求を意味していたわけです。画家にとってヌードを描くことは,論文を書くようなものであり,最新の手法でヌードを描くということは最新の学説を発表することと同じような意味を持っていたわけです。が,さすがにこのピカソの「最新理論」を初めて目にした時には,盟友ブラックも仰天して,「まるで口から火のついたガソリンを吹き出す人を見るようだ」と語っています。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp. 135-136

美術批評の成立

 王政を終焉させた革命政府は,それまで王の臣民であった人々を,フランスの国民とするために国語教育を徹底します。こうして,従来は教会の管轄下にあった初等教育が政府の管理下に置かれることで,教育の力点は宗教教育から読み書き能力の修得に移行し,人々の識字能力は急速に向上します。これに,都市への人口集中と印刷技術の発展が加わり,新聞雑誌の需要は従来とは比較にならないほど増大していきます。
 今日からすると意外な感もあるのですが,この新聞雑誌において大きな人気を誇っていたのが美術批評でした。王室コレクションが開放されて美術館に展示されたものの,その鑑賞法がよくわからず,公募展のサロンに出かけてみても審査ができるほどの鑑賞のキャリアを持たない市民階級の人々は,そうした美術品の見方の指南を活字文化の中に見いだそうとしたからです。
 文豪ゾラや詩人のボードレールはそうした近代美術批評のパイオニアで,驚くべきことにそれらの批評は,彼らが小説や詩作で名を成したがゆえに依頼されたものではありませんでした。逆に,彼らは批評によって生活の安定を得た後に,本格的な小説や詩作に取りかかっているのです。それほど,当時の美術批評というものには大きな需要があったのです。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.119-120

美術品の誕生

 宗教改革によって教会美術が否定された後,市民の生活空間を飾ることになった世俗的な題材の絵画にしても,そこに描かれた風景や静物は,日々の生活を美しく彩り,暮らしに豊かさや潤いをもたらす調度品としての機能を持っていました。
 ところが,教会美術の需要を激減させた16世紀の宗教改革に続いて,18世紀末のフランス革命は王政を終わらせ,王室美術というものの需要も激減させてしまいます。
 そして,それまで王室に収蔵されていた美術品は革命政府によってルーヴル宮殿に移され,市民を啓蒙するための美術品として一般に公開されることになります。絵画や彫刻は,それまで備えていたなにかを伝えるというコミュニケーション機能を失い,単なる鑑賞のみを目的とする「美術品」に変わってしまったのです。
 教会にあれば神の威光を表し,宮殿にあれば王の権威を表し,市民の家庭にあれば暮らしを美しく彩るという,それぞれの場面で実用的な目的を持っていた美術は,美術館という新たに出現した美の「象牙の塔」ともいうべき権威ある施設に展示されることによって,そうした「用途」から切り離されてしまい,美術品それ自体の持つ色や形の美しさや細工の巧みさだけを「鑑賞」される対象になってしまったのです。
 美術館は,博物館と同じミュージアムという言葉の訳語ですから,「博物館入り」という言葉によって表される古色蒼然としたニュアンスは,「美術館入り」という言葉にも含まれています。本章冒頭で,ニューヨーク近代美術館のことを現代美術の「殿堂」と紹介しましたが,「殿堂入り」という言葉なども同様に,そこに入ることが「現役を離れる」ことであるというニュアンスを含んでいます。
 フランス革命によって成立した市民のための美術館という新施設が,美術品に及ぼした最大の変化はここにあります。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.108-110

作戦

 彼は,画商に対する最良の作戦は,作戦を立てないことだと言っています。
 実際,予想もしていなかったピカソの対応に驚いた画商は,彼が何を望んでいるのかが理解できずに困惑し,冷静な判断力を失ったまま交渉に臨むことになり,気がついた時にはピカソの思惑通りに話を進められてしまっていたといいます。
 予測不可能の言動で相手を幻惑し,相手に事前の対策を講じさせないというのが,ピカソの画商に対する戦略でしたが,彼はこの戦略のために綿密なシミュレーションも欠かさなかったといいます。画商や出版社との折衝,展覧会の準備などのアシスタントとして,ピカソの深い信頼を得ていたフランソワーズ・ジローは,自伝にその様子を面白おかしく書いています。
 彼女によれば,画商がアトリエにやってくる前に,ピカソは決まってフランソワーズを画商に見立て,えんえんと想定問答を繰返したというのです。場合によってはピカソが画商の役を演じることもあり,考えられるやりとりをすべて予習してから本番の交渉に臨んだといい,実際の画商との応酬に,想定した問答が登場した際はピカソがそっと目で合図を送ったといいます。
 予測不可能な言動によるピカソの幻惑作戦は,あらかじめ予測可能な展開を知り尽くしておくことによって成立していたわけです。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.86-87

引用者注:結局,作戦を立てているのでは…?

ピカソの出生

 後の精力的な生涯からすれば意外なことに,ピカソは死産児として生まれています。
 呼吸もせず動きもしない新生児のピカソはサンバの蘇生の試みもむなしく,生命の兆候を見せようとしませんでした。皆があきらめていたのを,父親の弟で医師のドン・サルバトールが葉巻の煙を赤ん坊の鼻に吹き込んだところ,顔をしかめ怒ったような泣き声で蘇生したといいます。
 煙草の煙にむせながら怒りの産声を上げて地上に舞い降りた出生は,その後の彼の人生を暗示するかのようではあります。その蘇生した子に付けられた名前は,パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダート・ルイス・イ・ピカソという長いもので,このうちパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダートまでが洗礼名。パブロはその略です。最期のピカソは母方の姓で,父方の姓は,その前にあるルイスでした。
 スペインの命名は,聖人から先祖まで多くの名を連ねることが少なくありませんが,ここまで長い名はあまりありません。両親に待ち望まれていた男児だったせいで,これほど長大な名を授かることになったのでしょう。父の名はホセ・ルイス・ブラスコで,母の名はマリア・ピカソ・ロペスですから,彼の名は一族の中でも特別に長いものであったようです。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.70-71

柔軟な画風

 衣食足りて礼節を知る,という言葉がありますが,この『アヴィニヨンの娘たち』に始まるピカソの前衛手法は,それこそ衣食足りた後に試みられた前衛に他なりません。当時のピカソにとっては,実験作『アヴィニヨンの娘たち』が評価されようがされまいが,当時の生活には影響がなかったわけです。
 絵画ビジネスに関して抜群の才覚を持っていたピカソは,その時々の市場の状況に呼応して自身の作風を変幻自在に転換してみせています。
 画風を目まぐるしく変えたことから「カメレオン」の異名もとっていますが,その作風の変遷をつぶさに眺めてみますと,それぞれの時期に彼の絵を扱った画商の顧客の趣味を忠実に反映していることがわかります。
 画廊もそれぞれに路線や得意不得意があり,キュビズムのような先鋭的な作品を売り出すことに情熱を燃やす画商もいれば,印象派のように販路の確定した作品を売るのに熱心な画商もいます。ピカソの作風を見て感心させられるのは,そうした画商の路線にじつに柔軟に対応して画風を変えてみせている点で,こうした姿勢はピカソが画商を描いた肖像画にまで徹底されています。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.45-46

ナチスと美術

 ナチス・ドイツは美術史においても悪名高き存在で,ゲルマン民族の優秀性を写実的な描写で称えた保守的な作品以外は「退廃美術」として排斥したことで知られています。印象派の絵画などは,粗雑な筆さばきと浅薄な色彩で都市やリゾート地の風景風俗を描いた軽佻浮薄な絵として価値を認めていないのですが,そうした表向きの評価とは裏腹に,ナチスの高官はパリで競って印象派の絵を購入しています。大戦の混乱によって生じた金融不安や通貨不信から,印象派絵画の国際通貨としての信頼性が急速に高まっていたからです。
 このナチス高官の買い占めにより,印象派絵画はドイツ支配下のパリにおいて記録的な高騰を見せることになりますが,これは第二次世界大戦中のことですから,作者のモネやルノワールは20年ほど前に世を去ってしまっています。
 それでもまだ,モネやルノワールは画家としては幸運で,長寿をまっとうしたこともあり作品の高騰の見返りを得ることができています。対照的にセザンヌ,ロートレック,ゴッホ,ゴーギャンら「後期印象派」と呼ばれる画家は,短命や世間の評価の遅れが災いして,自身の作品の値上がりの恩恵に浴してはいません。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.35-36

ツバを吐けば

 美術史上,ピカソほど,生前に経済的な成功に恵まれた画家,つまり「儲かった」画家はいません。
 ピカソ自身,「私がツバを吐けば,額縁に入れられ偉大な芸術として売りに出されるだろう」と豪語しているほどです。実際に数十人分のディナーくらいなら,紙のテーブルクロスにサインすれば払えたといいますから,その署名はただの紙を一種の「紙幣」に変える力を持っていたことになります。愛人に手切れ金のように与えた家なども,一晩で描いた静物画と交換に手に入れたといいます。
 作品の値段の高さに加えて,ピカソは制作した作品が多いことでも知られています。彼が生涯に制作した作品の点数は油絵だけで1万3千点,版画や素描や陶芸など,油絵以外の作品は13万点を越えています。このうち版画は,1点の作品が数十枚数百枚の単位で刷られますので,その作品の総数はまさに想像を絶するものがあります。それらのすべてにピカソならではの高額の値段がついているわけですから,彼が生み出した作品の評価額の総計は,それこそ天文学的な数値に達することになります。

西岡文彦 (2012). ピカソは本当に偉いのか? 新潮社 pp.15-16

相対化すべし

 包括的思考様式と分析的思考様式を定義したミシガン大学のリチャード・ニズベット博士は,1980年代まで,アメリカ人のデータをベースにしてわかってきた人間の思考パターンは,文化を問わず,人間すべてに当てはまる普遍的なものという想定で研究を進めてきた研究者である。しかし,90年代に入り,大きな方向転換をして文化とこころの関係の研究に入った。
 ニズベット博士は,人間の普遍性という立場から過去に書いた書籍の内容について,著名な人類学者ロイ・ダンドラーデ博士に,「それは普遍的な人間の行動ではなく,アメリカ文化に生きる人間に見られる独特な行動傾向をうまく描き出した書である」と揶揄された際に腹を立てたそうだ。しかし,博士は,90年代以降,文化心理学研究に携わるようになって,ダンドラーデ博士のいっていたことはもっともな指摘であったと考え直したことを,最近の論文において述懐している。
 これはあくまで一例に過ぎないが,自らのものの考え方の狭さを真摯に受け止め,過去の研究にしがみつかずに,常によりよいものの見え方をアップデートしていかなければ,研究者として一人前ではないという北米のシビアな研究事情を知っていると,なかなか凄みのある話である。
 1つのものの見え方に固執せず,多様なものの見え方によって自らの立ち位置を常に相対化すべしという警句は,文化心理学研究者である筆者自身への戒めの言葉でもある。

増田貴彦 (2010). ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人 講談社 pp.215-216

”Who am I" test

 このテストは,「20の私」テストと呼ばれている課題である。では,まず紙と鉛筆を用意していただきたい。そして,準備ができたら,「私は」という言葉を,横書きで1回1回改行しながら,20回繰り返して書いてほしい。すると,縦に「私は」という言葉が20段書かれていることになっていると思う。ここまでで準備完了。それでは,「私は」という言葉に続けて,「私」とは何者であるかを自由に記述してほしい。別に正解はないので気軽に考えていただきたい。
 さて,どんな答が出来上がったであろうか?
 筆者がアメリカの大学で心理学のクラスを教えていたときには,「私は頭がいい」と臆面もなく書く学生がクラスの90パーセントもいたので,ちょっと面食らったのだが,こうした答えでも問題ない。実際,このように一般的に見て自分を形容する個人的な性格特性を用いて,「私は短気な性格だ」「私はなまけものだ」「私は外向的な性格だ」といった答えを書いた人も多いだろう(日本人の多くの読者の方は,アメリカの学生よりは,謙虚な答えを書いたのではないかと思う)。
 しかし,多くの人は「私は◯◯大学の学生だ」「私は××社の係長だ」「私はサッカー部のキャプテンだ」「私は3児の母だ」「私は長男だ」といった,自分が属するグループのカテゴリーや役割,役職を書いたのではないだろうか。
 アメリカ,日本をはじめ,世界各国で行われた「20の私」テストの結果を見ると,自分について考える際に,どのような形で表現することが多いかという度合が,文化によって異なっていることがわかる。
 総じていうと,欧米文化圏の人たちは,東アジア文化圏の人たちと比べると,「私は◯◯な性格だ」といった個人に属する性格,性質,能力といった特徴で自分を表現することが多い。それに対して,東アジア文化圏の人たちは,先ほど述べたように自分の社会的属性を使って,自分を表現することが多かったのだ。

増田貴彦 (2010). ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人 講談社 pp.156-157

包括的思考・分析的思考

 中でも,ミシガン大学の研究グループでは,リチャード・ニズベット博士が中心となって,東アジア文化圏で特徴的な思考様式を「包括的思考様式」,欧米文化圏で特徴的な思考様式を「分析的思考様式」と定義することで,そうした思考様式が,私たちの物事の捉え方に影響を及ぼしているという理論を提唱している。
 ここで思考様式と呼ばれているものは,世の中のありようを理解する際の考え方の筋道である。そしてその筋道は,人がある文化に生まれ落ちて,両親,親戚,友人,恋人その他多くの人たちと人間関係を結ぶ中で,ごく「あたりまえ」になった常識というものに限りなく近い。
 分析的思考様式を一言でまとめれば,世の中のさまざまな物事はすべて最小の要素にまで分割することができ,その要素がどのように作用するかということや,これらの要素の間の因果関係を理解すれば,物事の本質を理解できるという信念といえる。こうしたものの考え方は,アリストテレス以来,欧米文化圏において主流の考え方であった。
 こうした信念の持ち主にとっては,自分を取り囲む世界を理解するために有効なのは,物事をきっちりと切り分け,切り分けられたそれぞれの部分がどのように作用するかを個別に理解するやり方(一般に分析的と呼ばれるやり方)である。
 こうした考え方を持っていれば,ある出来事に関わる瑣末なことまですべて含めて考えていては,話がややこしくなるばかりで明晰な思考とはならない。そうではなく,ある出来事の核心であるごく少数の事象だけを突き詰めて,一刀両断に判断することのほうが,むしろ望ましいと考えるに至るだろう。
 これに対して日本をはじめとした東アジア文化圏で特徴的に見られる包括的思考様式を一言でまとめれば,世の中は複雑であり,物事の本質を理解するためには,関連したさまざまな要因が複雑に絡まり合っているありよう,つまり物事の全体像を把握する必要があるという信念だといえる。こうした考え方には,東アジア文化圏で花開いた,儒教的なものの考え方や,老荘思想のものの考え方,そして東アジア仏教のものの考え方が反映されていることは想像に難くない。
 こうした信念の持ち主にとっては,自分を取り囲む世界を理解するためには,世界をまるごと眺める必要があるということになる。だから,物事の一部だけにとらわれて全体を見ることができないことを「木を見て森を見ず」などといって,劣った思考であると考える。そして,こうした局所的な思考をやめて,個々の部分にとらわれることなく全体像を眺め続けるというやり方こそが,物事の本質を知るのに一番有効であると考えられている。

増田貴彦 (2010). ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人 講談社 pp.66-67

見えるもの

 しかし,過去の臨床経験によると,生まれたときから目の見えなかった人に,開眼手術を受けた後にはじめて見る世界を表現してもらうと,明るいところと暗いところがさまざまに混ざり合った複雑な模様が見えるばかりで,何が「図」で何が「地」なのかの区別ができないという。また,何が「近く」にあるもので,何が「遠く」にあるものか区別ができない風景であると報告するそうだ。そして,こうした手術によって視覚を手に入れた人が,目に入る世界のしくみに慣れて,自分の近くにあるものと遠くにあるものとの区別ができるまでには,大変な時間がかかるという。
 こうした経験は,生まれたばかりの赤ちゃんの視線を追ってみてもわかることである。養育者としては,生まれたばかりの赤ちゃんに初めて対面したら,にっこりと微笑んでほしいなどという期待をしている。しかし,実際の赤ちゃんは,生後何週間かは,目が泳ぎ,大人の顔の輪郭あたりを見つめるばかりである。だから,私が期待する目と目で見つめ合うようなふれあいはまだまだ先のことなのである。
 これは,ちょっと残念な気がするが,赤ちゃんは,この3次元の世界で,どこまでが対面している大人の範囲で,どこからが背景なのかを必死に探しているのだと考えれば,いとおしくも思えるのではないだろうか。

増田貴彦 (2010). ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人 講談社 pp.36-37

理由がないと

 理由がないと,人間は動けないんだけど,一番肝心なことは絶対にわからない。それはこの世界に生まれてきた理由だよ。生まれて死ぬことに理由なんてないだろう。なんで生まれてきたのかなんて,いくら考えたって答えが出るわけじゃないんだから,生きているうちに理由がわからないことが起きても,それが当たり前だ。
 でも人間は弱いから,なにか理由がほしくなって,それが本当かどうかわからなくても,宗教や占いをとりあえず信じようということになる。
 基本的に生きている意味なんてわからない。何でおいらは生きているのか,それもなぜこの時代に,この場所で生まれてきたのか。「人間って何だ」「宇宙って何だ」と考えてもわからないことばかり。
 だからこそ,人生というのは“間”だと思ったほうがいいんじゃないか。我々の人生というのは,生きて死ぬまでの“間”でしかない。生まれたときの“点”と死ぬときの“点”があって,人生はその間のことに過ぎない。見つかるはずのない「生きている理由」を探すよりも,そう思った方が楽になる。おいらなんかはそう思うんだけどね。

ビートたけし (2012). 間抜けの構造 新潮社 pp.185-186

慣習や伝統への囚われ

 例えば,人物を撮るシーンで平気で首から上をフレームアウトさせちゃう。「首から下だけ撮ってくれ。首なしのまま歩くから」とカメラマンに指示すると,「それはまずい」と勝手に修正しちゃうんだよ。「いや,ここはそれでいいんだ」といくら言っても,カメラを上にあげてしまう。それが映画の常識といえば常識なんだけど,それに縛られている人も多い。
 それを見ていると,日本人というのは,それまでのルールを壊して新しいものを創ろうという意識が低いのかなと思うね。違うこと,新しいことをやってみようという気はあまりないんだ。
 しかも映画に限らず芸術の分野でこそ,どんどん新しいことにトライしていかなければいけないのに,かえってそういう世界の方が「これまでの常識や伝統を守る」という意識が日本では強いよね。もっともっと自由なことをやるべき業界なのに,慣習や常識に囚われている。

ビートたけし (2012). 間抜けの構造 新潮社 pp.156

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