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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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思い入れはある

 アメリカ精神医学会から出版されている『アメリカ精神医学会精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)』は,精神障害の定義を知るためのバイブルだ。最新の版では,ホーディングが強迫性人格障害(OCPD)に含まれる8つの症状のひとつとして分類されている。そこでの定義は「古くなったものあるいは無価値なものを,それらに対する思い入れがなくなった後も処分できない」ことである。
 デブラ,アイリーン,その他多くのホーダーと話した後では,この定義にある「思い入れのないもの」という表現が不可解だった。結局,それは主観的な表現であり,私たちの調査ではホーダーの家に溜めこまれた多くのモノには強い思い入れがあったからである。思い入れたっぷりのモノは大切な人や出来事と結びついているために感情的に重要であり,ごく普通に存在する。私たちの誰もが,そうしたモノを持っている——大好きなアーティストのコンサートのチケットの半券,ずっと昔のウェディングケーキの残り,子供が初めて絵を描いた紙切れといったものだ。この意味で,ホーディング行動は異常でも何でもない。アイリーンやデブラ,そして多くのホーダーが私たちと異なる点は,彼らが持ち物の大半に強い思い入れを抱くことで,傍から見ればただのモノやゴミにまでそれが及んでいることだ。他の人にはわからない特別な意味を見出す能力は,彼らの好奇心や創造性豊かな精神から生まれ,そうした愛着となっているのである。「すべてを経験したい」という欲求により,ホーダーはさまざまなモノに愛着を感じるのだ。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.131-132
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)
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ホーダーの家族の特徴

 世間では,ホーディングがモノの欠乏への反応であるといわれるが,原因がそれだけでないことは明らかだ。これまで述べてきたように,たくさんのホーダーがごく普通の暮らしを送ってきたからだ。しかし,欠乏は必ずしも物質的なものとは限らず,感情的な欠乏もまたひどい結果を生む。感情的な欠乏とホーディングの関係を調べるために,私たちはホーダーのグループとOCD患者のグループ,そしてどちらの問題もない対照グループで,幼い頃の家庭環境への愛着や記憶の性質を比較した。ホーダーとOCD患者のグループはどちらも,人に対する愛着が対照グループよりも弱かった。彼らは「私はずっと他人に対して『相反する感情』を持っていました」とか「他の人が自分についてどう感じているのか,よくわからない」といった言い方をより頻繁にしていた。ホーダーとOCD患者の間には差がなかったが,人とのつながりの弱々しさは,ホーディングについての何かの問題というよりは,きわめて重い感情的な問題の結果なのではないだろうか。2つ目の,幼い頃の家族の記憶については,暖かく支え合う家族について語るホーダーの数は,他の2つのどちらのグループよりも少なかった。「子供の頃はいつも周りから支えてもらいました」とか「家族はいつも私を受け入れてくれました」といった言葉をホーダーから聞くことは,他のグループよりも少ないのである。彼らのホーディングはおそらく,周りから充分に支えられなかった子供時代に育まれたものだろう。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.121-122
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

オニオマニア

 20世紀初めのドイツの精神科医エミール・クレペリンは,科学的な精神医学の創始者と考えられているが,彼は「オニオマニア」と呼ぶ精神障害について提唱した。ギリシャ語で「売り出し」を意味する言葉「オニオス」に由来するオニオマニアは,悪い結果が予測できるのにもかかわらず,病理的で制御不能な衝動に駆られて買い物をしてしまう障害である。精神医学のもう1人のパイオニアであるスイスの精神科医オイゲン・ブロイラーは,その症状を「衝動的精神異常」と表現した。2人とも,オニオマニアを深刻な精神障害とみなしていた。この障害を持つとされた有名人に,メアリー・トッド・リンカーン(第16大米国大統領夫人。浪費癖で知られた)やイメルダ・マルコス(元フィリピン大統領マルコス夫人。亡命後残された大量の奢侈品が話題となった)がいる。認識されたのは早かったオニオマニアだが,精神医学界においても心理学界においても実質的に無視されていた。1990年代初めに「強迫性買い物障害」と名称を改められたこの障害は,精神医学,心理学,経営学,そして人類学においてさえも,大いに注目されるようになった。
 強迫性買い物障害が精神障害とみなされるかどうかにかかわらず,そのために多くの人がたいへんな苦しみを味わっている。経済面から見ると,こうした買い物をする人は,そうでない人の2倍の借金を背負っている。彼らは過度の買い物により,結婚生活でも法律上でも困難に直面し,感情的な負担——恥ずかしさ,後悔,気分の落ち込み——に苦しむ人が私たちの身の周りにどれほど多いか,やっと分かり始めたところだ。スタンフォード大学の精神科医ロリン・コーランたちの研究により,米国の成人の6パーセント近くが,この障害を抱えていることが明らかになった。この問題は女性に多そうに思える(そのような研究報告もある)が,最近になって男性も女性と同様にこの状態に陥るという研究結果が報告されている。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.93-94
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

収集は病的か

 何かの収集にこれほど情熱を傾けることは,果たして病的なのだろうか。誰かが何をどれだけ集めようが,本人や他の人々の健康や幸福を妨げない限り,気にする人はほとんどいない。しかし,ひとたびそれらが妨げられると,その結果はコリヤー兄弟やアイリーンの場合のように悲劇となる。通常の収集活動とホーディング行動とを分けるのは,そのために生じるストレスや障害だ。私たちの研究対象となる人の多くが,ホーディングのせいで多大なストレスを負っている。モノを手に入れたり溜めこんだりすることで,彼らは経済的にも社会的にも破綻し,家族は離れていき,生きるための基本的な活動さえも難しくなってしまう。中には,近所や家族の人々も同様に生活に支障をきたすケースもある。したがってホーディングはモノの数ではなく,それらのモノを集めたり溜めこんだりすることが所有者に及ぼす影響によって定義されるべきだろう。ホーディングのためにストレスを負ったり,生きるための基本的な活動さえできなくなったりしたら,病気に足を踏み入れたことになる。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.78
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

ウォーホルの収集癖

 コレクターの中には,奇抜さと病的というべき状態とを兼ね備えた人もいる。アンディ・ウォーホルはアーティスト,映画監督,写真家,そしてセレブリティであり,当時の大衆文化を反映したポップアートの旗手とされる。彼が描いたキャンベル・スープ缶やコカ・コーラのビンといった商品の絵画はアメリカ文化の再現であり,特別なものではなく日常的なモノを取っておく方法であった。ウォーホルはまた熱心なコレクターでもあり,毎日のように蚤の市や骨董店,オークションハウス,画廊などで——何か興味を引かれるモノが見つかれば,どこででも——買い物をした。彼はあらゆる種類や時代の芸術品だけでなく,ガラクタとみなされそうなモノも集めた。そして他の有名なコレクターと同様に,収集品の一部を展示しただけで,ほとんどのモノは倉庫に保管していた。それでも,ニューヨーク市にあった彼の5階建ての家はモノで埋まり,使えたのはたったの2部屋だけだった。彼の買い物にしょっちゅう同行したスチュアート・ピヴァによれば,ウォーホルはコレクションの少なくとも一部を売却する計画を立てていたが,58歳で亡くなったときにはまだ収集段階にいた。彼が果たしてこの段階を超えられたかは疑問である。一度彼は,メキシコの儀式用仮面をある骨董店に販売委託したことがあったが,実際に売られてしまうことが怖くなって取り戻している。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.76
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

コレクションと恐怖管理理論

 コレクターの多くは,自分のコレクションが子孫や孫の世まで伝えるべき遺産であると考えている。中には,とくに芸術品や歴史的な工芸品に関して自分のコレクションを博物館に寄贈したり,自分の博物館を造ったりすることで,後世に残そうとする人もいる。ここから,モノの収集はある種の不死の形を作ることであり,それによって死への恐怖を抑えるための方法なのではないかと考える専門家もいる。この考え方は,社会心理学で恐怖管理理論(TMT)として広く知られている理論と一致する。TMTは,人も他の動物と同じく死を免れないという,存在に関する受け入れがたい事実から生まれた。しかし,他の動物とは異なり,人間は自分がいつか死ぬことを知っている。だから自分がいつか死ぬこと,そしてそれがいつなのかを予測できないことで,恐怖に怯えることになる。さまざまな文化において,この潜在的な恐怖を管理するために,教義や儀式,その他の秘策が用意されている。そのひとつが,人は死んでも,その一部が生き続けるという考えだ。価値あるモノを作ったり集めたりするのは,それを達成するための方法のひとつである。つまりモノを収集することが不死への可能性を開くことになるのだ。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.74-75
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

子供の「所有」

 コレクターにはあらゆるタイプと年齢の人が含まれる。専門家によれば,ほとんどの子供はモノを集め,ときにはそれが3歳から始まることもある。その頃の子供が所有を表す代名詞「ぼくの」「きみの」を理解するようになるのは偶然ではない。興味深いことに,子供は「ぼくの」を「きみの」よりも早く使うようになるようで,それは2歳から2歳半くらいのことだ。「きみの」が使えるようになるのは,相手がすでに何かを持っているのだから「ぼくの」持ち物を脅かしてはならないと,確認するための場合が多い。
 一般的に,何かを所有できると考えるためには,自分についての高度な理解がなければならない。子供たちが初めて「ぼくの」と口にするときは,物理的に何かを手に入れようとする行動を伴うことが多いが,成長するにしたがって,誰かと共有しようという行動が見られるようになる。一方,2歳以下の子供のほとんどでは,所有についての明らかな理解は見られない。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.72-73
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

コレクションの定義

 コレクションを定義するための主な特徴は,それがひとつのモノに限られず,他のモノと関連づけられ,それらが一定の方法で集められなければならない点だ。つまり,私の机の引き出しに入っている12,3本のペンや鉛筆はコレクションではない。なぜなら,私は新しいペンか鉛筆を手に入れると引き出しに放り込み,必要があれば出して使うからだ。しかし,もし私がわざわざそれらを探して手に入れ,きちんと整頓して,けっしてあるいはほとんど使わず,他の誰にも使わせなければ,それらはコレクションとなるだろう。そしてコレクションを持つ人なら,誰でもコレクターとなる。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.72
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

所有すること

 科学者がこうした理論を実験によって証明するようになったのは,やっとここ30年ほどのことだ。所有や所有物といった分野での研究の先駆者であるリタ・ファービーは,人々に自分の所有物について説明してもらい,あらゆる年齢の人々の間で3つの主な傾向があることを発見した。ひとつ目の,そしてもっとも多く見られるものは,所有することによって持主がなんらかの行動をする,または成し遂げられるというものだ。つまり所有することで,個人的なパワーあるいは権力が生まれるのである。所有物には道具としての価値があり,何かをしたり,周囲の状況をコントロールしたりするために必要な道具となるのだ。このことは,私たちが以前行ったホールディングの調査の結果を反映している。私たちが調べたホーダーそして非ホーダーの人々は,自分がモノを所有するのはそれらの使い道があるからだと述べた。つまりホーダーとそうでない人の違いは,彼らが「使い道がある」と考えるモノの数とその種類の多さなのだ。たとえば,ある年配のホーダーは,缶やビンのラベルを文房具として使おうと溜めこんでいた。
 2つ目の傾向は,所有物によって安心感を得られるというものだ。これはウィニコットの「移行対象」の名残である。このテーマを主張した分析医アルフレッド・アドラーは,古典的な精神分析学とたもとを分かち,人は誕生時から抱く劣等感を埋め合わせるために所有物を集めるのだと考えた。一方,無生物が気持ちを慰めてくれることを示したのが,ハリー・ハーロウである。彼の有名な実験では,猿の赤ん坊に柔らかい布製の代理母と,ワイヤーメッシュ製の代理母を与えたところ,ワイヤーメッシュ製の母親が食べ物をくれ,布製の母親はくれないにもかかわらず,子猿たちは柔らかい代理母の元へ走り,その手触りから落ち着きや安心感を得たのである。このようにモノによって慰められることから,たとえばアイリーンはモノの要塞を造ったし,私たちの患者の多くは自宅を「繭」や「隠れ家」と表現する。最近スティーヴン・ケレットが打ち出した理論では,ホールディング行動は動物の巣作りのように,維持するための試みから発達したのだという。
 3つ目の傾向は,ちょうどサルトルが考えたように,所有物が持ち主の一部として感じられることだ。本人にも説明することが難しい感覚だが,こうした強い愛着によってその人の自己認識や自分の力の感覚が強まり,潜在的な能力が広がるのである。たとえばピアノを手に入れることでピアニストになる潜在的な可能性が生まれ,そのことによって自己認識が広まるというわけだ。モノはまた個人誌をそこに閉じ込めて保管することにより,その人の自己同一性(アイデンティティ)を維持する役目を果たす。ほとんどの人は自分の過去の思い出の品を取っておく。そのような思い出の品は,以前の経験のときに抱いた感覚,考え,感情を保存する容器のようなもので,過去の音楽を耳にしたり,香りをかいだりしたときに思い出が圧倒的な強さでよみがえるのを助けることになる。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.68-70
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

価値のある持ち物

 最近のゼミの学生に,自分の持ち物でなんらかの価値があるものを挙げるよう求めた。するとある女子学生が恥ずかしそうに,コメディアンのジェリー・サインフェルドがかつて着たTシャツだと打ち明けた。彼女はそれをオークション・サイトのイーベイで買ったのだという。サインフェルドが一度袖を通したTシャツには価値があるという彼女の言葉に,全員が同意した。ただし,正確にどのような価値かということは説明できなかった。「でも,ジェリー・サインフェルドが着たんだから」というのが,彼らの唯一の根拠だった。
 「では,ジェリー・サインフェルドがそれを着たことを知らなかったら?」私は尋ねた。「そのTシャツになにか特別な価値があるだろうか?」
 「ない,まったくない」というのが彼らの答えだった。
 「では,価値というのは君たちの頭の中にあるもので,Tシャツ自体にはないのではないか?」
 学生たちは,サインフェルドの本質のようなものがTシャツにつながっているのだ,と言って反論した。たとえそのTシャツが洗濯されたとしても,彼の一部はそこに残っているのだ,と。
 「それが正しいとしても,だから何だ?なぜそのTシャツに価値が生まれるのだろう?」私は重ねて尋ねた。
 「それを着た人がジェリー・サインフェルドとつながるからですよ」学生たちは答えた。
 ゼミの後で,私は思った。これこそ,アイリーンがしていたことではないだろうか。おそらく彼女は自分のモノを通して世界とつながろうとしていたのだろう。そして彼女にとっては,モノ1つひとつがジェリー・サインフェルドのTシャツのようなものだった。それらのおかげで,アイリーンは自分自身よりも大きな何かとつながることができたのだ。自分のアイデンティティを広げ,人生をより意味のあるものにすることが。彼女が価値を置いていたのはモノそのものではなく,モノが象徴する何かだったのだろう。そして私たちが有名人の衣服や,ベルリンの壁の欠片,タイタニック号のデッキチェア,あるいは古新聞を5トンも集めるのは,みな同じことだ。あるモノが象徴する人物または出来事が魔法のようにそこから離れ,私たちの一部になるのである。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.61-62
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

ホーダーが物を捨てるとき

 ホーダーのほとんどがモノを処分できるのは,それが無駄になるのではないこと,良い場所に迎えられること,あるいはそれによるチャンスがもはや手に入らないと確信したときだ。しかし,この確信を手に入れるために必要な時間と労力では,家に持ち込まれる大量のモノに対処できない。そのため,ホーダーのほとんどはただあきらめてしまい,モノが再び積み上がるままにしてしまうのだ。

ランディ・O・フロスト ゲイル・スティケティー 春日井晶子(訳) (2012). ホーダー:捨てられない・片付けられない病 日経ナショナルジオグラフィック社 pp.58-59
(Frost, R. O. & Steketee, G. (2010). Stuff Boston: Houghton Mifflin Harcourt)

臭いで判断

 輝くように白い歯がいまいちばん求められているとはいえ,かつて衛生のゴールだったことが重要でなくなったわけではない。なにひとつ脱落することなく,新しいニーズがどんどん加わり続けている。この1世紀以上のあいだ,清潔はアメリカ人らしさの決定的な特徴で,アメリカ人かそうでないかを分けるシグナルであり続けてきた。南北戦争のころは,顔と手が垢まみれで,襟と袖口が薄汚れていると,農夫か肉体労働者か,あるいは単に貧乏人ということだった。20世紀のあいだに,見るからに不潔な人はほとんどいなくなり,においが動かぬ証拠になった。石鹸とデオドラント剤のマーケティングや宣伝関係者は,腕を上げては衛生のスタンダードをどんどん押し上げ,広告はいつでもたっぷり実を結び続けた。人の生身のにおいを嗅いだり,自分の生身のにおいを発したりするのは,御法度,ゆゆしい侵犯行為になった。

キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.257

清潔さが強迫観念へ

 あたうかぎり清潔で無臭の世界を描き出すことについては,1920年代が転換期となる。都市圏が拡大し,人だらけの会社や工場で他人と近い距離で仕事をするようになると,困ったことに自分や他人の体臭が気になってくる。労働という世界に女性も進出するようになると,このにおいに敏感になるという新しい習性に拍車がかかる。最初は19世紀末のヨーロッパにそろそろと現れだした,潔癖なほど清潔かどうかという心配は,アメリカでは強迫観念になった。同時に,経済の繁栄は最高潮に達した。人々には,まったく無臭の場所で暮らせるようにしてくれる商品を買える余裕があり,その安全な場所では誰も人の気分を「害し」も「害され」もしなかった。

キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.232-233

石鹸の巨大ビジネス化

 化粧石鹸と広告はいっしょに進化した。どちらも何世紀も前からあることはあったのだが,19世紀の終わりには巨大なビジネスとして経済の本流をなしていた。石鹸の場合は,細菌学という新しい学問のおかげで広まったのだが,病原菌の発見ということが一般消費者にまで浸透するのには何十年もかかった。じっさい,衛生学者や公衆衛生の専門家さえ,病気は腐っている物質や悪臭から広がるという昔ながらの考えに,驚くほどしがみついたのだ。ウィーンの医師イグナーツ・ゼンメルヴァイスは,分娩室に入る医師と研修医は妊婦を扱う前に手を洗うべきだと主張したが,おかげで産褥感染症による死亡が劇的に減少したにもかかわらず,物笑いの種になった。1865年にゼンメルヴァイスが死去したときも,まだこの単純だが画期的な意見は軽んじられていた。ゼンメルヴァイス,それにグラスゴーのジョゼフ・リスター[19世紀後半に外科手術用具の消毒を提唱]といった先駆者たちがやっと科学者たちに真剣に受け取ってもらえるのは,1870年代と80年代にドイツでローベルト・コッホが,フランスではルイ・パストゥールが,それぞれ細菌学を発展させてからになる。それでもまだ公衆衛生担当官や訪問看護師は,古い瘴気説を説き続けており,生ゴミや排水口や換気のことばかり気にしていた。20世紀のはじめまでには,細菌理論や接触感染理論が大勢を占めるようになった。これは革命的な概念だったのだが,サルファ剤や抗生物質が開発されるようになるのは,やっと1930年代や40年代になってからで,それまでは恐ろしい見通しでしかなかった。細菌と戦うほぼ唯一の方法といえば,洗い落とすことだった。体をきれいにする習慣がどんどん広まるようになり,人々が水だけでなく石鹸も使うようになりだすと,大西洋の両側の石鹸製造業者たちは,植物性のオイルから値段が手ごろで肌にやさしい製品を作り出そうと躍起になった。

キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.228-229

清潔ハードルの高み

 配管設備と取り付け用の商品の普及にともなって,人々の期待や感じ方も変わってきた。体を洗っておらずにおう人たちは,誰もが覚えているかぎりでは長らく風景の目立たない一部だったのだが,だんだん不快に思われるようになった。エミリー・ソーンウェルが驚くべき早さでこの意見を述べているのは,1859年刊行の著書『完璧な上品を目指す淑女の手引き』のなかだ。「いまや,下着は毎日変えるけれども,お風呂に入ったことがなかったり,年に1度か2度しか体中を洗うことがなかったりする上流階級の人々を,私達はどう思うでしょう?」とソーンウェルは読者に問いかける。「もちろん,はっきり申すなら,そういった人たちは,どうあれじつに不潔な貴族以外の何者でもないのです」。
 そういった人たちは,不潔なばかりか,ひどくにおった。運動で発汗が促されると,「そういった人たちは,ラヴェンダー水やベルガモットでは隠しきれないなにかを発しているのです」。体臭の強さにもいろいろあるとソーンウェルは認めてはいるが,あまり体を洗わない人はみんな不快なにおいを発するようになり,これは体から出た体液が,石鹸と水を使っていなければ「腐ったようなにおい」になるからだ。ここで重要なのは,ソーンウェルが健康目的の入浴については触れていないことだ。その代わり,この手引きの読者がアドヴァイスを受けるのは,どうやって「人に嫌われる」ことがないようにするかだ。この恐ろしい言葉は,20世紀の石鹸やデオドラント剤の宣伝にずっと使われ続けることになる。人に嫌われないかという心配は,ヨーロッパ人がのちにひどくアメリカ的だと見なすようになるものだが,すみずみまで清潔にするのが可能になってからでないと表面化してこない問題だろう。さらにソーンウェルはなにより恐ろしい警告を発する。体臭でまわりに迷惑をかけている人は,自分ではそうと気づいていない場合が多い,というのだ。この事実は「なにをおいても,淑女たる皆さんが気をつけねばならないことです」。自分では気づかないまま人に嫌われているかもしれないということは,不安を駆り立て,この不安は来るべき世紀に繰り返し広告業者に利用されることになる。石鹸を宣伝にしっかり結びつけることは,20世紀前半の衛生の大きなテーマのひとつになり,清潔のハードルを前代未聞の高さまで引き上げることになる。

キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.215-218

清潔さが判断基準に

 つまりアメリカが衛生先進国になったのは,ひとつの決定的な理由があったからではなく,むしろいくつかの理由がうまく重なったからなのだ。まず,アメリカ人は新しいものを生み出す志向を誇っていた,という理由がある。それはまさに新世界にふさわしい民主主義というものの大発明から,使い勝手の良いりんごの芯抜き器を生み出すようないかにもアメリカらしい創案にまで及ぶ。念入りに体を清潔にすることと,たとえば湯の出る水道管や化粧石鹸といった清潔になる手だて,さらには衛生の利点に気づかせる宣伝さえも,アメリカが新しく生み出したものだ。次に,もともと階級制度のないアメリカの人々は,どの程度礼儀正しいかをはっきりさせたり,どういうステイタスにあるかを示したりするのに,誰にも不公平にならない方法を探していた,という理由がある。それが,だんだん清潔がほとんどのアメリカ人の手の届くものになってくると,どれくらい身ぎれいかがいい判断基準になるとわかった。さらに,南北戦争のあいだ,衛生的な環境を保つことで病気の広がりをうまく抑えた結果,アメリカ人は清潔でいることを,進んでいて社会人として恥ずかしくないことと見なすようになった,という理由がある。こうして,信心深いことや愛国的なことを好むアメリカ人のあいだでは,19世紀終盤の数十年までには,清潔と敬虔が国民らしさと固く結びつくようになっていったのだ。

キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.192-193

新しい街だから

 なぜアメリカは衛生先進国になったのだろう?答えのひとつは,それができたからだ。上水道と下水道は,古い街よりは新しい街に設置するほうが簡単だ。ヨーロッパの古くて密集した集合住宅とは対照的に,いくらでも安い土地があるアメリカでは,たっぷりの広さの寝室がある家がふつうだった。民主主義国アメリカでは頭に挙がったのが配管で,1870年代にはアメリカの配管設備はほかのどんな国をも追い越してしまった。

キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.192

アメリカ人の場合

 南北戦争以前は,アメリカ人はヨーロッパ人と同じくらい汚かった。ヨーロッパでは,金のある型破りな変わり者が清潔になろうという思いを募らせていたが,19世紀初頭には,ほとんどのアメリカ人は,イギリス人と同じように体は洗わないのがあたりまえで,健康といえるかぎりはそれで心配することもなかった。ところが1880年代までに,誰もが予想できなかったことが起こった。いろいろな意味でまだ未熟ではあったものの,新しいものを取り入れて成長していたアメリカ合衆国が,西洋諸国で衛生という福音にいちばん従う国になったのだ。19世紀末には,少なくとも都市部のアメリカ人たちは,不潔なヨーロッパ人と自分たちの「清潔な」暮らしぶりを,ごくふつうに区別するようになっていた。

キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.191-192

清潔にする理由の発明

 清潔と健康が重なりあうという新しい世界を,ここ数世紀にも増して多くの科学者たちが切り拓こうとした結果,19世紀前半には,衛生についてのさまざまな所見や方法論があふれることになった。中世以来支配的だった感染の学説,つまり瘴気論は,病の気が悪臭や淀んだ空気や腐敗物を経由して広がるというものだった。すると,清潔にしていれば病の気の広がりは限られることになるが,そこへ来て清潔を保っておくべき新たな理由が加わった。1830年代初めに,皮膚には呼吸機能があるという新しい考え方が,大西洋の両側で科学者たちの注目を集めたのだ。もし体表の孔が垢で塞がっていたら,この新説によれば,二酸化炭素が皮膚から外に排出されなくなり,悲惨な結果を招くのは動物実験も示している。毛を剃ってタールを塗った馬は,だんだん窒息してゆく。膠をタールに混ぜておけば,死ぬのが早まる。ニスを塗られたかわいそうな動物もおり,やはり死んだ。
 現代の私たちには,そういう死因が皮膚呼吸よりも体温調節ができなくなったせいだと分かっているが,動物実験を行った19世紀の生理学者たちは,体表の孔を湯できれいにしておく習慣が,健康,ひいては生命維持のために重要なのだと衛生士たちに確信させた。フランシス・ベイコンが17世紀に入浴したときは,体表の孔ができるかぎりしっかり閉じているようにし,皮膚から体に入ってくる水を最小に抑えようと,並々ならぬ予防策を講じたものだった。いまや医者たちは逆のことを薦めるのに懸命だ。医者たちにとって,垢だらけの肌——小作農などはいまだにそれが体を保護し強靭にすると思っていた——は体の正常な働きを妨げるものになった。

キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.158-159

ナポレオンの入浴

 ナポレオンはビデをいくつかもっており,ひとつは銀の箔を張ったもので,クリスタルの瓶と,スポンジを入れる銀箔張りの箱が備えつけてあった。しかしナポレオンが本当に好んだのは蒸し風呂で,毎朝たいてい2時間は入っており,そのあいだに補佐官が新聞と電報を読み上げていた。有事のときほど長風呂になり,アミアンの和約を破棄した1803年には6時間になった。1世紀前にルイ14世は水を避けていた。今やフランスの君主制の日々は,長々とした入浴なしには始まらなくなったのだ。

キャスリン・アシェンバーグ 鎌田彷月(訳) (2008). 図説 不潔の歴史 原書房 pp.148-149

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