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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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インフレという幸運

 戦後の日本にとって,ある意味で幸いであったことは,戦後の大インフレーションによって国債の価値が急落して,事実上,国債が償還されてしまったことです。戦後の大インフレーションのすさまじさについては,例えば城山三郎の『小説日本銀行』が当時の様子を詳しく描いていますが,1945年秋から1949年春までの約3年半の間に,日本は,物価が98倍になる(消費者物価指数ベース)という大インフレーションを経験しました。
 既に述べたように,国債というのは国の借金証書のことですから,国は国債によって借り入れた金額を,一定の期日までに国債購入者に返さなければなりません。例えば額面100万円の3年物の国債を発行すれば,途中半年ごとに利子分を支払うとともに,3年後には,100万円の元本を,購入者に返済することになります。
 しかし,物価がその3年間に100倍になれば,100万円の価値は1万円にしかなりませんから,国は,実質的に1万円分だけ,税などで資金調達をして,返済をすればよいことになります。つまり,この戦後の大インフレによって,国の借金の金額はほぼ100分の1にまで,努力せずに縮小することが出来たのです。

鈴木 亘 (2010). 財政危機と社会保障 講談社 pp. 32
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誰が

 福知山線の脱線事故において,事故調査委員会は,運転士がこの日勤教育を恐れて運転中に言い訳を考えていたり,速度超過をしたと指摘している。
 現在の過密輸送ダイヤではミスを犯さないことの方が難しい。まして鉄道員が減らされている現状では,乗務員1人1人の責任が非常に重くなってきている。
 ラッシュ時に多数の乗客がノロノロと乗車すれば遅延が発生するし,それが過密ダイヤなら尚更である。本来なら「安全のため」という一言で,ある程度の遅延や利用客の苦情は押しのけることができるはずだ。しかし,現在の鉄道事情にがんじがらめになった運転士は「安全のため」という言葉よりも,ミスを取り返すことを優先した。そうして事故が発生したのではないだろうか。
 考えてみてほしい。そんな危険と隣り合わせの過密ダイヤを望んだのは誰か。運転士に重圧をかけるような体制にしたのは誰か。それは,利用者であり会社であり時代なのである。
 そして,表面上の報道しかしないメディアの責任も大きいと考えている。

大井 良 (2008). 鉄道噂の真相:現役鉄道員が明かす鉄道のタブー 彩図社 pp.248

ヤードスティック方式

 ヤードスティック方式とは,簡単に言えば,ある一定の基準を満たさないと運賃値上げができないというものである。それまで鉄道会社は時代や経営状況などに即して運賃改訂し,それによって安全維持のための設備投資や経営状態を安定させてきた。
 しかし,ヤードスティック方式の導入によって賃上げによる改善はできなくなった。鉄道にも合理化の波が押し寄せるようになったのである。
 利用者から見れば,もっともな制度だと思うだろう。だが,机上から生まれた制度が鉄道の安全を揺るがしていくことになった。
 そもそも鉄道は,机上論では測れない側面を持っている。また,その側面は各社によって様々な性格を持ち合わせている。
 例えば,地域による客室であるとか,電車の性質による整備具合であるとか,駅の造りによる安全対策など諸々ある。乗降数が少ない駅でも客室によっては余分な駅員の確保が必要だったり,安全対策に要因が必要になったりと,人を相手にする鉄道は様々な諸事情を持ち合わせているのだ。
 しかし,それらも,鉄道の現場をあまり知らない役人達の数式によって計られることになった。鉄道各社ごとに適正コストが割り出され,各社はそのコストを達成するため合理化策を生み出した。そして行き着いたところが,鉄道員を減らして機会化を図り,乗務員に過重労働を押し付ける制度改革だったのだ。

大井 良 (2008). 鉄道噂の真相:現役鉄道員が明かす鉄道のタブー 彩図社 pp.244-245

投票すること

 民主主義の世の中で生きる場合のもっとも重要な責任は,よく考えて投票することだ。ロジカル・シンキングは,その大切な目標を達成するための大きな力となる。多数決の最大の弱点は,多数が間違う可能性があるということだ。アメリカの18世紀から19世紀にかけての奴隷制度がそれを教えてくれる。学校の教室で,正しいと思われるものを投票で選ばせたら,どれだけ混乱するかを想像してほしい。論理的な概念は成功には欠かせないし,成功のために努力することも重要だ。
 ホロコーストを忘れてはならないのと同じくらい,ソ連の経験を覚えておくことは重要である。ソ連が証明したのは,目標——経済的および社会的な平等——を達成することは,その目標が達成されても,人々の満足にはあまり結びつかないということだ。私たちは「何を望むか」について慎重にならなければならない。なぜなら,私たちはそれを本当に手に入れられるかもしれないからだ。ロジカル・シンキングは,良心的な人々が,本当に望むものを見極めるための力になる。

マリリン・ヴォス・サヴァント 東方雅美(訳) (2002). 気がつかなかった数字の罠:論理思考力トレーニング法 中央経済社 pp.180-181

雇用を増やすには

 雇用基盤の縮小を食い止めることは簡単だ。労働力を節減するような技術を使わなければいいのである。果物輸送のために電車やトラックを使うことを禁止すれば,健全な肉体を持った男性をすべて運搬要員として雇うことができるだろう。あるいは,現代の農業技術を使うのをやめれば,私達はみな農民として雇用されるかもしれない(この方法に関しては,フィデル・カストロがよく知っている)。
 その通り,私たちは全員,食物を育てるという仕事を得るのである。だが,そうすると私たちが手に入れられるものは,食物だけになってしまう。考えてみよう。1910年には1355万5000人が農場で働いていたが,1970年までにその数は452万3000人に減少した。農業における雇用基盤の縮小を嘆くべきだろうか。いや,嘆くことはない。同じ期間で,1人の農民が供給できる食物の量が7人分から79人分に上昇した。その結果,その分の農場労働者が開放されて,他のものを生産するようになった——たとえば,先進の通信技術などだ。これこそが,先進社会における雇用の本当の目的なのである。単に人を忙しくさせておくことが目的なのではない。

マリリン・ヴォス・サヴァント 東方雅美(訳) (2002). 気がつかなかった数字の罠:論理思考力トレーニング法 中央経済社 pp.146

未熟な論理

 未熟な論理の「悪い例」で私のお気に入りは,1989年8月22日に,ニューヨーク・タイムズの科学別冊,『サイエンス・タイムズ』に掲載された,ネコについての記事だ。記事にはこうある。「専門家は,ネコのよく知られた生存能力に関して,驚くべき証拠を発見した。今回の発見は,この時期ネコが高層ビルの窓から落ちやすい,ニューヨーク市内という特殊な環境下でのことだ。研究者たちはこの現象を,ネコ高層症候群と呼んでいる」。
 私の興味を引いたのは,どのようにしてネコが落下しても生き延びたかという解説だった。それによると,「たとえば,1984年6月4日から11月4日までのあいだに,132匹のネコが落下により動物医療センターに収容された。……そのうちほとんどが,コンクリートの上に落ちた。ほとんどが生き延びた。専門家たちはネコが生き延びた原因は,物理的な法則や,優れたバランス感覚,そしてムササビ術とでも呼ぶべきものだろうとしている」。
 「(獣医師たちは)132匹のうち129匹が何階から落ちたのか記録している。2階から32階までのあいだで,……うち17匹が飼い主によって処分されたが,その理由の大半はケガが致命的だったからではなく,治療費が払えなかったからだ。残りの115匹のうち,8匹がショックと胸のケガで死亡した」。
 「もっと驚くべきことは,落下距離が長いほど,生存率が上がっているということだ。7階以上から落ちたネコ22匹のうち死んだのは1匹だけで,9階以上から落ちた13匹のネコのうち骨折したのは1匹だけだった。32階からコンクリートの上に落ちたネコ,サブリナは,肺にわずかな穴があき,歯が欠けただけだった」。
 「なぜ,高層階のネコのほうが下層階のネコよりも生存率が高いのだろうか?1つの説明として考えられるのは,落下スピードはある速さに達したらそれ以上増えない,というものだ(獣医師たちが言うには),……ネコの場合,その「終端速度」に速く到達する。ネコの終端速度は時速60マイルで,人間の大人の終端速度は時速120マイルだ。2人の獣医師が推測するに,終端速度に達するまでのあいだ,ネコはスピードの増加に対して反射的に足を突っ張り,それによってケガをしやすくなる。しかし,終端速度に達するとネコはリラックスし,足をムササビのように広げ,その結果空気抵抗が高まり,衝撃を均等に分散させられるようになる」。なるほどと思い,私はこの記事をとっておいた。
 その後しばらくして読者から,「なぜネコは,高い場所から落ちても脚で着地できるのか,説明してください」との投書が来た。私は,コラムに先の研究を引用して次のように書いた。「驚くべきことに,長い距離を落ちたネコの方が生存率が高かったのです。7階以上から落ちたネコ22匹のうち21匹が生き延びました。9階以上から落ちた13匹はすべて生き延びました。32階からコンクリートに落ちたサブリナは,肺に小さな穴が開いたのと歯が欠けただけで済みました。彼女はその日,山盛りのツナをもらったんでしょうね」。
 後になってそのコラムを読み返してみたとき,その統計が気になったが,理由はわからなかった。一度も,元の記事に載っていた文言を,詳しく吟味してみようとはしなかったのだ。だから,私がやっと気がづいたのは,アシスタントがこの記事に関するたくさんの手紙を,私の机まで持ってきたときだった。最初の手紙は,ニューヨーク州ブルックリンのパメラ・マークスからだった。「私の2匹のネコは別々にテラスから落ちましたが,残念なことに2匹とも死んでしまいました。1匹は10階から落ち,もう1匹は14階から落ちました。私はこれらの事故を医療機関に報告しませんでしたし,ほかの人たちもネコの死を報告したりしないでしょう。私の2匹のネコをあなたの統計に加えて,9階以上から落ちた15匹のネコのうち,少なくとも2匹が死んだと言ってください」。この時点で,私の間違いは明らかになった。どうして最初に,この点を見逃したのかわからない。

マリリン・ヴォス・サヴァント 東方雅美(訳) (2002). 気がつかなかった数字の罠:論理思考力トレーニング法 中央経済社 pp.95-96

誤謬

 誤謬は,直感(および半直感)を揺るがす。なぜなら,誤謬は論理的展開の間違いであるだけでなく,「一見正しく見える理屈における間違い」だからだ。早くから論理について厳しい勉強を始めれば,あるいは勉強をもっと長くし続ければ,いまほど直感が誤謬によってもてあそばれることはないはずだ。

マリリン・ヴォス・サヴァント 東方雅美(訳) (2002). 気がつかなかった数字の罠:論理思考力トレーニング法 中央経済社 pp.80-81

到達点は

 現在の「成功者」たちの到達点は,死ぬまで金の心配をすることなく,遊んで暮らすことである。いかにも凡庸ではないか。歴史上,贅の限りをつくした人間はいる。しかし欲望の限界は頭打ちだから,かれらがやったことといえば,大雑把にいえば,小さなものを大きくしたこと(狭いものを広くしたこと)と,モノを人より数多く所有しただけにすぎない。たったこれだけのことである。金は100倍になっても,胃袋が100倍の大きさになったわけではないのである。現在でも事情は変わらない。小さい家を大きく広くし,車1台を10台にしただけである。1泊2日の小旅行を30泊31日や半年間の海外旅行にしただけである。その差が大きいのだ,といおうというまいと,大差ない。満足度にも楽しさにも,大差はない。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.296-297

人のためか

 銀行のいうことなどまったく当てにならない。いったい赤の他人である銀行が,どんな良心や思いやりや人助けから,赤の他人であるあなたの資産を増やしてあげましょうか,というのだろう(そんな銀行マンがいてほしいものだが)。ありうるはうがない。自分たちの成績アップのために決まっているのである。セミナーで高額配当をブチ上げる詐欺師,英会話勧誘,絵画販売も同様。だれもあなたの資産を増やし,英会話がうまくなってほしいと願い,絵画で心が豊かになってほしいなんて思っている人間はいないのである。
 ビジネス書「もどき」の著者たちもおなじであろう。本書の冒頭で,なぜビジネス書を読むのか?と問うた。おなじように今度は,なぜ成功者たちはビジネス書「もどき」を書くのか?と問うべきである。実際,かれらはなんの用があって,「もどき本」を書くのだろうか。あなたに「成功」してもらいたい,「金持ち」になってもらいたい,「脳力」がアップしてほしい,なんて思うわけがないのである。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.285

人間としての力

 知識や技術や論理的思考などなら,時間をかけて集中して勉強をすれば身につけることは可能だ。しかし,どこに出ても通用する人間は一朝一夕にはできない。そっちのほうにも身を入れてもらいたいが,そんなことはだれも興味がなさそうである。このことは,たとえばなにか改革をしようというときにも重要な要因となる。自分一身の改革なら,自分を動かすだけで済む。しかし複数の人間の協力や組織改革が必要な場合,あなたの人間としての力が不可欠となる。あいつがいうのならと思われなければならないのだ。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.280-281

成功に意味は

 だいたい「成功」なんて暑苦しい言葉,われわれの人生のなかではほとんど使われることがなかった言葉である。少なくともわたしはこれまでの過半生のなかで,たぶんただの1回も思い浮かべたことのない言葉である。多くの「もどき本」では,「目標を明確にしろ,そしてそれを紙に書け」という。で,書いたとするよね。「野球選手になりたい」でも「先生になりたい」でも「宇宙飛行士になりたい」でも「保母さんになりたい」でもいい。ところがもしそれが実現しても,それは「成功」とはだれも呼ばないのだ。もちろん,それでいいのである。「成功」という言葉など人生においてはなんの意味もないのだから。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.233

自由人と不自由人

 本書でここまで見てきた金持ちたちは,みんなこういうことをいうのである。それが「自由人」だというわけである。生意気な連中だが,かれらの期待に応えて,「いいな。羨ましいぞ」といってあげよう。
 しかし,かれら「自由人」の食べるもの,買うもの,サービスを受けるもの,全部が「不自由人」たちによって支えられているのである。「不自由人」は,もちろんすべてではないが,安い報酬でも自分の仕事に誇りを持ち,一生懸命仕事をしているのだ。「自由人」がぬくぬくと「自由」でいられるのは,かれら(われら)「不自由人」のおかげである。その「不自由人」は「自由人」みたいに,「不自由人」を自分の金づる,カモとみなし,たぶらかし,騙くらかしてまでして,金を稼ごうとは思わないのだ。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.157

技術なんか

 しばしば,「コミュニケーション力」ということがいわれる。しかし話し方なんかうまくなる必要はないと思う。技術なんかどうでもいい。自分ばかり話をしない,他人が興味がなさそうな話は早々にやめる,人の話は聞く,正直に対応する,無神経なことはいわない,これくらいのあたりまえのことがわかる人間になることが先決である。それでダメならダメでいいではないか。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.136-137

必死

 大金を掴んだ人たちが口々にいうのは,嫌なやつにもう頭を下げなくていい,ということだ。生活のために嫌な上司や客,嫌な会社にもう尻尾を振らなくていい。金を稼ぐ苦労もしなくていい。毎日好きなことをして暮らせる「自由」が手に入るからだ。もう1つある。右のことの延長で,金のことを忘れていられる,ということである。もはや金の心配をしなくていいということは,なんと「自由」であることか。
 ところが,金があればあったで,心配があるようである。金が減り続けることである。だから,またかれらはいう。「成功」とは大金を掴むことではない。金の源泉が涸渇しないように,金が入ってくる仕組みを作って,自分が遊んでいても,金の流れが途切れないようにすること,つまり宝くじのような一過性のものではなく,金を持ち続けることが「成功」であると。かれらはかれらで,金の流れが止まることを心配しているのである。その流れが止まらないように,必死,のように見える。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.112-113

タネ本

 この『思考は現実化する』を読むと,種々の「もどき本」のタネ本になっていることがわかる。メンターからの教え,目標の明確化,期限化,それを紙に書く,潜在意識,脳力,引き寄せ,などなどがそれで,「なーんだ。日本の多くのもどき作家たちはみんなこれを読んでパクっているのか」とわかって興ざめである。ちなみにこの本の原題は「Think and Grow Rich 考えて金持ちになる」である。たしかに「成功」を目指してはいるが,そのための方法は基本的に現実的かつ堅実で,普遍的かつ本質的な人間になることの重要性が強調されている。そのことが,この本が一定の価値を持っていることの理由である。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.92

トリック

 もしわたしが,よし,大ベストセラーを書くぞと決心して,『だれでも必ず成功できる10のルールと幸運がやってくる15の法則とモテるための7つの習慣と頭がよくなる8つの秘訣とダイエット確実の20の方法』という本を書いたとする。わたしの経歴が経歴だからまったく説得力はないだろうが,それを別にしても,この本がタイトル一発でダメなことはあきらかではないか。ところがこれがバラバラになって各論の本になると,読者は「もしかして?」という気持ちになるのである。これが「もどき本」のトリックである。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.35

成功は目標か

 むろん「成功」はあってもいいし,たしかに「成功」は世に存在している。しかし「成功」など,どうでもいいのである。はっきりいっておこう。ビジネス書「もどき」は「成功」にはまったく役に立たない。「だれでも」なんて,ウソに決まっているのだ。それに「成功」など,ふつうの人間にとっては人生の中心的目標にはなりえないものである。あくまでも付随的結果にすぎない。「成功」を人生最大唯一の目標にするというのは,「成功」の熱に浮かされたごく少数の人間の問題にすぎない。たとえ,目標だったプロ野球選手になれた,期せずして大金を掴んでしまった,大学の先生になれた,社長までのぼり詰めた,国会議員になった,としても,それを「成功」という言葉で呼んでもなんの意味もないのである。目標を達成した人間は,結局はやはり自分で考え,自分で行動したのである。ビジネス書「もどき」が出る幕など,わたしたちの日々のなかにはまったくといっていいほどないのだ。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.33-34

パンチの利いた読者層

 では,そんなビジネス書「もどき」をいったいどんな人が読んでいるのか?これが謎だった。今でも謎である。数十万部も売れた「もどき本」はざらにあるのである。大前研一や論理的思考やドラッカーや生産管理や会計学やリストラクチュアリングなどのまともなビジネス書を読んでいた読者が「もどき本」に流れたとは到底考えられない。
 となると「もどき本」の読者は,元々そういう本を好むというか,そういう本しか好まないというか,ややパンチの利いた別種の読者層ということになる。すなわち手相や姓名判断や星座や血液型や宇宙の意志や前世や言霊やパワーストーンといった陣地や合理性を超えたものを信じる傾向にある他力本願の人。もしくは,なんのスキルも情熱もなく,長期間の地味な努力もしたくないが,自分の卑小さを押さえ込んだ大物感という気分を楽に満足させてくれるような一攫千金を夢想する人か。

勢古浩爾 (2010). ビジネス書大バカ事典 三五館 pp.17

貝のように

 だが私には,日本の生来の保守主義がさらに強化されているように思われる。彼らはただ「美しい伝統」を守ろうとしているのではない。日本は社会の安定と調和ばかりを重視するが,その社会は社会的信頼を広める方法を知らない。内部の混乱を受けいれようとしない。あるいは混乱に適応しようとしない国は,最終的に,中身を大事に守るために蓋を閉じる貝のようになってしまうだろう。

マイケル・ジーレンジガー 河野純治(訳) (2007). ひきこもりの国:なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか 光文社 pp.410

二度と戻れない

 海外で何年も活動したのちに帰国した日本人の多くは,自分の思考や行動が「突出」しないように,自己検閲,自己監視するようになるという。そうした人々が,古い企業の硬直したシステムにふたたび順応するのにとても苦労するという話をよく聞く。そういう企業では,仕事仲間のあいだで異質な存在にならないように,そして無用な摩擦を起こさないように,海外で活動していたことは「きれいさっぱり忘れろ」といわれるのである。しかし,けっきょくなじめずに,国内の外資系企業に転職するものも少なくない。また,彼らの子供は,外国語を話すだけでなく,しぐさや表情も日本人のそれとは違ってしまっているので,学校で陰湿ないじめや虐待を受けることが多い。
 もう二度と日本には戻れないという海外在住者もいる。隔たりが大きすぎるのである。現在,アメリカの法律事務所や監査会社は,欧米で学び,日本に帰れなくなった才能ある日本人であふれかえっている。彼らが見捨てた日本の組織は,たいていの場合,そういう才能ある元社員が海外で身につけた技能や知識から利益を得ようとは考えもしないようである。

マイケル・ジーレンジガー 河野純治(訳) (2007). ひきこもりの国:なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか 光文社 pp.390-391

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