理解が進むにつれて,私には日本が活気に満ちた自由市場などではなく,じつのところは,厳格な統制下にある擬似社会主義国家のように見えてきた。政府の官僚たちは,生産システムの組織化については自分が一番よくわかっていると思いこみ,それに異論を唱える者たちを手ひどい目に遭わせるだけの権力を持っている。企業は原則的に保護されており,規制当局や主要取引銀行のいうことをきちんと守っていれば,倒産の心配はない。日本企業は,差別化に重点をおく戦略を考えたりせず,みんな1つにまとまって,同じようになろうとする。まるで盆栽のように。
こうした画一的な状況は,流行に抵抗したい,あるいは,自分の創意を頼みとしたいと考える人々の意欲を削ぐものだ。彼らはいつも,ほんとうの主導権は自分にはないと感じている。マルクス主義の理想世界では,すべてのものが同じであり,それらを誰もが手に入れられることになっている。だから各自がその能力に応じて金を払えばいいのだ。だが日本では,一見,すべてのものが同じに見えるが,どれも法外な値段がついている。だから自分の情熱を追求するのに必要な自由を獲得することができるのは,ごく少数の人間だけだ。
マイケル・ジーレンジガー 河野純治(訳) (2007). ひきこもりの国:なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか 光文社 pp.153-154
PR