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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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時代とともに

 人間のテクノロジーは地球物理学的な意味をもつ力で,地球全体に影響をあたえることが可能なのだろうか?まさかそいんなはずはない,と1940年当時の大半の人々は考えた。きっとそうだ,と1965年当時の大半の人々は考えた。このどんでん返しの原因は,地球温暖化について科学者が知っていることに何らかの変化があったからではない。人間が及ぼす影響に対する一般大衆の懸念が高まったのは,テクノロジーと大気の間にもっと目に見えるつながりが存在していたからだ。その1つは,大気汚染の危険に対する認識が増したことだ。1930年代,市民は工場から立ちのぼる煙を見て喜んでいた。汚れた空は仕事があることを意味していたからだ。だが1950年代になると,工業化した国々で経済が急成長して平均寿命が延びるにつれて,歴史的な転換が始まった。貧困についての悩みが慢性的な健康状態についての悩みに変わっていったのだ。医師は,大気汚染が一部の人々に致命的な危険をもたらすことに気づきつつあった。それと同時に,石炭を燃やしている工場から出る煙に加えて,急増する自動車の排気ガスが登場した。1953年に多数のロンドン市民を窒息死させた「殺人スモッグ」は,私たちが空気中にまき散らしているものが実際に数日間で数千人の人々を殺すことが可能だという事実を証明した。

スペンサー・R・ワート 増田耕一・熊井ひろ美(訳) (2005). 温暖化の<発見>とは何か みすず書房 pp.54-55
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異分野

 コミュニケーションをさらに困難にしたのは,異なる分野には異なる種類の人間が引き寄せられているという事実だった。統計重視のオフィスに行けば,よく整理された棚や引き出しがすらりと並び,そのなかには数字が整然と記された書類が積み重ねられているはずだ。のちの時代ならば,書棚の中身がコンピュータのプリントアウトになっているだろう。プログラムづくりに費やした無数の時間の成果だ。気候学者はどういう種類の人間かというと,おそらく少年時代は自宅に自分だけの測候所を作り,毎年毎年,日々の風速や降水量を細かく記録していたはずだ。海洋学者のオフィスに行けば,七つの海の岸辺で見つけた珍品がごちゃごちゃと山積みになっているだろう。ある経験豊富な研究者が船上で波にさらわれて間一髪で溺死を逃れたときの話など,冒険譚を聞かせてもらえるかもしれない。海洋学者は「潮の香りのする」タイプになりがちだ。快適な我が家から遠く離れた長い航海も慣れっこで,歯に衣着せぬ性格でときには自己中心的にふるまったりする。
 これらの違いは,使用するデータの種類といった実に基本的な事柄の多様性と一致していた。たとえば気候の専門家は,世界中の何千もの測候所から技術者が標準化されたデータを報告してくるWMOのネットワークに頼った。海洋学者は個人で観測機器を組み立てて,わずかな調査船のうちの一石の船側から海に下ろしていた。気候学者の天気は100万個の数値をもとに作成されたもので,海洋学者の天気——横なぐりのみぞれか,執拗な暖かい貿易風——とはまったく異なっていた。技術的な相違すら存在した。ある気候の専門家も1961年に次のように述べている。「たとえば気象学,海洋学,地理学,水文学[地球上の水の生成・循環・性質・分布などを研究する地学の一部門],地質学および雪氷学,植物生態学および植生史学など,あまりにも多数の分野——これらはほんの一部だ——がかかわっているという事実により……十分に確立された共通の定義や方法を用いて研究することが不可能となっている」

スペンサー・R・ワート 増田耕一・熊井ひろ美(訳) (2005). 温暖化の<発見>とは何か みすず書房 pp.46-47

新規開拓

 20世紀半ばまでは,2つ以上の分野において重大な仕事を成し遂げる科学者は少なかった。必要な知識はあまりにも深くなり,技術はあまりにも難解になっていた。別の分野の知識に精通しようとすると,そちらにエネルギーが割かれて,キャリアが危うくなってしまう。「ある分野の学位をもった状態で新たな分野に足を踏み入れるのは,ルイスとクラークが(ネイティブアメリカンの)マンダン族の野営地に入り込むのと似ていないこともない[ルイスとクラークはルイス=クラーク探検隊のリーダー。同探検隊はルイジアナ購入地の調査のためにジェファソン大統領によって派遣され,1804〜06年に実施された]」と述べたジャック・エディーは太陽物理学者で,気候変化の研究に取り組んでいた「そこではよそものになる……手持ちの学位はなんの意味ももたず,無名の存在だ。すべてをゼロから学ばなければならない」

スペンサー・R・ワート 増田耕一・熊井ひろ美(訳) (2005). 温暖化の<発見>とは何か みすず書房 pp.46

気象学

 気象学は特に優遇された。空軍は当然のことながら風に関心があり,とりわけ気前よく支援していたが,その他の軍機関および民間機関も,いずれ天気予報の精度を向上させるかもしれない研究を奨励した。毎日の予報のほかに,意図的に天気を変えることを夢見る専門家もいた。ヨウ化銀の煙によって雲に「種をまく」ことで雨を降らせる計画が1950年代に世間の注目を集め,官僚や政治家たちもこの件を気に留めた。アメリカ政府は,時宜を得た雨による農業の向上を期待して気象学のさまざまな研究に資金提供することを迫られた。天気を理解している国家は,干ばつまたはやむことのない雪——まさに「冷戦」!——によって敵を全滅させることも可能かもしれない。少数の科学者は,雲の種まきなどの手段による「気候学的戦争」は核爆弾すら上回る強大な力をもつようになりかねないと警告した。

スペンサー・R・ワート 増田耕一・熊井ひろ美(訳) (2005). 温暖化の<発見>とは何か みすず書房 pp.33

ジョン・ティンダル

 正しい推論を最初に明快に説明したのは,イギリスの科学者ジョン・ティンダルだった。ティンダルは大気がどのようにして地球の温度を制御するのかあれこれ考えたが,当時の科学者の大半が信じていた「すべての気体は赤外放射に対して透明だ」という意見によって邪魔されていた。1859年,彼はこの意見を実験室で確かめることに決めた。大気の主成分である酸素と窒素は実際に透明だということが確認された。そこで実験をやめようとしたとき,石炭ガスを試して見ることを思いついた。これは,石炭を加熱することによって生産される人工的な気体で,主な成分はメタンで,照明のために使われていた。実験室にパイプで送り込まれていたので,ちょうど手近にあったのだ。ティンダルは,このガスが熱戦に対して木の板と同じくらい不透明だということを知った。こうして産業革命は,灯用ガスの炎というかたちでティンダルの実験室に侵入し,地球の熱収支に対する重要性を宣言したのだ。ティンダルはさらにほかの気体を試していき,CO2も同じように不透明だということを知った——現在では温室効果気体と呼ばれるものだ。

スペンサー・R・ワート 増田耕一・熊井ひろ美(訳) (2005). 温暖化の<発見>とは何か みすず書房 pp.9-10

認識不足

 敗戦後の経済復興から先進国でも有数の経済大国にまで成長するため,公共投資が先導的な役割を果たした。さらに,石油危機後の低迷期やバブル崩壊後など経済に大きな打撃を受けた後に,公共投資による内需拡大を図った。経済対策としては常道である。そうしなければ,雇用が失われ経済はさらに落ち込み,将来どころか現在生き残ることすらできなくなるかもしれない。筆者はこうした政府の役割を否定するものではない。
 だが,それはあくまでも,投資をフローの1項目としてとらえたときの話である。投資は,耐用年数の限られたストックである。老朽化すればいずれは使えなくなり,更新投資が不可避となる。民間企業であれば,ストックの老朽度や更新投資の必要性を常に意識しながら投資行動を行う。そうしなければ,競争力を失い,市場から退場を余儀なくされるからである。
 だが,残念ながら,国にも自治体にもその認識はない。景気が低迷したときには公共投資を拡大しようとするが,何十年か先に更新投資が必要になることまでは考えていない。その先見性のなさが,社会資本の崩壊を生み出すのだ。このメカニズムに日米の差はない。

根本祐二 (2011). 朽ちるインフラ 日本経済新聞社 pp.69-70

○○は別だ

 「おっしゃることはごもっともだが,◯◯は別だ」という主張である。◯◯の中には,自分が重要だと思うものであれば何を入れても良い。学校でも公民館でも橋でも良い。理由も自分にとって重要であるという1点を主張しさえすれば良い。さらに,議員を動かす,あるいは聖域削減を主張する候補者に投票しないという行動に移せばより効果的だ。その結果,聖域を守ることを主張する政治家が当選する。
 ある地域では,公民館が絶対に必要だという意見に遭遇した。別の人はスポーツ施設が大事だと言った。「では,どちらを優先するのですか」と聞いても,自分が支持する施設の必要性を主張するだけだった。
 ある自治体の行政改革の仕事をしたとき,民間からのアイデアに対して,担当部署が「◯◯は重要なので,公務員が自ら行うべき」と回答し,それを自治体の公式意見として出そうとしたことがあった。そのとき,◯◯に書いてあったのは公共建築物の維持管理業務だった。実際には,維持管理の多くはアウトソーシングしている。にもかかわらず,その担当者は聖域だと主張した。納税者のことは眼中になく,とにかく自分(もしくは自分の部下)の仕事を守ることが最大の使命だと思っているようだった。
 こうした利用者や役人による聖域化の行動が,公共投資の肥大化を招いた。声の大きな人が支援する分野,必至に守ろうとする分野が予算を獲得し続けることで,もっと重要かもしれないことにお金が回らなくなった。重要性を比較し議論することなく,不透明な政治プロセスの中で支出が決められた。
 自分たちの世代が利益誘導をした結果,あるいは,見て見ぬふりをした結果,もしくは,部分最適化に走った結果,子どもや孫の世代に,老朽化したインフラと大幅な予算不足の事実だけを残すことになった。筆者自身も含めて大いに反省すべきだろう。なんとかこの悪循環を断ち切る方法はないものだろうか。

根本祐二 (2011). 朽ちるインフラ 日本経済新聞社 pp.65-66

更新投資やる気なし

 ある首長は,「更新投資は票にならないのでやる気が出ない」と語っていた。もちろん,冗談めかした言い方だが,筋は通っている。選挙の際に新しい図書館や保育所を作るという公約は票を得やすい。だが,古い学校や庁舎を建て替えるというのは,危機感のない人にとっては当たり前のことをしているに過ぎず,表に結びつかない。少なくとも,政治家自身がそう思っている。
 これは,我々住民の問題でもある。公共投資を公約する首長や議員を当選させることで,「公共投資を公約しなければ当選できない」という誤ったメッセージを与えてしまっているからだ。
 「問題だとしても,市民に知らせると動揺するので公表すべきでない」「対策がないまま発表するのは無責任だ」と語る関係者も多い。この言い訳はさらに始末が悪い。問題点は解決策と合わせて公表するのが責任ある行政だというのは,一見合理的に見えるからだ。
 だが,本音は,「公表すると責任を追求されるのがいやだ」と思っているだけかもしれない。近年,民間企業では,不祥事が相次いだ経験を踏まえ,不利益な情報でも一刻も早く公表するのが常識になった。どのような理由があるにせよ,情報を知らせないことは不都合を恐れて何かを隠していると疑われても仕方がないのだ。
 筆者は,「老朽化の事実を知っていながら公表せず,対応せず,結果的に住民の生命や財産が侵害されたら不作為の犯罪になる」と主張している。少なくとも,筆者は行政に対して,自分の生命にかかわる重大な情報を知らせない権利を与えた覚えはない。

根本祐二 (2011). 朽ちるインフラ 日本経済新聞社 pp.63-64

大量建設時期

 これによると,米国の橋は,第2次世界大戦前の1920〜30年代に多く建設されていたことがわかる。いわゆるニューディール政策が推進された時期である。30年代だけで5万以上の橋がかけられた。この時期の建設された橋が,80年代には老朽橋になっていたのである。
 ニューディール期につくられた社会資本が,その後,経済政策の変更で補修更新財源を縮小された結果,崩壊の危機を迎えるが,再び政策の転換により危機を脱出する。社会資本老朽化問題は,技術問題であると同時に経済問題であることがわかる。
 一方,日本での橋の大量建設は,1950〜60年代に始まっている。米国から遅れること30年,第2次世界大戦後の復興から高度経済成長に向かう時期に,社会経済活動の基盤として社会資本が整備されたのである。このこと自体は間違いではない。それどころか,短期的な需要創造に偏りすぎたと批判されるニューディール政策に比較すると,この時期の日本の公共投資は,その後の経済成長の源になった。日本の経済史の観点から見ると,その意義は非常に大きいと言えるだろう。
 だが,現在,これらの橋が建設後50年を経過しようとしているのも事実である。供給面の問題を忘れると,米国の二の舞になる。現代の日本の置かれている状況は,80年代の米国に相当するのである。日本は崩壊寸前の状態にあると言わざるをえない。

根本祐二 (2011). 朽ちるインフラ 日本経済新聞社 pp.39-41

定年後

 これは,別に映画だけの問題やのうて,一般の会社でも同じや思うんです。代用品ですべて間に合わせられる。あんたらの業界でもそうじゃないですか。定年になった人をどうしても使わなあかんなんてこと,なかなかないでしょう。
 定年になった本人は,それなりに自信があるでしょうけど,よく考えてみれば,別にそんなの,なんてことないんですわ。
 実際,この東映でも,私はそれをずっと見てきましたからね。
 駆け出しで何もわからん時代から,この世界に45年間もいて,次々と先輩が定年になって辞めていかれました。私らは,その先輩たちからいろいろ教わって,ずっとここまでやってこれたんやから。
 ですから,今度は私が後輩に託す番なんですわ。

福本清三・小田豊二 (2007). おちおち死んでられまへん:斬られ役ハリウッドへ行く 集英社 pp.212-213

映画村の歴史

 映画村の歴史,御存知ですか。東京の人は知らんでしょうね。
 東映太秦映画村が誕生したのは,たしか昭和50(1975)年やったと思いますから,いまから約30年ほど前のことです。
 そのきっかけは,リストラですわ。
 当時,テレビが急激に普及したために,映画人口が減り,それにともなって撮影所も存続の危機に陥ったんですわ。それで,どうしようかと思った時に,活動屋たちが自らの生き残りをかけて取り組んだのが最初です。
 このままでは,撮影所が危ない。映画もまったく作れなくなる。なんとか,別の商売をして,その儲けた金で映画を作り続けようということになったんです。つまり,一種のリストラ対策なんですわ。
 最初は東映からの60人の出向社員でスタートしたんやそうですわ。でも,大変やったそうですね。誰だって,なんや遊園地みたいなところに行くのは嫌やないですか。映画の仕事をしていたのに,左遷やから。
 「活動屋による活動屋のための仕事や」と説得しまくったらしいです。

福本清三・小田豊二 (2007). おちおち死んでられまへん:斬られ役ハリウッドへ行く 集英社 pp.141

会社っていうのは

 よく,リストラや早期退職させられて「こんなに会社のために働いたのに,ひどい仕打ちだ」と怒る人がおりますけどね,会社っていうところは,そういうところなんです。
 会社のために働いたって思っているのは自分だけ。誰も,「お前のおかげで会社がここまで発展してきた」なんて思っていない。もっとわかりやすく言えば,「別に,会社はお前じゃなくたってよかったんだ。たいした能力もないお前を,ここまで働かせてあげたじゃないか。感謝せえ」てなもんですわ。
 だから,私も,退職金を貰えるだけありがたいと思っています。上の人からみれば,私らは別に必要ないんですよ。私がいなくたって,映画は作れますからね。とくに,私らみたいな大部屋の俳優は,別に誰でもええんですから。

福本清三・小田豊二 (2007). おちおち死んでられまへん:斬られ役ハリウッドへ行く 集英社 pp.119

給料があること

 でも,それがここまで,私が大部屋俳優を四十三年も続けられた原点かもしれないですね。定期的な給料があるって,すごいことですわ,ほんまに。
 保険がつきますやろ。怪我しても,病気しても,会社がある程度,負担してくれますがな。失業保険もついてるし,どれだけ,それからの人生で助かったかわかりまへんな。これだけは,会社に感謝せんといけないと思ってますわ。
 結婚して,子供をもってみますとね,どんな安月給でも,安定した収入が得られ,病気に対して保険があることの素晴らしさがわかりますね。あとは,一生懸命仕事をして会社のために働けばいいんやから。

福本清三・小田豊二 (2003). どこかで誰かが見ていてくれる:日本一の斬られ役 福本清三 集英社 pp.114-115

ちょこっと目立つ

 ちょこっと目立つ,やや目立つ。わずかに目立つ。かすかに目立つ。それの繰り返し。そうすると,助監督らがひょっとして,私のことが少しでも頭をかすめてくれるのではないかと思うわけですわ。
 若気の至りで,自分なりにそうせんといかんと思ったんでしょうね。そんなん,たいしたこともありまへんわ。でも,十六,七の頃の私は,そんなことでも,遮二無二,一生懸命やってました。かわいいもんですわ。

福本清三・小田豊二 (2003). どこかで誰かが見ていてくれる:日本一の斬られ役 福本清三 集英社 pp.39-40

カルト対策

 統一協会信者の強制棄教を常習とする牧師は,その親族から「謝礼」という名の領収書なしの“報酬”を受けているのが通例だ。その金額は100万年単位を下らないという親族の証言もあるほどで,事実上高額の営利行為,脱会ビジネスになっている。
 その“営利牧師”たちが,しかも,統一教会という特定教団と対立関係にある片方の当事者が,いかなる資格で国・公立大学の「カルト対策」に関与しているのか。大学のどのような決定経緯を経て,誰の許可によって提携が決まるのか。大学側や「カルト対策」教授と“営利牧師”との間に金銭的な癒着はないのかを含めて,厳しく調査されなければならない。

室生 忠 (2012). 大学の宗教迫害 日新報道 pp.53-54

何冊も

 ロズウェル事件の本は,1冊だけを読んでいても,その真実はわからない。その本だけの情報に躍らされると,たいてい,事実を見誤ってしまうのだ。昔の著書から順に内容を追っていき,重要人物による証言内容などがどうコロコロ変わっていくのか,著者が自信満々に書くことがどう二転三転していくかを見られれば,より深くロズウェル事件を楽しめるようになるだろう。

ASIOS・奥菜秀次・水野俊平 (2011). 検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定 文芸社 pp.315

木と森

 物事が正しいのか,また間違いなのかを判断するには,個別の事実関係をしっかり洗い直して把握するということは,とても大事なことだ。だが実は,それよりも大事なことがある。細かな「木」ばかりに目を奪われすぎて,「森」が見えなくなることがないように気をつける,ということだ。陰謀論の場合,この「個別の木ばかりに目を奪われてしまって,森が見えなくなる現象」がよく起きてしまう。その結果,やすやすと陰謀論の罠へとハマっていってしまうということが多いのだ。
 陰謀論はたいてい,話の規模や設定が気宇壮大なので,全体像がもともと何だかよくわからない場合が多い。そのため,ついつい個別の事象の真実性や,つい納得してしまいそうな細かな話の筋立てなどに,壮大な陰謀論の内容全体の事実性の担保を頼ってしまいがちなのだ。
 五里霧中の「陰謀論の森」の中で,いかにもそれっぽい,わかりやすそうな事象・事実なるものを目の前にポイと投げられると,急に視界が開けたような気がしてしまい,本当は何も見えておらず,わかってもいないのに,その1つの事象・事実だけで,まるで森全体が納得できてしまいそうな気持ちへと陥り,「ああ,そうだったのだ」と,ありもしない納得をついついさせられてしまうというわけなのだ。

ASIOS・奥菜秀次・水野俊平 (2011). 検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定 文芸社 pp.291

アポロ陰謀論

 アポロ陰謀論を信じている人々に共通の特徴なのだが,ごく初歩の宇宙開発の知識もまったく持ち合わせていない。そのため,何も矛盾がない話に,ありもしない矛盾を勝手に見つけて疑い出すことになる。
 いい例が「なぜアポロ11号以来,アメリカは月に行かないのか?」というものである。これはネット上の掲示板や質問箱などで,もう何年も質問と回答のループが繰り返されている疑問だ。この疑問,実は疑問そのものが間違っている。アポロ計画で月面着陸したのは11号だけではない。11号,12合,14号,15号,16号,17号の6回の着陸が行われた。つまりこの疑問に対する回答は「11号以降もアポロ計画は続いていた」である。この程度のこのは一般向けの図鑑にも書かれているし,ネットで検索すれば数十秒で手に入る知識である。しかし現状では,残念ながら「アポロ 月着陸」で検索するとたいてい陰謀論が引っかかってくる。

ASIOS・奥菜秀次・水野俊平 (2011). 検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定 文芸社 pp.240-241

アウシュビッツ

 否定論者の間で重宝された「ロイヒター報告」であったが,ロイヒターは現存する“ガス室”を視認し,「“ガス室”には密閉性がなくガスが漏れる」だの「ガスの排気ができないため遺体処分は不可能」と論じていた。
 現在我々が見ることのできる建造物“アウシュヴィッツ”は,ナチスが破壊した建物を収容者の記憶に基づき再建したものであり,これを見て当時の稼働状況を推測するのは基礎知識のない人だけだ。大体,“アウシュビッツ記念館”にはここが戦後再建されたものだという説明があるのだ。残存する建物の残骸からも,レンガの隙間をコンクリートで埋め通気を遮断してあったことや,換気装置の痕跡が確認できる。そしてその換気装置は設計図にも存在していた。

ASIOS・奥菜秀次・水野俊平 (2011). 検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定 文芸社 pp.150-151

ピックアップ

 多くの人の思い込みに反して,巨大な地震は決して珍しい現象ではない。国連開発計画の報告書に基づく1980年から2000年までの統計では,マグニチュード5.5以上の地震の1年での平均頻度は,高い順に中国2.1回,インドネシア1.62回,イラン1.43回,日本1.14回,アフガニスタン0.81回,トルコ0.76回,メキシコとインドがそれぞれ0.67回,パキスタン,ペルー,ギリシャがそれぞれ0.62回を数えている。以下,フィリピン,イタリア,コロンビア,米国,エクアドル,アルジェリア,コスタリカ,パプアニューギニア,ロシア……といった国々が続くのだが,要は地球全体で考えれば大規模な地震は毎年,何度も起きているのである。
 日本の気象庁も,津波や高波に備えて海外で1ヶ月以内に起きたマグニチュード7以上の地震に関する情報を公開しているが,そこには常に数件が掲示されている。私たちの印象に残っている事例が少ないのは,マスコミもしくは私たち自身の無関心によって忘れ去られた事例が多いからにすぎない。地震兵器の実在を主張する者は,地震兵器が発動した例として,過去の膨大な地震の事例から,好きなものをピックアップできるわけだ。

ASIOS・奥菜秀次・水野俊平 (2011). 検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定 文芸社 pp.93

引用者注:本書は2011年1月31日に発行されており,執筆時に東日本大震災は起きていない。だがおそらく,数年が経過すれば同じ状況となるであろう。

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